木版画の創作活動が海外からも高く評価されている(故)尾﨑斎晃さん

名人対談

和歌山県には、様々な分野でそれぞれの道を究めた「名人」とも呼べる方々がおられます。このような方々は和歌山県の誇りであるとともに、その活動は県民の皆さんにとっても励みとなります。そんな「名人」から高い志や歩んでこられた人生についてお聞きし、県民の皆さんにご紹介したいと思います。

地域における版画の普及に取り組むとともに、日本の原風景をモチーフにした木版画の創作活動が海外からも高く評価されている尾﨑斎晃さんと仁坂知事との対談です。(個人画廊「光成板画館」にて)

仁坂知事と尾﨑さん
左:尾﨑斎晃さん 右:仁坂知事

仁坂知事:昨年の12月にもこちらの画廊にお伺いし、尾﨑さんの作品を見せていただいて本当に素晴らしいと思いました。それで、県としても宣伝しないといけないと思って、今回の名人対談になりました。どうぞよろしくお願いします。
 早速ですが、尾﨑さんは、和歌山市役所にお勤めされていたということですが、尾﨑さんと版画の出会いはどんなきっかけだったんですか。

尾﨑さん:版画と関わったのは意外に遅く、昭和52年、私が42才の頃で、当時は教育委員会で生涯学習の担当をしていました。毎年、和歌山市中央公民館で「市民成人学校」という教室を開いていたんですが、私が担当していた時に市役所の新庁舎が完成し、それまで中央公民館に入っていた教育委員会の各課が新庁舎に引っ越していったので、教室として使える部屋が増えたんです。それで、「市民成人学校」のコースも増やして、市民の皆さん方の要望に応えられるように盛り上げていこうということになりました。

仁坂知事:その科目の中に、版画があったわけですね。

尾﨑さん:そうなんです。その年に、当時楠見小学校の校長をされていた谷井照夫先生に講師をお願いして、版画で年賀状を作るコースを設けました。翌年度はもっと版画に親しんでもらおうと、色紙ぐらいの大きさの版画を作ることにしました。そうして版画教室のお世話を続ける中で、私自身も版画を刷って谷井先生に見ていただいたところ、「何とかモノになるんじゃないか」とおっしゃっていただいて、翌年、先生の勧めで「日本板画院」という棟方志功が創設した木版画が主体の団体の展覧会に出品したんです。その結果、初出品・初入選ということになりまして、それがそもそもの始まりです。

仁坂知事:版画教室のお世話をするかたわら、ご自身もやってみたところ、ものすごく才能があったわけですね。

尾﨑さん

尾﨑さん:いえいえ、その頃は正式に勉強したわけではないですから、「門前の小僧、習わぬ経を読む」というような程度の知識と技術しかありませんでした。本格的に版画をやるようになったのは、後日、私の心の師匠とも言える長谷川富三郎先生にお会いしてからです。長谷川先生は、棟方志功とともに「日本板画院」の発展を支えた版画家で、長い間鳥取県で小学校の校長先生をされていました。初めは、谷井先生に連れられて物見遊山のような気持ちでおじゃましたんですが、その時に本格的に版画をやるように勧められ、帰り際にいただいた画集には「不思議なご縁で」とサインしてくださいました。それから2年ぐらい経って再度お会いした時に「版画を始めました」と報告すると、今度は「お続けなさりませ」という言葉をいただきました。

仁坂知事:長谷川先生の言葉がいいですね。「お続けなさりませ」とか。何とも言えぬ上品さと味わいがありますね。でも、いくら長谷川先生の言葉に説得力があったとしても、尾﨑さんご自身が版画をお好きでないと続けられませんよね。

尾﨑さん:そうですね。もともと学生時代は画家志望でしたし、年賀状を版画で作ったりしたことはあったんです。でも、このようなきっかけがなければ、本格的に版画の世界に足を踏み入れることはなかったと思います。その後、「日本板画院」にも入会することになって、和歌山では今、私が支部長をさせていただいています。

仁坂知事:そうですか。尾﨑さんはずっと活動を続けてこられ、「日本板画院」でも重要な役割を担っていらっしゃるわけですが、最近、色々な賞をお受けになっているんですよね。

尾﨑さん:一昨年、「日本板画院」から華厳賞という賞をいただきました。この賞は、作品の内容だけでなく、「日本板画院」への貢献度も考慮して決定されるものなんです。それと同時に、外国の展覧会へも出品するようになって、いくつか賞をいただいています。本当は、「日本板画院」での活動を静かにやっていこうと思っていたんですが、長谷川先生に言われた言葉があるんです。「教えられること、育てられること、このありがたさに気づかぬまま、年月を過ごしてしまうな」と。私が定年で辞めた時も、「人生に退職なし、終生、人間現役」と激励されました。こんな言葉をいただいたからには、頑張り続けないといけませんよね。

仁坂知事:そうですね。それでは、そのように精力的に版画を描き続ける中で、主として追い求めているテーマのようなものはあるのでしょうか。

浜辺
浜辺

尾﨑さん:私は、近代的な建築物に様変わりし、日々失われていく古い日本の風景を何とか記録に残したいと思って、藁葺きの屋根や古い民家を描いています。ここに掛けている「浜辺」という作品は、雑賀崎の風景を描いたものですが、今はもうこの絵にあるような木造船はなく、FRP製の船ばかりで、港の景色が変わってしまいました。
 以前、私の版画が載っている本をご覧になったハワイ大学の総長さんから、その作品をタペストリーにして送ってほしいと依頼を受けたことがあります。今、ハワイから日系3世・4世の人が日本に来ても、1世・2世の人が苦労していた時代の日本の風景がなくなってしまっていて、祖先の祖国に帰ったという雰囲気になれないと言うんです。
 もちろん写真では、古い風景がたくさん残っていると思いますが、絵は「ここが好きだ」と思うところを中心にして描くことができます。長谷川先生から版画というのは「捨てて成る絵だ」と教えられました。「要らないところはどんどん捨てていけ、自分の主張したいところだけまっすぐ表現しろ」というご指導をいただいたんです。絵というのは、そういうふうにして残していくものだと思っています。

仁坂知事

仁坂知事:なるほど、尾﨑さんの作品には、そういう思いが込められているんですね。実は、尾﨑さんのことを存じ上げるようになったのは、昨年、この地区の連合自治会長さんから、立派な画廊をお開きになった人がいらっしゃるとお聞きしたからなんですが、随分と地域の方々からも愛されているという感じがします。

尾﨑さん:この画廊を開いた時、それまでこの地区には文化施設が1つもなかったので、連合自治会長さんも「よくやってくれた」と喜んでくれました。こんなことで地域のお役に立てるのであれば何よりです。そもそもこの画廊を開いたのは、展覧会に出品した後、作品をお蔵入りさせてしまうのが忍びなかったからなんです。でも、この画廊を開いたおかげで、私が絵を描いていることをご近所の皆さんに分かってもらえるようになりました。今は、訪れていただいた方と版画の話をするのが本当に楽しみです。

仁坂知事:本当にいいことだと思います。誰でも偉くなると、すぐに銀座の画廊に行ってしまったりとか、それじゃ面白くないですよね。やっぱり地元の人たちに愛されることが一番大事だと思います。それから、和歌山における版画人口を増やすことも大事ですよね。若い人たちが版画を習いに来たりすることもあるんですか。

尾﨑さん:はい、後継者を育てていくことも、私たちの務めだと思っています。実は、初めにお話をさせていただいた市民成人学校の卒業生で「板画の会」というグループを作って、版画教室を開いているんです。生涯学習の観点からは、市役所がセットしたものを習うよりも、自分たちでグループを作って、多くの人に呼び掛けていった方がいいと思って始めました。そこでは年3回に分けて作品を1点ずつ作りながら、若い人たちに基本的なことを勉強していただいています。それと、春と秋に展覧会を開催します。

仁坂知事:やっぱり作るばかりでなく、できあがった作品をみんなに見てもらわないとやる気が出ませんよね。

尾﨑さん:そうなんです。そうやって頑張ってやっていく中で、もっと上を目指そうという人も出てきます。そういう人には「一緒に東京へ行こうか」と言って、「日本板画院」の展覧会に出品してもらうんです。少しおこがましいですけど、私の中では、「日本板画院」の和歌山支部が1軍、「板画の会」は2軍という位置づけです。

仁坂知事:1軍と2軍には、それぞれ何人ぐらいいらっしゃるんですか。

尾﨑さん:1軍に18人、2軍に32人程度です。

仁坂知事:それは、これからが楽しみですね。その人たちにとっては、尾﨑さんのように、子どもの頃から修行したのではなく市役所に勤めながら版画を始められて、しかもこんなにご活躍されている方がおられるということは、モデルとして励みになりますよね。

仁坂知事と尾﨑さん

「日本板画院」のマーク
「日本板画院」のマーク

尾﨑さん:そんなふうに思って頑張ってくれると嬉しいです。何とかこの取組を続けていって、その中から1人でも2人でも大きな舞台に立てる人を作っていくことが、私たちグループの大きな目標です。それで、これは「日本板画院」のマークなんですが、和歌山県の熊野三山の神鳥である八咫烏をデザインしたものです。どうして八咫烏なのか、今となっては正確な由来は分かりませんが、八咫烏が神武天皇の東征を導いたように、日本の版画の未来を先導するのは「日本板画院」だということを表したのではないかと、私自身は思っています。ですから、これはもう和歌山が頑張らないといけない。

仁坂知事:なるほど、尾﨑さんをはじめグループの方々には、これからもどんどん若い人たちを引っ張っていっていただかないといけませんね。最後に、尾﨑さん個人の活動として、今後の抱負をお聞かせください。

尾﨑さん:私個人の活動としては、まず社会貢献活動です。自分の作品が社会へ役立つことができればと思って、色んなチャリティーに協力しています。例えば、毎年東京で行われている「朝日チャリティー美術展」には16年続けて作品を提供しておりまして、こんな活動を通じて社会に少しでも恩返しができればと思っています。それと、海外に作品を出品するだけではなく、海外に日本の版画をもっと広めていくような活動も行っていきたいと思っています。今年1月に中国の書法研究院の客員教授に任命していただきました。まだ中国には行ったことがないんですが、今年10月に日中国交回復40周年を記念して北京と青島で開催される展覧会に出品しようと思っています。それから、モンゴルにもタイルアートにした私の作品を送る予定です。モンゴルに学生が美術の勉強をする「和の宝珠美術館」という建物があるんですが、そこに私の作品を展示してもらい、学生が使用する美術の教育書の1ページにも私の作品とコメントを載せていただけることになりました。こんな活動を今後も体が続く限りやっていきたいと思っています。

仁坂知事:ぜひお続けください。尾﨑さんのような人が和歌山におられて、本当に誇らしい思いです。本日はどうもありがとうございました。

<尾﨑斎晃さんのプロフィール及び主な画歴>

日本板画院同人、評議員、和歌山支部長
和歌山県美術家協会会員
板画の会 代表幹事

1976年 ・第28回日本板画院展に初出品、初入選
1981年 ・第31回日本板画院展新人賞・ニュートン賞
2010年 ・第60回日本板画院展華厳賞
・第1回美庵大賞展芸術出版社賞
・イタリア「アルテ ジャポネーゼポスト モデルナ」芸術大賞
・ポルトガル共和国「日本ポルトガル修好150周年記念美術展」
 ポルト市長賞準大賞・ポルト在住日本国名誉領事賞

愁思 古寺愁景 廃墟(閑寂の時)

2011年 ・ハワイ大学にタペストリーを永久収蔵
・インターナショナル・アーティスト・グランプリ
・「2011年度美術史上に残る世界的名作遺産受賞作家」認定
・金の百合芸術大賞
2012年 ・日本美術評論家大賞
・フランス芸術最高勲章受章
・「国美芸術展」銀獅子賞

『尾﨑斎晃 光成板画館』
 住 所:和歌山市六十谷9−5 貸ビル光成102
 電 話:073−462−1186
 開館日:毎週 土・日・月曜日 午後1時~6時


 

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