日本とトルコの友好に多大な貢献をされているアマチュア作曲家向山精二さん

名人対談

和歌山県には、様々な分野でそれぞれの道を究めた「名人」とも呼べる方々がおられます。このような方々は和歌山県の誇りであるとともに、その活動は県民の皆さんにとっても励みとなります。そんな「名人」から高い志や歩んでこられた人生についてお聞きし、県民の皆さんにご紹介したいと思います。

平成22年にトルコでエルトゥールル号追悼記念コンサートを開催し、日本とトルコの友好に多大な貢献をされているアマチュア作曲家向山精二さんと仁坂知事との対談です。(ご自宅にて)

仁坂知事:向山さんは、この辺でお生まれになって、ビジネスはLPガスの販売などをされているんですね。

向山さん:正式に言いますと、LPガス製造販売、それからガス事業です。製造販売とは、工場で充填して販売店卸又は団地へ配送します。ガス事業というのは、いわゆるミニ都市ガスみたいな感じで、中・小規模な集団供給です。そのほか、冷暖房の設計施工もやっています。LPガスは震災に強いですから、和歌山県防災センターがある県庁南別館には都市ガスだけでなくLPガスが入っていますでしょ。LPガスは、今回の東日本大震災でも随分と活躍いたしました。

2人
左:仁坂知事 右:向山精二さん

仁坂知事:LPガスだと、配給が止まってもしばらくは保ちますね。それに和歌山県では、都市ガスは和歌山市を中心とするごく限られた地域にしか入っていなくて、あとはみんなLPガスでしょ。だから、大変重要なエネルギー産業を担っていただいているわけですが、そのビジネスをずっとされている立派なビジネスマンが、作曲をされ、作詞をされ、指揮者をされ、それでプロモーションまでされる。このような現在の偉業は如何にして始まったのでしょうか。

向山さん:作曲には、はまってしまったというか、何でもしたいというか、欲張りなんです。釣りもするし、ゴルフもするし、色々やるわけです。盆栽でしょ。鯉も自分で繁殖させて、この家で飼っている鯉の3分の2は私の作品です。これは難しくて、もう作れません。

仁坂知事:作るというのは、かけ合わすのですか。

向山さん:そうです。メス1匹にオス2匹で闘いをさせるんですが、すさまじい闘いをします。それから胡蝶蘭、シンビジウム、これらが約200鉢あります。温室を作ってやっています。

仁坂知事:多趣味ですね。それにしても、今、お聞きしたような鯉なども凄いのだけど、趣味としてそういうのをおやりになる人は、他にもいると思うんです。だけど、作曲をして音楽会を組織化して楽団を指揮するというこの偉業は日本中・世界中を探しても他にないと思うんです。昔から音楽にご造詣とかご興味とかがあったんですか。

向山さん:中学校の時にクラリネットを吹いていたんですけど、ただそれだけで、それ以上高度な音楽の勉強はしていません。当時、父親も独立して大変でしたので、家業を手伝いながら、30年ほど音楽活動は何もしませんでした。ただ、7年間、私は技術員として東京へ月1回ぐらい、年間に15回ぐらい出張していたんです。ある時に新幹線から見た風景が、素晴らしい風景でしてね。前日は暴風雨だったんですが、その日はカラッと晴れていて、50キロメートルも60キロメートルも離れた先あたりにきれいな富士山の裾野が見えました。雲ひとつなく、塵も埃もない、正に日本晴れです。その時、陽炎が映っていたんです。「うわー、のどかだな」と思っていると、メジロ捕りとか、ウグイス捕りとか、アケビ採りとか、幼い頃に山野を駆け巡って遊んだ思い出が浮かんできました。そういう、ちょっと何かウキウキしたものが自分の心をときめかせ、曲になったんです。それが『北六班の歌』です。

仁坂知事:それが音楽にもう一回のめり込むきっかけですか。

向山さん:そうです。13年前、1998年のことです。私の家は下津町方の北地区に12班あるうちの6班なんですけども、索漠とした経済情勢の中で「心」が荒れ果てていた時、懐かしい子どもの頃のことが心をなごませてくれて、『北六班の歌』を作ろうと、たわいもないことですが、そんなことを思ったんです。詞は1番だけしか作らなかったんですけど、メロディーは静岡から東京駅へ着くまでの約40分から1時間ぐらいの間に出来上がりました。まあ、そんなことだったんですよ、きっかけというのは。それで帰ってきて、ピアニストにちょっと弾いてもらったら、「何ときれいなメロディーですね」と言われて、そんなことを言われたらこっちも乗ってしまいますよね。

仁坂知事:だけど、音符にちゃんと自分で落とされたわけで、そういう素養はおありになったんですね。

向山さん:もちろん楽譜は自分で書いたんですが、ピアノもそんなに弾けませんし、バイエルをちょこっと弾けるだけです。「何ときれいなメロディーですね」と言ってもらったことが、音楽にはまっていった原因です。それで、下津町方には粟嶋神社という神社があるんです。これは出雲の神様が粟の種を蒔いてできた神社ということなんですが、昔はこの辺も海で、帆掛けの小舟が颯爽と行き来し、潮が引けば干潟ができたそうです。そういう歴史を調べているうちに、それがまた、ひとつの曲になりました。これが『幻想組曲粟嶋神社』という曲で、一番最初の本格的なオーケストラ曲です。先程申し上げたように、私はプロではございませんので、編曲をきちっとできるわけではありません。編曲はプロにお願いしました。

仁坂知事:それで、オーケストラの楽曲も作曲されて、更に作曲をするというのと本当に演奏してしまうというのとでは、また一段飛び上がっている感じがするんですよね。それはどうやってそういうことが可能になったのですか。

向山さん

向山さん:やっぱり自分で作った曲は自分で指揮をしないと、曲想が思いどおりに表現できません。阿吽の呼吸というのがあるんです。強調したいところを機械的に素通りされてしまったのでは、出したいところが出せなくなる。『北六班の歌』という最初の曲は、プロの指揮者に振ってもらったんですが、「ここをもうちょっとこうしてもらったらいいのに」とか、「ちょっとゆっくりしてもらったらいいのに」とか、ちょこっと感じたのがきっかけです。それで、「この際、いっぺん自分でやってみよう」と思って、指揮をさせてくれるかどうか、プロの楽団に聞いてみたんです。すると、素人がプロに向かって振らせろと言ったのは、私が2人目だと言われました。そんなことを言われると、余計にしたくなってくるんです。それから、結果論ですけど、私の楽曲は自然描写、人物描写、そして歴史の描写から成り立っておりまして、音楽だけではなかなか理解をしていただけないんじゃないかということで、映像を流したんです。これをすることによって、「あんたの曲は、本当にわかりやすい。今までオーケストラなんか聞いたことがなかったのに、はまってしまった。」とか、同級生の連中がみんな言ってくれるんです。それで余計に乗ってくるわけですよ。

仁坂知事:どんどん乗ってくるんですね。でも、こういうことを聞いたら失礼ですけど、演奏には随分莫大なお金がかかりませんか。オーケストラもたくさんの人を集めないといけないし、結構大変なことだと僕は思いますが。

向山さん:利益が出ることはまずありませんが、そんなにかかるものでもありません。事務局の皆さんがよくやってくれますから。オーケストラは、関西では大阪フィルハーモニー交響楽団、センチュリー交響楽団、関西フィルハーモニー管弦楽団、大阪フィルハーモニカー、それから京都交響楽団、こういう団があるんですけども、それぞれに演奏料が違うんです。しかし、私としては、値段や格式ではなしに、自分の思うように演奏していただくのが一番いいんですよね。関西フィルハーモニーとは、初演は串本で、その後、新宮、大阪のシンフォニーホール、それから和歌山県民文化会館と、もう4回やりました。やっぱりコンサートマスターですよ。岩谷さんという方で、バイオリニストなんですけども、本当に体で表現してくれる演奏者なんです。そういう意味で、私は関西フィルハーモニーが世界一だと思っています。

知事

仁坂知事:それで、関西フィルハーモニーと一生懸命やっておられるわけですね。作曲活動や演奏活動のモチーフみたいなものは、一番初めは子どもの頃の思い出、それから粟嶋神社もこの辺ですよね。やっぱり郷土を中心にしてやっておられるんですか。

向山さん:『北六班の歌』を作曲した背景には、今も悪いけど、その頃は経済も本当にどん底に近いような状態で、たまたまその時に順番が回ってきて、北6班の班長をしていたんです。自分も含めてみんなに元気がほしいなと思っていたところ、一番最初の班長会議に、粟嶋神社の宮司さんとか、総代さんとか、役員さんがやって来て、「ここ数年、祭に御輿も出ていないし、子どもたちはその祭そのものを知らないので、何とかしてくれないか」と言うわけです。そんなこともあって、粟嶋神社の歴史を勉強したり、「御輿の曲を作ったらいいのにな」とか考えていると、自分も元気が出てきたんです。それで出来上がったのが『幻想組曲粟嶋神社』という曲です。それで、周りの人たちも元気になってくれたらいいなという、そんな大それたことを思いながら合唱団の団員を募ったら、たくさんの方々が集まってくれました。それで「あわしま合唱団」を結成したんです。後に、ある年配の方が「精ちゃん、私、顔がむくんでどうも体の調子がおかしいなと思ってたんよ。でも、これで元気が出たし、体は元に戻るし、精ちゃんを命の恩人やと思ってるんやで。」と言ってくれた時は涙が出るほど嬉しかったです。

仁坂知事:それから演奏も地元の方でやられるようになったんですか。

向山さん

向山さん:そうです。誰も音符なんかわかりませんから、見よう見まねでやるわけですよ。それも、みかん小屋で練習しました。でも、それがまたいいということで、NHKが録りに来るし、テレビ和歌山も随分と取材してくれました。この『幻想組曲粟嶋神社』は、最初は『神』、それから『祭』、『歓喜』の3楽章で構成していまして、作曲活動もこれで終わりかなと思っていたんです。ところが高野山で何かが起きるということを聞いたんです。それで高野山へ行くと、世界遺産登録の会議をやっていまして、その時、世界遺産登録を後押しするためにも、高野山をテーマに曲を作ろうと思ったんです。高野山は、奥深い仏の世界でもあるけど、曲を作るならやっぱり自然の描写がいいだろう。自然の描写といっても、高野山は、春に行きますと、下はもう桜が散っているのに、上がって行くにつれて花が咲き、頂上はまだつぼみです。これはやっぱり四季だなと思いました。それで『高野山の四季』という曲を作りまして、壇上伽藍でコンサートを開いたんですが、その時にユネスコの委員さんたちが来て、レセプション的存在にもなったんです。

仁坂知事:それは素晴らしい。世界遺産になったのも向山さんのお陰かもしれないですね。

向山さん:いえいえ、そんなことはありませんが...。まあ、それで歓迎の役目ができたのかなと思っています。その演奏が終わった時に、当時の粉河町長さんが飛んで来て、「『粉河音頭』を作ってもらったらいくらかかる」と聞くから、「私は音楽で一銭ももらったことはないですよ。道楽でやっています。」と答えたんです。よく話を聞くと当時の『粉河音頭』はゆったりとした曲調なので、もっと激しい音楽がほしいと言うから、やっぱりこっちも乗ってきます。それで、『ふるさと粉河音頭』を作ったんです。その時、粉河だけでなく、紀の川や橋本市のこともちょっと勉強しました。更に、九度山には真田幸村が隠棲した真田庵もあって、これも凄いなと。十勇士には、猿飛佐助、霧隠才蔵など、色々あるなとかね。十勇士の祭もあるし、そういうのを曲にして、『紀ノ川』ができたんです。これが『紀ノ川』の楽譜です。

2人

先程お話しした『高野山の四季』とこの『紀ノ川』は、後で『紀伊の国交響組曲』の中の楽章として再構成しました。『高野山の四季』が第1楽章、『紀ノ川』は第2楽章です。
それでそうこうしているうちに、南方熊楠の曲を作ろうと思って、南方熊楠記念館に行ったんです。そこで粘菌というのはいったいどういうものか、顕微鏡で見ると動いているんですよ。これが植物と動物の中間かと思いました。そんなのを勉強しながら、南方熊楠の曲を作って、『黒潮』という『紀伊の国交響組曲』の第4楽章の中に入れました。『黒潮』の中の第3番です。この『南方熊楠』、これが作曲に一番苦労しました。この『南方熊楠』ができた時から、宮崎緑さんにコンサートの司会をお願いするようになったんですが、『黒潮』のコンサートは宮崎さんの希望もあって本宮の大斎原でやりました。その翌年、2004年7月に世界遺産登録がされまして、これにあわせて、『紀伊の国交響組曲』全4楽章のコンサートを県民文化会館でやったんです。これで音楽活動は一区切り付いたと思っていたんですが、もっと凄いことを知ったのが、エルトゥールル号。「うわー、これは曲にせなあかんわ」と思いました。

仁坂知事:それはいつ頃ですか。

向山さん:3、4年前です。エルトゥールル号は壮絶な救出劇であったということで、また私はそんなのが好きだから、「ようし、これをやろう」と思って、それで作ったのが『エルトゥールル号の軌跡』です。作曲に当たっては、随分と勉強もしないといけませんでしたけどね。その後、「2010年トルコにおける日本年」というのがあって、トルコで開催するイベントを募集しているということを聞いたんです。それでは申し込んでみようかと、外務省の担当者に相談したんですが、国からの資金援助はないとのことでした。しかし、日本からオーケストラが行くとなったら、莫大な費用がかかります。
そんな中、イラン・イラク戦争時のトルコ航空機による邦人救出劇をテーマに『九死に一生』という曲を作って、2009年の12月30日に日帰りでトルコに飛んで、トルコ文化観光省の局長さんに持って行ったんです。そうしたら、正月が明けてからすぐに「無料でオーケストラを提供するからやってください」と返事が来ました。それから、トルコに9回行って交渉した結果、オーケストラから観客集めまで全部面倒を見てあげようということになっていたんです。ところがその後、残念ながら事情が変わって、観客200人は集めてくれるけれども、それ以上の支援は受けられないということになって、私たちは目の前が真っ暗になってしまったんです。
そうこうして、コンサートまであと1か月と迫っていた時、知事が電話をくれたじゃないですか。知事もちょうど私が行く前にメルシン市へ行かれて、その1週間か10日前に電話をいただいたと思うんです。「困っているそうですね」と言って。私はもう「神の声」だと思いました。イスタンブール日本人会の舘照雄さんに電話してくださったんですよね。

仁坂知事:はい、電話しました。ちょっと苦戦だという話を聞いたんです。それで、せっかくおやりになるのに、これはいけないと。だいたいトルコの人にエルトゥールル号とか、串本と言うと、「おお」と言ってものすごく胸が騒ぐわけですよ。だから、そういうことをちゃんとアピールしておかないといけませんよね。メルシン市の式典で、イスタンブールの日本総領事とも仲良しになったし、イスタンブール日本人会の舘さんとか、色んな方に面識ができたんです。それで向山さんのせっかくのご厚意が無になってはいけないと思って、電話作戦で「ねえねえ、こうなっているんですけど、これはいかんでしょ」と言ったら、「おお、いかん」とみんな興奮して。

向山さん:それから一気に進展しました。それで最後に動いてくれたのが、日本・トルコ協会の森永堯さんと前イスタンブール総領事の松谷浩尚さんです。森永さんは大統領や財閥にメールを送ってくれたし、松谷さんが動けば総領事も動かざるを得ない。もうこれで沸騰です。

知事

仁坂知事:最後の最後で向山さんのお役に立てて良かったと思います。ああいうのをやっていただいたということは、和歌山のためでもあるとともに、日本のためなんですよ。エルトゥールル号の時は、まさに串本の民間の方が一生懸命助けたので、イラン・イラク戦争の時に飛行機が飛んできて奇跡のフライトがあったわけですよね。今回も、向山さんのような民間の方が救ってくださった。そういうように思います。それで、今後の活動予定などは、もうお決まりですか。

向山さん:今年の8月23日に東京・渋谷の新国立劇場でフルオーケストラ演奏をやります。大きな劇場でオペラ専用なので、本来ならオーケストラ演奏をさせてくれないんです。それから、9月に入ったら、トルコのアンカラにある本格的なオペラハウスでコンサートやってくれないかと言われています。それと、アンタリアとイズミールでも公演の要請がありまして、これらが今年の予定です。

仁坂知事:もうそんなに決まっているんですか。それは大変ですね。本当に素晴らしいことをやっていただいて、今後とも、ぜひ仕事も、それからこういう活動もどんどんやっていただきたいと思います。今日はどうもありがとうございました。

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