独創的な陶芸活動をされている岡田實さん

名人対談

和歌山県には、様々な分野でそれぞれの道を究めた「名人」とも呼べる方々がおられます。このような方々は和歌山県の誇りであるとともに、その活動は県民の皆さんにとっても励みとなります。そんな「名人」から高い志や歩んでこられた人生についてお聞きし、県民の皆さんにご紹介したいと思います。

故郷の有田川町で「阿氐河窯」を開き、独創的な陶芸活動をされている岡田實さんと仁坂知事との対談です。(ご自宅にて)

仁坂知事:岡田さんは、ここで「阿氐河窯」を開いて陶芸をやっておられて、陶芸教室もやっておられてご活躍なんですけども、お生まれはどちらですか。

岡田さん:この下に二川という在所があるんです。二川ダムのある所で、そこで生まれたんです。安楽寺というお寺や城山神社という神社もあります。

左:仁坂知事 右:岡田實さん
左:仁坂知事 右:岡田實さん

仁坂知事:そこでお育ちになったんですね。それで勉強はどちらでされたんですか。

岡田さん:高校は地元の高校で、家から通っていました。その後、美術の先生になりたいということで、奈良芸術短期大学へ教員の免許を取るつもりで進学しました。その時に赤膚焼七代目当主の大塩正人先生が陶芸科の教授をされていたんです。それが陶芸との出会いなんです。それまで焼き物は知らなかったんです。

仁坂知事:陶芸家を志して奈良芸術短期大学に行かれたわけではないんですね。教職に就こうと思って行ったら、陶芸の先生に魅せられて、それで陶芸家を志すことになったんですね。

岡田さん:特に土練りというのを間近に見せていただいて、先生の迫力もさることながら、土の不思議みたいなものに感銘を受けました。菊練りというやり方で、きれいな菊の花びらのように揉む方法があるんですね。今日も後でちょっと知事さんに轆轤を回していただこうと思っていて、その時に揉んでご覧に入れますけども、それはいきなりやったってできるものではなくて、3年ぐらいかけてやっと形になるかというくらい難しいものなんです。10キログラム近い土がものすごい勢いで揉まれるというそれを間近にして、土の迫力というものを感じたんですね。

仁坂知事:それで、学校で2年間教えていただいた後、弟子にしてくださいと言って大塩正人先生の所に行かれたんですか。

岡田さん:そうです。奈良芸術短期大学を卒業後に入門して、そこで16年間修行しました。学生2年間、修行16年間と、18年間を奈良で過ごした後、36歳の時にこちらに戻ってきました。

仁坂知事:大塩先生の内弟子として修行されたということですが、岡田さんの作風にはちょっと特色がありますよね。

岡田さん:僕の焼き物はこれだけ特徴があって、色合いも色々ありますけども、大塩先生の所は赤膚焼という焼き物をやっていまして、それはもう400年の歴史ある窯です。小堀遠州という江戸時代の茶人、庭師でもあり、もともとは武士ですけど、その方の選ばれた7つの窯が遠州七窯と言われていまして、赤膚焼はその1つに選ばれているんです。だから、どちらかというと伝統的な茶陶が中心です。

仁坂知事:茶道具の茶碗ですね。岡田さんも、まずはそういうものをどんどん作っておられたということですね。

岡田さん:そうです。だから、赤膚焼をご存知の方は、僕の作品をご覧になってびっくりされるわけです。全然違うものですから。同じ焼き物でも異質なぐらい。

知事

仁坂知事:例えばここにある岡田さんの作品から、「元は赤膚焼やな」ということは分からないんですか。

岡田さん:分かりませんね。

仁坂知事:それでは、伝統的な茶陶の赤膚焼から岡田さんの今の作風が、どのようにして出てきたんですか。

岡田さん:当時ずっと修行をしながら、日本現代工芸美術家協会に所属して日本現代工芸美術展に毎年挑戦していました。そこで色んな賞をいただいて入選を重ね、その次は日展というように順番に頑張ってきたわけです。お陰で連続6回日展入選ということで、割合その頃は珍しかったんです。そしてそれをやって、和歌山に戻って窯を開くということになったんです。それまでの間、仕事では赤膚焼の仕事をしながら、現代工芸というか、現代の陶芸というか、そういうものにずっと取り組んでいました。

仁坂知事:そうですか。だから茶陶はお仕事として作らないといけないんですね。それで大塩先生は、その茶陶を守っておられたんですね。

岡田さん:茶陶に限らず伝統窯ですね。僕が師事した赤膚焼の大塩先生というのは、代々続いている大塩正人窯の七代目当主で、今は九代目になっています。

仁坂知事:先生はそれをお弟子さんとして作りながら、自分では現代陶芸をやられたということですね。それを焼く窯はご自分で他所に持っておられたんですか。

受賞作品
日本現代工芸美術展工芸賞受賞作品

岡田さん:その頃は内弟子ですから、窯を使わせてもらっていました。主に日本現代工芸美術展と日展という2本立てです。春の日本現代工芸美術展、秋の日展というようにして、1年間にこの2つの展覧会に出品する作品を仕事以外の時間に作っていました。かなり大きなこの作品なんかもそうです。この作品で日本現代工芸美術展の工芸賞というのをいただきました。全国で5つぐらいの中へ入れていただいたんです。勿論形もそうですが、釉薬を勉強するのは時間がかかります。だから、当時は釉薬よりも、とりあえず形を作れるように頑張ろうということで、自分なりの技法を考えて、あまり不自由なくやらせていただいていました。まず焼き物というのは、形を作ることで壁がどーんと来るわけですね。それを一つひとつ潰しながら前へ進めるんですけど、自分の考えているものを自由に作れるようになろうと思うと、本当に時間がかかるし、難しいんですね。

仁坂知事:それで成功されて、故郷のここに自分の窯を作ろうということになったわけですね。ここに窯をお開きになったのは、いつですか。

岡田さん:1986年です。その当時の清水町長は川原町長という方で、この方が赤膚焼の窯元までお越しくださって、直談判というか、直接師匠に会われて、ぜひ僕に清水町に戻ってきてほしいというお申出をいただきました。

仁坂知事:そうすると、町長さんが岡田さんを誘致されたという感じですね。

岡田さん:僕はもともと戻るつもりであったんですけどね。当時はUターンという言葉が流行っている時代でしたから、そういうのにちょうどはまったのか、メディアにも結構取り上げられたり、NHKにも出していただいたりとか。

仁坂知事:ここに窯をお開きになって、言わば独立された。ここは、やっぱりいいですか。

岡田さん:自分の故郷であるということと、当時はまだ両親ともに元気でしたし、兄弟も地元におりますし、慣れ親しんだ風土というんですか、そういうものが魅力です。常に自分の意識の中では、奈良に出稼ぎに行っているぐらいの気持ちでずっとおりましたから。奈良で何かつかんで、お土産に持って帰るというぐらいの気持ちでしたからね。

仁坂知事:故郷に戻りたいということで帰ってきていただいたんですね。それは和歌山にとっても大変ありがたいことです。ここは、例えば地形的なものとか、気象的なものとか、という点で特別なメリットがあるんですか。

岡田さん:地形的、気象的なメリットということではないんですが、とにかく故郷の近くで大自然を感じながら創作活動をしたくて、色々候補地を探していたんです。郵便屋さんなら特に色々な所を知っておられるから、そういう方にも相談していたら「いっぺん来てみないか」ということで、まだ奈良で頑張っている頃にここを紹介していただいたんです。敷地は今は平らになっていますけども、もともとは傾斜地でみかんが作られていました。ここへ車で来られる道はなくて、歩いて来る道しかありませんでした。だから小さいユンボを機械で下の広い道から上げて、ここの裏を掘って前へ出してというようにして、敷地を造るだけでも結構時間がかかりました。大分切り下げて前へ出して敷地を造ったんです。勿論、本業の方にしてもらったのですが。

仁坂知事:「阿氐河」というのは、ここの地名ですか。

岡田さん:そうです。「阿氐河荘」という荘園時代の地名です。これは広辞苑などにも出ています。昔国語の教科書にも載っていたらしいですけど、この辺の地名です。ここから下へ行くと石垣荘。鳥屋城というのもありますしね。上へ行くと花園や高野がありますね。

仁坂知事:由緒正しい地名なんですね。

岡田さん:三越で展覧会をやる時に、昨年亡くなられた書道家の榊莫山先生に読売新聞の論説委員と一緒に推薦文をお願いに上がったんです。その時に窯の名前を申し上げると、びっくりされていましたけども、よくご存知でした。荘園時代に阿氐河荘の農民が、地頭の横暴を訴える内容をカタカナで書いて、荘園領主に訴状を出したことを。

仁坂知事:それでここに窯を開かれて、現代陶芸をやられる。現代陶芸といっても、色々ありますよね。どんなところ、どういうものに興味を持たれて、どんなものを作っていこうかなというような、そういうインスピレーションとういうか、どのようなお考えでやってこられたんですか。

岡田さん:まず、伝統とは、守り継承していくことだと思っている人が多いですが、僕は時代とともに現代の息吹を作品に取り入れることが必要だと思っているんです。だからこれまで、1つの創作活動が終わったら、次はまた別のテーマで取り組むというように、常に新しいものに挑んできました。それと、とにかく自然を自分の中に取り込みたいという考えがもともとあるんですよね。だからこういう所で作っていきたいというのがあるわけです。最近は技術的なものもある程度満足できるものになってくると、色んな魚の型をとってみたり、自分の足型をとってみたり、葉っぱの型をとってみたり、そういうものとのコラボというか、融合させるというか、何かこの大自然の中の自分探しみたいな、そんなことを焼き物で表現しているんじゃないかなと。

仁坂知事:自分探しですか。

岡田さん:そうですね。気が付けば焼き物で自分探しをやっているんだなと。

知事
イチロー選手のスパイクのレプリカ
イチロー選手のスパイクのレプリカ

仁坂知事:自分探しということと、イチロー選手の靴というのがあまり結びつかないんですけど、これは考え方としてどういうふうになっているんですか。

岡田さん:これは1つの遊びと考えているんです。自分の技術がどこまで認められるかという挑戦でもあり、それはそれで1つの遊びなんですね。確かめたいというところもありますよね。「世界のイチローを驚かすんだ」という友達の考え方に賛同して、それならやれるだけやってみようと、世界の岡田ではないんだけども、どこまで通用するか。だから、やるからにはスパイクも徹底して本物に近いものにしようと、中敷きを入れてみたりとか。最初に本物を見せられた時は、断ることもありかなと思ったり大変でしたけども。

仁坂知事:それで、このモデルが来たわけですね。
 

岡田さん:そうです。本物が2足来ました。1つはWBCのジャパン代表です。王さんが監督にだった時に使われたもので、日の丸が横に付いていました。両方ともグラウンドの土が付いていました。

仁坂知事:このレプリカにも土が付いていそうな感じがしますね。

岡田さん:その後、イチローさんから例えばサイン入りのユニフォームとか、6点か7点ぐらい色んなものをいただきました。この桐の箱はレプリカを入れるために僕が作らせていただいたものです。レプリカは3足限定ですから、イチローさんがお友達とイチローさんご自身と、それと僕の分の3つの箱にサインをされたんです。イチローさんの分は記念館に飾ってくれているというお話です。ただ、お友達を介してでしたので、イチローさんには直接お会いできていません。

仁坂知事:今はなかなか直接お会いするには、お忙しいでしょうから。現役を引退された後、ここへ来てもらえたらいいですよね。それで、色々なものをお作りになって、かつ、ここで陶芸教室をやっておられるということですが、陶芸教室はどういう動機で始められたんですか。

岡田氏

岡田さん:多くの方に陶芸を楽しんでいただければという考えもありまして。日頃、特別縁が無く、一度は、土を触ってみたいなあとか、小学生の時にした、土の感触をふと思い出してやってみたいなあと思われる方が参加されることで陶芸に一歩でも近づけるんじゃないでしょうか。陶芸ファンになっていただく一番の近道かもしれませんね。何より、焼き物に対して理解が深まると思います。
 

仁坂知事:それで、ものすごく流行っておられる。

岡田さん:そうですね。今はロイヤルパインズホテルの方でもやらせていただいています。これは、毎月2日間の午前と午後とで合計4クラス、だいたい満杯で40人来られています。

仁坂知事:そうすると、ここだけじゃなくて、色んな所でやられるんですか。

岡田さん:いや、こことロイヤルパインズホテルの2箇所です。

仁坂知事:こちらには、どんな人が見えられるんですか。清水の方も習いに来られますか。

岡田さん:こっちへは、結構大阪のグループも来られるし、近くの方はそんなにいなくて、有田市の初島や和歌山市の方が中心です。地元の方も最初の頃は来られたんですけど、最近はあまり来られないですね。

仁坂知事:まあ趣味で全員が陶芸をやりたいとは限りませんものね。人口が少なかったら確率的にはそんなにたくさんいないかもしれないですね。それで、ここでの陶芸教室に普段は何人ぐらいいらっしゃってるんですか。

岡田さん:普段は、全員合わせても十数名ですね。ホテルの方は40名足らずですけども。ホテルで作ったものも、こっちで焼きます。ここの2階が展示室になっているんですが、初めは陶芸教室を2階でやっていたんです。その当時、礼宮様とご婚約中の川嶋紀子様のご家族が来られて、特別に陶芸教室をやらせていただいたこともあります。それ以来、展覧会をやると、ご両親がお花を持って訪れていただいて、東京新宿の三越や近鉄和歌山百貨店にも来ていただきました。

仁坂知事:紀子様はどういうきっかけでお越しになったんですか。

岡田さん:それは、まずお墓参りに来られるということで、ご親類の方達が僕の壺をお土産にということで、選びに来られたんです。それで陶芸教室もやっているということをお知りになって、それなら、そういう趣味がおありなので、いっぺん電話してお尋ねしてみようということになったんです。警視庁で警護できるかどうかという問題があって、県警とかも来られたりしたんですが、最終的にOKが出ました。それで、民間で立ち寄っていただいたのは僕の所だけだったんですね。他はみかんの選果場とか、幼稚園とか、そういう所へ行かれて、それはスケジュールが全部公表されています。ところが僕の所は民間ですからスケジュールの中に書いていなかったので、何事かと思ってみんなびっくりしたらしいです。この前の庭が人だかりで、すごい人でした。

二人

仁坂知事:紀子様は何かおっしゃっておられましたか。

岡田さん:織部釉という緑色の艶のある釉薬を使い、紀子様がお作りになったお湯飲みを焼き上げて送らせていただいたところ、紀子様ご本人からお礼のお電話をいただきました。

仁坂知事:紀子様に関しては、あらぎ島の人々が宮様の誕生を祝して毎年キャンドルライトイルミネーションをしておられますね。あれは、なかなか立派な、手もかかっているし、きれいだし、毎年楽しみにして来させてもらっているんです。9月6日、秋篠宮悠仁親王殿下のお誕生日にやるんですね。それでは最後に、今後の創作活動に向けての意気込みなどをお聞かせください。

岡田さん:今、湯浅小学校から陶壁画を依頼されていまして、7月までに制作する予定です。テーマなどもすべて僕に任されていますので、構想を練っているところです。小学校に飾っていただいて、子供達をはじめ、多くの方々にご覧いただくわけですから、気合いも入りますし、ずっと大事にしてもらえる作品にしなければという責任感もあります。偶然にも、和歌山に帰って来て、最初に創作した陶壁画も、湯浅町の和歌山県立耐久高校でした。

仁坂知事:それはどういうふうにして焼くんですか。

岡田さん:まずは、画家がイーゼルにキャンバスをのせて絵を描くように仕事場にパネルを大工さんに作ってもらいます。そこに土を今回の場合ですと約800キログラムぐらいを打ち込みます。そして、原図を拡大して、粘土を削ったり、肉付けしてレリーフをつけていきます。その後、ばらばらに分解して、素焼きをし、また元に組み合わせて釉薬をかけ、本焼きをします。部分的に外して、何度も窯に入れ焼くこともします。

仁坂知事:作った後に切るわけですか。

思考する牛
「思考する牛」

岡田さん:そうですね。柔らかいうちに分割して切ってしまうんです。裏を削り取って軽くします。やっぱり壁に掛けたりしますので。
「思考する牛」も一番厚みのあるところで眉間のところですが、粘土のときで20センチメートル、焼き上げで15センチメートルあります。陶壁画は、絵と彫刻と焼き物の3つの要素が合わさって成り立っています。
日頃、造形の仕事をしていますので、違った脳を動かすという楽しみもあります。楽しみばかりじゃなく、苦しみもありますが。それは、何も無いところから創り出すという点では、日頃している仕事も同じですが、今、依頼されている、湯浅小学校の陶壁画の構想の中心においているのは、子供達が将来立派な大人に成長してもらえるよう色々と作品に込めるメッセージを考えています。自然界から受けるエネルギー、力強さ、癒しとか、畏敬という言葉が当てはまると思うんですが。そういうものが表現でき、それが子供達に伝わればいいと思うんですが。

仁坂知事:それは素晴らしいですね、次の世代を担う子供達を立派に育てることは、私達大人の使命だと思います。ぜひ、子供達の豊かな人間性を育むような陶壁画に仕上げてください。私達にとっては、こうして腕を磨かれて、数々の栄ある受賞をされて、故郷に戻っていただいた。作ろうと思えば他所でも作れるわけですよね、腕があれば。それなのに故郷で作っていただいて日本に名を轟かすというのは、ありがたいことだと思いますので、この勢いで更にご活躍の程をお願いいたします。我々も、いっぱいお客さんを連れてくるとか、そういうことでお役に立てればいいと思います。どうぞよろしくお願いします。本日はありがとうございました。

このページの先頭へ