島精機製作所 社長 島正博さん

名人対談

和歌山県には、様々な分野でそれぞれの道を究めた「名人」とも呼べる方々がおられます。このような方々は和歌山県の誇りであるとともに、その活動は県民の皆さんにとっても励みとなります。そんな「名人」から高い志や歩んでこられた人生についてお聞きし、県民の皆さんにご紹介したいと思います。

こだわりを持ってモノづくりに取り組み社業を発展、大河内記念生産特賞を受賞された島精機製作所社長、島正博さん(島精機本社)

知事:島精機さんの工場・オフィスをたくさん見学させていただきまして、ありがとうございました。どこに行っても若い方がみんないきいきと働いていらっしゃるところを見て、島精機が和歌山にあってくれて本当に良かったなあと思いました。私は子どもの頃から、島精機さんという会社を存じておりましたが、こんなに大きな工場ではなかったと覚えております。いろんなご苦労をされてここまでになられたと思いますが、島さんの創業の由来などについてお話していただけませんでしょうか。

工場にて(若手社員の説明を聞く島社長と仁坂知事)
工場にて(若手社員の説明を聞く島社長と仁坂知事)

島社長:私の事業の原点は、実はすごく簡単なことです。戦後まもなく、和歌山をはじめ日本中に食べ物がないような状況でした。そんな中、すき焼きやステーキの匂いだけで現物は食べられなかった。一度でよいから肉を食べてみたいと。そのためには何か考えないといけない、つくらないといけないと思いました。そんなところからスタートですね。

知事:肉を食べてやろうということですが、色々なやり方があると思うんですが、島社長の場合、どういうプロセスで肉を食べるにいたったんですか。

島社長:初めは肉まで行きません。よくウナギを獲りに川に行きました。実は、私はウナギを捕る名人なんですよ。炭屋さんから、竹の炭入れをもらってきて、クスノキの枝、石を入れて、それを延縄(はえなわ)のように100個ほど川に仕掛けるんです。すると一本上げると次々と仕掛けが上がってくるんです。その中にウナギが掛かっているんです。

知事:その仕掛けは、島さんのお手製ですか。

島社長:はい。

知事:その時代から、モノづくりの達人だったんですね。

島社長:一本ずつ釣っているのでは、時間がかかるのでいっぺんに捕ろうと。

知事:その点は何となく今のホールガーメントの発想に似ていると思いますね。

島社長:でもウナギは季節によるし毎日捕れないし、丁稚に行っていた機械工場で発明すればステーキが食べられるだろうと、そういうことで発明し出しました。その特許を初めて出願したのは16歳の時です。

知事:丁稚とおっしゃいますけど、他人の会社に行かれ、そこで工夫され、ご自身でつくられたと。勿論発明された人も偉いと思いますが、そういうことを自由にやらせてくれる親方もなかなかのもんだなあと思います。

島社長:親方も戦前、専売特許を何件か持っていて自分で発明する人で、発明するには作らないといけないという理解がありました。

対談風景(左 仁坂知事 右 島社長)
対談風景(左 仁坂知事 右 島社長)

知事:親方は、一方的に押さえ付ける人ではなかったんですね。そういうことも大事ですよね。ただ、発明してもよいと言われても島さんのようにできる人は少ないでしょう。島さんの発明は、手編み機から次に動力化ということですか。

島社長:はい。自動化するためには、手袋の目数を減らすことが必要です。これを自動化するのは難問題です。そのためには手袋の形を変えるということに着目しました。これまでは目数を減らすと手袋が脱げにくくなる。そうすると機械の歯車に引っかかった時、機械に挟まれてけがをすることがたくさんありました。そこでもう一度原点に戻って、手袋の形自体を変えようと考えました。ゴム糸を挿入すると手首が締まる。それにゴムだからすぐに脱げる。また、指先にこぶがあるから引っ掛かる、それなら、こぶをなくして丸くすればよいと。これで引っ掛からず、すっと脱げる。縫わなくてもよいから、ミシンもいらなくなる。手かがりもいらない。手袋の形を変えてから自動化した。もう一度原点に返って考え直したということです。

知事:そうしますと、とにかく力攻めで現在のコンセプトの編み機を自動化するのではなく、製品そのものの形を考えながら、それをサポートする機械を考えたということですか。

島社長:先に製品を考えたわけです。それが昭和30年頃ですから、今から50年ほど前のことになります。

知事:話は飛びますが、考えてみれば現在の「ホールガーメント」と同じことですね。縫製するといろんな無駄も出てくる。縫製をなくし、機械でサポートするということで、原点はずーっと一緒のような気がしますね。

左 仁坂知事 右 島社長
左 仁坂知事 右 島社長

島社長:創業の前から従来あるモノは創らないということでやってきた。モノをつくるには、創造から始めるのが世界一になる一番の近道と思っています。それを保護してくれるのが特許庁で、特別の許可を得ることです。そのようにないモノを創り出していく。そこから始まったんです。

知事:島さんは、昔から特許を取りながら一個一個積み上げてこられました。私は経済産業省出身で、特許など「知的所有権」はものすごく大事と思っておりますが、実感として島さんのようにやってくれる人が少なくて、実際に特許を取ろうとする人は手続が面倒だと言ったり、人のまねをする方が儲かるという人が日本だけでなく世界的に見ても多い状況です。島さんの場合は、本当に小さい時からこれまで幾つもの特許を積み重ねてこられました。これまで、ご自分でモノをつくるだけでなく、取られた特許でも対価を得られましたか。

島社長:20歳くらいの頃は特許制度自体がよくわからなかったんです。他人に権利を盗られてしまったこともあります。

知事:特許は公示すれば護られるはずですよね。

島社長:ある時、他人にそれは自分の考えていたことだと言われ、その際に自分が異議を申し立てをしなかったので、結果的にその人に特許を盗られてしまいました。その人は、製品1ダースにつき当時のお金で1円ずつ、島君の名前で貯金してあげると言ってくれました。私は昭和34年に結婚したんですが、家を建て直す資金が必要になり、三千万円貯まっていることがわかっていましたので、その人に出してくれと交渉しました。でも出してくれませんでした。結局、特許も三千万円もあきらめ、損をしたということになりました。
 しかしそんなことがあって、損をした代わりと言ってはなんですが、「信用」を手に入れることになりました。島を応援してやらなあかんということで、大手紡績会社の人が応援してやろうと糸をどんどん提供してくれました。自分が悪い人に引っ掛かったから、なんとか支援してやろうという人が出てきてくれました。

知事:島さんみたいに、ちゃんと頑張っている人を応援しようという、評価してくれた大手の人もいたということは、日本の企業風土の良いところではなかったかと思います。

島社長:その時、応援してくれる人に言われたのは、その特許を自分が考えたのなら、もう一度考えてまた取ればよいじゃないですかということでした。それで、そのことをすぐ実行して、「シームレス編み機」を開発したのです。手袋の指先を丸くして全自動化したら、紡績会社は糸をどんどん出してくれました。自分で手袋を作ろうとしたのが、もともと機械自体が好きなもので、今は「機械屋」になってしまいました。

博物館にて(左 島社長 右 仁坂知事)
博物館にて(左 島社長 右 仁坂知事)

知事:先程編み機の機械の変遷を見せていただきました。いくつかの手袋編み機が並んでいて、その開発のときに不具合を改善するため7日間立ったまま試作作業されたということをお聞きしましたが、壮絶な「技術屋魂」ですね。

島社長:そうでした。あの時はその年の年末に、県の企業診断員の方がスポンサーを探してきてくれて、12月24日、クリスマスイブの日に百万円を提供してくれました。正月までこれでなんとか息つなぎしなさいと。それで六十万円の手形を落として食いつなぐことができました。
 そうなるともう寝るわけにいかない。年末24日から31日まで立ちっぱなしで、機械を作ったんです。完成後、ロケットの打ち上げのようにカウントダウンしてスイッチを入れたら、機械は動き出したら止まらなかったですね。嬉しかったけれども資金も必要でした。すぐにお客さんにようやく機械が動きましたと電話をかけました。そしてお金を持って来て注文に来てくださいと言ったんです。早速、年明けの1月3日に展示会を開きました。一台十万円、十台単位で注文を受けたんですが、朝の八時から夕方五時までノンストップで機械を動かしました。その場で六十台も売れました。都合六百万貯まって、正月の急ぐ支払いをして残りは原材料を買う資金にしました。全国へ向けた発表も必要と考え、あと二台機械を作って、合わせて三台で、2月3日、4日、会社の創立記念日に、和歌山市内の県経済センターで、全国発表会を開きました。そこでは六百台の注文をいただきました。

左 仁坂知事 右 島社長
左 仁坂知事 右 島社長

知事:県が、島精機の創業時の苦しい時に役立っていたということは、同じ県に勤める者として大変嬉しく思います。県の先人の目利きが良かったんだろうと思います。
 これからも「第二」「第三」の島さんが出てきてくれることを期待して、我々は一生懸命やっていかねばならないと思います。
 ところで、それからは順調に上手くいったんですか。

島社長:それから上手くいくかなあと思いましたが、そういうわけにはまいりませんでした。島精機は何時つぶれるかわからないという情報が和歌山中に流れていたんです。当時の従業員は三十人です。とても600台の注文に応えることはできません。新たな従業員を募集しなければなりませんが、なかなか集まりませんでした。そのような中で来てくれるのは同級生や友達と思い声をかけました。ある同級生が上司に相談したところ、島は今当たったが三年後にはどうなるかわからない。いつつぶれるかわからないと言われたそうです。また、手袋のマーケットは小さいから、島に行くのはやめとけと言われたとも聞きました。
 私は、良いことを聞いたと思いました。手袋で上手くいっているうちに、次の新しいものを考えなければと思って手袋業界から横編みの方向の開発にかかりました。それが昭和42年のことです。このときに現在の発展のヒントがあったんです。

知事:当時は、島精機はまだまだ若い企業で、日本全国、世界に編み機メーカーがたくさんありましたよね。それからだんだんと淘汰されていって、今世界のマーケットはどのような状況になっているのでしょうか。

島社長:コンピュータ付きの編み機で世界の60パーセント以上、約3分の2を島精機がつくっております。

知事:そうすると、世界のニット製品の3分の2がここを中心として出来ているといえますね。

島社長:そのとおりです。スーパーブランド、トップブランドになるほど、当社の製品を使ってくれております。日本では当社のみです。海外ではシェア第2位のドイツのストール社という140年の歴史あるメーカーぐらいです。

知事:モノづくりにずっとこだわってきた社長。そしてその観点からの会社の発展についてお考えをお聞かせ下さい。

島社長:特許が取れるような新規なものを創造してつくっていく。そして今度、現物をつくるには、人に頼むのではなく自分で魂を込めてつくることが大切です。一つひとつの部品にも魂を込める。その集合体が編み機です。元からつくるモノづくりから始めようと。時間はかかるんですが。

知事:そうやって、すべてのところに神経を行き届かせ意志を注ぎ込む。その基は島さんが7日間ぶっ通しで設計をしたように頑張られたことにたどり着くんだと思います。 今、たくさんの若い従業員にもその精神を伝える必要があります。エトス(集団や個人の気質、特性)とでも言うべき思いを共有してもらうために、どのようにされているんでしょう。

島社長:専門が機械、電子分野の新人にも、1年間は現場に行ってもらっています。現場で、私が丁稚の時に経験したようにモノづくりに取り組んでもらって、それから開発に入ってもらうことにしています。

知事:現場で、会社の精神を学んでもらうことにしているんですね。

島社長:そうです。

工場にて(針の装填について知事に説明する島社長)
工場にて(針の装填について知事に説明する島社長)

知事:島精機、従業員が約1000人。工場の中でも、単純作業だけでなく触って品質を確認しながら機械を組み立てているところを見せていただきました。一生懸命考えながら、感じながら仕事をやっていかないとうまくいかないんだろうと思いました。そういう知的労働者が、1000人もいらっしゃる。
 和歌山県出身者が90パーセント。和歌山の若い方々にこれほど雇用の場を提供してもらっていることは、ありがたいことと感謝しております。

島社長:やはり「知的労働」と「手」、両方を使ってモノづくりに取り組むと、つくりがいが出てきます。楽しんで取り組むことと、やらされながらやることでは、その成果が大きく違ってきます。自分でやろうして取り組むと日々進歩につながります。その中から改善が生まれ、特許に出願できるような発明工夫も出てきます。反対にやらされていたら一つも出てきません。頭を使いながら手足も使ってやっていく、そういった中から新たなものが出てくるんだと思います。

知事:実は、先日新規採用県職員の入庁式があって、そこで、私は、「諸君は黒衣になるな、主役になれ」、「県職員も県民のために自分で考えてやっていく。さらにそれを外へ発信していかないとだめだ」と訓辞しました。私も社長と同じ思いです。
 そうした島さんの「モノづくり精神」の集大成の上に、ホールガーメントの開発による今回の「大河内記念生産特賞」受賞があると思います。島さんご自身は昭和53年にも「大河内記念技術賞」を受賞されています。

左 仁坂知事 右 島社長
左 仁坂知事 右 島社長

 この賞は非常に価値あるもので、世界で生産技術は日本がNo.1と思っていますが、その日本で生産技術の一番良い賞を取られました。これは慶賀すべきことと思います。 
 同じ賞を、住友金属工業株式会社和歌山製鉄所が同時に取られました。新たな製鋼方式を考え出して取られたんですね。一県で二社が受賞することは、奇跡に近いような立派なことと思います。「これは和歌山に運が向いてきたよ」と、みんなに言ったんです。県民みんながもっと評価してよいことと思っています。 
 今回受賞された背景についてお話しいただけるでしょうか。

島社長:横編みでも丸編みでも織物でも、衣類はすべて縫わないといけません。その意味では労働集約型なので、人件費の安いところに工場が移ってゆくだけです。一方、着る方は先進国です。おしゃれをしたい人がたくさんいます。消費地である先進国でも生産できるようにすることが必要です。販売情報は、POSシステムとかITの発展でリアルタイムに入ってきます。品切れ、売れ残りのロスをなくすには、消費地である先進国で生産することが一番です。今はエコロジーで資源を大切にする時代です。縫うためのカッティングロスや縫い代のロス、それを隠すための裏地を貼るロス。そして、製品の売れ残ったものは焼却せざる得ないという資源ロス。本当にもったいないと思います。
 ちょっと腹八分で生産して、つくり足ししてゆくのが21世紀の物流ではないでしょうか。トータルでデザインからニッティング、ショッピングまで一気通貫できる無縫製の編み機とデザインシステムの高度利用ということで、今回の賞をいただきました。繊維は古い業種ですが、人間は縫い目がなければ活動しやすく、またエコロジーで新しい三次元の衣服ができると心の満足度が高まる。「人と地球に優しい」ということでいただいたと考えております。全世界に広がれば、原料も節約できて良くなっていくであろうということです。今回は、その賞を和歌山で一度に二社もいただきました。

知事:大河内賞は、日本で高名な超大企業でも一回受賞しているかどうか、しかも一年に一社か二社しかもらえないものです。一度に和歌山で二社も受賞したのは大変なことです。

島社長:実は28年前は技術賞でしたが、その時にも住友金属さんと一緒に受賞しました。そして、今作っている機械の鋼材は住友金属さんから提供してもらっていますので、何かの縁というか、糸で結ばれているような気がしています。

知事:本当にそうですね。これまで、編み機の話をしてきましたが、編み機とコンピュータグラフィクスが融合した生産技術システムも開発しておられます。それらの製品も世界を席巻しつつあると思いますが、このような製品についてもお聞かせください。

島社長:まだ、これは社業の0.1パーセントの世界です。「エコロジー」と「人と環境にやさしい」というコンセプトは時代に合っていますから、これからどんどん広がってゆくと思っています。コンピュータ製品を勧めても、値段が高いし扱うには難しいと言われることが多いのですが、難しくないように工夫して、そして値段が高くならないように数をつくれば安くできます。まず先進国から始めて、数年後には、中国でも人件費が上がれば、機械への需要が出てくると思いますので、今の内にコストダウンし、使いやすく、そういった形で研究をしてつくっていきたいと考えています。

知事:コンピュータシステムも独立で売られておられますね。さっき、製作現場を見せていただいた時、従業員の方が真剣に取り組んでおられました。このシステムを使えば、金型や木型が不要になりますし、色んな産業に適用できます。試作品があっという間に出来上がるような画期的なものと思いますが、ブームになっていますか。

島社長:ブームにまではいっておりませんが、ブームになるように、いろんなところに販売していきたいと考えています。
 今までは、編み機の入っているところに販売しているだけだったのですが、製品の上位機種を自動車メーカーのカーデザイン用として、各社に使っていただいています。いずれにしても二次元です。しかし、速度や高精細分野ではスーパーコンピューター並みです。それに特化したものですからパソコンとは全然違います。高精細の編み地の毛羽まで表現することはパソコンではできません。大きな特徴は、点のラスター処理と、線で表現するパターンとか刺繍とかのベクター処理を瞬時に、また同時に変換することによって高精密なことができるんです。そんなふうにこれまでにない物を創り出して、他に発注できないから、設計からコンピュータの基板など全部自社でつくっています。

知事:コンピュータまでつくってしまう。すごいなぁと思います。今や島精機は立派な企業ですが、島精機の今後について、次の時代にどのようにつなげてゆくんでしょうか。

島正博社長
島正博社長

島社長:今まではつくる方だけだったのですが、売る方にも力を入れていきたいと思っています。デザインシステムを活用し、ロスのないように、夢のあるように、オンデマンドのオーダーに対応していきたいと考えています。同時に、無縫製化を進めていくと、10年後には、おそらく全世界では計算上60万台の機械が必要となります。毎年、1万台生産しても何十年もかかってしまうほどです。それに絞っていくことが、当社の特化した一番の強みになってくると思います。

知事:和歌山の元気をつくっていくために、島精機にはどんどんさらに伸びていただきたい。
 この間、うれしいことを言ってもらいました。今、大阪本社の企業がどんどん東京へ本社を移したりして出て行く時代に、島さんは絶対和歌山から出て行かないと頼もしいことをおっしゃってくれました。これは本当にありがたいと思います。
 県庁だけでなく、県民も企業活動を理解をして、共感を持ってやってゆく。そういうことが必要と考えます。 
 その和歌山に対してどんな思いをお持ちでしょうか。今後、どのように和歌山はなっていけばよいのか、そのようなことについてご意見ございましたら、この際お聞かせいただけたらと思います。

島社長:今までの過去の数字から見ると、和歌山県は何でも大体一番最低から5番位内に入っています。それで自分の気を弱くしているのでなく、一番下なら下がることなしに上がるしかないわけですから。仁坂知事の言う元気で、気をしっかり持って、前向きに、理屈だけではなく、実際に一歩一歩進んで行くような行動を県民がみんなでやっていくと、すぐにトップレベルに上がる素地が和歌山にはあると思います。これまで、徳川さん以来早く発展して何でも豊かだから、あまり頑張らなくて良かったところだと思います。

知事:肉を食べられる人は多かったんですね。私は同じお肉を食べるにも、ひたむきに働いて食べたらお肉はおいしいと。手っ取り早く、例えば先程のお話にあったように、他人の特許を取って食べたお肉はおいしくない。
 島さんのこれまでのお話を伺って、とても真似は出来ませんが、一言で言えば、「ひたむきさ」だと思うんです。
 そのような気持ちで、また同じ気持ちの県民はたくさんいると思いますが、県民みんなが頑張って働けば、これからどんどん上がってゆくと思っています。どうぞ今後とも力をお貸しください。
 ありがとうございました。

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