知事からのメッセージ 令和4年9月29日

安倍元総理国葬儀  

 令和4年9月27日、上京し、日本武道館で行われた安倍元総理の国葬儀に参列してまいりました。県議会の尾崎要二議長も出席されました。この国葬には反対の声が上がり、マスコミでも大きく取り上げられたためか、マスコミからも国葬には和歌山県はどう対応するのか、知事は出席するのかという問いをよくいただきましたし、県議会でも質問されました。国がお決めになって、招待状が届いているのですから県知事としては出席するのが当然であるので出席します、また、県庁舎には半旗を掲げますというのが私の答えであります。これ以外の答えがあるはずがありません。

 安倍元総理には、個人的にも何度も謦咳に接したし、和歌山県も様々な局面でお世話になったし、内政はもちろん、外交の面で堂々と外国の首脳と渡り合う姿などは誇りに思うことがたくさんありました。

しかし、これらは国葬儀に出席するかどうかの原因ではありません。国家が国葬儀を執り行うということであり、招待されれば県知事として出席するのが当然であります。国葬に賛成か反対かも、出席するか否かとは関係がありません。国葬に招待をされれば、和歌山県の知事として出席するのが当たり前であります。

 それでは国葬自体には賛成か反対かと言われれば、賛成であります。理由は先に申し述べた安倍元総理が立派であったか、政策に賛成であったかどうかということは関係がありません。私は、長く総理を務められた人が凶弾に倒れられ非業の死を遂げられたという事実だけで、こういうことがあってはならぬということを日本人皆が示す儀式だと考えるので、国葬儀を挙行すると決めた政府の決定は間違ってはいないと思います。安倍元総理がなされた政治に賛成か反対かということは別の問題でありますし、もし仮にこの機に乗じ、政治的プロパガンダとして安倍元総理の悲劇を利用しようという人がいたら、賛成にしろ、反対にしろ、いけないことだと思います。

 国葬儀は時間がものすごくかかりましたが、よく考えられた儀式で、厳かに整然と粛々と行われ、かつ、故人やご遺族への気配りも、参列者への配慮もよくなされていて、私が評価することはおこがましいかもしれませんが、大変良い儀式だったと思います。

 私は式に沿って心から故人の冥福をお祈りし、次第に従って昭恵夫人や葬儀委員長の岸田総理に頭を下げ、安倍元総理に心を込めて献花をしてまいりました。式の中では岸田総理の葬儀委員長の弔辞も心のこもった立派なものだと思いました。しかし、それ以上に友人代表として、菅前総理が読まれた弔辞は誠に素晴らしいものだと思って感動しました。私は目がそれほど良くないのでよくわかりませんでしたが、隣の知事さんが、昭恵夫人もさすがに涙をこらえきれなくていらっしゃったと教えてくれました。その弔辞があまりにも素晴らしいので以下に掲げます。
 

『友人代表弔辞(菅前総理)

七月の、八日でした。

信じられない一報を耳にし、とにかく一命をとりとめてほしい。あなたにお目にかかりたい、同じ空間で、同じ空気を共にしたい。

その一心で、現地に向かい、そして、あなたならではの、あたたかな、ほほえみに、最後の一瞬、接することができました。

あの、運命の日から、八十日が経ってしまいました。

あれからも、朝は来て、日は、暮れていきます。やかましかったセミは、いつのまにか鳴りをひそめ、高い空には、秋の雲がたなびくようになりました。

季節は、歩みを進めます。あなたという人がいないのに、時は過ぎる。無情にも過ぎていくことに、私は、いまだに、許せないものを覚えます。

天はなぜ、よりにもよって、このような悲劇を現実にし、いのちを失ってはならない人から、生命を、召し上げてしまったのか。

悔しくてなりません。哀しみと、怒りを、交互に感じながら、今日の、この日を、迎えました。

しかし、安倍総理…と、お呼びしますが、ご覧になれますか。

ここ、武道館の周りには、花をささげよう、国葬儀に立ちあおうと、たくさんの人が集まってくれています。

二十代、三十代の人たちが、少なくないようです。明日を担う若者たちが、大勢、あなたを慕い、あなたを見送りに来ています。

総理、あなたは、今日よりも、明日の方が良くなる日本を創りたい。若い人たちに希望を持たせたいという、強い信念を持ち、毎日、毎日、国民に語りかけておられた。

そして、日本よ、日本人よ、世界の真ん中で咲きほこれ。――これが、あなたの口癖でした。

次の時代を担う人々が、未来を明るく思い描いて、初めて、経済も成長するのだと。

いま、あなたを惜しむ若い人たちがこんなにもたくさんいるということは、歩みをともにした者として、これ以上に嬉しいことはありません。報われた思いであります。

平成十二年、日本政府は、北朝鮮にコメを送ろうとしておりました。

私は、当選まだ二回の議員でしたが、「草の根の国民に届くのならよいが、その保証がない限り、軍部を肥やすようなことはすべきでない」と言って、自民党総務会で、大反対の意見をぶちましたところ、これが、新聞に載りました。

すると、記事を見たあなたは、「会いたい」と、電話をかけてくれました。

「菅さんの言っていることは正しい。北朝鮮が拉致した日本人を取り戻すため、一緒に行動してくれれば嬉しい」と、そういうお話でした。

信念と迫力に満ちた、あの時のあなたの言葉は、その後の私自身の、政治活動の糧となりました。

その、まっすぐな目、信念を貫こうとする姿勢に打たれ、私は、直感いたしました。この人こそは、いつか総理になる人、ならねばならない人なのだと、確信をしたのであります。

私が、生涯誇りとするのは、この確信において、一度として、揺らがなかったことであります。

総理、あなたは一度、持病が悪くなって、総理の座をしりぞきました。そのことを負い目に思って、二度目の自民党総裁選 出馬を、ずいぶんと迷っておられました。

最後には、二人で、銀座の焼鳥屋に行き、私は、一生懸命、あなたを口説きました。それが、使命だと思ったからです。

三時間後には、ようやく、首をタテに振ってくれた。私はこのことを、菅義偉 生涯最大の達成として、いつまでも、誇らしく思うであろうと思います。

総理が官邸にいるときは、欠かさず、一日に一度、気兼ねのない話をしました。いまでも、ふと、ひとりになると、そうした日々の様子が、まざまざと、よみがえってまいります。

TPP交渉に入るのを、私は、できれば時間をかけたほうがいいという立場でした。総理は、「タイミングを失してはならない。やるなら早いほうがいい」という意見で、どちらが正しかったかは、もはや歴史が証明済みです。

一歩後退すると、勢いを失う。前進してこそ、活路が開けると思っていたのでしょう。総理、あなたの判断はいつも正しかった。

安倍総理。日本国は、あなたという歴史上かけがえのないリーダーをいただいたからこそ、特定秘密保護法、一連の平和安全法制、改正組織犯罪処罰法など、難しかった法案を、すべて成立させることができました。

どのひとつを欠いても、我が国の安全は、確固たるものにはならない。あなたの信念、そして決意に、私たちは、とこしえの感謝をささげるものであります。

国難を突破し、強い日本を創る。そして、真の平和国家 日本を希求し、日本を、あらゆる分野で世界に貢献できる国にする。

そんな、覚悟と、決断の毎日が続く中にあっても、総理、あなたは、常に笑顔を絶やさなかった。いつも、まわりの人たちに心を配り、優しさを降り注いだ。

総理大臣官邸で共に過ごし、あらゆる苦楽を共にした七年八か月。私は本当に幸せでした。 私だけではなく、すべてのスタッフたちが、あの厳しい日々の中で、明るく、生き生きと働いていたことを思い起こします。何度でも申し上げます。安倍総理、あなたは、我が国日本にとっての、真のリーダーでした。

衆議院 第一議員会館、千二百十二号室の、あなたの机には、読みかけの本が一冊、ありました。岡 義武 著『山県有朋』です。

ここまで読んだ、という、最後のページは、端を折ってありました。そしてそのページには、マーカーペンで、線を引いたところがありました。

しるしをつけた箇所にあったのは、いみじくも、山県有朋が、長年の盟友、伊藤博文に先立たれ、故人を偲んで詠んだ歌でありました。

総理、いま、この歌くらい、私自身の思いをよく詠んだ一首はありません。

かたりあひて 尽し丶人は 先立ちぬ 今より後の 世をいかにせむ

かたりあひて 尽し丶人は 先立ちぬ 今より後の 世をいかにせむ

深い哀しみと、寂しさを覚えます。総理、本当に、ありがとうございました。

どうか安らかに、お休みください。

令和四年九月二十七日 前 内閣総理大臣、友人代表 菅義偉』
 

 外国の賓客も、日本の国葬ということで、その国の事実上のトップの多くの方々も含め、ものすごく大勢参列され、私も随分昔になりましたが、前職の大使時代の思いも含めて、日本の名誉が保たれたなあ、凶弾事件を起こしてしまったことへの日本人の悔恨と悔いと平和、安全への思いを伝えることができたなあと思いました。武道館の外の一般献花にも多数の方が長期間並ぶこともいとわず来られたこともよかったと思います。
 

 しかし、この厳粛な式当日ですら、国葬反対、参列するなという活動を声高に行っている人々がいることを私は残念に思います。この人たちが国葬に反対しているからではありません。それは、政治行政の是非として堂々と行えばよい。そうではなくて、日本人はどんなに激しく争った人でも、その人が亡くなれば、礼を示すのが美徳だったはずではないか、国葬に反対であろうとなかろうと、せめて死者を悼む儀式が行われている間だけは静かに送ってあげるべきではなかろうかと思うからであります。外国で前の支配者が打倒されたり、王朝が変わったりすると新しい支配者は前の時代の人たちの墓を暴くということが多かった中で、日本人だけは総じてそうはしなかった、死ねばその死の前には頭を垂れて敬意を表すというのが日本人ではなかったかと私は思います。
 

 高野山の奥の院には、生前敵味方で戦い、殺し合った武将の墓がごく近くに並んで建てられています。亡くなればもはや敵も味方もない。そういう寛容の日本文化が和歌山を訪れる外国人に深く感動と称賛を与えています。あの国葬儀の同じ時に反対示威活動を騒がしくされた人たちは、私が大いに誇りとしている日本のこの文化と伝統とは違ってきているなあと残念な気持ちです。

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