知事からのメッセージ 令和3年3月1日
知事からのメッセージを紹介します。
令和3年3月1日のメッセージ 広報紙「県民の友令和3年3月号」掲載分
説明ができるか
和歌山県知事として政策を皆で議論する時、その政策が現実の事象への対応として必要だ、有効だと「説明できるか」ということを検討してきました。
政策は県民の幸せに資するものでなければなりませんが、そのためには、政策が今実際に起きていることにちゃんと説明ができるものでなければなりません。
新型コロナウイルス感染症については、昨春の第1波の影響は、21日間の緊急事態宣言下で強い自粛を要請した結果、県全部で1,200億円くらいの打撃、雇用にして約1万人の雇用需要減という数字が出ました。
それに対して、公的支援は融資を除くと昨年1年で合計530億円、21日間では単純に計算すると、30億円くらいになってしまいます。もっと多く出したらよいのではないかと言われても、県の財政規模から見てとうてい支えられない、ということが分かります。その時、人々の生活は、暮らしは、命は、心は、健康は耐えられると説明できるか。したがって、和歌山県は、保健医療行政でがんばって感染の拡大防止に努めるから、県民の生活と経済には最低限の制限しかしないという政策をとってきたのです。
でも、世の中を見ていると、コロナについてだけでも説明できないことがたくさんまかり通っています。何故、欧米と日本では感染のレベルが違うのか説明ができるか。欧米には陽性者を追跡調査して隔離する保健所がないからです。医療が大変だからといってコロナの感染症法のステータスを落としてしまっても大丈夫か、保健所が大変だから積極的疫学調査は一部だけでも大丈夫と説明できるか。保健所が陽性者を隔離することすらできなくなって感染が拡がり、そうなれば、重症者も増えて、よけい医療が大変になるではありませんか。そんな例がいっぱいあります。
マスコミの報道を見たり、専門家の方々の評論を聞いたりしていると、色々な現実をそれで説明できるのか疑問だということが大変多いと思います。報道、発言は自由だけれど、我々県民はそれを盲信することなく、それでこれが「説明できるか」という気持ちをもって対応したいものです。
でも、行政と医療の踏ん張りはギリギリです。県民の皆さまには、県からの最低限のお願いだけは守ってください。