知事からのメッセージ 令和2年3月30日
知事からのメッセージを紹介します。
令和2年3月30日のメッセージ
西脇山口線と恋野橋完成によせて
和歌山県も宿題であった公共施設が次々と出来上がっています。例年3月頃には、年度末を前に急ピッチで工事を終えた案件がいくつも出来てきますが、長年完成を待って下さった地元の方々と喜びを分かち合うために竣工式などを賑やかにやっています。ところが、今年はコロナで大規模なイベントは感染リスクが高くなるという事で、自粛要請が政府から出て、片端から中止になってしまいました。
今年は特に私にとって特に思い入れのあった公共工事が2つありました。西脇山口線の全通と新しい恋野橋の完成です。
西脇山口線は和歌山市の紀の川北岸を東西に繋ぐ本格的な4車線道路で、昭和40年に都市計画決定をされて、もちろん少しずつ工事もしていましたが、遅々として進まなかったのです。今から14年前、私が知事に就任した時、時の県土整備部の諸君から県の道路計画と、その実行状況を聞きました。その中で昭和40年来、県内で都市計画道路がたくさん計画されていて、特に和歌山市にはたくさんあって、そのほとんどが完成していない事を教えてもらいました。都市計画道路は、大体は大きな道なのでほとんどがベースは県道ですが、市町村はこれを含む都市計画施設を作るため都市計画税を取っているので、市町村の仕事です。でも全部市町村というわけにはいかないので、県と和歌山市が半分くらいに分担を分けているとの事でしたが、両方ともほとんど進んでいませんでした。(都市計画道路決定をしたのが昭和40年頃、県と市の分担を大まかに決めたのもその頃です。)そこで、どれを早く完成させ、どれは必要性を再度見直すか議論をし、これに基づいて、県の分担のうち促進すべきものは、予算もたくさんつけて頑張って、もう必要がないなあと思うものは、和歌山市と相談して都市計画から落としてもらったのです。
その中でとりわけ西脇山口線は、地政学的にも是非必要な道だという事になりましたが、それでは何故進まないかと言うと、土地権者が売却に応じてくれないからであります。もちろん最後は事業認可をして、強制収用をするのですが、そこに至る前に住民に分かっていただいた方が、すべての人の利益になります。
地元の連合自治会の方々にとっても、この道の完成は、悲願とも言うべきものでして、毎年のように早期完成を県に陳情にお見えになります。その年もお見えになりました。毎年なら「わかりました。全力を尽くします。」で終わるところを、私から「わかりました。私も一日も早く完成させたいのです。そのためには是非協力をして下さい。土地を売らないと言っておられる人に県庁から頼みに行っても感情的に中々聞いてもらえません。近所の方が皆のために何とか頼むよと言って下さったら、進むと思います。是非頼んで下さい。」と逆に陳情をしました。
紀の川北岸の連合自治会長さん達をはじめ、自治会の方々はこれを実に見事に実行して下さったのです。長年凍りついていたこの大プロジェクトが氷が解けていく様に次々と完成していったのは、県庁も頑張りましたが、動いて下さった自治会の方々のおかげです。
3月28日ついに、残された川永地区が完成し、西脇山口線が全通しました。あと少し歩道工事の便宜で車線が一部少なくなってしまいますが、それでも54年の長きに渡って宿題であったこの道が全通しました。
お世話になった連合自治会長と涙の全通式を迎えたかったのに残念です。
恋野橋も思いの丈がいっぱいです。そもそも初めての知事選挙の運動に恋野橋のたもとを訪れた私に、恋野地区の住民が、全員出てきてくれたかと思うほどたくさんの方々が集まって話を聞いてくれました。感激している私にリーダーの辻本賢三さんが、「この人達は皆そこに見えている貧弱な恋野橋を掛け替えて欲しいという思いで来ているんだ。頼みます。」とおっしゃいました。強烈に頭に入りました。でも、知事就任後聞いてみると、「紀の川の橋の中では、まだデータで見ると優先順位は一位ではない」とのことでしたので、私は辻本さんに電話して、「決して忘れませんが、客観的なデータが示すまで待って下さい。」とお願いしました。そして数年、交通量の変化と先行橋の完成があって、ついに恋野橋にGOサインを出すことが出来ました。しかし、ここでも地元調整にも時間がかかり、それでも令和元年末には完成というところまでこぎつけました。そして新橋の下部工が完成し、あと1年余りで完成というところまできて平成30年11月3日突如として旧橋が無惨にも傾いたのでした。平成30年11月12日、私はまた知事選で恋野橋のたもとで演説をする予定でした。その約1週間前に橋が傾いたのです。「ようやくあと1年余りで皆様の長い長いご要望に応えられることになりました。」と胸を張る予定が、「皆さん、すみません。橋が傾いてしまいました。」とひたすら謝る光景になってしまいました。恋野の人々は、それでも非難もせず、「早く完成させて下さい。」と一生懸命頼んでくれました。選挙後も、もっと正確に言うと選挙中も県土整備部の精鋭が国土交通省から仮橋を借りてきてくれたり、そのほかのサービスで代替手段を作ったり、一生懸命働き、かつ、新橋の完成も急いでくれました。そして3月7日完成式なのです。
こちらもあの多くの恋野の人々と完成を涙で喜びたかったのですが、叶いませんでした。
両方とも私は行きませんでした。開通式を式と言えぬほど極力簡素にして、粛々とオープンをしましたが、そこにも私は顔を見せませんでした。本当はこの目で開通を見届けたかったのですが、もし行ったら、一緒に協力して努力してきた地元の方々、即ち同士のような方々が気を遣って大勢来てくれるだろう。そうしたら、せっかくのイベント自粛の実が損なわれると思ったからです。でも離れた場所から心の中で感謝していました。一生懸命頑張ってくれた県職員、工事業者の方々、地元で一生懸命支えて下さった住民の方々、市町村当局の方々、国土交通省、国会議員の方々、本当にありがとうございました。