知事からのメッセージ 令和元年5月14日
知事からのメッセージを紹介します。
令和元年5月14日のメッセージ
ゴミのポイ捨てや不法投棄
こんなことを書くと、和歌山県はそんな不道徳なところかと思われるようで悪宣伝をしているようで気が重いのですが、他県と同じように、和歌山県でもゴミのポイ捨てや不法投棄があります。
これは本当にいけないことだと思います。せっかくの自然や景観が台無しでありますし、そういうのを見ていると人の心まで荒れてきて、真っ当に真摯な人生を歩もうとする気持ちに影が差されます。私はもう十分年寄りですが、若い頃には町や野にゴミを捨てるのはとてつもなく悪いことだ、そんなことをする人は人間のくずだと親からも学校でも徹底的に教えられました。実は歴史をたどると私たちが子供の頃、日本の山野は結構ポイ捨てゴミが一杯ありました。この間も前回の東京オリンピックの前、東京にもゴミが一杯あふれていて、汚い町だったのをオリンピックに際して外国の人にそういう所を見せられないと、多くの人が頑張ってゴミの散らばっていない町東京を作ったのだという番組をテレビでやっていました。また、共産主義革命後の中国へ行くと、経済は発展していないけれど、人々が皆立派で、町にゴミ一つ無く、ハエ一匹飛んでいないというようなレポートが何度もテレビや新聞で報じられていました。いささか言いにくいのですが、中国の人がどんどんゴミのポイ捨てをしたり、中国人がたくさん来られた後の地域がゴミだらけなどとよく報道されることから考えると夢のような話です。
今日本がゴミのポイ捨てや不法投棄に眉をひそめるのは、私たちの子供の頃からの徹底したキャンペーンが功を奏したからかも知れません。でもまた、緩んできているのではないかと思うこの頃であります。特に金属機械工業、化学産業の発展とともに、捨てられたゴミがなかなか土に還りにくくなっているということも、問題を深刻にしています。
不法投棄に関しては、私が知事になる少し前、橋本市でダイオキシンを大量に含む産業廃棄物が大阪の業者によって山中に投棄されるという事件があり、もちろん、行為者は処罰されるのですが、会社は事件が発覚するとすぐつぶれてしまったので、県が自腹を切って土壌を浄化するという大変な事業を強いられたこともありました。就任後も特に和泉山脈内の崖下などに粗大ゴミの不法投棄をする輩が後を絶たず、大阪のトラックが夜間結構入って来ているという情報があったものですから、県費をはたいて監視カメラを大量に購入して要所要所(もちろん場所は秘密です。)に設置して対処した記憶もあります。最近は和泉山脈のみならず、県下全域を対象に多くの移動式の監視カメラを動員して見張ろうというようなことまでしています。
また、一つ捨ててあるのを見ると気が緩んで自分もつい捨てたくなるので、道端にプラ袋に入ったゴミなどが落ちていたら、その都度すぐ拾ってくるようにと道路の保全活動のためにパトロールをしている振興局建設部の職員にお願いをしています。
でも、この間某町の山奥の未改良の国道沿いに自然探訪に行ったところ、崖下の谷に大量の生活ゴミや粗大ゴミが捨てられているのを見てがっくりと致しました。また、信号待ちの時などに、たばこを窓からぽい投げしたり、ペットボトルを中央分離帯の植え込みに放り投げたりしているドライバーが時々見られ、胸がつぶれます。
投げ捨てる人は、ゴミ箱に捨てるのは面倒だとか、困るのは他人で自分は損しないからと思って捨てているのでしょうが、ゴミを拾う人を公的に雇ったり、掃除をしてもらったりすると、公的負担に荷重がかかり、結局は国や地方公共団体の財政が圧迫されたり、最後はその捨てた人に福祉サービスが回らなくなったり、税が重課されたりという不利益がかかります。経済活動の主体としての日本人や日本企業は、約束を守り、誠実に義務を果たすという名声を得ているのですが、それが信用にもつながり、かつ、不誠実をチェックするコストを節約できるというメリットもあって、日本経済の発展に力があったことは明らかですが、ゴミのポイ捨てのない日本を作らないと、信頼にあふれるが故に効率的である日本の経済社会のメリットが失われていくような気がします。
それではどうしたらよいか、三つあると私は思います。
第一はもちろん教育、社会教育であります。和歌山県では、国にかなり先駆けて道徳教育を必修にしていますので、こういう時間を利用して、ゴミをポイ捨てしたり、不法に投げ捨てたりすることはとんでもない悪いことだと子供達に教えていきたいと思います。しかし、この問題は、発生者が県外の人である場合も大いに考えられますので、全国的にそいういう教育にもう一度力を入れて欲しいと思います。
第二は、取り締まりと回収です。先述のように和歌山県では、装備にも力を入れて取り締まりに力を入れていますが、発覚したらえらい社会的制裁を加えられるという気持ちが抑止力になるように制度の充実と不断の努力をしていきたいと思います。また、これも先述しましたが、道傍のポイ捨て袋を拾って回ろうという官の運動に加えて、ボランティアや地区の方々が集まってあちこちでクリーンアップ運動をして下さっています。一生懸命やって下さっている人には頭が下がりますが、そういう方々の努力に泥を塗るような投棄は断固止めていただきたいと思います。
第三は、捨てたくなるインセンティブを少なくすることです。最近は世界的に環境意識が高くなり、また環境運動も盛んですから、3R(リデュース、リユース、リサイクル)が大事だ、ゴミを出すな、ゴミはリサイクルしましょう、そのために出した人は料金をいただきます、特定の粗大ゴミは所定の手続きで捨ててください、ゴミの多い家は肩身が狭い、などという状況になっています。それが、政府や地方公共団体のルールになっていて、それが大変に厳密で、手間もかかることもあります。とても意識の高い人は、それをきちんと守って頑張ってくれていますが、それほどでもない人はついついいい加減な対応をしてしまいます。ゴミの量を少なくするため、燃えるものは庭で燃やしてしまおうとするとダイオキシンを発生させてしまいます。公式に引き取ってもらうと有料なので、こっそり、遠くの山の中に捨てに行こうと思ってしまう人もいるのかもしれません。あんまり賢い人が頭で考えてうるさいルールを作ると、かえって綺麗な山野にゴミがあふれるような事になりかねません。
分別ゴミもいいことだし、ペットボトルや紙、金属など、材料としてリサイクルできるものは、どんどんやるべきだし、それが経済的に回っていくように産業化にも力を入れるべきでしょう。しかし、そのルートがきちんとしていないのに、ゴミを分別して出すことが世のトレンドなので、そうでないことをすると世の笑い物になるのでそうしようといった風に考えるのは、私はどうかと思います。ひょっとしたら、より深刻な問題を発生させている恐れもあります。かつて和歌山市では燃えるゴミ(生ゴミや紙・木など)と燃えないゴミ(プラスチックなど)という分別を市民にしてもらっていて、別々に回収していたわけですが、燃えないゴミをそれ自体としてリサイクル手段がなく、結局は両ゴミを同じ焼却場でもう一度まとめて焼いていたのですが、これに批判が出て、今では分別しなくてもよくなりました。焼却炉が新式であれば、プラスチック類などは、燃料の代わりもして、使用する石油類の消費を節約できるはずです。もっと炉が新式なら、電気や湯も取れるかもしれません。しかし、環境省などの考え方ではこれはいけないことで、遅れた地和歌山というレッテルを張られることになるのです。いわゆる環境派の識者の多くは、リサイクルでも燃料として再利用するサーマルリサイクルは認知しないところがあるのですが、これを認めて、積極的に利用していかないと、材料として利用するマテリアルリサイクルだけでは需要に限りがあって、回収されたゴミがうず高く積み上げられるという事態になることを恐れます。だいたいサーマルリサイクルでも、その分石油の需要が減れば、石油資源の節約にもなるし、地球環境にもプラスでしょうに。
したがって、普通の国民、県民、市民には、あんまりうるさいことを言わず、コストがかからないように合法的に所定のゴミを捨てることができるようにすべきであって、ゴミが多くなって困る、何とかしろという場合は、ゴミのもととなる製品の生産者を規制すべきであると私は思います。
スーパーへ行くと、食品はプラスチックトレイに入っていてラップでくるんであるものしかほとんど買えないようにしておいて、買った消費者に家庭から出るゴミを少なくしろと言ったって始まりません。環境省でリサイクルの全国ランキングを出される時など、こういう事情も勘案して和歌山県を落第生のように言うのはやめてほしいと思います。
とにかく、ゴミのポイ捨てと不法投棄は絶対にやめましょう。
最後にいい話を2つ。行楽地でお客様が帰った後、結構ゴミ問題が発生しますが、この点で一番の優等生は登山、ハイキングをする方々だと思います。山や自然を愛し、苦労して自分の足で登られた人はゴミを捨てるような人はまずいません。弁当などのゴミは持ち帰ってくれます。自分が苦労して登るからこそ、その場所を汚したらいけないと思うのでしょうか。私も昆虫採集、自然探訪に山に行きますが、絶対にゴミは捨てません。(町でも捨てませんが。)
もう一つは、高野山の物語です。最近はその精神性が評価されて、外国人を含む観光客にものすごく評価されています。幸いなことにあの山内にはゴミ一つ落ちていません。高野山に行けば、完璧な電線地中化と清潔な公衆トイレと相まって、ゴミの落ちていない高野山をすべての人が素晴らしいと思われるでしょう。
私も知事に就任時ご挨拶に高野山に行ってそう思いました。時の町長の故後藤太栄さんが町の中を歩いて案内してくれましたが、たまたま小さな紙くずが地面に落ちていました。それを見つけたとたん後藤町長はその紙くずをぱっと拾って自分の背広のポケットに入れました。後で町役場に帰ってからそこのゴミ箱に捨てたのです。高野山のあの素晴らしい環境はこうして守られているのだと私は感動しました。