知事からのメッセージ 平成30年8月31日

知事からのメッセージを紹介します。

平成30年8月31日のメッセージ

石弘光先生を悼む

 一橋大学元学長で政府の税制調査会元会長の高名な財政学者、石弘光先生の訃報に接しました。

 心からご冥福をお祈りします。

 昔から随分親しくしていただいていた石先生のあの笑顔と元気のよいお声が今でも目の前に浮かんで来て、本当にさびしい思いが致します。

 私が石先生と初めて親しくしていただくようになったのは、1990年前後、私がイタリアのミラノのJETROセンターに勤務していた時のことでありました。ミラノにはヨーロッパで令名の高いボッコーニ大学というイタリアには珍しい私立大学があります。経済学、商学、それにビジネススクールの分野では、イタリアでは他の追随を許さぬ大学でありますが、幸い、この大学の若手研究者コラード・モルテーニ助教授(現在ではミラノ大学教授)とJETROミラノセンターがとても仲良くしていたので、このモルテーニ人脈で、ボッコーニ大学とは大変な協力関係にあったのです。私がマリオ・モンティ、カルロ・サッキ、ジュリアーノ・ウルバーニ、クラウディオ・デ・マッテ、カルロ・フィリピーニなどといった素晴らしいイタリアの知性と巡り会えたのは、この関係のおかげでした。

 そのボッコーニ大学は、一橋大学と特別な関係にありました。一橋大学の高名な先生方が、短期、中期に研究交流にミラノにお越しになり、代わりにボッコーニ大学の先生方が一橋大学で講義をしたり、研究をしたりということが盛んに行われていました。

 この交流プログラムとして、一橋大学の先生方がどんどんミラノに見えました。その一人が石先生であったわけです。石先生は、単にこの交流プログラムに深くコミットしていたというだけではなく、実はミラノに来られた時、アルプスの高峰を征服せんとする野望を持っておられたのでした。石先生は、有名なアルピニストで、しかも一緒に登山をする相棒が前述のモルテーニ助教授でありました。私の記憶が正しければ、先生はモンブランに登頂せんとして失敗しましたが、翌年ピッツ・ベルニナには見事に登頂をされたと思います。

 先生がミラノにいらっしゃる頃、私はよく食事を共にしたりして御高説をお聞きしていました。小柄だけど、目がくりくりしていて、いつも笑顔で本当にやさしそうなお姿で、その話は経済、財政はもちろん、人生の森羅万象に及び、うんちくに富むその話は人を魅了してやみませんでした。

 ミラノ時代にこうして知遇を得たのをきっかけに、帰国後も、先生は超多忙の身でありながら、通産省の輸入課長などをしていた私の様々な疑問やお願いに色々と親切に耳を傾けて下さり、お教えを垂れて下さいました。そのような関係はごく最近まで続き、私の人生の節目節目にいつもお気を遣って下さいました。また、石先生は一橋大学の後、放送大学の学長にもなられましたので、和歌山の放送大学のテコ入れのためにも随分御尽力もいただき、和歌山県知事としてもまたご一緒に仕事ができたことはとてもうれしいことでした。

 先生は最近は深刻なガンにもなられたのですが、石先生らしく、真摯にガンにも向き合われ、それこそ明るく、元気に、そして立派に病と闘っておられました。ある時その闘病生活を書かれた本をお送り下さり、その前ちょっとだけご無沙汰をしていたものですからびっくりしたのですが、その際にも、石先生らしく、あくまでも明るく、元気に振る舞っておられたのは、見事な人生という言葉がふさわしいものと思います。

 先生は、経済、財政学者として日本の財政赤字のことを常に気にかけておいででした。税調会長としても、その事に全力を傾けられたと思いますが、それは読売新聞に連載された回顧録にも強く浮かび出ています。多分先生の思いとしては、その志は十分に遂げられることはなかったと思います。それでも常に正攻法で、世に阿ることなく、人に忖度をすることもなく、科学的な主張をされる先生の姿は、財政再建を後回しにしても景気を浮揚させようと考える人達にも、堂々と雄々しく映っていたに相違ないと思います。

 先生のご冥福をお祈りします。

 本当にありがとうございました。

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