知事からのメッセージ 平成28年12月 南葵音楽文庫

南葵音楽文庫

 和歌山県は江戸時代は紀州徳川家の依拠する御三家で、威張っていたわけですが、今はその名残はそれほど多くはありません。国宝和歌山城は、空襲で焼けてしまい、力のあった当時の商工業者、市民の寄付も集めて早くに再建されているのですが、コンクリート造りですから、姿形は昔通りに大変美しい名城ですが、国宝にはなりません。和歌山市の和歌浦には、徳川家康を祀る東照宮があり、左甚五郎の彫刻など、日光東照宮にも負けない要素が詰まっているのですが、少々派手さで負けています。海南市下津町には紀州徳川家歴代の藩侯の墓所となっている長保寺というお寺があり、ここの本堂、大門、多宝塔という3セットは国宝で、このすべてが国宝というのは日本中でも他に法隆寺(金堂(本堂)、東西大門、五重塔)があるだけという素晴らしい史蹟がありますが、その性格上地域的に奥まって位置しているので、やはり、少々つらいものがあります。
 ※法隆寺には多宝塔がないですが、五重塔がこれに当たります。
 また、和歌浦の東照宮を中心に毎年5月に行われる和歌まつりは、紀州徳川家の往時をしのばせるとても興味深いものがありますが、全国から見物のお客さんが見えるという形に早くしたいものだと思っているところです。しかも、かつては和歌山に君臨していたはずの紀州徳川家の気配が和歌山にあまりありません。和歌山県が誇る県立博物館にも徳川家の遺物はそんなにたくさんはありません。
 同じく御三家の一つであった名古屋市には、お城こそ和歌山城と同じように戦後再建であるものの、徳川美術館があって、尾張徳川家の往時の勢いをしのぶ縁となっていて、うらやましい限りです。

 何故、そうなってしまったのでしょう。明治維新後も紀州徳川家は大変な財産を保有しており、東京の重要な地所も随分と持っておられたと聞いています。しかし、維新から数えて、三代目の徳川頼貞侯爵が、若い頃西洋に遊学し、すっかりと西洋音楽の虜になり、西洋音楽のために、その莫大な資産を消尽してしまったのです。土地も無くなり、江戸の紀州藩上屋敷は迎賓館(赤坂離宮)に、中屋敷にはグランドプリンスホテル赤坂(跡地に平成28年7月「東京ガーデンテラス紀尾井町」がオープン)が建ったり、下屋敷(別邸)は旧芝離宮恩賜公園と変わったりし、また膨大な美術品の類いも借財返済のために売り払われてしまったということです。
 しかし、頼貞侯のおやりになった事は、紀州徳川家の家産は傾けたかもしれないが、そのかわり、日本に西洋音楽の種をまき、今日の隆盛に導くきっかけとなったのです。頼貞侯は、西洋音楽を演じることのできる音楽堂(南葵楽堂)を作り、多くの音楽家を後援し、諸国を回って、音楽に関する膨大な資料を集めました。そして、その資料を南葵音楽文庫と名付けて音楽堂に付属する図書館に収蔵し、音楽家や音楽研究家の学習の用に供したのでした。
 収集した資料には、ベートーヴェンの自筆楽譜や自筆書簡、ロッシーニの自筆楽譜、ヘンデルの自筆音楽理論など世界唯一となる貴重なものが含まれているのをはじめ、その他の文献や楽譜も今では手に入り難いものばかりです。(この間の事情は村上紀史郎著「音楽の殿様・徳川頼貞」(藤原書店)に詳しく述べられています。)
 徳川家の家産と引き替えにした頼貞侯の音楽関係の資産は、関東大震災で被災したため、南葵楽堂は取り壊されましたが、大部分の南葵音楽文庫はその後、転遷し、読売新聞社を経て、読売日本交響楽団に引き取られました。19世紀から20世紀初頭までに至る西洋におけるそれまでの音楽に関する貴重な資料が多く含まれるとともに、日本における西洋音楽勃興の原点とも言うべき資料が、読売新聞社によって、保存されたということは、日本の音楽界にとっても大変な僥倖であると思います。改めて、当時の読売新聞社の幹部の文化に関するセンシティビティと英断に敬意を表したいと思います。しかし、読売日本交響楽団も、本来は音楽を演ずる存在ですから、この南葵音楽文庫についてはその整理にも着手はされたものの、保全も含めて、なかなか肩の荷が重くなってきたというのもあるいは仕方がないことであると思います。
 ※南葵楽堂にあった当時わが国最大の英国アボット・スミス社製のパイプオルガンは、東京藝術大学の奏楽堂に移設され、今も現役です。
 この情報を聞いた私は、それならば、和歌山県でお預かりをして、南葵音楽文庫としてもう一度顕彰し、保全はもちろん、資料の整理やその公開、更には世界へアピールなど活用を図らせていただけませんかと読売新聞社にお願いをいたしました。
 それに快く応じて下さった読売新聞サイドと細部にわたる詰めを行った上で、2016年12月2日、南葵音楽文庫に係る寄託契約を締結しました。本当に感謝します。

 これで和歌山には、今までなかった紀州徳川家の誇る文化遺産をお預かりすることができるようになりました。それも、和歌山の県名には「歌」が入っていますが、それに符号する近代日本の音楽の遺産が和歌山にあるということになりました。本当に名誉あることです。
 読売新聞社及び読売日本交響楽団には心から感謝をしておりますが、ただ喜んでいる訳にはいけません。
 

  •  南葵音楽文庫は、県立図書館内に専用の書庫スペースを設けてまとめて大事に保管しますが、特に貴重な一部の資料はより保存管理が徹底できる県立博物館で保存します。
  •  既に実績のある慶應大学名誉教授の美山先生のチームにお願いして、いわば学芸員として、資料の整理を行っていただき、音楽の研究家が誰でも利用できるような形で、全世界に発信します。
  •  少し整理のできた2017年12月3日に南葵音楽文庫を仮オープンとし、整理が一通り終了する2019年は、紀州徳川家400年に当たり、本格オープンする予定です。
  •  仮オープンと時を同じくして、県立博物館で、南葵音楽文庫関連の展示会を行い、またその頃ゆかりの読売日本交響楽団に和歌山に来てもらって南葵音楽文庫及び徳川頼貞侯記念コンサートを行う予定です。
  •  折にふれ、関連シンポジウム、展示会、コンサートをずっと和歌山で行っていく予定です。


 かくして、紀州徳川家の影が薄かった和歌山に、徳川家の遺功が戻ってきます。しかも一家の存亡をかけて日本の音楽の勃興のために尽くした徳川頼貞侯の最愛の忘れ形見が。

このページの先頭へ