知事からのメッセージ 平成28年9月 何でも反対

何でも反対

 人間には反抗期というものがあるそうです。今は社会人となっている私の娘もやはりありまして、ある時期は親の言うことは何でも反対し、それがまた可愛らしいので親は面白がって「何でも反対、何でも反対」と節をつけてはやしていました。
 最近の世相を見ると「○○反対」「××反対」というキャンペーンがたくさん見られます。もちろん、それらの主張は、それぞれに大変まじめな、場合によっては深刻な反対理由があってのことと思いますので、私はこれを幼児の反抗期だとか言うつもりは全くありません。
 問題は、反対して案件がなくなってしまえば、すべての問題が解決するかというと、そうでもない場合が圧倒的に多いというところにあります。反対されている対象は、ほとんどの場合、それをしなければならないという理由があってのことでしょうから、反対してそれがなくなってしまっても、元の問題にどう対応するのだという問題が残ります。よく反対を唱える人に「それでは対案があるのか」と反論する、あの状況です。そんなことは知らないと言うことであれば、もとの問題の不都合は倍加するばかりです。
 それでは、対案も含めて包括的な解がなければ、「反対」と言ってもいけないかというと私はそうではないと思います。「反対」と思えば、その理由も含めて大いに言えばよいと思います。しかし、同時に反対したらどうなるか、もともとの不都合をそれではどう解決したらいいのか、反対が実現した場合と賛成が実現した場合に利益と損失は総体としてどちらが多いか、そしてその損失の補償はどうするのか、そのようなことについて、相手の意見にもよく耳を傾けて、皆で全体としてより「まし」な解は何かを見出していく努力をすべきでしょう。少なくとも和歌山県政はそうありたいと思います。

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