知事からのメッセージ 平成27年5月 レオナルド・ダ・ヴィンチの「なぜ」

 「モナ・リザ」や「最後の晩餐」の作者、レオナルド・ダ・ヴィンチは、絵画はもちろん、科学技術、発明、人体解剖、兵器、飛行機などあらゆる方面に首を突っ込み、しかもそれをとことん追求する、いわば万能の天才であります。私がイタリアのミラノに駐在していた時、お願いしてイタリアの美術史を教えてもらっていた、御自身も画家であった人は、「この時代、今と違って天下の大秀才は皆美術の世界へ進んだのですよ。頭がいいから、何でもできちゃうんです。」と自ら謙遜して言っておられましたが、でもどうしてこのように多くの事に興味がわき、しかもそれを徹底的に究めようとしたかという事が大変興味のあるところです。
 作家の塩野七生さんは、その著書「ルネサンスとは何であったのか」で、レオナルド・ダ・ヴィンチは「なぜ」で生き通した人だと書いています。レオナルド・ダ・ヴィンチは、この「なぜ」を追求する気持ちが人一倍強いので、絵の描き方もどんどん新しい技法を追求し、鳥が空を飛ぶのを見て、その秘密を究めようとし、それなら人も鳥のように空を飛べるはずだと飛行機の開発に熱中しました。あらゆる事に興味がわき、それを追求することに突き動かされたのも、この「なぜ」の気持ちからだと塩野さんは語っています。
 私はかねがね県庁の職員に「なぜどうして」を忘れぬようにしようと言っています。「なぜどうして」によって、県政のさまざまな局面に興味がわきます。「なぜどうして」によって、その局面がただ前例があるというだけで、十年一昔前のとおりやっていてよいのかという気持ちがわいてきます。そして「なぜどうして」を詰めていく事によって、新しい解法が、しかも論理的な形で浮かんできます。したがって、すべての力は「なぜどうして」から出てくるのです。
 これは県庁の仕事に限りません。それぞれのお仕事に就いている方が皆「なぜ」の気持ちに突き動かされて、頑張れば、和歌山の明日はきっと変わってきます。作柄をよくするにはどうしたらよいのか。自分たちの作った生産品がなかなか買ってもらえないのはなぜだろうか。観光客がなぜ自分の店にあんまり来てくれないのだろうか。町が廃れてきたように見えるのはなぜなのだろうか。すべては「なぜどうして」から始まります。
 塩野さんは天才レオナルド・ダ・ヴィンチの行動がこの「なぜ」から出てくるものだと喝破しました。何かしらうれしくなるではありませんか。天才レオナルド・ダ・ヴィンチも「なぜ」があったから天才たりえたのですから。

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