ようこそ知事室へ 知事からのメッセージ 平成25年7月 橋本メガソーラーとダイオキシン処理

知事からのメッセージ

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平成25年7月のメッセージ

平成25年7月

橋本メガソーラーとダイオキシン処理

 7月16日、記者会見で橋本市のある県有地をメガソーラー用地として開放し、設置事業者を募集する旨を発表しました。
 これだけだったら当たり前なのですが、当該用地は10年ほど前まで、ダイオキシン汚染で大問題となったところなのです。

 平成7年頃から、大阪の産業廃棄物業者がここで不十分な焼却炉で廃棄物を焼き、そこから発生したダイオキシンで環境を汚染させてしまったことが発覚しました。塩素を含む物質を、十分に高くはない温度で焼きダイオキシンが発生してしまったのでした。地元の方々にとってはえらい事です。すぐに大問題になりました。そこで県が乗り出し、早速焼却を止めさせる事はもちろん、焼却炉も持ち主に対する代執行で処分し、汚染土壌は県がそこいらの土地を買収した上で高レベルの汚染土は高温の専用炉で無害化し、低レベルのものはコンクリートボックスに入れて土中に埋めました。
 従って、今は危険はない土地ですが、土中に埋まっている物を壊すことはできないので地面を掘るとか、土中深くパイプを打ち込むとかは出来ない土地になっているのです。また、やはり農地として使うのも抵抗があります。従って、利用できないやっかいな土地となったまま県が所有している状態だったのです。

 しかし、地球温暖化や原発の使用停止によってメガソーラーが脚光を浴びるに至り、私はこの土地をソーラーパネルを貼ったメガソーラーとしてなら利用できると思いつきました。何故なら、ソーラーパネルの設置は地中を掘るような大がかりな工事を必要とせず、簡単にソーラーパネルを設置する足場をコンクリートで作ればいいからです。そこで、私の指示を受けて県の職員が地元の方々を始め関係者にこのことを説明し、了解を取ってきてくれたので、7月16日の発表に至りました。

 現地には、過去の苦難の記憶を後世に伝えるため、記念の碑文が建てられています。碑文は、県と現地の産廃処理場を撤去させる会の連名で建立されていて、このダイオキシンの処理という、とんでもなくやっかいな仕事を官民が力を合わせて成し遂げたということが分かります。地元の方々は、ある日突然自分たちの土地がダイオキシンに汚染されていることを知り、さぞや驚かれ、怒りに燃えられたと思います。県もそんな事実を突きつけられ、大いに驚き、当惑したと思います。色々なことがあったでしょう。しかし、関係者の努力により皆が力を合わせ、ダイオキシンを封じ込めたのです。この碑文はそういう怒りや当惑を乗り越えて最後は協力して危機を乗り切った先人の努力が結晶しているように私に思えます。

 そして、また、これから新しい協力によって、不毛になってしまったこの地が、また貴重なエネルギーと収入を生み出せる地に蘇ったのです。不死鳥(フェニックス)という言葉が頭をよぎりました。このモデルは、きっとこれからも他の地域へも適用できると思います。当県のみならず、日本中世界中至る所に廃棄物の処理跡地があります。その一部はまだ深く掘り返すような利用はできません。それでもメガソーラーなら、中々良い候補地になるのではないでしょうか。この立派な碑文を見て私は思いました。

  以下、碑文を掲げます。

平成6年初夏の頃、建設残土と称する産業廃棄物の持ち込みに端を発し、翌年春頃から阪神淡路大震災の災害廃棄物がこの地に大量に運び込まれ、やがて焼却が始められた。

黒煙と悪臭に苦しむ地域の声を受けて、県は搬入の中止を命令、さらに焼却の禁止を指導したが、生活環境は改善されなかった。

菖蒲谷・出塔・柿の木坂の住民有志は、平成9年6月、根本的な解決を求めて「産廃処理場を撤去させる会」を結成し、平成11年2月、県と処理業者を相手に公害紛争調停を申請したが、話し合いは難航した。

平成12年2月、焼却炉南側の土壌から高濃度のダイオキシンが検出された。

環境汚染を深刻に受け止めて、県は、直ちに応急対策として立入禁止とシート掛けを実施、また緊急対策として行政代執行により焼却炉等の処理を行った。

これを機に、平成13年10月、県との間に調停が成立、汚染土壌の処理等の恒久対策を協議するために、関係者で「橋本市日本工業所廃棄物対策協議会」が新たに設置された。

徹底した情報公開と住民参加を基本に、県と住民が対等の立場に立って精力的に解決に向けた努力がなされ、その過程で徐々に相互の信頼が築かれて、リスク・コミュニケーションへと結実していった。「撤去させる会」は現地での処理という苦渋の選択を決断し、高濃度汚染土壌はジオメルト工法により無害化、低濃度汚染土壌はコンクリートボックスに封じ込まれてこの地に埋設された。

ここに、10年余に及ぶ苦難の記憶を後世に伝え、関係各位に深甚なる謝意を表するとともに、循環型社会実現への決意を表明する。

平成17年3月
 
和歌山県
産廃処理場を撤去させる会

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