ようこそ知事室へ 知事からのメッセージ 平成24年6月 全部に責任を持つことと原子力発電所の再稼働

知事からのメッセージ

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平成24年6月のメッセージ

平成24年6月

全部に責任を持つことと原子力発電所の再稼働

世の中の事は、あちら立てればこちら立たずという例でいっぱいです。どんなによく見える政策でも、それを実施した時、不利になる人が出て来ます。その不利になるなり方が社会正義の観点から「あたり前だ」というようなことであればいいのですが、大抵はそうではありません。私はよくこれを「副作用」というように呼んでいますが、世の中は因果関係、人と人、組織と組織の相互作用で出来ているのだから、こういう副作用がいっぱいあります。そういう時、よさそうな事だけつまみ食いして、副作用の方は知らんというような事は、少なくとも政治・行政のトップに立っている者には許されません。どんなに良さそうな事でもそれ故に起こる副作用も分析して、副作用の方がより人々を不幸にすると思ったら中止しなければならないし、又は、副作用を治癒する何か別の手立てを講じた上で実施しなければなりません。右か左か、賛成か反対か、決行か中止か、トップはいつも決断を迫られますが、これを判断するのは通常結構大変です。というのも、その双方に理由があることが多いからです。

「何とか運動家」という方々がいます。大体は立派な主張をしておられるのですが、その多くの方々は、その主張が仮に実現した時に起こる事態について、発言をすることはあまりありません。そういう事態への対処は行政の責任だから何とかせいと思っているのか、単にそういう事態が起こる事を考えていないか、又は起こらないと信じているのか、私は知りません。

しかし、少なくとも政治・行政のトップは、そういう事態が起こるかも知れないという事についても、そして起こった時の不都合についても全責任を持たないといけません。政治家の中でも万年野党的な考えの強い方は、そういう点には無頓着です。しかし行政のトップや与党でないからと言って、自らの主張の副作用について考えないというのは、やはり無責任だと私は思います。

行政トップの方では、右の必要性、左の副作用、ともに分かるが故に苦しむ人が通常でしょう。中には、その苦しみの故に右も左も決することが出来ずに佇んでしまう人がいます。問題を先送りするようなケースです。そういう時、そういう首長は「あれも困った、これも困った、大変だ」と人前でよくこぼしますが、皆が選んで責任のある地位につけた人が、こぼしているばかりで何もしなかったら、困るのです。別の場合では、首長が悩んでしまって誰かに決断してもらいたくなって人のせいにします。市町村が、「県がダメと言っているから」とか、「国が応援してくれないから」とか言ったり、国や県が、市町村のせいにしたりすることもあります。また、トップが決断がつかない結果、部下のいいなりになって、いわゆる官僚支配になっているなと思うこともあります。
もちろん誰がなんぞは言うつもりもありませんが、少なくとも私のような首長は、絶対にそうであってはいけません。政策のメリット、デメリット、副作用など全部を考えて、その全部に責任を持つという気概で決断しなければなりません。大変ですが、がんばります。

その一つの深刻なケースが、大飯原子力発電所の再稼働の問題です。
私は、はるか昔、科学技術庁で原子力安全政策の総括と、特命で防災対策に従事していました。まだ、うんと若かったのですが、スリーマイルアイランド事故の後、やはり定期点検中の全国の原発を再稼働するかどうかという問題に従事しましたし、ちょうど原子力安全行政の再編の時期で、例えば原子力安全委員会の設置法案については、自分で色々考え、政府部内や政党に説明してまわった者です。したがって、東日本大震災の後の福島原子力発電所の処理については、総理にも、官房長官にも、経産大臣にも、原子力保安院にも原子力安全委員会にも言いたいことはいっぱいあって、不満の固まりです。特に安全委員長の無責任と安全規制の段取りと被災地の除染については、いつも口を極めて批判をしてきましたし、今でもその考えは変わりません。大飯原発の問題について言うと、現在これを動かせという政府が、どうして事故に対する一応の対応を原子力安全保安院も原子力安全委員会も了承した玄海の原発を止めたのか。その後ストレステストなるものを持ってきて基準を追加してさらに審査して、大飯原発についてはストレステスト合格と安全委員会が言いながら、今度は原子力安全委員長が安全のためにはまだ十分でない所もあると発言したのか。大飯原発について、政府のトップが政治決断をすると力んでみたり、間際になって、また、新しい基準を作り、その基準をクリアーできない部分がまだあるのに再稼働すべきだと言うのか。このように特に段取りが無茶苦茶です。本来ならば、福島事故を分かっている限り検証して、まず、欠けていたと思う所を改善するような基準を作り、次にこの基準に合致するかどうかを各炉ごとにきちんとチェックするということが必要です。それも各電力会社、原子力保安院、原子力委員会というような専門家の判断を求めないといけない。素人の政治家がしゃしゃり出てはいけない。無能だとかダメだとか思う専門家なら首をすげ替えればよい。ところが現実に起きたことは、長い間の検証の未実施、基準より先にテストをして後で基準が出てくるという有様です。関西広域連合でも知事さんたちの原子力への対応は色々ですが、この政府の対応がおかしいという点はコンセンサスがあり、4月の時点では、色々議論はあるが、政治家ではなく安全委員会に、「動かしても、まず大丈夫」という判断を(正確にはもう一度)やってもらおうではないかという事に意見が集約されていました。しかし、5月19日に細野大臣は、この安全委員会の再活用をとても嫌いました。そこで私も結構きつく食い下がったのですが、色々調べてみると、安全委員長以下の面々が案件をもう持って来るなと言っているというのです。前述のように安全委員会の生みの親(少しオーバーか)みたいなことを昔していた私としては、本当に残念でした。

しかし、電力不足の危機は、このような政府の段取りの悪さにより、どんどんとタイムリミットが迫ってきます。原発に頼るよりは大幅な節電の方が良い、15パーセントくらいの節電はへっちゃらだ、そもそも15パーセントの節電なんか電力会社の脅しで、もっと電力はある、それに仮に計画停電でもいいじゃないか、皆で覚悟して乗り切ろうなどと言う人も随分力強く発言していました。そこで、まず、関西電力が本当のことを言っているかどうか、広域連合の担当者が関電の中に入って(実際は京大の先生も行ってもらいました。)、生のデータを見せてもらって検証しようではないか、との意見を私が出して、実行してみたら、本当に15パーセント足りないという答えが出ました。すると、本当に15パーセントの節電ができるのかという問題になります。そこで県庁を挙げて徹底的に調べました。そうすると、大変なことになるということが分かったのです。

昨夏は、家庭、オフィスには10パーセント以上の節電をお願いしましたけれども、実績は、家庭で3パーセント、オフィスで5パーセントに留まりました。一方で、節電目標を示さずに自主行動をお願いした生産部門(何故そうしたかというと、生産をカットしたら、すぐ雇用に響くからです。)の節電実績は7パーセントでした。私たちは、家庭、オフィスに対する節電要請を本当に一生懸命やったつもりですが、結果的にはこういうことでした。ただし、関西の中では、和歌山県は1ポイント高かったということも事実です。
今夏、仮に、家庭やオフィスで昨年実績の2倍(家庭6パーセント、オフィス10パーセント)の節電ができたとしても、全体で15パーセントの節電を達成するためには、生産部門にしわ寄せしないといけませんので、そうすると生産部門で27パーセントの節電が必要になります。本県の試算では、生産調整により27パーセントの節電を実施すれば、県内の産業界全体で▲2047億円の影響があり、付加価値額が県内GDPの2.7パーセントに相当する約845億円減少し、雇用者所得が約337億円減少します。

また、全体として節電目標が達成されなければ、社会に大きな影響のある突発停電を回避するためには、計画停電が必要になります。
しかし、計画停電となった場合、突発停電よりは遙かにましですけれども、例えば、病院において緊急患者の受け入れや緊急手術に支障をきたす恐れがあります。規模の大きな病院については、無理をして電力供給ルートをいじくって供給すると関西電力が言っていますので、停電とならない所が出てくると思いますが、診療所と呼ばれる規模の小さな病院には、自家発電装置等が設置されていない施設が多く、人工呼吸器など入院患者の生命を維持する医療機器がちゃんと動くのかという心配があります。
また、特別養護老人ホームで、停電中に例えば入居者の容体が急変した時に対応出来なかったり、エアコンの停止で熱中症を引き起こす恐れがあるなど、人命が危険に晒されるおそれもあります。
日常生活においても、例えば信号機がつかなくなって、交通事故が起こりやすくなるとか、あるいは水道が断水したりするような恐れがあります。
また、停電解消時に、例えば電熱器具などが自動的に動くことによって火災の恐れがあったり、逆にスイッチを押さないと動かないので今度は別の問題が発生するとかいう事もあります。マンションやビルには大体エレベーターがありますが、途中で止まってしまう可能性があって、2時間かもしれませんが閉じ込められる恐れがあります。
製造現場では、化学のプラント等では一旦止めると、再立ち上げに一週間程度要するということも分かりました。こうなると、生産活動が全く停止することになって、雇用が大きな打撃を受けます。
最悪の場合を想定しますと、製造工程中に停電になると、化学反応が起こって爆発するというような危険性も考えられなくはありません。雇用が脅かされる時は、いつも問題になっている非正規雇用の人が真っ先に犠牲になるでしょう。このように色々なリスクがあります。しかも、一番恐ろしかったのは、我々行政が必死でこれら不都合に対処しようとしても、100万人の県民がそれぞれ営んでいる生活の中でどういう不都合が生じるか把握できないということです。よく、腎臓透析の患者さんの話が出ます。県庁ではこれらの人のことは100パーセント分かっているので計画停電の時にきちんと配慮できる自信があります。しかし、問題はこれだけではなく、誰に何が起こるか分からない恐怖があるのです。このように、15パーセントの節電をやろうとすると、産業界や社会生活への影響が大きく、到底達成できるものではなかったと思います。

原発を動かすのも、前述のような政府の段取りの悪さから色々と懸念もあります。しかし、動かせば、ようやく昨年ぐらいの電力供給ぐらいに持っていけることは事実です。そうすると全関西で無理のないような節電をしたら、雇用も失われなくて済むかも知れないし、計画停電による不測の事態も避けられるかも知れない。すなわち動かすリスクと動かさないリスクはどちらが大きいか、そういう岐路に私も他の知事たちも、それから当然国の責任者たる総理も経産大臣も細野大臣も立たされるわけです。私は動かすリスクの経緯を多少勉強していますから、動かさないリスクの大きさを重んじるように意見の表明をしました。動かさないリスクは、発生確率の高い必ず起こるリスクのように思ったからです。もちろん本件については我々地方公共団体には、(もちろん関西広域連合にも)権限がありません。だから容認するとかしないとかいうのは言い過ぎです。しかし、政府自身の弱さによって、関西広域連合の意見が世を動かす可能性もあったのです。だから我々も「全部に責任を持つ」必要があったと思います。
私自身は、全部に責任を持つためには、ああいう行動をせざるをえなかったということを恥じてはおりません。

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