知事からのメッセージ 平成22年6月

知事からのメッセージを紹介します。

平成22年6月のメッセージ

平成22年6月

エルトゥールル号

 6月3日エルトゥールル号犠牲者の120周年慰霊式典が串本町でありました。寬仁親王殿下と彬子女王殿下の御臨席を仰ぎ、日本・トルコ両国の関係者が大勢参加しました。当日は雲一つない晴天でありましたが、1890年9月16日の夜は大変な嵐で、トルコ皇帝から明治天皇への親書をお届けして日本政府から大歓迎を受けた後、本国への帰途を急ぐトルコ軍艦エルトゥールル号が串本町大島樫野の岩礁に衝突して沈没し、司令長官オスマン・パシャ提督以下587人の尊い人命が失われました。しかし、この遭難を知った樫野を中心とする地元の人々は、とんでもない荒天の中、必死に生存者を助け、遺体を捜索し、助けられた人々には、当時の貧しい生活の中、ありったけの食料と衣類を提供して献身的に世話をしたのでした。

 19世紀末の帝国主義の時代にあって西洋列強に次々と領土を蚕食(さんしょく)されつつあった当時のオスマン・トルコ帝国が日本を唯一の友として期待して送ったそのエルトゥールル号が沈んでしまったのですから、トルコの人々の悲しみと落胆はいかばかりだったでしょう。その中にあって串本の人々が献身的に生存者の救出にあたってくれたという話が伝わるにつけ、トルコの人々の日本に対する尊敬の念はいやが上にも高まったはずです。トルコの人々も立派です。この恩を忘れず、このことをずっと教科書に書いて子ども達に教え続けているのです。
 そして、それがあのイラン・イラク戦争の時、テヘランに取り残された日本人をトルコ航空機が救出に向かうという感動の物語につながるのです。困った時に助けてくれるのが真の友です。そして、そのことができる人は、本当に心の磨かれた人です。我々は、今よりずっと貧しかったあの明治の時代に、かくもすばらしい行為をなしえた串本の民の同郷人だという誇りを持とうではありませんか。そして、困った時に人を助けられるような心を磨こうではありませんか。
 私は、こういった話をあちこちの人にお話をしていますが、感激屋なもので、自分で感動して涙ぐんでしまうこともしばしばです。とりわけ、この話の続きとして、次のくだりになる時はなおさらです。エルトゥールル号遭難の後、トルコ政府から串本町や世話になった村人に補償、お礼を出そうとの提案が県庁を通じてあったそうです。その時に寝食を忘れてトルコの人々に対して尽くした地元の医者が県当局に対して言った言葉が残っています。
 「自分達は、当然のことをしたまでだ。したがって、補償等気をつかっていただく必要はない。そのようなお金がもしあるならば、犠牲になって亡くなられたトルコの将兵の遺族にあげてほしい」と。

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