雑賀崎台 場
(さいかざきだいば)


          

【基本データ】

種    別  記念物 史跡)
員    数 1所 (462u)
所在の場 所       和歌山市 雑賀崎字永尾西原
所 有  者       農林水産 省(和歌山県)
指定年月 日       平成22 年4月20日
     
  
【 解 説 】

 江戸 時代後期に外国船が日本近海に出没するようになると、幕府の対外政策は強化され、大阪湾沿岸及びその進入路となる紀伊水道の防備の必要性が高まった。しか し、紀州藩の具体的な海防は、嘉永6(1853)の ペリー来航以降、ようやく開始され、和歌山城に近い海岸部に翌年1月から9月までに30ヶ所余の台場が設置された。
 そのうちの一つと考えられる雑賀崎台場は、和歌山市雑賀崎の北端部、紀伊水道に突出した通称「カゴバ」に所在する。『南紀徳川史』によると、紀州藩では 安政元年(1854)正月に各家老の海岸防御の持ち場を決め、各台場には砲術方を定めた。当台場 は、紀州藩家老三浦長門守の持ち場とされている。また、幕末の和歌山付近の海防図である、「御城下近海御台場之図」には、雑賀崎の先端にある「カゴバ」を はじめとする台場の位置が示され、幕府が嘉永2年(1849) に沿岸諸藩に対して海岸から約3.3kmまでの水深を測量させた成果が記載され、『南紀徳川史』に みられた各家老の持ち場と台場の砲術方も記載されている。
 しかし、「御城下近海御台場之図」に記載されたこれらの台場は仮設あるいは計画段階で終わっているものが多く、また、破壊されて現存するものは少ない。 そうした中で、雑賀崎台場は、昭和7年(1932) 刊行の『和歌山県史蹟名勝天然記念物調査報告』第11輯の岩西忠一委員報告によって、台場の形状・ 構造及び現状が報告され、石垣及び土塁の略図が掲載されている。
 その雑賀崎台場の現状を確認することを目的として、和歌山市教育委員会は平成19年度に和歌山市 都市整備公社に委託して、発掘調査を実施した。その結果、台場は高さ約50cm180cmの石垣の上に、高さ50cm140cmの土塁を築き、その上部の平坦面中央に高さ40cm50cmV字状石組みが確認されたほか、多角形の石 垣及び土塁のほか南東部に三方に石垣を巡らせた方形壇のあることなどが明らかになった。
 これらのことから、雑賀崎台場は紀州藩の異国船に対する海上防御のため築造した砲台跡であり、V字状の石積み遺構は砲座となる可能性が高い。同台場は、 現在も台場の形状、石垣や土塁の構造をよく残す遺跡として、貴重であり、また歴史学的にも江戸時代後期の紀州藩の海防政策について知ることができる数少な い遺跡で、史跡として重要な位置づけができる。