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和歌山の人、もの、地域 和 nagomi わかやま癒しのローカル線 2011 vol.14

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田舎でみつけた


城下町の和菓子屋

TAMA CAFE

(左上)落雁「和歌の浦」の木型 (左下)落雁「和歌の浦」 天保7年に紀州徳川家10代藩主治宝が11代将軍家斉に献上した落雁「和歌の浦」。三枚の木型で作られ、その精密さはまるで絵画のようである。 (右上)紀州藩10代藩主徳川治宝(とくがわはるとみ)は、文化や芸術を好んだ風雅な殿様であった。また茶道の表千家を庇護し紀州藩の別邸西浜御殿に招いたと言われている。「西浜様御好 春の海 桜形」と書かれているのは、治宝が好んだ落雁の木型である。 (右下)江戸時代の文献「紀伊名所図会」にも「本の字饅頭」の記載がある。日持ちするので参勤交代の時には、歴代の紀州藩主も食したと言う。また駿河屋の紅羊羹は、豊臣秀吉も絶賛した。

 


 和菓子には美味しさだけでなく、花鳥風月などの世界を表現する芸術性も求められる。その繊細な技巧の高さは文化度の高さでもある。
 古来、甘味である砂糖は、非常に貴重なものであり、特別な身分の者だけが食すことができたものだった。室町時代になると茶の湯が流行り、それに伴い都であった京都で和菓子文化も隆盛を迎えたが、それでも和菓子は中々庶民の口には届かない高価なものだった。
 江戸時代、和歌山県には3つの城下町が存在した。紀州藩の居城があった和歌山城下、将軍から直接命を受けた御附家老を城主とする田辺城下と新宮城下である。各々は紀州藩の重要な拠点であり、統治のため多くの武士が移り住み、文化や経済の中心地となっていく。当時の武士は茶の湯を嗜む文化人であり、和歌山の和菓子文化はこの3市を中心に発展してきた。



カット(左)干菓子である落雁は、茶の湯の点前に供される定番の菓子。江戸時代には武士のたしなみとして茶の湯がもてはやされ、大名は技巧を凝らした落雁の風雅さを楽しんだ。

(右)みにばりえは、伝統だけに固執しない総本家駿河屋の素材を活かした一口サイズの果実羊羹。







総本家駿河屋

住所/和歌山市駿河町12番地
電話/073-431-3411


駿河屋は寛正2年(1461)に、初代岡本善右衛門が現在の京都府で「鶴屋」として開業し、今年で創業550周年を迎える老舗御菓子司。紀州藩初代藩主徳川頼宣に気に入られ、共に駿河に行き、御国替えで紀州に入り、現在の和歌山市駿河町で同店を開いた。5代将軍徳川綱吉の娘“鶴姫”が紀州家に輿入れしたため、“鶴”と言う文字を使うのを遠慮し、駿河屋に屋号を変更した。


総本家駿河屋

 新宮市や田辺市は城下町として文化が栄え
 高野山は寺内町として
 独自に発展した和菓子屋が数多く残っている。



田辺潘

 紀州徳川家の御附家老安藤直次が治めた藩で3万8千石。歴代紀州藩主を補佐した。辻の餅は天保年間創業。柔らかいお餅を上品な甘さのつぶあんで挟んだ名物のおけし餅は、武家の子供の髪型「おけし」に似ているから。甘党だった南方熊楠のお気に入り。

辻の餅
住所/田辺市北新町1
電話/0739-22-1665

辻の餅 おけし餅

新宮潘

 安藤と共に将軍の命で御附家老水野重央が治めた藩で3万5千石。珍重庵は新宮の国道沿いに本店を構え、「あん」にこだわり「季節」にこだわる和菓子屋。熊野三山でしか買えない「もうで餅」は有名。

珍重庵
住所/新宮市大橋通り2丁目
電話/0735-22-3129

珍重庵 もうで餅

高野山

 高野山は空海が1200年前に開いた山上の宗教都市。山内では殺生が禁じられていたため、精進料理が生み出された。麩善は文政年間に創業された高野山唯一の生麩(なまふ)屋。笹巻あんぷは上品な甘さのこしあんをよもぎの生麩でくるみ、熊笹で包んだ銘菓。

麩善
住所/伊都郡高野町高野山712
電話/0736-56-2537

麩善 笹巻あんぷ

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