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和歌山の人、もの、地域 和 nagomi わかやま癒しのローカル線 2011 vol.14

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知事対談 黒潮が育んだ紀州人気質
 小説家 津本陽夫×和歌山県知事 仁坂吉伸、大きく海に向かって開かれた県、和歌山。豊かな自然と温暖な気候に抱かれて、太平洋を自由自在に移動する、大らかで進取の気質に富んだ紀州人が生まれた。

津本 陽(つもと よう)
1929(昭和4)年、和歌山市生まれ。1978年、故郷和歌山を舞台にした「深重の海」で直木賞を受賞。「下天は夢か」など戦国を舞台にした長編歴史小説を意欲的に執筆し、1995年、「夢のまた夢」で吉川英治文学賞を受賞。徳川吉宗を描いた「大わらんじの男」など著者多数。1997年には、長年の文学業績を認められ紫綬褒章を受章、2005年には菊池寛賞を受賞した。
仁坂吉伸(にさかよしのぶ)
和歌山県知事

  開国と明治維新は紀州から始まった

仁坂知事(以下仁坂)●津本先生は、和歌山出身の歴史上の巨人たちを数多く小説化し、紀州人の気質などには精通しておられます。和歌山県は古くから海と深く関係しながらさまざまなドラマを繰り返してきました。先生の新刊「荒ぶる波濤」で描かれている陸奥宗光も、「カミソリ大臣」と呼ばれるほどの外交手腕を発揮した和歌山が誇る偉人ですね。

津本陽氏(以下津本)●その通りです。陸奥と坂本龍馬がいなければ明治維新はどうなっていたことか。「荒ぶる波濤」では、龍馬と共に過ごした時代を書いています。


さんまのなれ寿司

2010年6月に発刊された「荒ぶる波濤(はとう)」PHP研究所


仁坂●「独立して自ら其志を行うを得るものは只余と陸奥のみ」と龍馬に言わしめるほど、戦略を立てる才能に優れていたようですね。

津本●亀山社中には計算に優れた者や腕っ節が強い者など多彩な人材が集まっていましたが、龍馬は特に交渉力などに優れた陸奥の才気を愛し、終始行動を共にします。その後龍馬が暗殺され、明治維新を迎え陸奥は政治の表舞台に出て行きます。

仁坂●そうですね。その後投獄されたりするんですが、盟友伊藤博文に請われて外務大臣に就任。幕末から続く欧米との不平等条約を撤廃させ、日清戦争を乗り切った功績は非常に大きいものでした。 

津本●海外の列強に一歩もひかない陸奥の交渉のおかげで外国と対等に話ができるようになり、日本は国際的な地位を確立していく訳です。日本の本当の意味での開国、明治維新は陸奥の手腕に大きく由来しているんですね。

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  海との深い繋がりが紀州人を作る

仁坂●開国と言えばペリーの来航ですが、それより62年も前にアメリカ商船が和歌山の串本に来航し、通商を申し込んでいます。黒潮が目の前を流れる和歌山県は、古くから海上交通の要衝であったんですね。海に向かって開かれた県として、様々な時代で海と深い関係を持っていますが、なかでも、熊野水軍の活躍は、日本の歴史に大きな役割を果たしてきました。

津本●熊野水軍は紀伊半島南部を拠点として活動し、瀬戸内海まで制していたと言われています。その水軍を統括していた熊野別当とは、熊野三山を統べる役職でもあったんですね。田辺生まれの武蔵坊弁慶の父である湛増(たんぞう)も熊野別当でした。

仁坂●そうですね。湛増が現在の闘鶏神社の社殿前で紅白の鶏を闘わせた話は、平家物語に出てくる鶏合(とりあわせ)壇ノ浦合戦として有名ですね。

津本●壇ノ浦の戦いは海上での戦争ですから、湛増率いる水軍の活躍により源氏を勝利に導いた訳です。そして戦国時代になると雑賀衆や根来衆が活躍します。彼らは数千丁の鉄砲を所有する恐るべき軍隊だったんですね。

仁坂●どうしてそれほどの鉄砲があったのでしょうか?

津本●その理由も実は黒潮なんです。黒潮には上り潮と下り潮があり、枯木灘から下り潮に乗ると数日で種子島まで到着したようです。当時の種子島というのは中国との貿易の最大の窓口でした。

仁坂●種子島と言えば、日本にはじめて鉄砲が伝えられた所ですね。

津本●1543(天文12)年、鉄砲2丁が伝来した際、根来の津田監物(つだけんもつ)は直ちに現地に赴き鉄砲を一丁購入し、根来の鍛冶職人、芝辻清右衛門(しばつじせいえもん)に模作させました。しかし当時の鉄砲というのは扱いにくく、弾が10メートルも飛ばないこともあったそうです。

仁坂●武田信玄が鉄砲を重要視しなかったのも、うなずけますね。



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  進取の気質と優れた技術力と応用力


津本●ところが芝辻をはじめとする紀州鍛冶が作る鉄砲は、100メートル先の野球のボールに命中する程、非常に精巧に作り上げたものだったといいます。それでも、硝薬を入れて弾を打つまでにおよそ24秒かかり、馬は100メートルを10秒程度で走ってくるから2発目を打つ前に飛び込まれるんですよ。だから根来衆や雑賀衆というのは2段打、3段打をやってたんですね。織田信長が武田軍を撃破した長篠の合戦が1575(天正3)年のことですから、信長たちが鉄砲を使い始めるよりも、30年以上前から使い慣らしていたんです。そして1585(天正13)年に豊臣秀吉に滅ぼされるまで、根来は鍛冶と僧兵による鉄砲の一大生産地でした。

仁坂●それはすごいですね。もしその時、紀州に有力な武将がいたら、あっと言う間に日本を席巻できたかも知れませんね(笑)。このように、紀州人は進取の気質に富み、モノに工夫を凝らし進化させることが得意なんですね。さらに黒潮は海のハイウエイであり、和歌山は国土軸の真上にあったからフットワークも軽かった。

津本●そうですね。その上、造船技術や操船技術にも優れていました。菱垣廻船と樽廻船は江戸に新酒を運ぶ競争をし、2日たらずで着いたという記録も残っています。その船を造ったのも操ったのも紀州人でした。

仁坂● でも紀州人と言うのは本当に気前がいい。持ち前の軽いフットワークで全国の漁場に出かけます。その際にせっかく開発した新しい漁法や知識を現地の漁師に惜しげもなく教えるんですね。鰹節の製法も紀州で発明され四国、九州に伝わったものです。








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津本陽と仁坂吉伸

  面倒見がよく大らかな海洋民族

津本●本当に大らかですよね。実は雑賀崎の漁師さんたちは1000年程前に沖縄から来たんじゃないかと思っているんです。と言うのも雑賀崎の言葉に沖縄の方言と思われるものが残っていたりするんですね。また、長崎県五島列島では、現地に伝わる鯨の漁法も、雑賀崎の漁師に教わったと言われています。

仁坂●なるほど。さすが海洋民族。行動範囲が広いですね。



濱口 梧陵

濱口 梧陵(はまぐち ごりょう)
(1820〜1885年)

濱口家はヤマサ醤油の創業者一族。「稲むらの火の館」では梧陵の偉業と防災の知識を学べる。
所在地/有田郡広川町広671
電話/0737-64-1760



睦奥 宗光

陸奥 宗光 (むつ むねみつ)
(1844〜1897年)

紀州藩士の六男として生まれるが脱藩し坂本龍馬らと海援隊で活躍。伊藤博文内閣の時、外務大臣となり日清戦争の講和条約をまとめあげた。



南方 熊楠

南方 熊楠(みなかた くまぐす)
(1867〜1941年)

和歌山市生まれの博物学者。大学予備門(現在の東京大学)中退後、渡米。さらにイギリスに渡り大英博物館の嘱託となる。その才能は多岐にわたる。


津本●そうですね。黒潮に乗って全国を巡っています。紀州人にとっては日本全部を自分の国みたいに思っていたのかも知れませんね。

仁坂●さらに紀州人はフロンティアスピリッツも旺盛です。江戸時代の栖原角兵衛は蝦夷地の開発に貢献した大海運業者で、彼らの一族はその後、樺太と北海道・宗谷間の定期航路を開きました。また、紀州から銚子に醤油造りを伝えた濱口家の七代目梧陵は、「稲むらの火」で有名です。安政の大地震により大津波が発生した時、村人を誘導するため自家の稲むらに火を放ち、多くの命を救い、私財を投じて今でいうと公共事業としか考えられない大堤防まで築造しているんです。

津本●すごい人物ですよね。小泉八雲は彼を「生ける神、A Living God」と呼んでいます。

仁坂●明治政府で初代駅逓頭(後の郵政大臣)に就任し、その後は和歌山県議会の初代議長になります。しかしそれも5年足らずで辞めて渡米しました。政界を牛耳る訳でもなく、和歌山県における民主化の道を開いたらあっさり次は海外へ行くんですね。

津本●なんだかそれも紀州人らしいですね。スケールが大きいと言うか。細かいことに執着せずそして面倒見がいい。勝海舟などにも活動資金を提供していたそうです。

仁坂●熊野を飛び出し、日本までも飛び出した知の巨人、南方熊楠も忘れてはいけません。

津本●熊楠は大英博物館にも勤めたことのある粘菌学者でしたが同時に語学の天才でもあったんです。大英博物館に所蔵されている古代ギリシャ語やラテン語の源資料を読みこなせるのは熊楠だけだった。3日ほど辞書を読んだらその国の言葉を寝言で話したそうです(笑)。

仁坂●熊楠ならあり得そうな話ですね。田辺市の南方熊楠顕彰館で見たのですが、熊楠のヨーロッパ古代史の著作があります。何でもできてしまうのですね。しかし彼は少し個性的で、当時住んでいた田辺市で奇行を繰り返すんですね。ところが住民はそんな彼を温かく見守ります。そういう気持ちに余裕のある町なんです。南方熊楠顕彰館では彼の偉大な足跡が資料として残されています。ただの展示施設でなく資料館を持っているというのが田辺市のすごさだと思います






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  語り継ぐべき自信とこれからの和歌山

仁坂●和歌山県はこれまで、さまざまな分野で素晴らしい人材を輩出してきました。われわれは紀州人であることに誇りを感じ、自信を持てるように、その偉業を語り継がなくてはなりません。そしてかつて和歌山の人が海外との関係で成功したように、積極的に県外、さらには海外と向かい合っていくことが大切だと思います。

津本●その通りです。頑張ってください。

仁坂●貴重なお話をありがとうございました。

濱口梧陵の物語が掲載された小学校の国語の教科書

濱口梧陵の物語は、平成23年度の小学校の国語の教科書にも掲載されている(光村図書/5年)



 

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