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和歌山の人、社会、地域 和 nagomi 躍動する!紀州人のDNA 2008 vol.5

【紀州を旅する】沈没、その95年後に救援機が…トルコと日本、この奇跡の友好

 東洋と西洋の境界の国・トルコ。日本から遙かに遠いこのトルコの人に「好きな国は?」と尋ねると「日本!」という答えが多いという。その友好の原点は、本州最南端・和歌山県串本町の住民の献身的な活動だったことをご存じだろうか。間もなく120年を迎える悲劇と友好の原点の地を訪れてみよう。


テヘランから日本人を救出せよ!


エルトゥールル号

 1985年3月17日、イラクのフセイン大統領は「今から48時間が経過したらイラン上空を飛ぶ航空機は撃ち落とす」と宣言。イラン・イラク戦争の最中のことだ。イランの首都・テヘランを脱出しようと日本人は空港に急いだ。各国は自国民のための救援機を出していた。しかし、日本は出せなかった。空港にいた265人の日本人はパニックに陥った。
 その情報がトルコ首相の耳に入った。緊急会議が開かれパイロットの志願者が募られる。1人のパイロットが手を挙げた。時間が迫るなか航空機がテヘランに到着する。そして日本人向けのアナウンスが空港に流れる。「救援機が到着しました!」。タイムリミットの75分前だった。
 当時なぜトルコ航空機が日本人を救出したのか、その理由を日本政府もマスコミも知らなかった。後になって元駐日トルコ大使が次のように語っている。「エルトゥールル号の事故における日本人の献身的な救助活動、トルコの人たちは決してそのことを忘れていません。今の日本人が知らないだけです…」。

軍艦が沈没。その時串本の住民は・・・


「あそこやな」と現場をさすM野さん。指の先に見える平らな岩礁「船甲羅」付近でエルトゥールル号は沈没した。

 エルトゥールル号の悲劇についてはご存じだろうか?
 1890(明治23)年秋。一隻の船が横浜を出航した。はるばるトルコから明治天皇の表敬訪問に来ていたオスマン帝国の軍艦だ。ところが折悪しく、台風が接近していた。エルトゥールル号は強風にあおられて漂流し、本州最南端の串本沖で船甲羅(ふなごうら)と呼ばれる岩礁に乗り上げた。そしてエンジンが爆発、直後に沈没してしまう。
 紀伊大島の樫野崎灯台の灯台守は大きな爆発音を聞いたという。しばらくして断崖をはい登ってきたという一人の大男が住民によって連れてこられた。服は破け身体は傷だらけだ。難破だ。そう直感した灯台守は地元樫野地区の住民を集める。誰もが外国人を見るのは初めてだったに違いない。その救助隊の1人・岩谷藤藏さんの孫、M野昭和さん(80)は当時のことを父母を通じて何度も聞いたという。
 「そらもう海岸には何百人もの男が打ち上げられていたんやて。この地区の人は一丸となって真っ暗闇の中で1人1人確認したちゅうことや。遺体にまざって何人か息のある人もいた。みんな服を脱ぎ自分の体温で暖めたそうや」。犠牲者587人。そして生存者69人。「でもなぁ、その年は台風続きで漁もできへん。そやけど、この69人には何としても生きて欲しい。それで非常食として蓄えていたコメや正月用の鶏までも彼らに食べさせたっていうことや。もちろん着物も布団も…」。

かつては串本と紀伊大島の間は「仲を取り持つ巡航船」で行き来していたが、9年前に串本大橋が完成した。

今なお続く発掘調査


昭和の初めに建てられたトルコ軍艦遭難慰霊碑。

 沈没から120年になるのを前に、昨年に続き、今年1月トルコから遺品発掘のためのプロジェクトチームが串本にやってきた。彼らはまずエルトゥールル号乗組員の遺族から託された銀のプレートを町と樫野地区代表に贈呈した。今も串本への感謝の気持ちでいっぱいだという言葉を添えて…。
 そして日本人スタッフも協力しての潜水調査が始まった。だが何しろ100年以上前のことだ。もう何もないのではという声もあった。しかし「少しでも遺品が見つかれば…」、祈るような気持ちでダイバーが潜る。引き揚げた遺品は、ライフル銃の台座など1,000点にも及んだ。そのなかで頭蓋骨とみられる遺骨が見つかった時は、深い悲しみが調査チームを包んだ。
 調査の模様は、そのさまざまな想いとともに連日ブログで発信された。それを見るトルコの人々は串本の海に、日本との友好に想いをはせているに違いない。

「飛んでイスタンブール」の庄野真代がトルコに再び想いを…
 去年ひとつの歌が誕生した。タイトルは「誓い」。2年後にエルトゥールル号遭難から120年を記念した日本とトルコの友好ソングだ。歌っているのは庄野真代。もちろん「とんでイスタンブール」の彼女だ。作詞は東京で活躍中の及川眠子(ねこ)。和歌山県の出身で夫はトルコ人。作曲はこちらも和歌山出身の蝦乃木ユウイチ。
 そのつながりに想いをはせるような歌詞が繰り返される。
♪愛は時を越えて駆けてゆく
 波のように何度もよみがえる…
 <誓い>
日本・和歌山・串本・トルコがこの歌でまた新しく繋がった…

樫野埼灯台。明治の初めに建てられた日本最古の回転式灯台。2008年1月、トルコ政府と遺族から串本町と樫野の住民にプレートが渡された。

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