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和歌山の人、社会、地域 和 nagomi 躍動する!紀州人のDNA 2008 vol.5

【対談】NPO法人岡崎研究所 理事長 岡崎久彦と和歌山県知事 にさか吉伸 明治を支えた歴史を語る。−紀州人のDNA− 陸奥宗光の書を前に・岡崎研究所(東京都港区虎ノ門)で

 我が「故郷」和歌山

仁坂知事 私は若い頃、岡崎さんの戦略的思考に関する著書を読み、世界観を身につけたといってもいいと思います。しかも岡崎さんのご祖父・岡崎邦輔(くにすけ)さんは和歌山県出身の偉大な政治家で、立憲政友会の幹部として活躍されました。また、岡崎邦輔さんの従兄弟であり、不平等条約改正に尽力した陸奥宗光をはじめとした紀州・和歌山は、明治維新期の近代国家建設において大きな役割を果たしてきました。今日は、それらの人材を輩出した和歌山県民の気質、さらに日本人は21世紀にどう生きていくべきかについても、うかがいたいと思います。
岡崎理事長 先祖が、三河から初代藩主の徳川頼宣(よりのぶ)侯についてきたんです。私の曽祖父は幕末の紀州藩勘定奉行、陸奥のお父さんも勘定奉行を務めています。祖父の生まれた屋敷の跡が和歌山城近く、今の和歌山東急インで、和歌浦(和歌山市)の家は最近まで残していました。
 明治になってから東京に出ましたから、私は和歌山の学校に縁がないんですよ。ただ30年位前、当時の仮谷志良知事(1975〜1995年在任)が「人間は故郷を持たなくちゃいけない。あなたの故郷は和歌山なんだから」と。それ以来ずっと和歌山県とお付き合いしています。

陸奥宗光の書を前に・岡崎研究所(東京都港区虎ノ門)で

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 廃藩置県を提唱した陸奥宗光

仁坂知事 岡崎さんの著書『陸奥宗光』、『陸奥宗光とその時代』などを読ませていただきますと、教科書にはほとんど掲載されていませんが明治維新期の紀州藩は、日本の近代化に重要な役割を果たしていたことがわかりますね。


岡崎理事長 廃藩置県は陸奥宗光がまっさきに提唱したんですね。廃藩置県をして日本を近代国家にしようと、明治2年に陸奥と伊藤博文が提唱したんですけど、その時には採択されなかった。しかし、陸奥は考えたことを実行する人だから、2年後に実現する廃藩置県を待たずに、和歌山に帰って近代化に取り組む。


 どういうことかというと、戊辰戦争の鳥羽伏見の戦いの後、幕府側の敗兵がみんな紀州に逃げ込むんですよ。御親藩ですから冷たくもできず、手厚くして船で送り返す。それが朝廷側の逆鱗に触れるんです。ここで、陸奥が岩倉具視に面会し、紀州藩を罰してはいけないと説く。「その代わりに紀州藩を改革して、天皇に尽くさせるようにしてみせる」と言って紀州藩の全権を任され、津田出(いずる)を起用して紀州をプロシア式近代国家に改革してしまうんですよ。


仁坂知事 その先見の明と実行力はさすがですね。

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 近代国家のひな型を示した紀州藩改革

岡崎理事長 この紀州藩の改革が、日本の近代国家の先駆けなんです。西郷隆盛も、明治政府も、徴兵制度など陸奥の改革の真似をしたんですよ。


仁坂知事 (藩士に払う)家禄を10分の1にし、そのお金で洋式軍隊を作って、しかも四民平等。「やればできる」ということを天下に示したものですよね。


岡崎理事長 何万という軍隊を西洋式訓練で鍛えてね。西郷が本当に驚いて、腹心の村田新八を視察に派遣した。西郷は謙虚な人ですから、津田出の教えを請い、上京した津田の話を聞いて感動したようです。「あなたを総理大臣にして、日本を変えよう」と、そこまで言った。でも薩長政

府でそんな話が通るわけがない。で、弟の西郷従道を使者にして違約を詫びているんです。
 地租改正も陸奥が発案し、実行しています。紀州の改革をモデルにして、明治維新後の新国家が建設されたという事実が、残念なことに薩長史観で埋没してしまい、忘れ去られてしまったんですよ。


仁坂知事 和歌山県立博物館に行くと、プロシアの軍人カール・カッペン率いる洋式訓練のことが展示されていますが、本当に残念ながら県内でも知っている人は少ない。こういう史実を、ちゃんと子供たちに教えなければならない。せめて和歌山だけでも郷土教育をきちんとしようじゃないかと、思っています。

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 政争に敗れても獄中で猛勉強

仁坂知事 陸奥宗光、津田出が活躍したころの紀州は、徴兵制と洋式軍隊ですごく強い。それで、士族中心の社会など保守的なことばっかり言っていた薩長政府が、「紀州藩の改革を全部取り入れるから、あなたがたも協力してくれ」と。そこでお人好しっていうか、論理に弱いというか、紀州藩の洋式軍隊を解散してしまう。そういったところが今も続く紀州人の長所でもあり、弱点かもしれませんね。その後、陸奥や津田以外の北畠道龍、岡本柳之助などの紀州藩出身者が、新政府に“上の下”くらいの幹部で入りますよね。


岡崎理事長 せいぜい数年間ですね。薩長出身者並みに扱われるのは。


仁坂知事 その後は、誰も政府に残らない。薩長勢力にやられちゃう。津田出は、世が世なれば、総理大臣だったのに。


岡崎理事長 私、『資治性理談(しじせいりだん)』という陸奥の書物の序を昔から持っているんですよ。親父が「これは陸奥さんの書生が写したもんだよ」って。写本ですね。明治11年8月と書かれていますが、陸奥が収監される直前に仕上がったんですね。歴史書では獄中の本ということになっていますが、監獄に入る前に出来上がっています。


仁坂知事 監獄に入ってからの生活がまた、すごいですね。監獄に入るとがっくりきちゃうと思うんですけど、ものすごい勉強をする。そのうち楽しくてしょうがない、暇ができてちょうどいいわって。この神経たるや…。


岡崎理事長 約5年間の入獄中、イギリスの思想家・ベンサムの著書を翻訳するなど、勉強三昧の日々を送りました。当時の人たちは、勉強を一種の修行と思っていますね。


陸奥宗光の著書『資治性理談』の序(写本)を手に語る岡崎氏と仁坂

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むつむねみつ(1844−1897)

むつむねみつ
陸奥宗光
(1844−1897)
明治時代の政治家。第2次伊藤博文内閣の外相として、不平等条約の改正に成功した。

紀州藩改革の舞台となった和歌山城(和歌山市)

1852年 紀州藩の勘定奉行だった父宗広が藩内抗争により失脚、貧窮生活に陥る
1858年  脱藩し江戸に出て漢学を学び、維新の志士らと交流
1863年  父宗広と親交のあった坂本竜馬の推薦で、勝海舟の海軍操練所に入る
1867年 坂本の海援隊に参加
1868年 新政府の外国事務局御用掛に就任
1869年 伊藤博文と廃藩置県の意見書を発表後、和歌山の藩政改革に参画
1872年 地租改正を建議、租税頭として実施に当たる
1878年 土佐立志社系の陰謀に加担したとされ、5年間投獄される
1884年 伊藤博文の勧めで欧州留学
1888年 駐米公使として、メキシコとの修好通商条約に調印(初の対等条約)
1889年 第1次山県内閣の農商務大臣
1890年 第1回衆院選挙で和歌山1区から当選
1892年 第2次伊藤内閣の外務大臣
1894年 日英通商航海条約を締結し、治外法権の撤廃に成功
1895年 日清戦争後、伊藤首相とともに全権として下関条約に調印

 紀州人は群れない

仁坂知事 薩摩、長州は、郷党ということで、みんなで組みますよね。紀州は先進的な人が新政府に入るけれど、郷里の人を同郷だからといって推したりしない。決して群れなかったですね。


岡崎理事長 群れないですね。それが紀州人のいいところだと思いますよ。つまり、御三家で、しかも八代将軍吉宗侯の後の将軍はほとんど紀州系ですから、江戸の徳川家と同格の気なんですよ。一地方のことを考えずに天下国家を考え、郷党意識がないんです。ただ、小さな郷党意識はありますよ。私は御坊だとか新宮だとかね。


仁坂知事 懐かしさの郷党意識ですね。外に出ても、和歌山のことを声を大にしてそう言わないが心の中で大切に思ってくれている人は多いと思います。また、和歌山県出身

で活躍している人は、個人の実力で頭角を現していきますね。陸奥も、投獄されて、また復活した。才能があって、考えることはいつも他人より先のこと。


岡崎理事長 本当にすごいですよ。構想力がある。それから、哲学者でもある。明治一の哲学者かもしれませんね。


仁坂知事 ただ、残念ながら早く亡くなってしまった。


岡崎理事長 肺病でね。あと10年生きていたら…。もう2、3年で自由党総裁ですよ。陸奥が死んだときに西園寺公望がよそ目もはばからず、がっかりした。「どうして、いいやつは弱いんだろう、薩長のやつなんかたたいても死なないのに…」と。

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 世論をリードした岡崎邦輔

仁坂知事 岡崎邦輔さんも陸奥という天才の感化を受け上京し、アメリカに留学された。その後も自己の名聞を求めず、人を立てながら働いて、政党政治の発展に大きな貢献をされましたね。陸奥は原敬や星亨などの政党政治家も育てました。


岡崎理事長 日清戦争の後、(三国干渉に対して)臥薪嘗胆(がしんしょうたん)って言って、日本全体がこの屈辱を忘れずに、干渉を主導したロシアに対抗できるように国力の充実をめざしたでしょう。ある方が私に「臥薪嘗胆って岡崎邦輔さんが言ったんだよ」って教えてくれたんです。元々


司馬遷(しばせん)の言葉ですが、祖父の自伝をよく読むと、確かにそういうことでしたね。


仁坂知事 世論を盛り上げ、リードされたということですね。


岡崎理事長 それからまた(日露戦争の講和条約を結んだ)ポーツマスから全権の小村寿太郎が帰ってきて、賠償金を得られなかったことに国民全部が憤激するでしょ。あそこでね政友会が反対したら大変なんですよ。西園寺と祖父の2人で頑張り、反対だった政友会の大勢を変えた。それが、安岡正篤の本に書いてあります。

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対談中

 若者を育てる紀州の伝統

仁坂知事 陸奥は若い政治家を育てましたが、和歌山では、藩侯がものすごい奨学金を出して、若い人たちを中央に送りこんでいました。それから特に林業を中心とした篤志家が和歌山にはたくさんいて、これが大変な奨学金の制度をつくっている。若い人たちを育てる伝統があります。


岡崎理事長 そうですね、濱口梧陵(はまぐちごりょう)なんかもね。あの人はお醤油か。


仁坂知事 濱口梧陵は私財を投じて欧米に対抗し得る人材を育てようと耐久舎(耐久中学・高校の前身)を設立する。さらに、安政の大地震後には、広村堤防を築造することで、地元の人たちの仕事をつくるなど、社会活動に取り組みました。また、後任の前島密がつくったとされていますが、大久保利通に推されて初代駅逓頭(えきていのかみ)、わかりやすく言えば郵政大臣に就き、郵便制度の前身を築いたんです。


岡崎理事長 濱口梧陵は町人出身ながら紀州藩の勘定奉行になって、藩政改革にも大変貢献していますね。

仁坂知事 すごい人だと思いますね。最近発見したんですけど、慶応大学の福沢諭吉の周りに、紀州出身の人が多い。藩侯が、身分を問わず若い人をどーんと慶応に送ったらしいんです。受験とか立身出世がすべてではないと思いますけど、そういう官民をあげての教育熱心さは和歌山県の伝統として残っていますね。


岡崎理事長 紀州は江戸時代から国学の中心ですからね。


仁坂知事 和歌山では、篤志家が非常に立派な活動をしてきた。今も奉仕活動に住民が熱心なんですよ。たとえば犯罪が和歌山で多かったときに、それを他県以下にしたのは、住民が見回りを増やした取組の成果です。消防団の活動なども大変熱心で、社会奉仕をみんなでやろうという気持ちがある。こういう建設的な精神を生かしていけば、和歌山はまだまだ伸びると思います。

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 古いやつと思われても…

仁坂知事 和歌山という地域だけではなく、日本がどうやって生きていくかということが、今後問われてくると思うんですが、外交をやってこられた経験から、21世紀の日本はどうしていくべきだとお考えですか。


岡崎理事長 古いやつとお思いでしょうが(笑)、私は、日本の古いものを捨てなければ大丈夫だと思います、日本の民度は今でも世界一ですよ。東京で女性が夜平気で外を歩いてるでしょ。こんな町、世界に他にはないですよ。要するに、人間がお互いに信じ合っている、紳士なんですよ。

 日本は庶民の水準がものすごく高い。昔から、アメリカの将軍、ドイツ人将校と日本人の下士官を使うと世界最高の軍隊ができるといわれたそうです。戦後日本が大した指導者がいないのに、復興できたのは庶民が働いたおかげですよ。庶民一人ひとりが、会社員一人ひとりがきちんとやったからです。


仁坂知事 本当にそうですね。


岡崎理事長 ですから、伝統的な日本の教育を失わなければいいんですよ。



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 「紀州の心」で日本に貢献を

仁坂知事 先ほどの歴史教育と並んで、和歌山はやはり、心を元気にしないといかんと思うんですね。美しい心の和歌山をもう一度と。


岡崎理事長 「美しい心の紀州」。それはいいですね。


仁坂知事 それが元気のもとだと思うんですよ。心だけを美しくしても経済的には意味がないと考える人がいるかもしれません。しかし、経済活動にしても何にしても、信頼感があって、皆が良心的にやっていくからこそ、互いに前向きな仕事ができるんだと思います。


岡崎理事長 日本人が世界中で唯一という特徴があるんです。それはおつりを数えないでポケットにいれることです。お互いを信頼している。これが美しいんですよ。

仁坂知事 私が大使をしたブルネイで、本当に好きな国を心の中で選んでもらうと、ダントツ日本ですよ。またブルネイだけでなく、他のアジアの国々でも、敬意をもって日本人を見てくれている、と感じましたね。そのことは大切にしていかなければならないと思います。また経済的にもしっかりしていないと、国際社会での発言力も低下しますしね。努力して、それらに応えていくことができる紀州の心をもった人材を育てていきたいと思います。


岡崎理事長 紀州に人材あり。天下国家のことを考えるスケールの大きな人材を期待したいですね。


仁坂知事 最も大事な地域資源は人材です。教育に力を入れて、世界や日本に貢献できる若者を育てていきたい。県民が誇りを持ち、和歌山県が元気に動き出すように頑張っていこうと思います。今日はどうもありがとうございました。

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和歌山市内の公園に建つ岡崎邦輔氏の像

おかざきくにすけ
岡崎邦輔
(1854−1936)
明治・大正時代の政党政治家。和歌山藩士の家に生まれ、従兄弟の陸奥宗光の感化を受け、1873年上京。駐米公使となった陸奥に従って渡米・留学。1891年、衆議院議員に当選(以後当選10回)、自由党に入党した。立憲政友会結成、憲政擁護運動などで活躍。政界の策士として知られ、星亨、原敬らを支えた。加藤高明内閣の農林大臣を務め、後に貴族院議員に勅選された。


つだいずる
津田出
(1832−1905)
幕末から明治期に活躍した官僚、陸軍軍人。和歌山で生まれ、江戸で蘭学を学んだ。帰藩して要職に就いたが政争に敗れて蟄居。王政復古で赦免され、和歌山藩の執政・大参事として、徴兵制度など明治維新の原型ともいわれる藩政の大改革を行った。明治政府が津田の実力を高く評価し、廃藩置県後、陸軍少将、元老院議官、貴族院議員(勅選)を歴任。大農論を唱え、政界引退後は千葉県で開墾事業を行った。


はまぐちごりょう
濱口梧陵
(1820−1885)
幕末・明治時代の公共事業家、実業家。安政の大地震で故郷の広村を津波が襲った際、住民の救済に尽力した「稲むらの火」で知られる。


岡崎久彦

岡崎久彦
1930年 満州(中国東北部)大連出身。祖父は日本の政党政治の発展の尽力した政治家、岡崎邦輔氏
東京大学法学部在学中に外交官試験に合格し、外務省入省
外務省の初代情報調査局長を務め、駐サウジアラビア大使、駐タイ大使などを歴任
2002年、外交・安全保障問題、国際協力事業に取り組むNPO法人岡崎研究所を設立。国際情勢に関する的確な判断に定評があり、保守派の論客として活発な提言を続けている。
『隣の国で考えたこと』(日本エッセイストクラブ賞)、『国家と情報』(サントリー学芸賞)、『戦略的思考とは何か』など著書多数
第11回正論大賞受賞


にさか吉伸

仁坂吉伸
1950年 和歌山市生まれ
東京大学経済学部を卒業後、
通商産業省(現経済産業省)に入省
ブルネイ国大使を経て
2006年12月 和歌山県知事に就任



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