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和歌山の人、もの、地域 和 nagomi 紀州、心の軌跡 2017 vol.34

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知事対談/ 歴史の中に見える和歌山の本当のチカラ/赤坂氷川神社

赤坂氷川神社の御社殿は、総欅造り銅葺朱塗で丹青荘重の一間社流造り。至るところに江戸の年号が刻まれた鳥居・燈籠・狛犬が現存し、東京都重要文化財に指定されている。


仁坂知事(以下仁坂)●私は昔から“逆説の日本史”の大ファンで、特に独特の方法で歴史の中の真実を見つけていく手法が素晴らしいと思っています。

井沢元彦(以下井沢)●そもそも私は法学部出身で、歴史の専門教育を受けたわけではなく、また卒業後は8年ほど記者をしていました。にもかかわらずなぜ歴史を書いているかというと、ジャーナリストとして現在の真実を追求していく方法と、歴史家として過去の真実を追求していく方法は似通っているからなんです。また宗教感というか信仰というか、日本人は独特の考え方を持ち、ひとつの歴史を作っていく訳ですから、日本人の宗教をわかっていないと日本の歴史なんて分かりようがありません。しかし今の日本人に宗教はあるのかという人が多いですが、神道は日本人の“考え方”に非常に大きな影響を与えています。また日本人が最も嫌う死の“穢れ”や口に出すことで縁起の悪いことさえ実現してしまうと信じる“言霊”、そして“怨霊信仰”なども、日本人の考え方や歴史の中に存在しているように思います。

古代黎明編 - 封印された「倭」の謎
小学館発行の『週刊ポスト』誌平成4年(1992年)1月1日号から連載開始され、1993年10月に1冊目の“古代黎明編 - 封印された「倭」の謎”が発行される。23冊目の“明治揺籃編 琉球処分と廃仏毀釈の謎”が2017年10月に発刊されたばかり。シリーズ累計500万部を超す大ベストセラー。
※逆説の日本史/井沢元彦/小学館刊

仁坂さらに史料至上主義はナンセンスだということもよくいわれています。というのも史料自身誰かが作り、自分に都合のいいように書いているかもしれないからですね。

井沢●日本の歴史学っていうのは過度な実証主義というか、論理的予測を受け付けないですね。物的証拠、すなわち文献がないと駄目だというんですね。裁判なら無実の人を罪に陥れてはいけないから実証主義を徹底すべきですが、昔のことだから史料がないものもある。だからそこは論理的に予測して埋めていかなければならないと思います。その為にも日本人の“考え方”すなわち“宗教”といってもいいかもしれないですが、それらをよく理解しておくことが重要です。湯川秀樹氏が日本人で初めてノーベル物理学賞を取りましたが、あれは中間子、今でいうクオークの存在を理論的に予言し、それが後に存在が証明されたからなんです。実験を非常に重んじる物理学の分野でも推論というのが認められているんですが、日本の歴史学者は認めないんです。

仁坂●どうしてなんでしょうか?

井沢●言霊も関係あると思いますね。例えば徳川御三家ですが、これは明らかに徳川宗家が絶えた場合に代わりとなるように作られたに違いありません。しかしそれは文章に残されていません。つまり言霊の世界では書くこと自体が不忠義になるわけですよ。それを望んでいると思われる。しかし実際に紀州藩主であった吉宗は8代将軍になりました。

井沢●吉宗といえば昨年は将軍就任300年でした。本日の対談はその吉宗が建立した社殿が残る赤坂氷川神社で行なっています。













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和歌山の南北で異なる紀州の文化と歴史

仁坂井沢さんにとって印象に残っている和歌山とはなんでしょうか?

井沢●やっぱり高野山ですね。高野山というと関東では奈良にあると思っている人が多いですが(笑)。あそこは隔絶した霊地といいますか、特別な世界です。

世界中を探しても高野山のようなところはありません。全山寺院でできていて他宗の開祖の墓や戦国時代の敵味方で戦った大名の墓があるなど、誰もが安らかに眠ることができる寛容の精神に溢れた場所です。

井沢●寛容というのも日本を語るための重要なキーワードです。もうひとつは熊野三山です。熊野の成り立ちは随分と古く、平安時代は“熊野詣”が大流行します。

自然崇拝が元ですから起源は相当古いですね。また熊野は隈(くま=すみ)であり、黄泉の国といわれています。

井沢●熊野三山の神々は神仏習合で熊野権現となります。如来様や観音様がいるということは、熊野は“黄泉の国”であると同時に“極楽”でもあるということです。

仁坂地獄から戻り本宮のつぼ湯に浸かり全快する小栗判官の話。これなんか全く蘇り(黄泉帰り)の逸話です。また後白河法皇は34回も熊野御幸を行っています。当時の天皇は戦いを指揮し、さらには飢饉や疫病などでも多くの死と直面しました。それら死の穢れや怨霊をリセットする為に熊野に詣で、生まれ変わりを望んだのでしょう。

井沢●ところで和歌山の中でも沿岸部と内陸部では気風が違うんですか?

作家 井沢 元彦氏”
井沢 元彦(いざわ もとひこ)
1954年名古屋市生まれ。1977年早稲田大学法学部卒業。TBS入社後、報道局放送記者時代の1980年に第26回江戸川乱歩賞受賞。現在週刊ポストに連載中「逆説の日本史」は1100回を突破。

仁坂●沿岸部と内陸部というより、紀北と紀南の違いでしょうか。紀北というのは紀の川を中心とする文化圏で、大和朝廷に近く昔から文化的に栄えていた地域です。紀の川は南海道や大和街道の一部であり、和歌山の港は奈良の都にとって外界と接する海路の窓口でした。また平安時代、和歌山は“和歌の聖地”としても有名になり、聖武天皇をはじめ多くの歌人が奈良から訪れています。

井沢●36歌仙のひとりである紀貫之とか彼も紀氏ですよね。

仁坂●紀氏は2000年以上続いているという古い氏で、現在でも和歌山市にある日前神宮(ひのくまじんぐう)・國懸神宮(くにかかすじんぐう)の宮司は“紀”さんです。これほどの古い家系は天皇家を除くとほとんどありません。また紀南は先ほどもいったように熊野三山があり、海路で結ばれた暖かく豊かな地域です。

井沢●そういえば房総半島にも白浜や勝浦といった和歌山と同じ地名の地があり、船で賑わう町ですね。日本はアジアの中ではインフラが進んでいたように思われていますが、馬車を使う国でなかったので舗装道路はほとんどありませんでした。熊野古道はある程度整備され、石畳がひかれているところもありましたが、江戸時代は五街道でさえ舗装されていませんでした。そのために船での移動が有効でした。国内には多くの川があり、その川は海へと流れ込み、海流に乗り素早く移動できたことは、この時代の移動手段としてはとても大切なことでした。

仁坂●紀州というか紀伊半島に徳川御三家のひとつが置かれたのも海路に関係あるように思います。尾張は中山道と東海道の交差点で陸路における交通の要衝。紀伊半島は江戸と大阪を結ぶ海路における交通の要衝でした。この二つの拠点から大阪と西国を睨んでいたんでしょうね。

井沢●尾張紀州といえばちょっと縁があります。私は尾張名古屋の生まれですが、名古屋城内に本丸御殿がないのが寂しく思っていました。しかし23年前から始まった“春姫道中”という市民の活動から企業の寄付などが集まり、ようやく復元工事が完了しました。私としては何世代かかってもいいから木造で名古屋城が再建されればいいなあと思っています。“春姫道中”とは名古屋城初代藩主徳川義直(よしなお)に紀州和歌山より、13歳で嫁いだ“春姫さま”のお輿入れ行列を再現した時代行列で、私もその行列に参加したことがあります。

仁坂●名古屋を見ていると、徳川家の存在が随分残っていていいなあって思っていたんですが、最近和歌山にも“南葵音楽文庫”という徳川家の宝が戻りました。これは16代当主頼貞(よりさだ)が収集し、公開していた世界的にも貴重な西洋音楽を中心とした楽譜や教材で、日本の音楽教育の発展に尽力しました。これらの実績から頼貞は“音楽の殿様”と呼ばれています。


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日本近代化の影に紀州藩あり

仁坂●ところで逆説の日本史は今、明治維新を題材にしていますが、明治維新の原型は和歌山にあったんですよ。

井沢●どういう意味ですか?

仁坂●実は明治2年から4年、紀州藩の洋式軍隊は2万人を誇り、圧倒的な軍事力を持っていました。藩主茂承(もちつぐ)から藩政改革を委任された陸奥宗光(むつむねみつ)と津田出(つだいずる)による洋式軍隊制度、四民平等の徴兵制度など、後の近代国家を形づくる諸改革を進め、それがあまりにも成功して脅威と感じた明治政府の採用するところとなったのです。近代国家のイマジネーションがなかったとしか思われない薩長の指導者がどうして維新後にあんな改革ができるようになったかは謎ですからね。でも人の良い紀州人はその制度を政府が採用するからというので新政府に入るのですが、群れませんから周りを薩長に取り囲まれて次々と辞めていくのです。そして歴史が書かれたと私は思います。

井沢●紀州の人は群れようとしないから地元から若手を呼ばなかったんですね。和歌山は飛鳥時代あたりから歴史の宝庫だと思っています。その割には文学作品などで扱われる割合が少ない。たとえば空海、たとえば徳川御三家が入る前の浅野家など、面白い題材はいくらもある。そうしたところを何か活かせないかと日ごろから考えています。最近はあまり小説を書いていないのですが、今後歴史小説の舞台として和歌山を選ぶかもしれません。

仁坂●本日はありがとうございました。

和歌山県知事 仁坂 吉伸
仁坂 吉伸(にさかよしのぶ)
和歌山県知事
赤坂氷川神社
創建から1000年以上の歴史を有する赤坂氷川神社。幕府の尊信は篤く、8代将軍 徳川吉宗公が現社殿を建立。たくさんの樹々が生い茂る境内は、安政の大地震・関東大震災・東京大空襲の被災を奇跡的に免れ、江戸の情景がそのまま残る都内では珍しい神社。

 

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