奥の院、弘法大師御廟への入口、一の橋。参詣人をここまで大師が送り迎えをするという伝承があり、お参りする人はここで礼拝して渡ります。
御廟に至る石畳の参道、両側には大小様々な墓石が並び、何百年もへた杉が林立。20万基を越える各時代のあらゆる人々の供養塔が並んでいます。高野山は日本第一の死者供養の霊場であり、宗派を越えた日本の総菩提所です。
年代もさまざまな苔に覆われた自然石、五輪塔などが途切れることなく立ち並ぶ姿は、霊場高野山ならではの雰囲気を醸し出してます。
墓石群は、一の橋から御廟まで約2キロに途切れることなく続いています。
墓石が建てられるようになったのは平安後期頃から、それまでの木製の卒塔婆を石に変えていったようです。江戸時代になると永遠の安楽地を求めて大名たちが競って建てました。
墓石の多くは五輪塔の形式、下から石組みに「地、水、火、風、空」の五つの名があり、その形も時代が古いものほど落ち着いた安定した美しさがあります。
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