知事からのメッセージ 平成29年9月

知事からのメッセージを紹介します。

平成29年9月のメッセージ

平成29年9月

定説

 和歌山には、いっぱいいい所があるのに、あまり世の中に知られていない。県ももっと発信しなきゃあ。という事がよく言われます。県外の人にも言われますが、県内の人にもよく言われます。私もそのとおりだと思いますが、これがとんでもなくむつかしいのです。

 何故むつかしいのかと言うと、現状では、大規模な発信をしようとすると、それにふさわしいメディアの力を借りなければなりません。段々とネット情報のウエイトが高まってきていますので、昔ほど唯一無二というわけではありませんが、大規模な情報発信メディアというと、新聞かテレビということになります。
 和歌山県も、新聞とかテレビへの情報提供には大いに努力しており、紙媒体でどんどん情報提供をするし、週一回トップが記者会見をしている所はそう多くないと思いますし、要望が少しでもあれば、いわゆる「ぶら下がり」もいやがらないで全部受けています。職員にもどんどん情報提供し、大いにプレスの人達にしゃべれと言っています。
 提供する情報の中味もかなりのものだと、国や他の機関のやり方を覗いてきた私としては、そう評価しています。提供情報の体裁も、この10年で大いに変わりました。気を使って、わかりやすく、記事を書くのに便利なようにしているつもりです。しかし、中々結果はそううまくいかず、世の中に大いにアピールしたい情報は伝えられず、毎日苦労しています。たまに不祥事など県内で起こりますと、恥ずかしいなあと思っていることでも、こちらの方はあっという間に記事、報道になって全国に駆け巡ります。

 そうして悔しい思いをしながら色々報道ぶりを観察しておりますと、少し原因というか、実態が見えてきました。報道する方に、どうも「定説」があるようなのです。これに合致すると、すぐに大きな記事になりますが、そうでなければ中々そうはなりません。
 報道する業界の人も、そういう「定説」に従っておけば、さぼっていると人には思われませんし、「それはどうしてそうなるのだ」と余計な詮索をされなくてすみます。だからどうしても「定説」に従って取材して報道しておけばよいのです。

 ではどういう定説があるのかどうかと言うと、まず発信人のパーソナリティが「変わっている」ことです。タレントをしていた人が珍しく政治家に選ばれて、中々格好よくやっていると、それは「変わっている」ことだから大々的に報じられます。同じことをしていても、経験豊富な人がそれをしても「変わっている」わけではなく、当たり前なのでニュースにならないのです。したがって変わった人をトップに据えて仕事をやらすと大いに得なのですが、今度は、その変わった人が、経験豊富な当たり前の人と同じくらい能力があればよいのですが、なければ段々と大変な事になります。

 次に内容的にも、報道する方は「定説」に従って予め中味を決めてあるようです。県庁では毎年3月に我らが名品紀州雛を玄関に飾りますが、よくまあ毎年書いてくれるなあと思うくらい、ちゃんと報道してくれます。しかし、華道各流派の方々がボランティアで正面にすばらしい生け花を生けて下さっているのを、美談として報道するメディアはありません。私なんか、こっちの方が「きれい!すばらしい!」と感動しますが。
毎年初夏になると古座川のハッチョウトンボの羽化ぶりが報じられます。しかし、ハッチョウトンボでも他の産地のものやハッチョウトンボ以外のトンボや、季節の到来を示す様々な蝶が発生したと報じられることはありません。秋津洲とも呼ばれる日本では色とりどりのトンボが山野に見られるのに。
 人々の営みも、和歌山と言えば、田舎で、その田舎では、素朴な人達が郷土の生活を守っていてというのが「定説」になっているようです。したがって地域の人々が集まって地元で採れる食材を持ち寄って郷土料理を作る講習をし、それを皆が食べて楽しんでいる。というような絵をふんわかと描くのがものすごくたくさん出てきます。
 それはそれで、大いに全国に紹介してほしいし、私も大好きな活動なのですが、「この田舎~ほんわかモード」以外は、よっぽどの事がない限り全国に報じられることはありません。最近前よりもずっと和歌山の事が報じられるようになったねと東京の人によく言われますが、そのように最近少しは報じてもらえるようになったのは、それこそ、よっぽどのことをし、よっぽどのプレス対応に努めているからなのです。

 これが、東京だったら、あるいは横浜や大阪や神戸だったら、もっとメディアが発信してくれて努力した県の職員も報われるのにと思うようなことがいっぱいあります。防災だけに限っても、リスク分析付きの避難場所表示、携帯、スマホやデジタルFMを使った災害情報発信、災害時に被災地に派遣する要員を予め任命しておく災害機動支援隊や瓦礫処理システム、芝居でない実践型防災訓練、災害復興計画の事前策定の試みなど他所に持って行ったら一つ一つがニュースになるような対策をこしらえてありますが、そんなに全国的に取り上げられることはありません。和歌山には、世界で本当にここだけしかないようなハイテク化、システム化された防災対策があるのですが、そんなことは、田舎でほんわかの和歌山県の「定説」に合わないと中々取り上げてもらえません。和歌山県は、世界で唯一地震の実測データを使って全県で津波浸水予測ができる所でありますが、こういうものも国の研究機関や著名な学者が作るとニュースになって世界中に知れるでしょうが、地味で素朴な田舎の和歌山県の「定説」には合わないので、中々全国的には報じてはくれません。和歌山県の各市町村が今採用している風雨災害時の避難基準は、和歌山県が心血を注いで作り上げ、現に市町村に使ってもらっていて、国の中央防災会議でも絶賛されて、国からの推奨モデルになっているのですが、それも和歌山県の「定説」には合いません。

 このようなことは何も県のアピールにのみ言えることではなく、日本全体の放送界に広く行き渡っている現象ではないかと思います。反戦平和、非武装中立、原発、コンクリートから人、戦争法案、オスプレイ、加計学園・・・ ひとたび「定説」が確立すると、定説に従った記事報道はどんどん出てくるが、それに棹さすような意見は無視され、きっと記事を書きにくい雰囲気ができるのでしょう。

 でも時々ほんまかいなと定説を疑ってみることも必要です。自分で経験した話を一つします。
行政の要諦の一つは情報公開です。この点に大変熱心な市民グループがあり、全国的なネットワークで活動しています。そのメリットを生かして、この団体は全国の各県の情報公開度のランキングを発表しています。私は中々賢い方法だとそれ自体は評価しています。
 私も情報公開は大いにすべきだと考えていて、常に職員と、その合理性などを議論しています。ところが、その私が知事になったとたんに和歌山県の情報公開度が落ちたのです。数々の改良もしましたので、そんなはずはないと思って調べてみたら、次のようなことが分かりました。汚職で罪に問われた前知事も進歩的、開明的なスタンスを取っていましたので、情報公開にはたぶん積極的で、「知事の交際費をすべて公開する」としていたのです。良いことだと思って、私は就任前から県庁ホームページで、色々と人との交際で悪く言われた前知事がどういう交際をしているのかと思って調べてみると、あれれ、あまりにも「交際」がないのです。それでもその団体には和歌山県は公開度が高いと評価されています。おかしいなあと色々考えてみると、あっと分かってしまいました。交際というと、例えば誰かと会合したり、懇親会に呼ばれたりというようなことを普通の人は想像しますが、地方財政では会計処理上、そのようなことへの出費は「交際費」に入らないのです。時には変な言葉ですが「食糧費」という分類をされたりします。だからいくら交際費を公開しても、知事の実際の交際は闇の中、分からないのです。これはその市民団体に迎合した点数稼ぎの格好つけだけだなあと私は思って、そんなまやかしは廃止しました。その代わり、知事のあらゆる交際を含む、すべての日程を全部公開することにしました。会食の場合は、誰々ととか何々会とかの情報はもちろん、公費使用か私費かも全部公開しています。公費支払いがいくらかかったか、すぐには分からないことも多いので、その時すぐに公開される情報には入っていませんが、関心のある人は後で情報公開請求をすればすべて分かります。
 誰が見ても知事の振る舞いに関して以前より情報公開度が上がったと言うことは明らかでしょう。ところが情報公開度が下がったとその団体は評価しました。何故ならばその団体が作った情報公開度の基準が「知事の交際費の公開」だったからです。こういう基準で全国比較をしようとしたこの団体が少し考えが足りなかったというのが真実であると思います。
 ところが問題はこれからです。ここでも「定説」がすべてを支配します。以前からこの団体の活動は中々のものですから、各メディアは、この団体の行った活動は既に正しいものとの「定説」と扱います。その中味が妥当かというかなど吟味せずに取り上げるのです。従って、各紙、各局の報道は「仁坂知事になってから情報公開度が下がった」というものになるのです。これでは、世の中に迎合しようとするポピュリストやデマゴーギーだけをどんどん輩出することになります。私はどんなに言われても、そうなるまいと決めているので、「つべこべ」を言うのですが、それも結構面倒でしんどいものがあります。

 しかしながら、この世の中にも希望はあります。腐らずに真実を主張し続けることです。それが本当に真実ならば、段々と「定説」も変容していくものだと信じています。

 和歌山にもこういうものがあるんだぞと言い続け、あらゆる努力をし、かつ言うからには本当に良いものを作り続けていけば、いつか、そんなものは扱ってもしようがないという「定説」がひっくり返ると信じています。
 東京の友が言っていた「最近は和歌山の事がよくテレビに出るよ」という現象も、このようなめげずに頑張り続ける県庁職員や民間の志のある方々の努力の賜だと思います。

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