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トップテーマ別探訪15コース>覚鑁の故地(根来寺)を訪ねて

 

たずねる てーまべつたんぼうじゅうごこーす かくばんのこち(ねごろじ)をたずねて

高野山の古義に対して新義真言宗の根来寺を創設した覚鑁上人を訪ね て、室町時代末期には、寺院の建物三千、寺を守るための僧兵三万、領地は七十二万石とも言われた、巨大な宗教都市・根来寺を巡ります。
地図 コース図

 
ねごろじ



写真 ねごろじ ぜんけい

しゅうへんたんぼう いわでちょう

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覚鑁(かくばん)上人〔興教(こうぎょう)大師〕が 大治元年(1126)、この地に鎮守の祠(ほこら)と僧房を建てたのがはじまりと言われる。のちに、高野山内衆徒との教義上の対立などから高野山を下り、 根来で新義真言宗総本山の基礎を築く。室町時代末期には領地七十二万石、子院数2700を数え、鉄砲隊を持つ「根来衆」は数万にも及び隆盛を極めた。天正 13年(1585)、羽柴(豊臣)秀吉の根来攻めで伽藍(がらん)や子院のほとんどを焼失。焼失をまぬがれた大塔(国宝)・大師堂(重要文化財)以外の建 物は、江戸時代に復興したもの。桜の名所としても有名。不動堂・光明真言殿・大門・大伝法堂は県指定建造物、根来寺庭園は国指定名勝。

データ
所在地:岩出市根来/所有者:根来寺
問合せ:岩出市教育委員会


地図 ねごろじ

写真 ねごろじだいもん
ねごろじだいもん

建造物 県指定

大門は、天正の兵火を免れたが、羽柴(豊臣)秀長によって大和郡山に運ばれたと いうが、その後の消息は明らかでない。弘化2年(1845)上棟、嘉永5年(1852)に落成したのが現在の大門で、初重・二重とも桁行五間、梁間ニ間の 大規模な二階二重門である。
[指定日:平成5年4月13日]


写真 ねごろじだいとう

ねごろじだいとう

建造物 国指定

12本の柱で内陣(ないじん)を円形に囲み、中央に4本の柱を立ててこの間に本 尊を安置する真言宗の大塔の形式を伝える総高36メートルの大規模な多宝塔である。この塔の解体修理の際に多くの墨書が発見され、それによると明応5年 (1496)に心柱を立て立柱式が行われ、その後工事が続けられ、天文16年(1547)に長い年月をかけて完成している。内陣に柱を円形に配する大塔形 式を伝える唯一の多宝塔として極めて貴重な建物である。
[指定日:明治32年4月5日]


写真 ねごろじだいしどう
ねごろじだいしどう

建造物 国指定

大塔の西南に建つ桁行・梁間(はりま)とも三間の宝形造(ほうぎょうづくり)、 本瓦葺(ほんがわらぶき)の建物である。内部の後方に寄せて来迎柱(らいごうはしら)を立て、仏壇を構え、春日厨子(かすがずし)に弘法大師を安置する。 一辺8.7メートルほどの小規模で簡素な堂である。建築年代を明らかにする資料は確認されていないが、長く延びた舟肘木(ふなひじき)の形式等は室町時代 中期の特色を示している。大塔とともに天正の兵火を免れた数少ない建物である。
[指定日:昭和16年5月8日]


写真 ねごろじだいでんぽうどう
ねごろじだいでんぽうどう

建造物 県指定

大伝法堂は、天正の兵火を免れたが、羽柴(豊臣)秀吉は京都に新たな寺を建立す るために、本尊とともに解体搬出した。しかし、寺の建立は実現せず、積まれたまま朽損したといわれている。その後、本尊は根来寺に戻り、この堂は文政7年 (1824)に上棟された。桁行三間、梁間(はりま)二間、四面裳階(もこし)付き、入母屋造(いりもやづくり)、正面向拝(ごはい)三間、本瓦葺(ほん がわらぶき)の風格のあるもので、巨大な本尊を納めるための大きな室内空間が特徴。
[指定日:平成5年4月13日]


写真 ねごろじていえん
ねごろじていえん

名勝 国指定

この庭園は奥御殿(焼失)の北西方に社尾山の鬱蒼たる樹林を負い、奇岩怪石を縦 横に配置した池泉式蓬莱庭園(ちせんしきほうらいていえん)である。享和元年(1801)に紀州家の吹上御殿御座所(ござしょ)がここに移築されることと なり、同時に計画され御殿の落成に引き続いて築造されたものと考えられている。この庭園の中心となるのは奥書院庭園で、奥書院から眺める観賞本意の庭であ る。奥書院から裏山いっぱいに造られた池と山の斜面をうまく利用した庭園である。
[指定日:昭和33年5月15日]


写真 ねごろじこうみょうしんごんでん
ねごろじこうみょうしんごんでん

建造物 県指定

光明真言殿は覚鑁(かくばん)上人〔興教(こうぎょう)大師〕を祀る廟であり、 本坊の西に並んで建つ。桁行五間、梁間四間の外陣(げじん)背面に、奥行五間、梁間二間の内陣(ないじん)を突出させる。正面に向唐破風(むこうからは ふ)付の向拝(ごはい)を設け、入母屋造(いりもやづくり)、本瓦葺(ほんがわらぶき)、内陣は妻入(つまい)りとする。側廻りに蔀戸(しとみど)や舞良 戸(まいらど)を用いた、閑雅な住宅風の大規模な建物で、文化元年(1804)、本坊とともに落慶供養が行われたと伝えられる。
[指定日:平成5年4月13日]


写真 ねごろじふどうどう
ねごろじふどうどう

建造物 県指定

この建物は県内唯一の八角円堂(はっかくえんどう)で、内陣(ないじん)を円形 に結界するのは他の八角円堂に例がない。内陣中央に仏壇を設け、厨子に本尊の不動明王と二童子像を安置する。細部の意匠などから江戸時代中頃のものと考え られる。根来寺の現存建物のうち、天正兵火後はじめに復興された仏堂である。
[指定日:昭和42年4月14日]


写真 きゅうけんぎかいぎじどう、ねごろじいちじょうかく


きゅうけんかいぎじどう、ねごろじいちじょうかく

建造物 県指定

明治31年(1898)に和歌山市一番丁に建築され、昭和13年まで和歌山県会 議事堂として使用された。その後、2度の移築を受け、現在、根来寺境内に建つ。威風堂々とした大規模な木造二階建ての建物で、明治期には県民のための公会 堂としての役目も果たしていたと言われている。当初の形式をよく残し、県の近代化を象徴する貴重な建物である。
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トップテーマ別探訪15コース>覚鑁の故地(根来寺)を訪ねて

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