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トップテーマ別探訪15コース>八幡社を訪ねて

 
たずねる てーまべつたんぼうじゅうごこーす はちまんしゃをたずねて

桃山時代の様式が残る木本八幡宮、室町時代と江戸時代の特徴を表す 西田中神社、奈良時代に伝わる宝来山神社、平安時代に遷座した鞆淵八幡神社と、様々な時代の八幡社の歴史文化と建築様式を体験できるコースです。


地図 コース図

 
きもとはちまんぐう 建造物 県指定



写真 きもとはちまんぐう

しゅうへんたんぼう わかやまし

木本八幡宮は、旧西庄村の産土神(うぶすながみ)であり、社伝では応神天皇に よって創建されたという。天正13年(1585)羽柴(豊臣)秀吉の紀州攻めで焼失した社殿を、元和4年(1618)に再建したのが現在の本殿で、三間社 流造(さんげんしゃながれづくり)、檜皮葺(ひわだぶき)の建物である。桃山時代の様式を踏襲しており、建立当初の建築部材もよく残されている。

データ
所在地:和歌山市木ノ本/所有者:木本八幡宮
指定日:昭和49年12月9日指定
問合せ:和歌山市教育委員会
地図 きもとはちまんぐう
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にしたなかじんじゃ 建造物 県指定



写真 にしたなかじんじゃ

しゅうへんたんぼう きのかわし

社殿が並列して並ぶ2棟のうち、向かって左の羊宮(ひつじのみや)神社本殿は 一間社隅木入春日造(いっけんしゃすみぎいりかすがづくり)、檜皮葺(ひわだぶき)の建物で、室町時代末期の造営と考えられる。向かって右の八幡神社本殿 は二間社流造(にけんしゃながれづくり)の檜皮葺の建物で、擬宝珠(ぎぼし)銘にある寛永12年(1635)の建築である。両本殿とも各時代の特徴をよく 表した社殿である。

データ
所在地:紀の川市中井阪/所有者:西田中神社
指定日:昭和48年5月16日指定
問合せ:紀の川市教育委員会
地図 にしたなかじんじゃ
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ひがしたなかじんじゃ 建造物 県指定




写真 ひがしたなかじんじゃ

もともとこの付近には地主神が八社あって、田中の八社と呼ばれてきたが、戦後 4社ずつ合祀され、東田中神社、西田中神社となった。東田中神社は、もとは山王権現社(さんのうごんげんしゃ)で、竹房(たけふさ)神社(一の宮)ほか2 社をそれぞれの旧地から移築した。そのうち、旧竹房神社本殿は県指定建造物で、16世紀末期の建築と考えられる。一間社隅木入春日造(いっけんしゃすみぎ いりかすがづくり)の小規模な建物であるが、木鼻(きばな)や蟇股(かえるまた)などの装飾的細部に見るべき点が多い。

しゅうへんたんぼう きのかわし
地図 ひがしたなかじんじゃ 地図 ひがしたなかじんじゃ やくしじのまつ

所在地:紀の川市中井阪/所有者:西田中神社
指定日:昭和48年5月16日指定
問合せ:紀の川市教育委員会
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ほうらいさんじんじゃ



写真 ほうらいさんじんじゃ ぜんけい

しゅうへんたんぼう かつらぎちょう



データ
所在地:伊都郡かつらぎ町萩原/所有者:宝来山神社
問合せ:かつらぎ町教育委員会


地図 ほうらいさんじんじゃ

写真 ほうらいさんじんじゃ ほんでん
ほうらいさんじんじゃほんでん

建造物 国指定

現在の社殿は、織田信長の兵火で焼失した後、慶長19年(1614)再建された もので、4殿とも同規模・同形式の一間社春日造(いっけんしゃかすがづくり)、檜皮葺(ひわだぶき)の建物である。蟇股(かえるまた)や木鼻(きばな)な どの彫刻に時代の特徴がよくあらわれている。上天野にある丹生都比売(にうつひめ)神社とともに、四社殿が並立していることは注目される。
[指定日:昭和18年6月9日]


写真 ほうらいさんじんじゃ まっしゃにしでん

写真 ほうらいさんじんじゃ まっしゃひがしでん

ほうらいさんじんじゃ まっしゃひがしでん・にしでん

建造物 県指定

末社社殿の造営については明らかでないが、現在の社殿は本殿の慶長19年 (1614)に引き続いて、17世紀前期に造営されたものと考えられる。この末社は4棟の本殿の両脇に1棟ずつ建つ。両殿とも同一規模の二間社流造(にけ んしゃながれづくり)、檜皮葺(ひわだぶき)の簡素な社殿で、社殿群として貴重である。
[指定日:昭和46年3月22日]











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ともぶちはちまんじんじゃ



写真 ともぶちはちまんじんじゃ ぜんけい


データ
所在地:紀の川市中鞆渕/所有者:鞆淵八幡神社
問合せ:紀の川市教育委員会


地図 ともぶちはちまんじんじゃ

写真 ともぶちはちまんじんじゃ ほんでん
ともぶちはちまんじんじゃほんでん

建造物 国指定

本殿は、棟札によると寛正3年(1462)に再建されたもので、構造・手法も室 町時代中期の建築の特徴をよく表している。三間社流造(さんげんしゃながれづくり)、檜皮葺(ひわだぶき)の社殿で、正面に一間の向拝(ごはい)を付け る。この本殿は県内には類例のないいわゆる「前室付き」で、蟇股(かえるまた)や手挟(たばさみ)等の彫刻は京都系の細部意匠を持っており、石清水八幡宮 (いわしみずはちまんぐう)の別宮として創建された本神社の京都との関係が伺える。
[指定日:昭和11年4月20日]


写真 ともぶちはちまんじんじゃ だいにちどう

しゅうへんたんぼう きのかわし

ともぶちはちまんじんじゃだいにちどう

建造物 国指定

八幡神社の神宮寺(じんぐうじ)の本堂で、大御堂(おおみどう)ともよばれた。 境内の右寄りの本殿より一段低いところに建つ。神宮寺当時の名残を思わせる堂々とした建物で、正面五間、梁間五間、寄棟造(よせむねづくり)、本瓦葺(ほ んがわらぶき)で、建立年代は詳らかではないが、構造・様式からみて室町時代前期とされる。前面の外陣(げじん)を広くとるため虹梁(こうりょう)を架け 渡し、小天井を設ける外陣架構(かこう)形式〔和歌山式架構〕を採る代表的な建築で、内陣(ないじん)の須弥壇(しゅみだん)上に附(つけたり)指定の厨 子がおかれている。この厨子は三間厨子で、屋根を作らないが、細部にいたるまで丁寧に造られている。
[指定日:昭和6年1月19日]
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ひがしたなかじんじゃ きもとはちまんぐう 26.5キロメートル にしたなかじんじゃ ほうらいさんじんじゃ 14.6キロメートル ともぶちはちまんじんじゃ じんがんじ じごせのくすのき 地図 ほうらいさんじんじゃ きいこくぶんじあと 地図 にしたなかじんじゃ ひがしたなかじんじゃ きもとはちまんぐう にしたなかじんじゃ ほうらいさんじんじゃ ともぶちはちまんじんじゃ きいふどきのおか けんりつきんだいびじゅつかん けんりつはくぶつかん しりつはくぶつかん しょくぶつこうえんりょっかせんたー しりつはくぶつかん まんようかん けんりつきんだいびじゅつかん けんりつはくぶつかん しょくぶつこうえんりょっかせんたー いわでちょうみんぞくしりょうかん うちたちょうれきしみんぞくしりょうかん せいしゅうのさと かつらぎしゅでんしょうかん 地図 コース図