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トップテーマ別探訪15コース>礼所を訪ねて

 
たずねる てーまべつたんぼうじゅうごこーす ふだしょをたずねて

四国八十八ヵ所巡礼とともに代表的な、近畿地方を中心に散在する 33ヵ所の観音霊場を巡る西国三十三所観音巡礼。その二番札所である護国院(紀三井寺)と三番札所である粉河寺を訪ねるコースです。


地図 コース図

 
ごこくいん (きみいでら)



写真 ごこくいん(きみいでら) ぜんけい

写真 ごこくいん(きみいでら) しょうじょうすい

正しくは紀三井山護国院金剛宝寺(こんごうほうじ)といい、西国三十三所第二 番札所である。寺伝によれば、宝亀元年(770)に唐の僧為光(いこう)が来朝して開いたという。多宝塔・楼門・鐘楼・本堂など多くの文化財が所在する。 また、境内には約1200本の桜の木が植えられており、関西一の早咲き桜の名所としても有名である。紀三井寺の名前の由来ともなった清浄水(しょうじょう すい)、吉祥水(きっしょうすい)、楊柳水(ようりゅうすい)の三井水(さんせいすい)は環境省が選定した「名水百選」に選ばれており、今も絶えることな く湧き出している。

データ
所在地:和歌山市紀三井寺/所有者:護国院
問合せ:和歌山市教育委員会


地図 ごこくいん(きみいでら)
写真 ごこくいん(きみいでら) ほんどう
ごこくいんほんどう

建造物 県指定

現在の本堂は棟札によれば宝暦9年(1759)に一般民衆の協力によって建立さ れたもので、高欄宝珠(こうらんほうじゅ)は寛政元年(1789)に奉納されている。本堂は桁行五間、梁間五間、正面に三間の向拝(ごはい)と背面に桁行 三間、梁間三間の後陣を付した平面で、屋根の正面に軒唐破風(のきからはふ)と千鳥破風(ちどりはふ)を付けた、入母屋造(いりもやづくり)、本瓦葺(ほ んがわらぶき)の建物である。この建物は建築年代が明らかであり、総欅造りで技術的にも優れ、札所建築を代表するものである。
[指定日:昭和49年4月9日]


写真 ごこくいん(きみいでら) たほうどう
ごこくいんたほうとう

建造物 県指定

寺伝によれば以前にあった塔が嘉吉元年(1441)の風害により倒壊したとい い、文安6年(1449)に再建の勧進が行われているので、この頃建立されたものと思われる。多宝塔とは下層が方形,上層が円形の平面を持つ二重の塔であ る。この多宝塔は、本瓦葺(ほんがわら)で柱間三間の多宝塔で、各種の絵様(えよう)、彫刻、須弥壇(しゅみだん)とも室町中期の様式と手法を示してい る。
[指定日:明治41年4月23日]


写真 ごこくいん(きみいでら) ろうもん
ごこくいんろうもん

建造物 県指定

寺伝によれば室町時代末期の永正6年(1509)に建立されたと伝えられ、様式 からこの時期の建築とみられている。この建物は三間一戸の楼門で、入母屋造(いりもやづくり)、本瓦葺(ほんがわらぶき)である。下階中央間は開放で扉が なく、正面両脇間に仁王像を安置している。楼門の後ろには「結縁坂(けちえんざか)」と呼ばれる約230段の石段があり、本堂に通じている。
[指定日:明治41年4月23日]


写真 ごこくいん(きみいでら) しょうろう

しゅうへんたんぼう わかやまし


ごこくいんしょうろう

建造物 県指定

鐘楼は、楼門を入って高い石段を登って、本堂に向かって右手に建つ。桁行三間、 梁間(はりま)二間、袴腰付(はかまごしつき)、入母屋造(いりもやづくり)、本瓦葺(ほんがわらぶき)の鐘楼で、天正16年(1588)に安部六太郎に よって再建されたと伝えられている。細部の様式も桃山時代の特徴をよく示し、全体に軽快な建物である。
[指定日:明治41年4月23日]
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こかわでら



写真 こかわでら ぜんけい

データ
所在地:紀の川市粉河
所有者:粉河寺
問合せ:紀の川市教育委員会

しゅうへんたんぼう きのかわし

粉河寺は、紀ノ川中流に位置する。その成立は8世紀に遡り、宝亀元年 (770)紀伊国の猟師大伴孔子古(おおとものくしこ)の創建といわれる。11世紀頃から始まった西国三十三所観音巡礼の第三番札所として栄えた。現在の 境内を構成する建築群の大半は、正徳3年(1713)の火災以後漸次整備されたものである。
境内の南西に大門(重要文化財)が南面して建ち、大門をくぐると境内が右に折れ、童男堂(県指定建造物)等に至る。さらに進むと、段丘状地形の下段に西面 して中門、上段に本堂、千手堂(以上重要文化財)が南面して建つ。本堂の南側には、段丘地形を利用した国の名勝に指定されている豪快な石組を配した庭園が ある。


地図 こかわでら
写真 こかわでら ほんどう
こかわでらほんどう

建造物 国指定

本堂は、地元粉河の工匠により享保5年(1720)に上棟された建築であるが、 その細部の完成は18世紀半ばまで遅れる。一重屋根の礼堂とその後方に建つ二重屋根の正堂が結合した大型の複合仏堂である。礼堂の正面に千鳥破風(ちどり はふ)と唐破風(からはふ)造りの向拝(ごはい)を設け、正堂の正面にも軒唐破風(のきからはふ)を付けるなど、きわめて変化にとむ外観をもち、広い外陣 を開放とする札所建築の特色をよく表している。
[指定日:平成8年12月10日]


写真 こかわでら せんじゅどう
こかわでらせんじゅどう

建造物 国指定

千手堂は、本堂の復興が完了した後上棟された宝形造(ほうぎょうづくり)、本瓦 葺(ほんがわらぶき)の三間堂で、正面に一間の向拝(ごはい)が付く。本堂と同じく粉河の工匠の手になる。
[指定日:平成8年12月10日]


写真 こかわでら ちゅうもん
こかわでらちゅうもん

建造物 国指定

中門の造立は棟札によって天保3年(1832)であることがわかるが、そこには 明和期から建築を始めたことが記されており、着工から約60年後に竣工したことがわかる。三間一戸楼門、入母屋造(いりもやづくり)、本瓦葺(ほんがわら ぶき)で、正面と背面には唐破風(からはふ)を付ける。一階正背面両脇間に四天王像を安置する。
[指定日:平成8年12月10日]


写真 こかわでら だいもん
こかわでらだいもん

建造物 国指定

境内の大型建築の中では唯一の正徳3年(1713)の火災以前の建築で、鬼瓦の 銘から宝永4年(1707)に建てられたことがわかる。三間一戸楼門、入母屋造(いりもやづくり)、本瓦葺(ほんがわらぶき)で、正面実長約12.5メー トルに及ぶ大型の門である。組物は一階・二階とも斗(ます)と肘木(ひじき)が一体となった雲肘木(くもひじき)状の組物を用いる。1階正面両脇間には金 剛力士像を安置する。
[指定日:平成8年12月10日]


写真 こかわでら どうなんどう
こかわでらどうなんどう

建造物 県指定

童男堂は本坊入口の右手に建ち、国宝『紙本著色粉河寺縁起(しほんちゃくしょく こかわでらえんぎ)』にも登場する千手観音の化身とされる童男大士を祀る。三間四方の正堂の前方に五間・二間の礼堂を設け、奥行き一間の合ノ間で継ぐ。も とは方三間堂であったが、延宝7年(1679)に礼堂と合ノ間を増築し、宝暦5年(1755)に現状屋根に変更したことが、棟札によってわかる。当寺の草 創にかかわる重要な建物だけに時代の要請によってその都度改良を加えていったものと考えられる。
[指定日:昭和40年4月14日]


写真 こかわでら ていえん
こかわでらていえん

名勝 国指定

粉河寺の境内は、中門を入ると広場が開け、本堂は広場より一段高いところに建 つ。広場と本堂前は約3メートルの高低差があり、石垣の代りに巨石を用いて石組をなし、ソテツ、カエデ、サツキなどの木々を植え庭園としている。雑賀崎の 青石、琴浦の紫石、龍門山の龍門石などの紀州の名石を巧みに配しており、巨大な本堂にふさわしい豪快な庭園である。
[指定日:昭和45年4月23日]
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ごこくいん(きみいでら) 32.7キロメートル こかわでら じゅうぜんりついん 地図 こかわでら ごこくいん きみいでら こかわでら しりつはくぶつかん きいふどきのおか しょくぶつこうえんりょっかせんたー けんりつきんだいびじゅつかん けんりつはくぶつかん けんりつきんだいびじゅつかん けんりつはくぶつかん しりつはくぶつかん いわでちょうみんぞくしりょうかん しょくぶつこうえんりょっかせんたー うちたちょうれきしみんぞくしりょうかん せいしゅうのさと まんようかん 地図 コース図