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トップテーマ別探訪15コース>桃山建築を訪ねて

 

たずねる てーまべつたんぼうじゅうごこーす ももやまけんちくをたずねて
安土桃山時代は、織田信長と豊臣秀吉の政権のもと、中央集権的封建 体制の確立をバックに,新興大名,豪商を中心に絢爛豪華な文化が開花した時代です。桃山建築の様式が残る神社の優雅な姿を巡ります。



地図 コース図

 
かだかすがじんじゃ 建造物 国指定




写真 かだかすがじんじゃ ほんでんしょうめん
写真 かだかすがじんじゃ かえるまたのちょうこく

しゅうへんたんぼう わかやまし

加太春日神社は、『紀伊続風土記(きいしょくふどき)』によると、当初は天照 大神一座を祀っていたが、中世になり住吉社を、後に春日三社(春日宮、春日王、春日若宮)を合祀し、春日神社と称するようになったとある。社殿は和歌山城 代桑山重晴(くわやましげはる)が慶長元年(1596)に建立した。一間社流造(いっけんしゃながれづくり)に千鳥破風(ちどりはふ)と軒唐破風(のきか らはふ)がついた檜皮葺(ひわだぶき)の社殿で、構造と彫刻は豪華をきわめ、桃山時代の特徴をよく表している。
地図 かだかすがじんじゃ

データ
所在地:和歌山市加太/所有者:加太春日神社
指定日:昭和6年12月14日指定
問合せ:和歌山市教育委員会
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てんまんじんじゃ




写真 てんまんじんじゃ ぜんけい
しゅうへんたんぼう わかやまし
天満神社は天神山の中腹にあり,和歌浦の地主神(じぬしがみ)として崇敬され ている。康保年間(964〜968)に創建されたといわれ,菅原道真(すがはらみちざね)を祀っている。現在の社殿は,天正13年(1585)に羽柴(豊 臣)秀吉による紀州攻めの際に焼失したものを,慶長10年(1606)から浅野幸長(あさのよしなが)が再建させたものである。和歌浦を一望できる絶好の 地にあり、本殿・楼門・末社本殿(いずれも重要文化財)など一連の建造物は桃山時代の特徴をよく表している。

データ
所在地:和歌山市和歌浦西二丁目/所有者:天満神社
問合せ:和歌山市教育委員会


地図 てんまんじんじゃ
写真 てんまんじんじゃ ほんでん
てんまんじんじゃほんでん

建造物 国指定

桁行五間、梁間二間、入母屋造(いりもやづくり)、檜皮葺(ひわだぶき)の建物 で、正面に千鳥破風(ちどりはふ)と三間の向拝(ごはい)がつく。本殿は極彩色を施し、周囲には動物、植物、波などの彫刻を施した蟇股(かえるまた)がつ いている。装飾が雄麗で、桃山時代の特徴をよく表した建物である。
なお、本殿の造営には、後に江戸幕府御大工を務めた平内正信(へいのうちまさのぶ)とその父吉政(よしまさ)があたった。
[指定日:大正5年5月24日]


写真 てんまんじんじゃ ろうもん
てんまんじんじゃろうもん

建造物 国指定

急勾配の石段を登りきった地点に楼門が建つ。4本の円柱をもつ一間一戸の楼門 で、入母屋造(いりもやづくり)、本瓦葺の建物である。一階の柱間が一間にもかかわらず、桁行三間、梁間(はりま)二間の二階をのせた珍しい構造で、全体 に禅宗様式が取り入れられている。
[指定日:昭和10年5月13日]


写真 まっしゃあまてらすこうたいじんぐうとようけだいじんぐう ほんでん
写真 まっしゃたがじんじゃほんでん


てんまんじんじゃまっしゃほんでん

建造物 国指定

両社殿は本殿東側後方に建つ建物である。末社多賀神社本殿は一間社春日造(いっ けんしゃかすがづくり)、檜皮葺(ひわだぶき)で土台上に建ち浜縁(はまえん)を設ける。末社天照皇太神宮豊受(とようけ)大神宮本殿は、二間社流造(に けんしゃながれづくり)であるが庇(ひさし)部分では中央柱を抜き、土台上に建ち浜縁を設けている。両本殿は形式こそ異なるが、細部の意匠は本殿ともよく 似ており、同時期に建てられたものである。
[指定日:昭和49年5月21日]







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あらたじんじゃ 建造物 県指定




写真 あらたじんじゃ

しゅうへんたんぼう いわでし
荒田神社は、延喜式内社(えんぎしきないしゃ)に列せられた由緒があり、羽柴 (豊臣)秀吉による天正年間の兵火で社殿が焼失したという。現本殿は17世紀初めに再建されたものと考えられ、やや小さめの三間社流造(さんげんしゃなが れづくり)、檜皮葺(ひわだぶき)で、身舎(もや)・庇(ひさし)とも蟇股(かえるまた)などの彫刻でにぎやかに飾っている。

データ
所在地:岩出市森/所有者:荒田神社
指定日:平成7年4月11日指定
問合せ:岩出市教育委員会
地図 あらたじんじゃ
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かみいわでじんじゃ 建造物 県指定




写真 かみいわでじんじゃ

しゅうへんたんぼう いわでし
上岩出神社は、もと白山大権現(はくさんだいごんげん)といわれ、社伝によれ ば長承2年(1133)に根来寺の覺鑁(かくばん)上人が越前の白山権現を勧請したのにはじまると伝えられ、根来寺と盛衰を共にしたという。本殿は三間社 流造(さんげんしゃながれづくり)、檜皮葺(ひわだぶき)の小規模な社殿であるが、建物全体に彩色や彫刻が施されている。文禄3年(1594)の棟札があ り、形式や手法からみてもこのときの建立と考えられる。

データ
所在地:岩出市北大池/所有者:上岩出神社
指定日:昭和44年7月14日指定
問合せ:岩出市教育委員会
地図 かみいわでじんじゃ
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にしたなかじんじゃ 建造物 県指定




写真 にしたなかじんじゃ

しゅうへんたんぼう きのかわし
社殿が並列して並ぶ2棟のうち、向かって左の羊宮(ひつじのみや)神社本殿は 一間社隅木入春日造(いっけんしゃすみぎいりかすがづくり)、檜皮葺(ひわだぶき)の建物で、室町時代末期の造営と考えられる。向かって右の八幡神社本殿 は二間社流造(にけんしゃながれづくり)の檜皮葺の建物で、擬宝珠(ぎぼし)銘にある寛永12年(1635)の建築である。両本殿とも各時代の特徴をよく 表した社殿である。

データ
所在地:紀の川市中井阪/所有者:西田中神社
指定日:昭和48年5月16日指定
問合せ:紀の川市教育委員会
地図 にしたなかじんじゃ
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ひがしたなかじんじゃ 建造物 県指定




写真 ひがしたなかじんじゃ

もともとこの付近には地主神が八社あって、田中の八社と呼ばれてきたが、戦後 4社ずつ合祀され、東田中神社、西田中神社となった。東田中神社は、もとは山王権現社(さんのうごんげんしゃ)で、竹房(たけふさ)神社(一の宮)ほか2 社をそれぞれの旧地から移築した。そのうち、旧竹房神社本殿は県指定建造物で、16世紀末期の建築と考えられる。一間社隅木入春日造(いっけんしゃすみぎ いりかすがづくり)の小規模な建物であるが、木鼻(きばな)や蟇股(かえるまた)などの装飾的細部に見るべき点が多い。

しゅうへんたんぼう きのかわし
地図 ひがしたなかじんじゃ

所在地:紀の川市中井阪/所有者:西田中神社
指定日:昭和48年5月16日指定
問合せ:紀の川市教育委員会
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みふねじんじゃ 建造物 国指定




写真 みふねじんじゃ ほんでん
写真 せっしゃこうやみょうじんじゃ・にうみょうじんじゃ

しゅうへんたんぼう きのかわし

三船神社は、安楽川の郷村(ごうそん)が開かれた時以来の土産神(うぶすなが み)で、平安時代にはすでに創祀されていた。現在の社殿は南に三間社流造(さんげんしゃながれづくり)の本殿、北に一間社隅木入春日造(いっけんしゃすみ ぎいりかすがづくり)の丹生(にう)明神・高野明神を祀る摂社からなる。本殿は天正18年(1590)、摂社は慶長4年(1599)の建立で、各社殿は極 彩色が施されるなど華麗な桃山建築の特色をよく表している。

データ
所在地:紀の川市神田/所有者:三船神社
指定日:昭和44年3月12日指定
問合せ:紀の川市教育委員会
地図 みふねじんじゃ
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トップテーマ別探訪15コース>桃山建築を訪ねて

やくしじのまつ かだかすがじんじゃ 15.9キロメートル てんまんじんじゃ 15.9キロメートル あらたじんじゃ 3キロメートル かみいわでじんじゃ 8.7キロメートル にしたなかじんじゃ 4.6キロメートル みふねじんじゃ 6キロメートル ひがしたなかじんじゃ ふろうばし とうしょうぐう かいぜんいん 地図 てんまんじんじゃ じょうぎょうじのびゃくしん かだかすがじんじゃ かだかすがじんじゃ てんまんじんじゃ あらたじんじゃ かみいわでじんじゃ にしたなかじんじゃ みふねじんじゃ ひがしたなかじんじゃ きいふどきのおか しょくぶつこうえんりょっかせんたー しょくぶつこうえんりょっかせんたー しりつはくぶつかん しりつはくぶつかん けんりつきんだいびじゅつかん けんりつはくぶつかん けんりつきんだいびじゅつかん けんりつはくぶつかん まんようかん いわでちょうみんぞくしりょうかん うちたちょうれきしみんぞくしりょうかん 地図 コース図 きいこくぶんじあと 地図 にしたなかじんじゃ ねごろじ かみいわでじんじゃ