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トップテーマ別探訪15コース>海防要塞と灯台を訪ねて

たずねる てーまべつたんぼうじゅうごこーす かいぼうようさいととうだいをたずねて
四方を海に囲まれた日本が、江戸時代の長い鎖国を解き、富国強兵を目指して世界へ 門を開けた明治時代の海防施設の名残りです。今は観光客や釣り人で賑わう加太や友ヶ島にも、そんな時代があったことが洋式の古い砲台群や灯台にしのばれま す。


地図 コース図
まんようかん ともがしまだいごほうだいあと ともがしまだいよんほうだいあと ともがしまだいさんほうだいあと ともがしまだいにほうだいあと ともがしまだいいちほうだいあと とらしまほうるいあと かだほうだいあと たくらさきほうだいあと みやまだいさんほうだいあと みやまだいにほうだいあと みやまだいいちほうだいあと しりつはくぶつかん きいふどきのおか しりつはくぶつかん けんりつきんだいびじゅつかん けんりつはくぶつかん けんりつきんだいびじゅつかん けんりつはくぶつかん ともがしまとうだい 地図 ともがしまほうだいぐん ともがしましんじゃいけしっちたいしょくぶつぐんらく ともがしまとうだい
 
かだ みやまちくほうだいぐん




写真 みやまだいいちほうだいあとえんぺいぶ

写真 みやまだいさんほうだいあと

しゅうへんたんぼう わかやまし
淡路島を含む「由良要塞」の一部で、加太地区には加太砲台・田倉崎砲台があ り、加太新出地区の丘陵部にある「加太少年自然の家」公園内に諸遺構が残っている。深山地区には、山頂部に深山第一・第二砲台が、海浜部の男良谷(おらの たに)には第三砲台が配備されていた。第二砲台跡近くには、国民休暇村の宿泊設備があり、左翼観測所跡の展望台からは友ヶ島・淡路島を含む紀淡海峡の素晴 らしい眺めを楽しむことができる。

データ
所在地:和歌山市加太・深山/問合せ:和歌山市教育委員会
地図 かだ みやまちくほうだいぐん みやまだいいちほうだいあと みやまだいにほうだいあと みやまだいさんほうだいあと

地図 かだ みやまちくほうだいぐん かだほうだいあと たくらさきほうだいあと
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ともがしまほうだいぐん




写真 ともがしまだいさんほうだいあと
写真 とらしまほうるいあとせいそくえんぺいぶ

しゅうへんたんぼう わかやまし
友ヶ島砲台は、淡路島の由良地区、和歌山の加太・深山地区、淡路島の西岸の鳴 門要塞と一体となる「由良要塞」の一部である。同要塞は明治22年(1889)から建設が開始され、東京湾・下関の両要塞と同様に一等要塞に指定されてい た。カノン砲と榴弾砲(りゅうだんほう)がそれぞれ射界を重ね合わせ死角をなくすよう配備されていた。友ヶ島第1砲台〜第5砲台、虎島堡塁(とらしまほう るい)の5砲台1堡塁から成っており、中でも第3砲台は由良要塞最大級の砲台である。

データ
所在地:和歌山市加太/問合せ:和歌山市教育委員会
地図 ともがしまほうだいぐん
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ともがしまほうだい




写真 ともがしまとうだい

しゅうへんたんぼう わかやまし
初代の灯台は明治5年(1872)、日本で8番目にできた洋風建築の灯台で、 設計は英国人(リチャード・ヘンリー・ブラントン)であった。砲台建設の際、隣接地に形状が若干変更されて移設された。紀淡海峡を隔てて、淡路島と対峙す る真っ白な灯台で、灯台広場からは紺碧に輝く紀伊水道の海が一望できる。

データ
所在地:和歌山市加太/問合せ:和歌山市教育委員会
地図 ともがしまとうだい
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