県議会の活動

 午後一時六分再開
○議長(西本長浩君) 休憩前に引き続き、会議を開きます。
○議長(西本長浩君) 質疑及び一般質問を続行いたします。
 21番木下秀男君。
 〔木下秀男君、登壇〕(拍手)
○木下秀男君 平成元年の予算議会も、私がしんがりを務めて一般質問が終了いたしますが、六日間にわたり実に二十名の議員が登壇し、各般にわたって論議が展開されてまいりました。すべて言い尽くされた感じもいたしますが、なるべく重複を避けて、通告に従い質問いたします。
 新税制の導入と疑獄事件にも発展しかねないリクルート汚職問題を抱えて迎えた、昭和六十四年でありました。安定成長と言われて経済状況が伸びる中で、景気の方が余りぱっとしない六十年代も、ようやく好景気の兆しが見えて、国の予算も大幅な伸びを見せて編成された予算であります。
 国民のすべてが平和を享受し、若者は海外で新年を迎えるという例年どおりの正月風景でありましたが、一月七日早朝、病床にあられた天皇陛下の崩御が報ぜられ、全世界に電波が走ったのであります。「激動の時代」とも「戦争と平和の時代」とも、いろいろ言われた「昭和」も、一月七日が昭和最後の日となったのであります。
 私は、テレビが始まると、終日くぎづけになって動きを見守りました。新元号も「平成」と制定されて、新しい時代を迎えたのであります。この元号の出典は、これまで中国の古典に求められておりまして、今回も「史記」の「五帝本紀」に「内平かに外成る」、「書経」の「大禹謨」の中に「地平かに天成る」とあるのが典拠で、いずれも平和が達成されるという意味が込められていると言われます。
 古式にのっとり数々の皇室行事がとり行われ、新憲法下で初めての国葬として、二月二十四日、大喪の礼がとり行われました。大喪の礼に参列した弔問使節団は百六十三カ国、九千八百人にも上り、日本の国際的地位の高さをあらわす儀式でもありました。
 私も和歌山─東京を結ぶ夜行バスで上京いたしまして、東京にいる娘を伴い、お堀端に近い三宅坂の一隅からお見送りをしてまいりました。全国各地から上京して「天皇陛下に最後のお別れを」と葬列の通過する沿道に並んだ人々は、五十七万人もあったと報道されております。
 氷雨の降る中で葬列を待つ間に、私はいろいろと感じました。天皇陛下の玉音放送を聞いたのは小学四年生の夏の暑い日だったな、卒業記念の修学旅行はできなかったな、食べ物と着る物がなかったな、進駐軍という外国の兵隊が多くあったなと、終戦直後の少年時代のこと、また、ラジオから流れる引揚者の尋ね人のことや「戦災復興」という言葉もよく聞いたな、サンフランシスコ講和条約発効で「独立国日本」という言葉も、高校生の時代によく聞かされたなと、過ぎし日の人生を走馬灯のごとく次から次へと回想しながら待ったのでございます。
 私のそばに、栃木の生まれという八十歳近い老人が、白いつえを持って息子夫婦に手を引かれながら参列しておりました。この老人は、「私は天皇陛下の兵でありました」と、また「平和の時代に生きながらえてよかった」とも話しておりました。
 九時四十五分過ぎであったと思いますけれども、葬列が三宅坂から青山通りに向かって通過いたしましたが、霊轜──これは霊柩車に当たるものでございますが──に向かって瞑目しながら「これで昭和も終わりだな」と言った老人の言葉が、今も脳裏にはっきりと残っているのであります。
 私の昭和の終えんは、二月二十四日であります。
 前段が少し長くなりましたが、昭和に生きて改元を迎え、新年度予算議会に臨んだ知事の心境を、後学のためにお聞かせいただきたいと思います。
 続いて、国際化とは何かということで申し上げたいと思います。
 国際化とはこれだとの定義はないようでございますけれども、最近、大変よく聞く言葉でございます。「日本の政治用語」という解説に「日本が世界の経済大国としての地位を獲得するに及んで、諸外国との間の経済摩擦がますます激しくなってきた。この見地から、日本は市場開放などの「物の国際化」、金融の自由化などの「金の国際化」、さらに人間の自由化を図らなければ国際化とは言えない。外国人の雇用、留学生や先生の大幅受け入れ等、人の自由化を図ることが国際化である。しかし、人の自由化は、文化や宗教や習慣など、さまざまな摩擦を生む。これらを解決することが国際化である」とされてございます。
 さらにまた、あるジャーナリストは、「国際化とは、国際会議や国際交渉、また単に友人同士であっても、通訳を通していたのでは真意は六〇%しか伝わらない。日本人が外国語を使って日本の立場を主張したり、交渉、議論をしたりできるようにならなければならない。特に、国際社会にあってみずからの言葉で話せるように努力することが必要である」と申しております。外国語をマスターすることが国際化の第一歩であるとも明言しております。
 前段申し上げました昭和天皇の大喪の礼に、世界各国の百六十三カ国、二十七国際機関からの約一万近い参列者を見ましても、いかに日本が国際社会の中にあって重要視されているか、「大国日本」と言われる姿を如実に物語っております。知事は国際化ということについてどんなお考えをお持ちか、またどんな施策を講じられようとしているのか、お伺いいたします。
 また、ただいま国際化という言葉の定義らしきものを申し上げましたが、さきの議会において私は、ホームステイ組織をつくっての、学生を中心とした国際交流の促進を提言申し上げました。教育委員会は直ちに国際学科の創設や英語教師の招聘に取り組んで実行に移っておりますが、さらに次の二点について提言を申し上げます。
 まず、国際人の育英奨学制度の創設でございます。人づくりについて一つの例を挙げてみたいと思います。
 文明開化を叫ばれた明治時代の終わりでございますけれども、明治四十四年、旧紀州藩主徳川頼倫公が南葵育英会を設立し、みずから数十万円──時価にして約七億円に当たるそうでございますが──の自己基金を出して、賛助者を募り、学資不足で進学を断念しようとした旧紀州藩出身の子弟の育英に尽くされたのであります。さらに、自分の江戸屋敷の一角に進修学舎をつくり、京都に第二進修学舎、北海道に第三進修学舎をつくるなど、多大の尽力をされたのであります。功あって、紀州を代表する人物が続々と輩出されたことは知事も御承知でありましょう。
 大正十一年には財団法人の認可を受け、運営されてまいりました。戦災による焼失や戦後の経済事情で一時中止されたものの、関係者の努力で再開され、今もその精神が生かされ、多くの学生がその恩恵に浴しているのであります。
 国際化に向けての人づくりとして、向学心に燃える県下の学生諸君はもちろんのこと、海外へ雄飛を夢見る留学希望生にまで広げて取り組まれてはいかがかと思いますが、知事のお考えをお聞かせいただきたいと思います。
 次に、国際交流館──これはあくまでも仮称でございますが──の設置を提言いたします。
 我が国は、敗戦の痛手から奇跡的な発展を遂げ、今や世界の経済大国と言われるようになりました。ここに至るまでには、いろいろな条件が重なり合い、各国の協力も相まって今日を迎えたものであると思いますが、一番大きな原因は日本人の勤勉と努力にあったと思います。
 資源のない小さな島国の日本が世界第二と言われる経済大国になったことは世界の七不思議とも言われ、外国の若者たちが理解できない国だとも言われているそうであります。また、行ってみたい国は日本だそうであります。特に、NIESと言われる国々の若者たちが日本留学を希望していると言われています。
 先日も、中国の上海市で、日本へ留学を希望する青年と受け入れようとする日本の学校経営者とのトラブルから軟禁事件が発生したことがテレビで報じられていましたが、さようにあこがれの国であります。
 今議会の冒頭で、我が会派の鈴木議員のコスモパーク加太計画の質問に対して企画部長は、「研究開発型施設、リゾート施設、良好な住宅を配置した複合的な市街地を形成し、二十一世紀に向けて国際化、情報化等に対応できる新しい町づくりを行いたい。本計画については数カ年かけて調査検討を重ねてきた。本年中には基本計画をまとめたい」と答弁されたのでありますが、私は、この一角に国際交流館のような施設をつくり、留学生や研究者や多くの外国の若者たちが自由に活動する中で交流を深めることが、本当の国際化につながると考えるものであります。
 調査検討の中にこのようなことがあるのか否か、また、なければ入れられないものかどうか、企画部長にお伺いいたします。
 以上で通告した項目を終わりますが、平成元年という記念すべき年に当たり、以上について提言を申し上げますので、知事の御答弁並びに企画部長の御答弁をお願い申し上げます。
 最後に、今議会の締めくくりといたしまして、一言申し上げます。
 今や、政・財・官界に対する不信は強く、特に政治家に対する不信感ははかり知れないものがあり、全国民に蔓延いたしております。リクルート問題しかり、消費税しかり、農産物自由化問題しかりであります。
 しかし、政治には一歩たりとも後退は許されないものであります。今、国民は何を求め、県民は何を言わんとしているか。真摯な態度で対応しなければならないときに至り、政治に携わる者すべてが反省し、襟を正し、改めるべきところは改め、捨て去るべきものは捨て去り、正しく大局を見きわめて正道を歩んでこそ、信頼を得られるものであると信じます。
 今予算の編成に当たり、財源不如意の中で県勢の発展と県民の福祉向上を願ってなされた苦心の数々が随所に見られるのであります。しかし、もち投げのように声の大きいところを重要視するのではなく、県政全般を正しく見ながら、気配りのある予算を編成すべきであります。
 議員は、それぞれの地域から選出され、日常、地域住民とじかに接する中で、その生の声を県政に反映さすため議会に臨んでいるのであります。にもかかわらず、いつものことでありますが、質問通告するや、「これを言われては困る」、「これは少し変えてほしい」等々、まことにもって失礼千万なことであります。「我々はこのような事業計画に取り組んでいるが、これを議会として取り上げて協力してほしい」というような建議があってこそ、本当の県勢発展につながるものと考えるものであります。
 少々苦言を呈しましたが、発言された議員すべてが県勢の発展を願って発言していることを重視し、本予算の成立後は知事を先頭に県職員一丸となって職務に精励されるよう強く要望して、私の質問を終わります。
 御清聴ありがとうございました。
○議長(西本長浩君) ただいまの木下秀男君の質問に対する当局の答弁を求めます。
 知事仮谷志良君。
 〔仮谷志良君、登壇〕
○知事(仮谷志良君) 木下議員にお答え申し上げます。
 改元を迎えて、新年度の予算議会に臨んだ知事の心境ということで、大喪の礼を娘さんとともに見送られた木下議員の心境、情景等をお話しいただいての質問でございました。
 大喪の礼には、私も出席させていただきました。百六十三カ国の代表が参列されたのを目の当たりにいたしまして、発展した日本を改めて認識するとともに、世界の大国となった日本の国際的に果たすべき役割の大きさを痛感したのでございます。
 おっしゃいましたように、昭和は激動の時代でございました。先日、本屋へ参りますと、昭和の時代の内閣総理大臣のスピーチがテープで売られておりました。私も、昭和の時代の内閣総理大臣は幾人あったんかなと思いましたが、昭和二十年までには十五人、終戦後は十七人と、多数の内閣総理大臣が就任されておりました。そして、いろいろなスピーチを聞きながら、陛下の心中をお思いいたすとき、本当に御苦労さまでしたという感じがするとともに、心から御冥福をお祈り申し上げたのでございます。
 激動の時代「昭和」から「平成」の時代へと、新しい時代が始まったわけでございます。これから、二十一世紀への新しい意欲というものを、県民の皆さんが待ち望んでいることをひしひしと感ずるわけでございまして、この二つの時代に知事として県政をやらせていただくことの責任をひしひしと感じておるわけでございます。
 財政状況は依然として厳しい中でございますけれども、各種のプロジェクトに積極的に取り組みまして、さらに県民生活を、福祉を向上させるためにきめ細やかな施策を進めてまいります。財政的に苦しい時代に、皆さんとともにまいた種が飛躍の芽として吹き出てくるこの時代に、日々新たな気持ちを持ちまして、なお一層努力してまいりたいと存じておる次第でございます。
 次に、国際化という問題でございます。
 国際化の施策は何かということでございます。
 御指摘のように、国際化というのを一言で言えと言ったならば非常に難しいと思います。国際交流の定義は、木下議員がおっしゃったように、一般的に人と金あるいは情報の国境を越えた相互の交流だと言われておると思うんです。その国際交流が盛んに、しかも円滑に行われている社会を国際化の進んだ社会と言えるのではないかと思います。
 本県は移民県でございます。国際的に今までは相当進んでおった県でございますけれども、県内の産業、教育、文化など、あらゆる分野で本県の特性を確立するとともに、外国の多様な価値観や生活様式も受け入れる中で県民意識の高揚を図ってまいりたいし、また観光県でもございますので、そうした面においても外国の皆さんを受け入れる態勢も進めていかなければならないと思います。
 しかし、施策につきましては、まず第一はやっぱり人づくりが重要な課題だと考えております。このために、外国人の招致による外国語教育の充実、星林高校への国際交流科の設置、移住諸国との青年の交流及び青年海外派遣などをいたしておりますし、また青年については、海外協力隊を青少年婦人課でもやっております。
 農業では、農業移民の問題もやっております。労働関係では、地労委の皆さんに外国へ勉強に行っていただく。また、国で行う、外国への洋上学校と申しますか、世界を回り、またアジア地域を回る、そうした制度とも相マッチして努力しておるわけでございます。
 特に、そうした皆さんがお互いになお一層交流を深められるよう、教育委員会でやっておる制度、知事部局でやっておる制度、国の総務庁でやっておる制度、外務省でやっておる制度等、いろいろな制度を生かして、お互いに一致団結してなお一層進めたいと思うわけでございます。
 次に、国際人としての人材育成でございます。
 国際社会で活躍できる人づくりの必要性につきましては、私は議員御提言のとおりだと思います。また、その中でお話しいただきました南葵育英会については、私ももう一度勉強させていただいたわけでございますが、その制度が戦後、一応途絶えました。そして、かつて寮であったのが廃止になりまして、現在、財団法人の東京学生寮として別の形になっておる経過等も、また改めて見直したわけでございます。
 また、私は県内に育英奨学会がどれだけあるのか知らなかったんですけれども、そうした先人たちの育英制度を見直した機会に調べてみますと、十七あるということでございます。そうした育英制度については、民間の皆さんにお願いしてまいっておるわけでございます。
 御提言のございました、国際人としての人材育成につきましては非常に重要な問題であるわけでございます。こうした人づくりのために、先ほどもちょっと申しましたような既存のいろいろな制度も十分検討させていただいて、国際化の時代──特に、和歌山県は国際的であり移民が多かったわけでございます。こうした海外へ移民された人たち、県人会との交流を深めて、また、お互いの子弟の勉強のために交流をさせる方法等についても十分検討してまいりたいと、かように思っております。
○議長(西本長浩君) 企画部長川端秀和君。
 〔川端秀和君、登壇〕
○企画部長(川端秀和君) 国際交流館の設置について、お答えを申し上げます。
 国際交流館をコスモパーク加太にとの御提言についてでございますが、コスモパーク加太計画の基本的な考え方として、国際化、情報化等に対応できる新しい町づくりを目指し、リサーチ、リゾート等のほか、交流機能を有した施設がぜひ必要と考えてございます。
 現在までの調査検討の中においても、導入施設イメージの一つとして国際交流機能等も考えてございます。
 今後は、関係機関とも協議しながら努力してまいりたいと考えてございます。
 以上でございます。
○議長(西本長浩君) 答弁漏れはありませんか。──再質問を許します。
 21番木下秀男君。
○木下秀男君 大変御丁寧な答弁をいただきまして、ありがとうございました。
 質問でも申し上げましたように、国際化という──このことだけではございませんけれども、やはり、言っておることが実現できるように努力していただくことを強く要望いたしまして、終わります。
○議長(西本長浩君) ただいまの発言は要望でありますので、以上で木下秀男君の質問が終了いたしました。
○議長(西本長浩君) お諮りいたします。質疑及び一般質問は、以上をもって終結することに御異議ございませんか。
 〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
○議長(西本長浩君) 御異議なしと認めます。よって、質疑及び一般質問はこれをもって終結いたします。
○議長(西本長浩君) 次に、ただいま議題となっております全案件は、お手元に配付しております議案付託表のとおり、それぞれ所管の常任委員会にこれを付託いたします。
○議長(西本長浩君) 次に日程第三、請願の付託について申し上げます。
 今期定例会の請願については、お手元に配付しております請願文書表のとおり、それぞれ所管の常任委員会にこれを付託いたします。
○議長(西本長浩君) 次に、お諮りいたします。明三月十六日及び十七日、三月二十日並びに三月二十二日は常任委員会審査のため、また三月十八日は議事の都合により、それぞれ休会といたしたいと思います。これに御異議ございませんか。
 〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
○議長(西本長浩君) 御異議なしと認めます。よって、三月十六日から三月二十二日までは休会とすることに決定いたしました。
○議長(西本長浩君) この際、各常任委員会の会場をお知らせいたします。
 職員からこれを申し上げます。
 〔職員朗読〕
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 総 務 委 員 会 第 四 委 員 会 室
 厚 生 委 員 会 第 五 委 員 会 室
 経済警察委員会 第 六 委 員 会 室
 農林水産委員会 第 一 委 員 会 室
 建 設 委 員 会 第 二 委 員 会 室
 文 教 委 員 会 第 三 委 員 会 室
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○議長(西本長浩君) 次会は、三月二十三日再開いたします。
○議長(西本長浩君) 本日は、これをもって散会いたします。
 午後一時三十八分散会

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