昭和21年12月21日午前4時19分発生南海道地震の被害について
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昭和21年12月21日午前4時19分発生南海道地震の被害について
地震の概要
震源は紀伊半島潮岬南南西沖50kmの沖合、地震の規模はM8.0。津波の第一波は地震発生後の数分後に県南西部を襲い、大波は少なくとも三回以上あり、特に多くの場所で第三波が最も大きかった。地震による被害よりも津波による被害の方が大きかった。また、広川町(旧広村)では、防波堤は完全にその役割を果たしたが、堤防のない地区から来襲した津波が町の背面に廻り、多数の溺死者をだした。県下の被害は、死者195人、行方不明74人、負傷者562人、全壊・半壊・流失家屋3736戸、浸水家屋14102戸、全焼家屋2399戸。
津波による被害
田辺市
新庄は、地震後10分〜15分で第一波が来襲し津波被害の最も大きい場所の一つとなった。波は四回以上で第三波が最大であった。浸水は海岸から1kmの奥地に及んだ。橋谷地区で浸水標高は3.6mに達した。跡之浦は全戸数65戸中6戸流失、浸水しないものは4戸のみ。旧新庄村全戸数630戸、溺死者22人、行方不明4人、全壊50戸、半壊35戸、流失79戸、床上浸水10戸、浸水田85ha。また、文里港の船や木材が居住地に流れこみ被害が大きくなった。
海南市
地震後40分で第一波が来襲、第二波が最大。津波の浸水標高は、湾奥で3.2m。紀勢本線の以西の市街地が全域浸水した。
広川町
1854年の安政南海地震による津波によって、壊滅的な被害を受け、後に、浜口梧陵が私財を投じて、村民とともに築いた防潮堤が、1946年の南海道地震津波の時には有効に働き、中心街には浸水することがなく無事。しかし、江上川から耐久中学校の敷地に浸入した海水は、その背後の内海地区の市街地及び、紡績工場の敷地に浸入し、波先は鉄道線路に達した。溺死者22人、流失家屋4戸、半壊5戸、浸水210戸。
湯浅町
地震後約30分で第一波が来襲、三〜四波目が最高であった。浸水標高は、広川沿いの島の内で3.7m〜3.8m、中川原で2.2m〜2.7m。旧湯浅町では半壊22戸、浸水316戸。
白浜町
白浜町(旧南冨田村)では地震後約10分後に第一波が来襲。津波は河口で5.1mと目測された。袋谷は集落の一番奥まで浸水した、紀伊冨田駅と冨田川鉄橋の間の線路が100mにわたって津波のため洗われ山側に移動した。旧東冨田村で流失30戸、浸水300戸、死者1人、行方不明1人。旧白浜町では、地震後5〜8分後で第一波が来襲。浸水標高は瀬戸で3.6m、田辺湾内の賀の浦で3.0m。家屋流失24戸、半壊41戸、浸水342戸、死者11人、行方不明3人。                   
すさみ町
すさみ町(旧周参見町)では地震後5分程度で津波が来襲。津波三回来襲し第二波が最大。浸水標高は浜の松林防波堤沿いの民家で5.3m、河口南側の中心街で3.8m〜3.9mで地上冠水1.6mぐらいであり、町役場周辺で3.0m。流失27戸、全壊12戸、浸水394戸、死者13人、行方不明4人、負傷者93人。
串本町
地震後5〜10分後で第一波が襲来。第五波まで襲来し、第三波が最大。串本市街地で平均海面上3.6mの標高まで浸水。橋杭地区では、鉄道と海岸との間の家は全戸浸水。浸水標高約2.5m。袋地区は平均海面上6.4m〜6.6mの標高まで浸水、沿岸の建物はすべて流れた、袋湾検潮所は土台ごと流れる。住家流失71戸、全壊50戸、半壊113戸、浸水585戸、非住家流失28戸。
出典:南海道地震から50年

すさみ町(旧周参見町)周参見川

すさみ町(旧周参見町)周参見川<提供:東京大学地震研究所>

海南市、津波により打ち上げられた漁船

海南市、津波により打ち上げられた漁船<和歌山県資料>

田辺市(旧新庄村橋谷)、打ち上げられた漁船

田辺市(旧新庄村橋谷)、打ち上げられた漁船<提供:田辺市新庄公民館>

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