試験場概要

試験場の概要について

 和歌山県の漁業生産は黒潮の動態に大きく左右されることから、調査船や人工衛星によって漁況海況情報の解析研究を進め迅速かつ的確な情報の伝達と、漁況海況予測技術の高度化を図っています。
 また、水産資源の持続的高度利用と管理技術の確立、養殖生産物を含む安全、安心な生産物の安定供給を図るため、様々な研究に取り組んでいます。
 さらに、漁場環境保全対策として、漁場環境のモニタリング並びに赤潮監視、進行する磯焼け対策として藻場造成についての研究を行っています。

和歌山の水産業の概要

 和歌山県の海面漁業・養殖業における生産量と生産金額の推移は下図に示したとおり、生産量は昭和61年の88,108トン、生産金額は平成2年の538億円をピークに減少しており、令和3年には21,478トン、168億円となっています。

fig.1

研究推進方向

育みの海づくり

  1. 水産資源を持続的に利用するための調査研究
  2. 漁業生産基盤に関する調査研究
  3. 海洋環境の把握と情報発信のシステム化
  4. 栽培漁業技術の開発と実用化
  5. 養殖漁業に関する技術開発
  6. 漁場環境保全技術の開発
  7. 内水面漁業に関する技術開発

機構と組織

組織図

沿革

明治35(1902)年  4月:和歌山県水産試験場開設、県庁内(和歌山市)に事務所を置く。

明治36(1903)年  8月:カツオ・マグロ漁業試験船「紀伊丸:木造帆船 5トン」を建造する。

明治37(1904)年  1月:串本町に庁舎を建設移転する。
明治38(1905)年  9月:「初代 那智丸:木造帆船 11トン」を建造する。
明治39(1906)年       :「紀伊丸」を民間へ貸し付ける。
明治41(1908)年       :水産試験場に水産講習所を併設する。
明治43(1910)年       :試験船「初代 紀国丸:木造帆船 20トン」を建造する。
明治44(1911)年  4月:水産試験場に増養殖担当職員を置き、浅海増養殖業務を開始する。
大正 3(1914)年   4月:水産講習所を廃止し、講習部を設置する。
大正 6(1917)年   4月:水産試験場を県庁内に移転する。
大正11(1922)年  7月:「二代目 紀国丸:鋼船 汽帆船」を建造する。
大正13(1924)年  7月:田辺市の水産参考館を仮庁舎として移転する。
大正13(1924)年12月:田辺市上屋敷町に庁舎を建設移転する。
昭和  4(1929)年11月:大型漁業指導船「紀洋丸:鋼船 127.23トン」を建造する。
昭和17(1942)年       :「紀洋丸」が民間防空監視船に指定される。
昭和18(1943)年       :水産試験場に水産修練所を併設する。                     
昭和18(1943)年10月:修練所実習船「初代 黒潮丸:木造船 30トン」を建造する。
昭和19(1944)年  1月:「紀洋丸」が海軍に徴用され、行動中に消息が不明となる。
昭和20(1945)年  1月:田辺市元町に漁業無線局を開局する。
昭和20(1945)年  3月:田辺市元町2413番地に庁舎を建設移転し、同時に海兵団宿舎に徴用され終戦に至る。

昭和21(1946)年  4月:水産修練所を県立水産学校に昇格し、水産試験場は廃止され水産課所属の水産指導部とな

          る。この年の12月には、南海大地震により県内水産施設が壊滅的損害を受ける。

昭和23(1948)年  4月:学制改革により県立水産学校が廃校となる。
昭和24(1949)年  4月:田辺市元町2413番地の跡地に水産試験場として再発足する。
昭和25(1950)年  7月:「半治丸」を購入し、沿岸調査船「和丸:10.39トン」に改造する。
昭和26(1951)年10月:近海漁業指導船「初代 黒潮丸」を用途廃止する。            
昭和26(1951)年  8月:遠洋漁業指導船「太平丸( 二代目 那智丸):鋼船 145.60トン」を購入する。
昭和28(1953)年  6月:近海まぐろ指導船「第一勇宝丸(第二黒潮丸):木造船 29.92トン」を購入する。
昭和28(1953)年  7月:県内一帯未曾有の水害に見舞われ、交通途絶のため第一勇宝丸が、和歌山~田辺間の人員

          輸送・援護物資の運搬に従事した。

昭和31(1956)年  4月:「和丸」を水産課へ管理移管する。
昭和32(1957)年  1月:遠洋漁業指導船「三代目 那智丸:鋼船 367.76トン」を建造する。
昭和38(1963)年  3月:漁業調査船「きい:木造船 34.76トン」を建造する。遠洋漁業指導船「三代目 那智丸」は廃船と

          なる。

昭和42(1967)年  4月:串本町1551番地に庁舎を建設移転する。増殖部及び無線局は田辺市に残し、増殖部を増養

          殖分場とする。

昭和42(1967)年10月:漁労試験船「水試1号:木造船 3.24トン」を建造する。
昭和43(1968)年  4月:串本町1533番地に漁民研修所を建設する。
昭和43(1968)年  8月:増養殖分場は田辺市元町1507番地に庁舎を建設移転し、水産増殖試験場として独立発足す

          る。

昭和48(1973)年  4月:水産増殖試験場の内水面部門を内水面漁業センターとして桃山町に建設し、独立発足する。
昭和49(1974)年  7月:組織再編により水産試験場の4部制(海洋,漁労,化学,応用)を資源部・開発部の2部制に統

          合する。

昭和53(1978)年10月:漁業調査船「きい」の代船として漁業調査船「わかやま:FRP船 88.82トン」を建造する。
昭和54(1979)年       :漁業無線局を廃止し、田辺漁協へ管理移管する。
昭和57(1982)年  3月:漁労試験船「水試1号」の代船として公害調査指導船「しお風:FRP船 7.95トン」を建造する。
昭和61(1986)年       :水産増殖試験場内に魚病指導総合センターを併設する。
平成  8(1996)年11月:漁業調査船「わかやま」の代船として漁業調査船「きのくに:鋼船 99トン」を建造する。

平成  9(1997)年  4月:漁民研修所を廃止し、水産試験場総務課を総務研修部に改める。
平成10(1998)年  4月:組織改正により「農林水産総合技術センター」が設置され、農林水畜産関係の試験研究機関

          は、その内部組織となる。

平成14(2002)年  4月:組織改正により、水産増殖試験場が「増養殖研究所」、内水面 漁業センターが「内水面研究

          所」となり、水産試験場の内部組織となる。また、水産試験場の開発部が「浅海資源部」、資源

          部が「沿岸沖合資源部」に改められる。

平成17(2005)年  4月:内水面研究所を廃止し、現地において「内水面試験地」として水産試験場の直轄で業務を継

          続する。

平成18(2006)年  4月:増養殖研究所と統合して串本町串本1557-20番地に庁舎を建設移転。また、組織再編により

          4部制(企画情報、資源海洋、養殖栽培、漁場環境)となる。

平成21(2009)年  4月:組織再編により4部制から3部制(企画情報、資源海洋、増養殖)となる。
平成24(2012)年  4月:組織改正により「農林水産総合技術センター」が廃止され、和歌山県水産試験場となる。
令和  2(2020)年  8月:漁業調査船「きのくに:鋼船 99トン」の代船として漁業調査船「きのくに:鋼船108トン」を建造

          する。

                                                                                                                                                                    ~現在に至る

このページの先頭へ