「伝統産業をクリエイティブ産業に」〜世界に飛躍する老舗企業〜

「伝統産業をクリエイティブ産業に」〜世界に飛躍する老舗企業〜

平成28年度第4回「わかやま産業交流サロン」では、京都を代表する伝統産業「西陣織」の老舗として創業300年を超える株式会社細尾 代表取締役社長 細尾真生氏にご講演をいただきました。(平成29年3月15日(水曜日) アバローム紀の国)

1200年以上続く京都の伝統産業「西陣織」

細尾真生氏の画像

西陣織は京都の伝統的な織物産業で、私の家は元禄年間から300年以上、西陣の織物を織ることを生業にしてきました。
この西陣織には1200年以上の歴史があります。桓武天皇が794年に京都に遷都しましたが、その前から秦氏という朝鮮半島からの渡来人が京都に住んでいて、機を作って、カイコから絹糸をとって、それで絹織物を作っていました。そして、この1200年の間に西陣織は様々な技術を蓄積していき、おそらく世界で一番技術的に高度な織物になったわけです。西陣織の特徴を簡単に言いますと、様々な文様を多色で織ることができる点にあります。普通はたくさんの色を使うとそれだけ生地が厚くなりますが、それを薄く軽く織る技術が世界で最も優れており、そのために金糸・銀糸だとか様々な素材を織り込むことができるというのが、西陣織の大きな特徴になっています。

海外展開は惨敗からスタート

この西陣織を着物や帯だけではなく、形を変えて海外に売り込むことができないか、これが我が社が平成17年から取組んでいる課題です。
ちょっとここで呉服業界の話をさせていただきますと、第二次世界大戦が終わって、まさしく日本経済はゼロから出発しました。それが昭和25年代終わりぐらいから始まった高度経済成長時代に呉服業界はほかの業界と同じように成長していきまして、昭和57年のピーク時には2兆円の市場にまで成長しました。しかし、その後は西洋のライフスタイルが入ってきたり、生活様式の変化など様々な要因がありまして、市場は縮小の一途をたどり、現在は2800億円、ピーク時の約15%の規模にまで縮小しています。
私は昭和50年に大学を卒業しまして、長男である私が家業を継ぐ立場だったのですが、これからはグローバル化の時代だから世界を股に掛けて働くような仕事に就きたい、と思いまして、家業は継がずに大手商社に就職しました。その会社では7年間お世話になりましたが、そのうちの4年間はイタリアのミラノにあるアパレル会社に出向しました。この4年間が今から振り返ると私にとって貴重な4年間になりました。西陣織をもう一度外から見直すことができたからです。それまでは西陣織は家業ですから、特別意識をしていませんでしたが、外からの目で見直してみて、これはもっと世界に広めていく価値のある織物だと確信しました。ちょうどミラノでの最後の年に父親が病気になり、家業を継いでくれ、と言われまして昭和57年に家業に戻ることになりました。
しかし、昭和57年というのは呉服業界がピークの時でしたから、さあ西陣織を世界に売り出すぞ、といっても番頭さんは動きません。

海外展開は惨敗からスタートの画像

西陣織を世界に売るなんてことはやめさない、本業をきちっと真面目にやっておれば、お家も安泰だし、社員も安心して暮らせるのだから、と言われまして、当初は全然させてもらえませんでした。私も立場上、まずは実績を積んで、社員に認められなければならないと思い家業に取り組んでいましたが、呉服市場が急速に縮小しはじめ、小売業者・流通業者が倒産廃業し、産地も疲弊していく、技術の後継者もいなくなるというような危機的な状況になってまいりまして、そこで平成17年から、いよいよ自分がやりたかった西陣織を世界に売るという仕事に本格的に取り組み始めました。もうここでやらないと未来はないぞ、という覚悟でした。
ちょうどそのころ京都商工会議所が、経済産業省のバックアップで「京都プレミアム」というプロジェクトをたてました。これは京都の伝統技術を使って新商品を開発し、欧米のラグジュアリーマーケットに売り込みに行くというプロジェクトでしたので、待ってましたとばかりに、私も手を挙げて5、6社選ばれたうちの1社に選んでいただきました。そして、西陣織の技術・素材をつかったインテリア商品を1年かけて作りまして、平成18年のパリのメゾン・エ・オブジェに出展しました。しかし、西陣織の素晴らしさを世界のラグジュアリー層に見せてやろうと意気揚々とパリに行き、約4日間営業活動をしたにもかかわらず、オーダーゼロという結果になりまして、初の海外展開の試みは惨敗に終わってしまいました。
これには非常にショックを受けました。それでもめげず4年続けて出展したものの、なかなか成果が出すことができませんでしたが、私も黙って負けていたわけではありません。我が社の製造部長をメゾン・エ・オブジェに連れていき、私が営業活動をしている間に、その者に出展している全ての織物メーカーのブースを回って織物のサンプルを集めさせました。これはコピーするためではなく、世界のメーカーがどこも織っていない織物は何なのか、その調査をやったわけです。その結果わかったのは、西陣織のように金糸銀糸、箔、絹などあらゆる素材を使った織物はほかになく、完全に差別化できる、ということでした。
しかし、織幅が問題になりました。世界のお客様からのニーズは150センチメートルの幅だったのです。これまでの西陣織は帯の幅でせいぜい40センチメートルしかなく、織機も材料もすべてこの幅に合わせて作られていました。幅を広げるというのは口で言うのは簡単ですが、1200年間誰もやらなかったことを我々がやるわけで、非常な難問でした。結局、150センチメートル幅織機をゼロベースから開発することになり、開発に成功するまで1年半かかりました。
もう一つは価格の問題でした。メゾン・エ・オブジェ1年目で惨敗した時に、いろんな方に言われたのは、「細尾さん、ゼロが一つ多い、ゼロを一つ取らないと世界の価格競争の中で勝てるわけがない」ということでした。
しかし、考えれば考えるほど、ゼロを一つとることは難しい、それではほかの織物と同じ織物になる、西陣織ではなくなるんです。差別化できないと結局沈んでしまう、とその時にパッとひらめいたのが、フェラーリです。
フェラーリというのはご存じのとおり、何千万円とする高級車です。しかし、高いからといって売れないかというとそうではありません。世界中の販売台数を見ると、何千台という台数が売れています。そこで気づいたのは、ターゲットをラグジュアリー層に絞ろう、ということでした。これを決心できたのが、今日の勝因につながっています。
ラグジュアリーブランドで最初にオーダーをもらったのが、クリスチャンディオールです。これが初めての150センチメートル幅のオーダーだったのですが、上海にある旗艦店の壁布に採用してもらいました。そして、この旗艦店のリニューアルからスタートし、今日までに80か国以上、世界160店舗で我が社の織物を内装素材として使っていただいております。
この仕事がきっかけとなって、他のラグジュアリーブランドショップや国内外の高級ホテルなどからも注文が次々と入るようになりました。

More than Textile

西陣織は非常に可能性のあるものです。その可能性をとことん追求しようと、我が社では、「More than Textile」というテーマを掲げまして、いわゆる「織物」という物理的なものを超えて、新しい価値を創造していこうと、日々仕事をしています。
たとえば、最近ではインテリアだけではなくファッションの仕事にも取り組んでいます。パリで活躍している有名デザイナーの素材に使われたり、有名アーティストの靴のデザインに我が社の織物が使われていたりします。
また、プロダクトデザインにも力を入れています。カメラやサングラスや車など、幅広い分野に我が社の織物を提供しています。単なる素材の提供に留まらず、商品名に「HOSOO」とのコラボレーションであることを明示するなどして、ブランド化を図っています。
それから今後の仕事になりますが、先端技術との融合にも取組みを始めています。西陣織の特徴である多層な織物の中に金糸や銀糸ではなく、センサーやデバイスを織り込んでデザイン性も機能性も優れた家電の開発を進めたり、クラゲの遺伝子を蚕の遺伝子に組み込んで光るシルクを創るといった、バイオテクノロジーを用いた新素材の開発にも取り組んでいます。
今後の課題は、西陣織とバイオテクノロジー・AI・ロボット・ITといった先端技術をどう組み合わせて、新しい価値をどう創っていくか、ということになります。
私の信念として、科学技術だけでなく、文化や芸術が培う「人文知」というものが大切であると考えています。我が社ではこれからアート&サイエンス、これをバランスさせながら次の時代の新しい価値を作っていきたい、そこに新しいビジネスを求めていこう、ということで今スタートしたところです。More than Textileの画像

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