モデル事例集「monkey」

「アートで伝える多様性」

アートユニットmonkey

主宰 たあつこ=かおりさん、柴田政治さん(橋本市)

お互いに自分を表現する生き方に

たあつこ=かおりさん、柴田政治さんご夫妻は、様々なメッセージを投げかける現代アート作品の制作やワークショップを行う“アートユニットmonkey”を平成15年に立ち上げました。作品を通して「“あたりまえ”って何?」という問いかけや多様性をテーマにした作品を制作しています。
個人としての活動では、政治さんは家具職人として特注家具製作を、かおりさんは「たあつこ=かおり」として絵やイラストを展示発表、絵本作成のワークショップなどを行っています。
神戸で店員や介助の仕事をしていたかおりさんと、東京のシンクタンクでシステムエンジニアとして働いていた政治さんは美術大学の通信学部にともに学び、スクーリングで出会い平成12年に結婚、二人は神奈川県茅ケ崎市に生活の拠点を持ちました。かおりさんは3ヶ月間、専業主婦でしたが、その後、障害者自立支援センターなどで働き出しました。その頃、茅ケ崎市女性センターで「自分らしく生きる」というタイトルに惹かれ女性学を学び、男はこうであるべき、女はこうであるべきというつくられたジェンダーの意識に窮屈さを感じていたことに気づきを得た時期でもありました。また、もともと絵を描くことが好きなこともあり、地元の絵本のサークルで作品を発表していました。政治さんは結婚1年半後に会社を辞め、半年間の主夫生活ののち1年間、木工の訓練校に通いました。会社での仕事も「そこそこ活躍した」が、やりがいは感じられず上司や顧客の首を縦に振らせるだけの「ゲーム」だという感覚が拭えなかったそうです。もっと好きなことを仕事にしたいとの思いと、「ものづくり」がしたかったため木工を学びました。
訓練校を卒業した平成15年には、工房兼ショップを立ち上げるための勉強として政治さんは家具販売店で、かおりさんはインテリア雑貨店でアルバイトを始め、また“アートユニットmonkey”として家具製作や木工やクラフトなどのワークショップを開くようになりました。ユニットでの活動は、ともに作品を作り上げるためにお互いの表現について納得するまでとことん話し合うと言います。そのため、お互いにエネルギーをひどく消耗するので、年に1回くらいの頻度だと。政治さんは「一人のときは安直にウケを狙った作品を作ってしまい、後悔することも多い。二人のときにはそれがなく、また違ったおもしろさがあり楽しめる」と話し、かおりさんは「一人だと突っ走ってしまうところを、二人のときは(政治さんが)上手にブレーキをかけてくれる」とお互いの存在を認め合い、それが素晴らしい作品につながっています。また、政治さんはものづくりを通して表現するようになって、本音で生きられるようになり地に足がついている実感が得られ気楽に生きられるようになったそうです。

家事も育児も夫婦で議論

かおりさんは、結婚とともに関西から関東に移り住んだことに加え、販売の仕事などを掛け持ちし忙しさとストレスで自律神経失調症になり、仕事を辞めざるを得ない状況になったことがありました。一時、かおりさんが作品を制作することもできないくらい体調が悪かったときは、政治さんが仕事と注文家具の製作をこなしながら家事を一手に引き受けたので、「そのときはかなりしんどかった」と話されました。かおりさんはその後、絵本の製作をし、政治さんと二人で家事をこなすなど徐々に回復していきます。そのとき、かおりさんの支えになったのは、ともに女性学を学んだ仲間や、絵の展示やワークショップを後押ししてくれた友人たち、そして常に寄り添ってくれた政治さんの存在でした。
そんな信頼関係に結ばれた二人でも、二人で政治さんの実家に行ったときには、政治さんの父親から「嫁」としての役割を求められ、茅ケ崎の家に戻ると必ずといっていいほどそのことで議論になったそうです。しかし政治さんは父親の考えとは逆で、かおりさんに「嫁」としての役割は求めてはいませんでした。訓練校の同期が木工で何かを始めるときに、妻であるパートナーが作業や販売などをサポートするというパターンはありましたが、政治さんはパートナーとは対等にしたいという意識があり、自分が木工をやるから妻にはそれをサポートしてほしいという意識はまったくなかったと言います。夫婦は対等であるという信念は、亭主関白である自分の両親をみて育ったことで培われ、「ああなってはいけないと思った」と話します。
また、かおりさんも夫が仕事を辞めて「ものづくり」の道を選んだとき、収入が減っても何とかなるだろうと思ったそうです。というのも、大手ゼネコンで働いていたかおりさんの父親がこのままでは過労死するのではと感じた時、母親が父親を無理やり会社を休ませたそうです。その後、父親が気力と体力を取り戻していったのを目の当たりにし、「命があったら何とかなる」という思いを抱くと同時に、茅ケ崎で学んだ女性学やジェンダーから、男は働いて女は家事育児をするものと決めつけられることへの違和感を意識し、自分らしく生きることへの気づきとなっていきました。

新しい土地で自分らしく生きる

茅ケ崎や山梨で工房や造形教室を行うための場所を探していた二人でしたが、なかなか適当な所が見つからず、かおりさんの祖父母の地、橋本市への引っ越しを決めました。平成16年10月のことです。そこはかおりさんが子どもの頃に住んでいた家で、かおりさんの家族が神戸に移ってからはずっと空き家になっていました。二人は、工房としても使えるスペースが充分にあり、畑もいっぱいある環境に惹かれたそうです。関東で生まれ育った政治さんは関西に移り住むことについて馴染めるか心配でしたが、住んでみると関西の実利主義の考えが意外にも自分に合っていたと言います。
橋本での生活は関東のそれに比べると人も情報量も少なく物足りなさを感じつつも、ゆっくりゆったりした暮らしに、茅ケ崎に戻りたいという思いは日々なくなっていきました。そして徐々にアートやクラフト関係の人とのつながりで、大阪や奈良の方との交流が増えていきました。また橋本に移り住んでから長女の郁ちゃんが生まれたこともあり、両親教室や育児サークルで出会った人との地元のつながりができつつあります。
お二人に家庭での家事についてお訊きすると、「家事はやれる人がやれるときにやる」が基本で気づいた人がするのが習慣になっているそうです。例えば昼ご飯を政治さんがつくったなら、夕飯はかおりさんがつくるなど、お互いを思いやる気持ちでともに家事をこなしています。
郁ちゃんが産まれてから、母乳育児を頑張りたいというかおりさんに対して、母乳ではミルクをあげることもできないので、おむつ係りになると決めていたと言う政治さんですが、出産2日後に助産師から「おむつ替えてみますか?」と聞かれ、「できるわけがない」と一瞬焦ったそうです。しかし、「逃げてはいけない」という思いから、実際におむつを替えてみて『する』を意識しました。
このようにお互いの仕事のバランスを考えながら、二人で家事や育児をこなしています。郁ちゃんが2歳で保育園に行くまでの間は、二人は育児を午前午後で交代し、夜中に仕事をするような生活を送りました。育児をしながら仕事をすることはかなりハードではあったけれど、育児は生活のサイクルになっていって今は意識することはないそうです。
二人は、料理は女性がするものでもなく、家事分担は社会が決めるものでもない、夫婦間で議論することが大事と話し、自然に生活していることが男女共同参画になっていると語られました。政治さんは夫婦で議論できる関係が大事で、「結婚したらケンカを怖がらずに議論することをおススメする」と話され、かおりさんも、「親のハッピーが子どものハッピーに結びつく、我慢しないで自分らしく生きることが大切」と笑顔で話されました。
自分らしい生き方を選んだお二人。「アートがそうであるように、大事なのは自分自身を表現すること。『自分たちの脚で生活している感覚』は、サラリーマン時代には味わえなかったもの。組織から離れてみてわかった、こんな幸せの形があるんだ」と政治さん。「ジェンダーをテーマに子ども向けの絵本をつくりたい」と語るかおりさん。橋本市という地域に根をおろし、アート作品からメッセージを発信し続けるお二人、平成24年には自宅スペースに『こどものためのアトリエbooka (ブウカ)』をオープン。子どもたちが自分の気持ちや、自分で考えることを大切に、『あそび』のなかで自分の気持ちや心が動いたこと、見たいものを形にしていくための場所を提供し、さらに地域に根ざした活動を続けています。

作品(invisible world)の写真
作品:invisible world(たあつこ=かおりさん作)
作品 やられるまえにやれの写真
作品:ヤラレルマエニヤレ(柴田政治さん作)
日仏現代アート新鋭作家展の写真
作品:日仏現代アート新鋭作家展(monkey作)
たあつこさん、政治さんの写真
たあつこさん、政治さん

(センターニュース第56号より、一部修正して掲載)

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