南海電鉄の鉄道について

南海本線について

南海本線は、明治18年難波駅から大和川駅間に開業した阪堺鉄道がその前身である。後に、社名を南海鉄道に変え路線を順次南へ延ばしていった。和歌山北口駅(現紀ノ川駅)まで開業したのが明治31年10月、和歌山市駅まで伸びたのは、明治36年3月であった。
その後、ライバル会社であった阪和電気鉄道と昭和15年12月に合併、その路線を南海山手線(現JR阪和線)としたが、昭和19年5月にこれを運輸通信省へ譲渡し、さらに同年6月、戦時輸送体制の整備ということで関西急行鉄道と合併、近畿日本鉄道となった。
戦後、昭和22年6月に分離して現在の南海電気鉄道となり現在に至っている。
「和歌山大学前駅(ふじと台)」が平成24年4月1日に開業した。

南海高野線について

高野線の前身は、高野鉄道である。明治31年1月の大小路駅(現堺東駅)から狭山駅間を皮切りに建設が進められた。明治33年8月に、道頓堀駅(現汐見橋駅)から河内長野駅間が開通した。明治40年、高野登山鉄道が設立され、事業の一切を譲渡し、河内長野駅以南は高野登山鉄道により建設が進められた。
橋本駅まで延びたのが大正4年3月、椎出駅(現高野下駅)まで延びたのが大正14年7月であった。椎出駅以南は、高野山電気鉄道が建設、高野山駅まで全通したのは昭和5年6月であり、昭和22年3月、南海電気鉄道となり現在に至っている。

南海和歌山港線について

和歌山港線は、昭和31年に和歌山港駅(現築港町駅)まで開通、昭和46年に水軒駅まで延長されたが、平成14年5月26日に和歌山港駅から水軒駅間(2.6キロメートル)が廃止となり、また、平成17年11月27日には久保町、築地橋、築港町の3駅が廃止された。
平成24年4月1日から南海フェリーとの接続に特化した運行形態に変更され、大阪・和歌山~徳島間の移動がスムーズになった。

南海加太線について

加太線の前身は、明治45年和歌山口駅~加太駅間に開業した加太軽便鉄道であり、大正3年に全線が開通した。昭和5年に電化とともに社名を加太電気鉄道に改称、昭和17年南海鉄道(現南海電気鉄道)に買収され現在に至っている。

このページの先頭へ