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問題解決のために、統計を使ってみよう

 

■PPDACサイクルとは

 

 どんな時に統計を使えばよいのか、なんとなくイメージできましたか? 何か解決したい問題があるとき、やみくもにあてずっぽうで行動をおこしても周りの理解が得られず、うまくいかないことが多いものです。解決のために必要なデータは何かをよく考えてそれを集め、まとめて分かった結果を分析して最適な解決方法を提案する、という方法を「統計的探求」といい、それを実行する手順が「PPDACサイクル(データに基づく問題解決のプロセス)」です。はかる君がおこづかいの100円アップに成功したのは、まさにこの方法を使ったものと言えるでしょう。そしてこの方法は、もっと深刻で大きな問題解決のためにも同じように役に立つのです。

 我が国には昔から「急がば回れ」、「論より証拠」といったことわざがあります。困難に直面した時こそ「PPDACサイクル」を意識し、冷静に正しい解決策を見つけ出していくことが大切です。

 

統計の成り立ち

 

 統計には、ものすごく古い歴史があります。例えば、古代エジプトで紀元前3千年にピラミッドを建設するための大がかりな調査が行われていましたし、ローマ帝国でも国の人口や土地を調べる調査が行われていました。古来、支配者は徴税(ちょうぜい)や兵役(へいえき)の制度を決定し、国を治めるために、領地内の人口、土地、作物などの調査をして国全体を把握する必要があったのです。

 「統計」は英語でSTATISTICS(スタティスティクス)といいますが、この言葉はラテン語のSTATUS(国、状態)という言葉が元になっています。

 中世以降、ヨーロッパでは、各国による勢力拡大のための競争や争いが絶(た)えませんでした。そして、国の繁栄(はんえい)の度合いをみる必要上、人口、貿易、産業などに関するデータを正確につかむための調査や研究が行われるようになりました。

 18世紀になると、国家を運営するためには統計がとても重要なものだとの考え方が定着するようになりました。フランスでは、統計の重要性に気づいたナポレオン(1769~1821年)が統計局を作り、政府による統計の整備を行いました。デンマーク、アメリカ、オランダ、イギリスなど他の国々で初めての近代的な人口調査が行われたのも、この時期です。

 日本においても、紀元前からの様々な文献(ぶんけん)に人口などを把握しようとしていたことが出てきます。江戸時代には、紀州藩(現在の和歌山県)から将軍になった徳川吉宗(とくがわよしむね、1684~1751年)が全国の人口調査を行いました。これにより日本の人口が概ね分かるようになりましたが、調査方法や対象者が統一されていないなど、今からみると正確とは言えないものでした。

 我が国で、調査方法を統一した近代的統計が初めて実施されたのは、明治時代になってからです。ヨーロッパの国々から政治や経済の仕組みを取り入れる中で、正確な統計が重要であることに気づいたのです。明治3年(1870年)、明治政府は府県ごとに農林水産物や鉱工業製品の生産量を調査し、「府県物産表(ふけんぶっさんひょう)」を作成しました。これは、我が国初の近代的生産統計とされています。そして明治4年(1871年)には、現在の「総務省統計局」などの前身に当たる「政表課(せいひょうか)」を置き、本格的に統計に取り組むこととなりました。

 現在の我が国で最も基本的かつ重要な調査である国勢調査(こくせいちょうさ)を行うための法律は、明治35年(1902年)に制定されましたが、日露戦争(にちろせんそう、1904~1905年)や第1次世界大戦(1914~1918年)などにより延期され、最初の国勢調査が行われたのは大正9年(1920年)のことです。その後、我が国の国勢調査は、太平洋戦争後の混乱期を除いて5年ごとに行われています。

 

「統計の日」と日本の暦(こよみ)

 

 日本では、統計の重要性に対する人々の関心と理解を深めてもらうため、昭和48年に、毎年10月18日を「統計の日」と定めました。10月後半は気候が穏やかで様々な行事をするのに都合がよいし、上の年表にも書いてある、我が国最初の近代的生産統計である明治3年の「府県物産表(ふけんぶっさんひょう)」に関する太政官布告(だじょうかんふこく)が公布された日(旧暦の9月24日)を現在の太陽暦に換算(かんさん)すると10月18日になるので、この日が選ばれたのです。

 

 

 ちなみに、日本では明治5年12月2日まで「天保暦(てんぽうれき)」といわれる暦(こよみ)を使っていました。当時、諸外国では現在のカレンダーと同じグレゴリオ暦(太陽暦)を使っており、日本の明治5年12月3日は太陽暦の1873年1月1日に当たりました。他の国々と暦が異なると不都合なことが多いため、明治政府はこの日をもって天保暦を廃止し、太陽暦に改めることにしたのです。ですから、明治5年の12月はたった2日しかなく、その翌日は明治6年1月1日となりました。急にお正月が来たので当時の人々はさぞ慌(あわ)てたことでしょうね。