| 1867年 |
4月15日 和歌山城下橋丁、南方弥兵衛、すみの次男として生まれる。幼いころから人並みはずれた記憶力を発揮する。 |
| 1873年 |
創設されたばかりの雄小学校に入学。 |
| 1875年 |
小学校の同級生、津村多賀三郎の家から『和漢三才図会』を借り書写をし、周囲の大人たちを驚かせる。また『大和本草』『諸国名所図会』なども書写した。 |
| 1879年 |
和歌山中学に入学。
同級生中井秀弥から、『前太平記』四巻、『経済録』を借り書写する。作文『祝文』『火ヲ慎ム文』を書く。 |
| 1881年 |
8歳のころからはじめた『和漢三才図会』の書写を完成させる。 |
| 1882年 |
春、両親たちと高野山に登る。 |
| 1883年 |
和歌山中学を卒業し、上京し神田共立学校に入学する。 |
| 1884年 |
大学予備門(後の旧第一高等学校)を受験し、合格。
同期生には正岡子規、夏目漱石らがいた。 |
| 1885年 |
学業に興味を覚えられず、大森、鈴ケ森などで石器、土器の採集をする。鎌倉、江の島に旅し、魚介類の標本を、日光では動物標本を手に入れる。『江の島紀行』『日光山紀行』を残している。 |
| 1886年 |
予備門を中退。渡米を熱望する。反対していた父も熱意に負け、12月に米国に向かう。 |
| 1887年 |
1月サンフランシスコに到着。ミシガン州立農科大学に入学。 |
| 1888年 |
『ネイチャー』の購読をはじめる。11月に学内でのもめごとが原因で州立農学校を退学。以後独学を続ける。 |
| 1889年 |
友人たちとともに『大日本』を発行する。
植物学雑誌の購読をはじめ、独学で世界的な博物学者コンラード・ゲスネルの存在を知り日本のゲスネルになろうと心に決める。優秀な学生たちと友好を深めつつ、読書をし、山野を歩き植物採集に励んだ。 |
| 1890年 |
日本経済の不況のあおりを受けて、実家からの送金が乏しくなっていく。 |
| 1891年 |
キューバに渡り、地衣類の新種、ギアレクタ・クバナなどを発見する。 |
| 1892年 |
9月ニューヨークから英国へ。ロンドンに到着後父の死を告げる手紙を受け取る。 |
| 1893年 |
大英博物館や南ケンシントン博物館で学び、ハイドパークなどで菌類を採集する。
10月『ネイチャー』に最初の論文『東洋の星座』が掲載され一躍有名に。 |