18ヶ国の言語を理解し、
民俗学、博物学、生物学など
さまざまな学問に通じた異色の学者。
和歌山が生んだ”知の巨人“。
熊野の母なる森に、彼は何を見たのか。

クマノの深奥に潜行するクマグス
横たわる熊野の自然。
切れ目なくひとつながりに織りなされた海、川、
森の巨大な生命のタペストリー。
「植物なのか? 動物なのか?」自然界はおかまいなしだ。
そのどんなにちっぽけな細部にも
生命の神秘が脈打っている。
小さな生命の現象に目を凝らすクマグス。


 ナンポウのクマクスノキ!!遠く南の島に生える巨大な楠の木。
 「南方熊楠」の四文字を初めて眼にしたとき、こうした印象を持つ人も多いのではないだろうか。
 
 慶応3年(1867年)和歌山に生まれた南方熊楠はやがて青い海、白い浪の広がる彼方、広大無辺な世界を知見するため欧米へと渡った。14年にもわたる洋行中、大英博物館蔵書のおびただしい数の抜き書きが、驚異的に敢行される。53冊の分厚いノートは「ロンドン抜書」として南方邸に保存されているが、何ヶ国語もの極細文字でびっしりと記入されている。
 大英帝国とは、かつてのアレキサンドリア図書館がそうであったように、世界をコレクションし尽くそうとした知の金字塔だった。クマグスは果敢にも、その聳え立つ金字塔にたった一人のぼり、厖大な書物の山を何年にもわたって貪り喰ったのだった。
 畏れを知らぬクマグスは「偉大なる知の野人」ともいうふうで、人身の限界を知らず、世界という名の知の森を、明治という開国まもない時期にあって、渉猟したのだった。
 研究の一大宝庫だった大英博物館を後にして、ふるさとに帰ったクマグスは、今度は自然界の大図書館とも言える”クマノのモリ“に、研究のフィールドを移し、深く分け入ることになった。

 自らの名文字の一つに「楠」があることからか、ことのほか自邸のクスノキを愛したと言われるように、熊野の「熊」はまた熊楠の「熊」でもあった。そしてクマノとは古来、「コモリク」つまり、「隠国」としてイメージされてきた処でもある。「熊野」それは籠り奥まった処、聖域として知られてきた。母胎のように籠る場所が熊野であることと、イザナミノミコトが火の神の出産後、身を灼かれ死んだのを祀ったとされる伝説の場所が、やはり熊野にあることは符号する。
 母なる森、熊野。そんな神秘の熊野が江戸時代「蟻の熊野詣」と呼ばれるほどに隆盛をきわめたが、クマグスの関心はもちろんそこにはなかった。

 
アオウツボホコリ子実体:表皮から内部構造に至るまで青緑色の美しい変形菌。合祀反対運動に駆け回っていた最中に、熊楠が神社で発見した曰く因縁付きの種類である。 Arcyria glauca   クダマキフクロホコリ:合祀反対運動により、収監されていた熊楠は、この種類の変形体の色彩変化を刑務所内で観察している。Physarum gyrosum

 

 エピソードにことかかないクマグスだが、帰国後はじめて那智の滝へのぼったときのこと。周辺に広がる照葉樹の原生林を含む生態系の調査で、何億年もの時間を費やし、海から那智の滝まで這い上がってきた微生物たちに眼をみはったというが、結局熊野那智大社へは参詣しなかったと伝えられている。

 科学者、南方熊楠にとっての一大関心事は、刻一刻と環境の変化によって進化し、変容しつづけてきた生命史、自然史の生きた証拠だったに違いない。この古くて遠い生命史の記憶を留める極小のサンプルが粘菌だった。
 「変形菌」とも呼ばれる粘菌は、菌類に属したり、原生動物に属したりと、いまだカテゴリーが不安定な生き物である。菌と呼ばれながらアメーバーのように動き回り、カビやバクテリアを食す。やがて成長したアメーバー状の粘菌は今までの湿地から急速に乾燥地帯へと移動する。移動を終えるとまもなく小さな無数のキノコ状に変化し胞子をつくり、その翌日には風に乗ってきれいに飛散し、跡形も残らないという。
 南方熊楠の植物研究は、そういった不思議な粘菌や、シダ、コケ、藻、地衣、キノコ、カビ、バクテリアなど「隠花植物(花を咲かせない植物)」全般だった。つまりクマグスにとっての「クマノのモリ」とは、そのような隠花植物たちが生息する環境を保つ原始の森、人跡未踏の森をこそ意味していたのだろう。
 「植物なのか? 動物なのか?」クマグスは、その小さな生命現象を観察するとき、森の精霊たちのこだまに静かに耳を傾けていたのではなかったろうか。


ススホコリ変形体:扇形に広がるアメーバー状の変形体は、腐木や落ち葉の間を這い回り、バクテリア等を食べて成長する。こんな複雑な姿でありながら単細胞生物である。Fuligo septica


   
 

サビムラサキホコリの子実体形成:成長した変形体は、乾燥の危険に晒されない夜間に子実体に変化する。1:集合した変形体は、夕刻頃個々の子実体の大きさに分割する。2:見る見る伸び上がり、子実体の形ができてくる。3:形が完成すると胞子形成を始め、赤く色づいてくる。4:胞子が成熟し暗褐色に変わった。後は乾燥を待って胞子を飛散させる。(3時間ごとの変化)

粘菌類写真/伊沢正名

 

広辞の森のフィールドワーカー
言葉の宇宙を示す辞典類。
南方熊楠にとって辞典とは終着点でなく、
それこそが出発点なのだった。
辞典を繙きながら思索するクマグス。
辞典の行間にわけいり広辞の森を開示するため、
猟師となって森羅万象を渉猟する
知のフィールドワーカー。

 クマグスの群を抜く能力はすでに4歳ごろから発揮されていたらしく、小学校入学のころにはすでに多くの漢字をおぼえていたそうだ。そのため父弥兵衛も当時の商家としては珍しく、開設されたばかりの和歌山中学(現、桐蔭高校)に入学させた。
 クマグス10歳のころ。現代のように書物が簡単に入手できなかった明治初期の話だ。蔵書家の家を訪ねては書物を見、記憶して家に帰り筆記し、現代の百科事典に相当する『和漢三才図会』105冊を、絵図まで描き入れ完成させる。コンピューターは論外として、コピー機もなく印刷もままならないころの神技だ。『和漢三才図会』木版刷り原本と書写を比較して驚かないものはいないだろう。幼少期の技である。いや、よしんば大人であったとしてもである。手本を横に置いての書写ではない。


   このような記憶術を何と呼べばいいのだろうか。カメラのようにバシャッと写し取る、フォトリーディングとでもいうのだろうか。ひょっとすると現代のような機械化以前には、クマグスとまでいかなくても暗算や暗記を含む特殊能力が、もっともっと生きていたのかもしれない。いずれにせよその能力は、くりかえすという反復の訓練により強化され、ことに後の大英博物館での「ロンドン抜書」や厖大な量の採集植物の分類に、また、1万5000枚以上におよぶスケッチからなる「菌類彩色図譜」にと遺憾なく発揮されていったものと思われる。……とまぁ、クマグスにまつわる潜在能力、天才性については枚挙にいとまがないが、日本民俗学の父、柳田国男をして「日本人の可能性の極限」といわせしめた言葉からうかがえるのは、クマグスが”普通や常識“というベクトルとは、まったく逆の方向へと立ち向かったということではないだろうか。



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