熊野は山のようであり、海のようでもある。太平洋に突きだした紀伊半島は、南の風を集め、雲を呼ぶ。雨が森を育て、川をつくり、そして人がやってきた。それ以前、太古の頃より神々が住むと、神話に記されている。言葉にすれば膨大な量の歴史と人々の営み、自然、文化、信仰が今も息づいている。熊野は「大演劇空間」であり、語り部はそこで演じる「役者」であると、市川森一氏は語った。役者である語り部を、さらに役割づけるなら、ギリシャ演劇のコロス(コーラス、舞唱団)であろうか。熊野の伝承者として、守護者として、神話の世界へと私たち来訪者を誘ってくれる。

漂探古道のベテランメンバーの皆さん。平均年齢は高くても、元気で若々しい。

 



漂探古道代表の木下幸文さん。そろいのはっぴがユニフォーム

特集ー2
熊野古道は祈りの道だった

 熊野参詣道の定かな記憶は、平安時代までさかのぼる。当時、上皇や貴族の間で京から熊野三山へ詣でることが盛んになった。熊野は辺境の地である。いくつもの山を越え、谷を渡る。雅な方々にとっては難行苦行の道のりであったと想像されるが、苦しみながら詣でるからこそ、御利益もあると考えられた。
 熊野詣のルートは幾つかある。代表的なのが大阪と結ぶ「紀伊路」で、その中に、高野山を経る「小辺路」、海沿いを通る「大辺路」、田辺から内陸に入る「中辺路」がある。そして、伊勢を結ぶ「伊勢路」さらに、吉野を経る「大峰奥駈け道」などだが、これらの中でも中辺路がもっとも一般的なルートであったという。
 時代が鎌倉、室町、江戸と下るにしたがい、武士や庶民も熊野を目指した。身分に関係なく、極楽往生や御利益、病治癒の奇跡を祈っての旅。熊野参詣道は、まさに祈りの道だった。

県内各地で活躍する語り部たち
 「ごらんの通り年寄りばっかりです」
 そう言って笑うのは、中辺路語り部の会「漂探古道」代表の木下幸文さん、御歳78歳。漂探古道の主要メンバーは、写真の通りのベテランぞろいである。32名いる会員の平均年齢はおよそ65歳。家業や職業を持っている人もいるが、多くはリタイア後の人生をふるさと熊野のPRと環境保全のために役立てばとの思いで語り部を務めている。
 和歌山の語り部活動は、昭和61年に「紀州語り部の会」が誕生したときから始まる。平成2年に開催された「古道ピア」と、折からのウォーキングブームで熊野観光ツアーが人気を博し、平成11年に開催された「南紀熊野体験博」によって、熊野古道と共に語り部の名が全国的に脚光を浴びることになった。現在県内31の市町村では、語り部たちが活動を行っている。ガイドを請う歴史愛好家やハイキング客、観光客などからの薄謝を経費などにあてる有償ボランティアである。
 「初めて熊野古道を歩いたのは昭和52年頃。それまで熊野古道という名前さえ知らなかったんです。ところが、こんな素晴らしい道があるのかと驚きましたよ」と木下さん。長い眉毛が下がり、優しい笑顔になる。
 「そこで仲間を集めて古道に標識をつくったり、橋を架けたりといった活動を始めたんです。紀州語り部の会にはすぐに参加しましたが、人に話をするなんて初めて。間違いがあってはいけないんで、郷土史家に話を聞いたり、資料を集めたりしましたね」
 熊野古道の現役語り部としては最古参だ。


古道は森の中ばかりではない。
美しい山里の景色も大きな魅力。

課題は後継者の育成
 漂探古道は、中辺路ルートのうち中辺路町を主に担当する。同ルートの本宮町部分を担うのは「本宮町語り部の会」である。同会代表の坂本勲生さん(74歳)も、語り部としてのキャリアは木下さんに劣らない。本宮町で生まれ育ち、地元の学校教師を勤めて40年。郷土史を研究し、授業で古道を採り上げたりした。

   「学校を退職した昭和63年に紀州語り部の会の会員になりました。地元民として熊野のこと、古道のことを広く伝え、残すことが大切だと思ったのが語り部になったきっかけです」
 教育者らしく、誠実な語り口が印象的。
 「だいたい一度に案内するのは20人くらいまで。実は語り部それぞれに得意な分野があるんですよ。歴史とか、植物とか、修験道とか。でもバラバラの話をしてたんじゃダメなんで、研究会を開いて勉強しています」
 本宮町語り部の会の会員は23名。漂探古道同様、会員の平均年齢は高い。語り部の高齢化と後継者の育成が大きな課題だと、木下さんも坂本さんも口をそろえる。



勉強のため一緒に歩くことも多いという、漂探古道のメンバーたち。
 
本宮語り部の会代表の坂本勲生さん。74歳とは思えぬ健脚。

熊野古道に新たな時を刻む
 どの語り部の会でも、語り部としてデビューする前に研修期間を設ける。そこで熊野の歴史や自然、宗教、生活習慣などの熊野の森羅万象と、さらにガイドのための会話術などを学ぶ。まだまだ人手不足だが、それでもボランティアの普及と共に新しい語り部が加わってきた。ユニークな人材も少なくない。
 例えば、漂探古道の小松勇二郎さんと裕見子さんは夫婦で語り部になった。「地位、名誉、財産などは一人で築くことができますが、環境は独りでは作れません。人間が環境を守って、いや自然に守られて生きて行くには、多くの人々の協力と、地球全体を見る大きな視野が必要です。熊野は人々に、広い視野と長い時間を感じとる想像力を育ててくれます。熊野は生きた教室ですよ」
 勇二郎さんは大学で講師をしており、学生たちの古道学習を実施している。
 本宮語り部の会の澤裕美さんは、熊野の世界遺産登録に備えて、増えるだろう外国人のために英語を操る語り部になった。海外生活を経て8年前に家族で本宮町に越してきた。夫婦共に美術家である。「熊野に住み、古道を歩くうちに、生活時間がスローになりました。静けさや緑の景色に囲まれていると、見えないものまでが見え、心の豊かさが取り戻せます。ただ、英語のガイドは難しい。英語で表現できない言葉がありますからね。ずっと勉強中です」
 さまざまな人生と暮らしを背景にした語り部たちに共通するのは、熊野への愛着だろうか。一人一人の郷土への思いが、木訥であれ、流暢であれ、古道の見どころを説明する言葉の端々に表れる。名所旧跡だけでなく、何気ない草木や石の姿に秘められた歴史や伝説を知るとき、同じ風景は豊かな彩りを得る。単なる観光では気づかない、熊野古道の魅力を私たちに見せてくれる。
 辞する前に聞いた木下さんの言葉が忘れられない。
 「熊野の環境を守るために、訪れてください。一度来た方は、もう一度来てください。歩いていただくだけで、道は固まりますから」


初めての英語の語り部、澤裕美さんは、自分で作った虎の巻を片手に。
 
夫婦で語り部を務める小松勇二郎さんと裕見子さん。

 


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