
熊野那智大社(くまのなちたいしゃ)
那智の神々を饗応する豪壮な火の祭典
主神の夫須美大神をはじめ、熊野十三所の権現を祀っている古社。ひときわ目立つクスノキは、平重盛が手植えしたと伝わる神木で、病気平癒の霊験があるといわれる。例大祭の「那智の火祭」は、神霊の宿る扇神輿を火で清め、那智の大滝まで渡御するという祭り。那智大社の扇神輿と、これを出迎える飛瀧神社の12本の大松明が激しくもみ合う様は雄壮でさえある。
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神倉神社(かみくらじんじゃ)
奇岩が屹立する神の磐倉
熊野の神々が最初に降臨した磐座とされる。後に御神体を熊野速玉神社に遷座したため、神倉神社の“元宮”に対して、新宮という地名が起こったという。新宮節の中で「山は火の瀧、下り瀧…」と歌われた「お燈まつり」は、神武天皇起源の古い神事。白装束に身を包んだ2千人の上り子が、それぞれに松明を持ち、やがて一条の火の流れとなって石段を駆け下っていく豪快な奇祭である。
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熊野本宮大社・大斎原
(くまのほんぐうたいしゃ・おおゆのはら)
たおやかな熊野の流れで現世の穢れを払う
中世の熊野本宮大社は、熊野川と、その支流の音無川・岩田川が合流する、大斎原と呼ばれる中洲に鎮座していた。この地を訪れた参詣者は、社前の音無川を渡る「ぬれわらじの入堂」をこなさなければ神域に入れなかったという。熊野のやわらかな清流は、俗世の貴賎、浄・不浄をすべて洗い清めてくれる“禊ぎ”の役割を果たしていたのだろう。
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熊野本宮社頭図 岩瀬広隆筆 (和歌山県立博物館蔵) |
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熊野速玉大社(くまのはやたまじんじゃ)
中世の為政者の帰依を受けた熊野の水神
祭神は熊野速玉大神。「速玉」とは、一説に熊野川の水の勢いを指す。中世には、足利義満や豊臣秀吉などの尊崇を集めて賑わい栄えた。平安時代に始まったとされる「御船祭」は、神霊の依った神幸船や早漕船が熊野川を駆けめぐる渡御の神事。速玉大社の神々が、熊野に祀られるようになった縁起を表しているともいう。
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那智の大滝
(なちのおおたき)
雄大な自然の造形に極楽浄土の世界を見る 那智四十八滝の一つ、「一ノ滝」と呼ばれるのが那智の大滝。飛瀧神社はその拝所である。中世には、四十八滝すべてをめぐれば極楽浄土への道が開けると信じられ、多くの参拝者が訪れて写経や読経に励んだという。山岳修験者の聖地としても知られるようになり、花山法皇(10世紀後半)が二の滝に籠もって千日修行を行ったと伝えられる。
那智山青岸渡寺
(なちさんせいがんとじ)
観音信仰で知られる西国三十三カ所めぐりの出発地 仁徳天皇の頃、インドから流れ着いた裸形上人が、那智の滝壺で見つけた観音像を安置したのが始まりという。平安時代、観音菩薩が33身に変身して衆生を救うという信仰が起こり、末法思想(釈迦入滅後、2000年で仏の教えが廃れるという思想)が広まった平安末期から室町時代にかけて、西国三十三カ所めぐりが盛んに行われた。当時は如意輪堂と呼ばれ、青岸渡寺はその一番札所である。
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