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創作落語「熊野詣」で巡る日本人の心の原郷 落語家 桂文枝 陶芸家 中上菜穂

 

特集写真その1

2004年9月2日、熊野の世界遺産登録を記念し、国立文楽劇場にて開かれた「五代目桂文枝独演会」の模様。創作落語『熊野詣』に、満席となった劇場が大いに沸いた。
 
世界遺産に登録された熊野を舞台とした、創作落語「熊野詣」の披露と相成った上方落語界の重鎮・桂文枝さん。
日本独自の話芸である落語の原型ができあがったのは戦国時代末期といわれているが、その長い歴史を踏まえても「熊野詣」を落語にした噺家は、今般の桂文枝師匠が初めてである。
並び称される「伊勢参り」は語り継がれているにもかかわらず。
桂文枝師匠は言う。
「それは、霊験あらたかな聖地、神秘の国・熊野への畏敬の念が、おもしろ可笑しく語る落語を遠ざけたのではないか」と。
人間性や世情の機微への本質的な理解とそれを批判的な精神で、なおかつユーモアを忘れずに語る伝承芸・落語が、いま、その異界の地への一歩をいざなう。

桂 文枝(かつら ぶんし)
1930年大阪府生まれ。言わずと知れた上方落語界の重鎮。1947年四代目桂文枝に入門して桂あやめ、1954年三代目桂小文枝を襲名。1962年五代目桂文枝を襲名する。文化庁芸術祭優秀賞や上方お笑い大賞大賞など、数々の賞を受賞。1997年には紫綬褒章を、2003年には旭日小綬章を受章している。

中上 菜穂(なかがみ なほ)
1973年東京都生まれ。陶芸家。作家・中上健次の次女。高校からアメリカに留学、滞在。帰国後、19歳で陶芸を始める。1998年全国公募展「ビアマグランカイ2」にて大賞受賞。2004年9月文筆デビュー作に「秘密の小道 陶芸コト始め」がある。


【創作落語『熊野詣』】
 何度も熊野古道に足を運び構想を練ったという、桂文枝師匠渾身の意欲作。「今後もさらに練り上げていきたい」とのことで、将来は古典落語として、長く語り継がれていくことに大きな期待が寄せられている。過去に熊野詣を題材とした落語がなかったという点においても、大変意義深い作品。
 あらすじは、江戸時代中期、お照という妻を亡くした漬物屋の平八、息子の孝介親子がその供養にと熊野詣に出かける。熊野古道を歩くうち、伝説の3本足の八咫烏に導かれて(時にはその背に乗せられて)熊野三山を巡礼し、熊野権現のご加護で癒され、元気を取り戻すという内容。
 熊野九十九王子を歩き、無事に熊野詣を終えて帰ってきたことを祝う山祝いの餅についての話や、頭巾を被った比丘尼と親子のやり取りのほか、本宮では湯の峰温泉のつぼ湯の話、熊野速玉大社ではナギの葉の話、那智の滝では延命長寿の水をいただくといった話が登場する。

―昔から、伊勢へ七度、熊野へ三度てなこと申しまして、お伊勢参り同様、熊野詣でも大変盛んやったそうです。―

一花一石に息づく、自然と人々の営みの融合

 「熊野古道を愛する会」からの依頼を受けたことをきっかけに、創作落語に取り組んだ文枝師匠。以来3年間、ひたすら古道を歩くことで構想を練ったという。今回は世界遺産登録後、初の熊野詣。
 同行するのは、和歌山県新宮市出身、芥川賞作家・故中上健次さんの次女・中上菜穂さんだ。陶芸家として活躍する彼女もまた、父が残したたくさんの物語を受け継ぎ、この地に対する想いも厚い。熊野が取り持つ縁に導かれ、ふたりの「熊野詣」が始まった。

―紀州に入りましたこの親子連れ。紀州路をのんびり四日ほど歩いて、田辺へとやって参ります。田辺から熊野へは、山ん中を分け入る中辺路(なかへち)というそれはそれは険しい参詣道(さんけいみち)―

 霊場「熊野三山」にいたる参詣道は、出発地点に応じていくつかの経路が開かれている。ふたりは落語に語られる平八、孝介親子同様、最もポピュラーだった中辺路ルートのスタート地点に立った。このルートは比較的整備された古道だ。とはいえ鬱蒼と苔むす森に分け入るのは決して楽でない。
 霊域への始まりとされる熊野九十九(くじゅうく)王子のひとつ、滝尻王子の前に佇み、そっと手を合わせる。「蟻の熊野詣」と呼ばれるほど賑わいをみせた往時の参詣者がそうしたように。そして、彼らを難行苦行に駆り立てたこの先に一体、何が待ち受けていたのか、いまを生きる自分たちの肌身で体感できますように、と。
 
特集写真その2創作落語『熊野詣』でも登場する湯の峰温泉で温泉卵を作る菜穂さん。「一度やってみたかったんです(笑)」。   特集写真その3古道を歩く人々の道標となった石碑は今も静かに旅人を見守る。

特集写真その4
昔は古道を歩くのに通行手形が必要だった。紀州藩の庄屋さんが発行していたとのことで、関所を通してやってほしい、一泊のみに限り泊めてやってほしい、行き倒れていたら埋めてやってほしいといった旨のことがしたためられていた。

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