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和歌山の人、もの、地域 和 nagomi 和歌山食材とのスローな出会い。 2011 vol.16

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ヤマサ醤油株式会社 代表取締役社長 濱口道雄×和歌山県知事 仁坂吉伸


  ヤマサ醤油の原点醤油の故郷 和歌山

仁坂知事(以下仁坂)●濱口社長は現在東京・千葉を拠点とされていますが、ルーツである和歌山に対してどのような印象をお持ちでしょうか?

濱口道雄氏(以下濱口)●同じように半島に位置して海に囲まれ、さらにそれぞれ大阪・東京という大都会に隣接して都会的な部分とローカルな部分が混在しているという点で、和歌山は本社のある千葉と似ていると思います。ただ、やはり一番思いますのは和歌山県人というのは外へ出て行くという気風気概を持った人が多いのではないでしょうか。そういう我々一族も和歌山を出て銚子で醤油造りを始めたわけですが、元々は紀州人が鰯の豊かな漁場を求めて進出していったことがきっかけだそうで、そしてそこで漁法を教え漁業の道具を扱う商売を行うなど交流が深まる中で、我々も一旗揚げようと進出していったようです。

仁坂●そうですね。漁法に関しては鰹の一本釣りなどもそうですし、鰹節や醤油など、発祥が和歌山で外へ広まっていったものがいろいろありますが、ヤマサ醤油さんはそこからどういう形で発展していったのでしょうか?


千葉県銚子市にある工場見学センター

千葉県銚子市にある工場見学センター。醤油の作り方などを知ることができる施設。
住所/千葉県銚子市北小川町2570 
電話/0479-22-9809


濱口●銚子というところは醤油屋を営むのに非常に良い場所なんです。犬吠埼の沖合というのは黒潮と親潮がちょうどぶつかるところですが、ひとつは湿度が高く温暖で醤油造りに気候的に適していたということ。もうひとつは利根川の河口にあり水運の便に恵まれていたので江戸に醤油を運びやすかったということですね。元々、江戸の醤油というのは和歌山の湯浅など関西方面から入ってきていたそうですが、我々関東勢がこうして徐々に力をつけて強くなっていったというわけです。

仁坂●いわゆる現地生産に切り替えたわけですね。よく思うのですが、当時の日本というのは時間距離からしても今よりずっと広く、大よそ日本国内=全世界と言っても過言ではなかったわけで、そういう意味からするとヤマサ醤油さんは今で言うグローバル企業だったのではないかと思うんです。銚子に江戸、大阪にも拠点があったでしょうし、もちろん地元の広川。それを可能にしたのも、紀州沖というのは黒潮が育む海運の通り道、海の高速道路が通う海上交通の要衝だったんですね。それで醤油など和歌山に縁のグローバル企業が世界に雄飛していったのだと思うんです。また、一方で和歌山はなれ寿司や鰹節、醤油や味噌など発酵文化が発展したところでもあります。そういう食文化の元を我々は大事にしなくてはと思っています。

濱口●そうですね。食文化の元と言えば、先日、瀬戸内海の小豆島へ行った時に驚いたことがありました。伺った醤油屋さんが「湯浅から醤油の作り方を習った」と言うものですから、「やっぱり湯浅は醤油の本場、原点である」ということを再認識させられましたね。


濁り醤、大仙堀

湯浅や御坊には、今も当時の製法にこだわった醤油蔵が残る。大仙堀はかつての船着き場。ここから醤油を運び出した。


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  濱口梧陵の偉大な歴史に触れる

仁坂●濱口社長は12代目ですが、7代目はあの「稲むらの火」で有名な濱口梧陵さんです。1854年の安政南海地震の時、田んぼの稲むらに火を付け、安全な高台にある広八幡神社への避難路を示し、押し寄せる津波から村人を守りました。その後、梧陵さんは故郷の復旧に尽力し、巨大な広村堤防を修造しました。それらは濱口家の私財で賄われ、小泉八雲は彼を「生ける神(A Living God)」と賞賛しています。

濱口●たしかに堤防を作り村を復旧するというのは、一企業としての負担は相当大きかったようです。お金の調達に困り江戸にあった分店を閉めたという記録も残っています。しかし主人が世の為人の為にがんばっているんだから我々もがんばらなければいかんということで、銚子の蔵人たちも力を合わせ、醤油の生産が最高石高を記録したと書いてあります。




濱口梧陵の像

1880(明治13)年、和歌山県の初代県議会議長に就任。写真は和歌山県庁に建つ濱口梧陵の像。




稲むらの火の館

稲むらの火の館
住所/和歌山県有田郡広川町広671
電話/0737-64-1760
日本家屋の濱口梧陵記念館とその向こうに見える津波防災教育センターからなる施設。


仁坂●それは素晴らしい話ですね。善なるもの意義のあるものに尽くしているんだというのが会社としてのモチベーション向上になったんでしょうね。銚子の蔵人さんたちの協力なくして現在の広川町の方々の安全はなかったかもしれません。
その後、商家の生まれにも関わらず紀州藩の勘定奉行となり財政を立て直し、当時の政府に入り初代駅逓頭(えきていのかみ=郵政大臣)に就任し、後に和歌山県議会議長をされました。

濱口●醤油屋でありながら私財を費やした篤志家であり藩政にも参画し内閣の一員も務めた多方面に活躍した人なんですが、その一方では醤油屋であるという原点を忘れず活動をしたと伝わっています。

仁坂●社長業もおろそかにしなかったということなんですね。時々和歌山からはマルチな天才というか、なんでもできてしまうという人物が輩出されるんですね。南方熊楠さんとか濱口梧陵さんはまさしくそういう人だったと思います。そのあとアメリカを志すわけですね。

濱口●漫遊ですけどね。梧陵は黒船が来た時からなんとかアメリカに行く手だてはないかと画策していたそうです。その後、勝海舟と親しくなり咸臨丸に同船しないかと誘われたんですがそれも叶わなくて。それでも晩年どうしても海外へ行ってみたいと思い、引き止められるのを嫌いひっそりと出かけたそうです。だから皆が知ったときは海の上だったとか。(笑)


「稲むらの火」
「稲むらの火」の故事は64年ぶりに小学校の教科書に再掲された。



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  改めて知る偉業と未来に対する備え


仁坂●梧陵さんの偉業は昭和21年の昭和南海地震の際に再評価されます。この時も広村を津波が襲ったが、例の堤防のおかげで被害を減らすことができました。ただ我々が戒めなければならないのは、あの時の津波は少し小型だったことで、もちろん防潮堤も必要ですが、堤防があるから逃げなくていいのではなく、少しでも早く少しでも高い所へ避難しなければならないということです。最低限命だけは守るようにしなければ次の復興もできません。そこで和歌山県は地震や津波の防災や減災という面で総点検をしました。これまでは避難先として体育館など丈夫な建造物が指定されているんですが、それらは高い所にあるとは限らない。だから、津波到達時間の許す限り高い所へ逃げよう。しかし、裏山に逃げようということになっても避難のための路なども整備しなくてはいけない。さらに、県南部では地震発生後数分で津波が到来すると予想されていますので、お住いの近くの避難施設というのも考えておかねばなりません。

濱口●当社工場には5階建てくらいの既に使用していない古い建物があります。取り壊す予定だったのですが、周辺では一番高い建物なので従業員や周辺住民の皆様のために残しておこうということになりました。

仁坂●それは良いことですね。現代版「稲むらの火」ですね。またこの度、「津波対策推進法」という法律が成立し、その中で11月5日が「津波防災の日」に定められました。これはまさしく梧陵さんの「稲むらの火」、安政南海地震の日です。

濱口●そうなんです。驚きました。東日本大震災の後、再び梧陵が脚光を浴びるようになり我々も非常に光栄に思っています。

仁坂●和歌山県の誇りでもありますし、我々といたしましても日本国全体が津波に立ち向かうような勇気を持つきっかけになればいいなと思っています。また梧陵さんの物語は平成23年度の小学校の国語の他、社会科などの教科書にも掲載されています。梧陵さんの活躍が国民に対する警鐘となり勇気づけになっているはずです。 

仁坂吉伸
仁坂吉伸(にさかよしのぶ)
和歌山県知事



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  台風12号被害からの復旧復興への道

仁坂●和歌山県は今年9月、台風12号による大水害に見舞われました。想定を遥かに超えた大雨で川の氾濫や大規模な土砂崩れが起き、多くの犠牲者や家屋倒壊、道路寸断など各地で甚大な被害を受けました。お亡くなりになられた方々のご冥福をお祈りしますとともに、家や財産を失くされた方々の心痛は想像に耐えません。ただそれで留まってはいられません。一日も早い復旧復興に努めるのはもちろん、二度と同じことを繰り返さないよう考えなければなりません。


濱口道雄
濱口道雄(はまぐちみちお)
1943年生まれ。濱口家12代目当主。現在ヤマサ醤油株式会社代表取締役社長で日本醤油協会会長でもある。「稲むらの火」で有名な濱口梧陵は7代目。


濱口●私も浅からぬ縁の所ですから様々な情報で心を痛めておりました。自然災害への備えというのは、堤防やダムなどのハードウエアと、それに対する常日頃の心構えというソフトウエアの両方がバランスよく必要ですから難しいですよね。

仁坂●そうですね。だからこそ全力で取り組みます。今回甚大な被害を受けましたが、みんながんばって急ピッチで復旧復興に向かっています。主要な道路など皆直しましたし、有名な観光地は安心して来ていただけます。皆さんにはぜひ和歌山へお越しいただきたいと思います。本日はありがとうございました。







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