和歌山の人、社会、地域 和 nagomi 美味なる紀州 和歌山うまいもんを追って 2008 vol.7

熊楠評伝 和歌山が生んだ知の巨人・南方熊楠にまつわる人物譚

日本ペンクラブ会員リレー執筆  第2回

シンボルとしての熊楠 
俳優・作家 中村敦夫

南方熊楠
協力/日本ペンクラブ、
南方熊楠顕彰館

 2005年4月、私は白浜空港へ降り立った。こぶりだが、南国風の雰囲気が漂うこの空港は、南紀沿岸都市での講演やら撮影などの仕事で、幾度か利用したことがある。

 しかし、この時の小旅行は、個人的な動機によるものだった。目的は、南方熊楠の足跡を辿ることである。

  前年7月の参議院選挙で、私は日本で最初の環境政党を作ろうと、10人の候補者を立てて、全国区比例代表選を闘った。私には、経済成長神話を奉じる近代主義は、すでに破綻しているという認識があった。近い将来、過激な競争による貧富の格差、人口爆発、温暖化による水と食料の欠乏、新種伝染病の蔓延、テロと核兵器の使用などによって、人類は存亡の危機に直面するだろう。

 新しい価値観、哲学、政治思想の登場が必要だった。ヨーロッパ諸国やオーストラリアなどでは、環境経済学に依拠する緑の党が躍進している。
  私は、「地球温暖化阻止」と「反グローバリズム」を選挙スローガンに揚げたが、マスコミは、みごとに少数派を黙殺した。今でこそ、表面的には環境問題が喧伝されるようになったが、たった4年前までは、ほんの一部の識者しか関心を示さなかったのである。

 個人の財力とエネルギーには限界があり、選挙の敗北とともに、私は政界を引退することになった。
 今でも時代認識は変っていないが、以前から気になっていた重要なテーマがあった。近代主義に代るべき新しい思想、つまり環境主義の根本理念とは何かということである。

 ヘーゲルやケインズ、マルクスやサルトルなどは、人間社会だけを優位に見る近代主義者である。
 これらの哲学的権威に対抗し、自然界と人間を同等に見る思想的ヒーローは誰か?
 その人物を探し出し、シンボル化することができれば、エコロジー運動の各分野に、強力な筋金が入る。

 私の直感では、その人物の思考は西洋的なものではなく、極めて東洋的なものではないか、ということだった。インドにはガンジーがいるが、日本だったら誰だろうと考えた。明治以降で考えると、田中正造や宮沢賢治などの名も浮かんだ。だが、もう一押し深いものが欲しかった。結局、底が知れない人物として、日に日に南方熊楠のイメージがふくらんできた。

 関連の本を数冊読んでから、とにかく、彼の生きた場所を見たいという欲求に駆られ、南紀に飛んだ。
 最初は、白浜の南方熊楠記念館を訪ねた。実を言うと、ここへ来るのは2度目だった。約30年前、仕事の途中で案内されたことがある。当時の私は、エコロジーにも博物学にも興味がなかった。陳列品を見て、随分マニアックな人間がいたものだと、驚いただけだった。改めて見直すと、事物に対する観察力と洞察力のすさまじさが伝わってくる。

 翌日から、熊楠研究家の中瀬喜陽氏の案内で、田辺市及び周辺、中辺路、神島など、所縁(ゆかり)の場所を訪ねた。国会で地域主権を唱え、公共事業による自然破壊を糾弾した私は、100年前に、神社合祀令や森林伐採に体を張って反対した熊楠に強い共感を覚えた。

 旅の後半は、新宮や勝浦に移動した。中でも、那智の山中にある陰陽の滝は印象的だった。英国から帰国した後の3年間、熊楠が毎日のように通った森の書斎である。熊楠の生命と宇宙に関する思想は、この森で形成された。

 博覧強記の科学者である熊楠は、科学と真言密教の合一を試みた。私は今、その世界を懸命に覗き込んでいる。

 
中村敦夫(なかむら・あつお)
中村敦夫(なかむら・あつお)

俳優、元参議院議員、ジャーナリスト、エッセイスト。1940年東京生まれ。60年東京外国語大学インドネシア語学科を中退し、俳優座養成所を経て劇団俳優座に入る。65年ハワイ大学留学、72年テレビ時代劇『木枯し紋次郎』で主役の紋次郎役を演じ、この作品の大ヒットにより一躍人気を獲得。83年に小説『チェンマイの首』を発表し、84年『地球発22時』、『ザ・サンデー』でキャスターを務める。98年参議院選挙で当選。2007年に日本ペンクラブ環境委員長、同志社大学大学院非常勤講師を経て、現在、講演、著述、映像などの分野で活動。著書『ジャカルタの目』、『さらば、欲望の国』、近著『ごみを喰う男』(徳間書店)など。