トップページ > 課・室一覧 > 広報課ホームページ > 和(nagomi) > vol.1 > [建築アート散歩] ひとと木のぬくもりがある小学校

建築アート散歩 ひとと木のぬくもりがある小学校。


高野山参詣(さんけい)ににぎわい、宿場町として発展した高野口。江戸時代から現在も織物の産地としても栄えている。昭和12年に建てられた高野口小学校。地域の有志が建築資金を援助したこともあり、当時“紀州一の校舎”と言われた。今では和歌山県でも数少ない木造の小学校だ。村井晴之校長先生とこの地域に生まれ育ち、親子3代で高野口小学校にかよった杉村さんに学校の思い出を語ってもらった。

いつまでも心に残る風景がある。

風格のある門構えだ。敷地内は石垣で囲まれ、大きな木の門が構えている。立派な框(かまち)を上ると、左右に長い廊下が広がり、沿うように大きく採られたガラス窓が並んでいた。上空から見ると、長い廊下から櫛形(くしがた)に校舎がのび、中庭を挟んでいる。中庭で種々の庭木を眺めていると、ひょっこりウサギが顔を出した。「ウサギ小屋から逃げて学校に棲み(すみ)ついてるんです。誰も捕まえられないから、自由に跳び回ってますよ。今朝も出迎えてくれたし」案内をしてくれた村井校長先生が笑顔で言った。

杉村さんのお母さんが小学1年生の頃、高野口小学校が竣工(しゅんこう)された。新宮市からヒノキ材を運んできて、宮大工さんが建てたという。一間ごとに設けられた柱は五百本に及び、梁(はり)は多すぎるくらい入っている。南側の窓ガラスは竣工当時のものがまだ残っていることに驚かされた。「高野口小学校は本当にしっかりした造りなんですね。小学生の頃、隣の地区に新しく鉄筋の学校が建ったんです。当時はうらやましかったけど、そこも今では建替えを余儀なくされている」杉村さんの小学校の思い出というと、毎日生徒が廊下を雑巾(ぞうきん)がけして、校庭の草引きをしていたこと。昼休み、校庭の隅で草引きをする内に夢中になってしまい気付いたら誰もいなかった。振り向いたときに目に入った広い校庭が今も記憶に残っている。確かに広い校庭だ。

今では休日に、少年野球チームの監督として校庭に足を運ぶ。小学校の同級生が一緒にチームを指導している。一度故郷を離れ、戻って家業を継いだせいか、地域への愛着は強いほうだ。“古いものを使えるように残していくのも教育の一環”と考え、小学校を残す運動をしていた。「でもね、うちの子はやっぱり新しい校舎がいいって言うんですよ。冷暖房完備じゃないから、冬は寒いしね」

先日、校長先生のもとに、昭和16年の卒業生が訪ねて来た。同窓会で余ったお金を学校に寄付したいという。地域の人々にとっては、やはり大切な思い出の場所なのだ。

愛すべきシネマティックな街。

木造建築物の愛好者は多い。高野口小学校でも、よくドラマや写真集の撮影が行われている。11月にはロケーション誘致に取り組む「わかやまフィルムコミッション」による映画祭が高野口で開かれた。その際上映された、田辺市を舞台にした映画「海と夕日と彼女の涙ストロベリーフィールズ」の太田監督が訪ねて来た。しきりに懐かしい風景だと話されていたそうだ。木の廊下を元気良く走り回る子どもたちの声とチャイムの音。誰もが持つ懐かしさという感慨かもしれない。懐かしい空気は高野口全体に漂っている。駅前には木造3階建の元旅館・葛城館(かつらぎかん)が佇み、かつての宿場町の賑わいを物語っている。まるで映画のワンシーンを観ているようだった。


トップページ > 課・室一覧 > 広報課ホームページ > 和(nagomi) > vol.1 > [建築アート散歩] ひとと木のぬくもりがある小学校