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和歌山県
(
わかやまけん
)
の
魅力
(
みりょく
)
>
紀伊山地
(
きいさんち
)
の
霊場
(
れいじょう
)
と
参詣道
(
さんけいみち
)
2004
年
(
ねん
)
7
月
(
がつ
)
7
日
(
にち
)
に“
紀伊山地
(
きいさんち
)
の
霊場
(
れいじょう
)
と
参詣道
(
さんけいみち
)
”が
世界遺産
(
せかいいさん
)
に
登録
(
とうろく
)
されました。
“
紀伊山地
(
きいさんち
)
の
霊場
(
れいじょう
)
と
参詣道
(
さんけいみち
)
”は
修験道
(
しゅげんどう
)
の
拠点
(
きょてん
)
である「
吉野
(
よしの
)
・
大峯
(
おおみね
)
」、
熊野信仰
(
くまのしんこう
)
の
中心地
(
ちゅうしんち
)
である「
熊野三山
(
くまのさんざん
)
」、
真言密教
(
しんごんみっきょう
)
の
根本道場
(
こんぽんどうじょう
)
である「
高野山
(
こうやさん
)
」の
三霊場
(
さんれいじょう
)
及
(
およ
)
び、それらを
結
(
むす
)
ぶ「
参詣道
(
さんけいみち
)
」から
構成
(
こうせい
)
されています。
古代以来
(
こだいいらい
)
、
自然崇拝
(
しぜんすうはい
)
に
根
(
ね
)
ざした
神道
(
しんとう
)
、
中国
(
ちゅうごく
)
から
伝来
(
でんらい
)
し
我
(
わ
)
が
国
(
くに
)
で
独自
(
どくじ
)
の
展開
(
てんかい
)
を
見
(
み
)
せた
仏教
(
ぶっきょう
)
、その
両者
(
りょうしゃ
)
が
結
(
むす
)
びついた
修験道
(
しゅげんどう
)
など、
多様
(
たよう
)
な
信仰
(
しんこう
)
の
形態
(
けいたい
)
が
育
(
はぐく
)
んだ
神仏
(
しんぶつ
)
の
霊場
(
れいじょう
)
であり、
大峯奥駈道
(
おおみねおくがけみち
)
、
熊野参詣道
(
くまのさんけいみち
)
、
高野山町石道
(
こうやさんちょういしみち
)
などの
参詣道
(
さんけいみち
)
(
巡礼路
(
じゅんれいろ
)
)とともに
広範囲
(
こうはんい
)
にわたって
極
(
きわ
)
めて
良好
(
りょうこう
)
に
遺存
(
いそん
)
している
比類
(
ひるい
)
のない
事例
(
じれい
)
です。
こうやさん
空海
(
くうかい
)
が
唐
(
とう
)
からもたらした
真言密教
(
しんごんみっきょう
)
の
山岳修行道場
(
さんがくしゅぎょうどうじょう
)
として816
年
(
ねん
)
に
創建
(
そうけん
)
した「
金剛峯寺
(
こんごうぶじ
)
」を
中心
(
ちゅうしん
)
とする
霊場
(
れいじょう
)
である。「
金剛峯寺
(
こんごうぶじ
)
」の
伽藍
(
がらん
)
は、
真言密教
(
しんごんみっきょう
)
の
教義
(
きょうぎ
)
に
基
(
もと
)
づき
本堂
(
ほんどう
)
と
多宝塔
(
たほうとう
)
を
組
(
く
)
み
合
(
あ
)
わせた
独特
(
どくとく
)
のもので、
全国
(
ぜんこく
)
の
真言宗寺院
(
しんごうしゅうじいん
)
における
伽藍
(
がらん
)
の
規範
(
きはん
)
となっている。また、「
丹生都比売神社
(
にうつひめじんじゃ
)
」の
祭神
(
さいじん
)
は、
高野山一体
(
こうやさんいったい
)
の
地主神
(
じぬしがみ
)
で、
空海
(
くうかい
)
にこの
地
(
ち
)
を
譲
(
まも
)
った
神
(
かみ
)
と
伝
(
つた
)
えられ、「
金剛峯寺
(
こんごうぶじ
)
」の
鎮守
(
ちんじゅ
)
として
祀
(
まつ
)
られたものである。
高野町
Koya-cho
くまのさんざん
紀伊山地
(
きいさんち
)
の
南東部
(
なんとうぶ
)
にあり、
相互
(
そうご
)
に20〜40kmの
距離
(
きょり
)
を
隔
(
へだ
)
てて
位置
(
いち
)
する「
熊野本宮大社
(
くまのほんぐうたいしゃ
)
」、「
熊野速玉大社
(
くまのはやたまたいしゃ
)
」、「
熊野那智大社
(
くまのなちたいしゃ
)
」の
三
(
みっ
)
つの
神社
(
じんじゃ
)
と「
青岸渡寺
(
せいがんとじ
)
」
及
(
およ
)
び「
補陀洛山寺
(
ふだらくさんじ
)
」の
二
(
ふた
)
つの
寺院
(
じいん
)
からなる。
三
(
みっ
)
つの
神社
(
じんじゃ
)
はもともと
個別
(
こべつ
)
に
自然崇拝
(
しぜんすうはい
)
の
起源
(
きげん
)
を
持
(
も
)
っていたと
考
(
かんが
)
えられるが、10
世紀後半
(
せいきこうはん
)
は
他
(
た
)
の
二社
(
にしゃ
)
の
主祭神
(
しゅさいしん
)
を
相互
(
そうご
)
に
合祀
(
ごうし
)
するようになり、
以来
(
いらい
)
「
熊野三山
(
くまのさんざん
)
」あるいは「
熊野三所権現
(
くまのさんしょごんげん
)
」と
呼
(
よ
)
ばれ、
多
(
おお
)
くの
皇族
(
こうぞく
)
・
貴族
(
きぞく
)
の
崇敬
(
すうけい
)
を
集
(
あつ
)
めるようになった。
「
青岸渡寺
(
せいがんとじ
)
」
及
(
およ
)
び「
補陀洛山寺
(
ふだらくさんじ
)
」は、「
熊野那智大社
(
くまのなちたいしゃ
)
」と
一体
(
いったい
)
となって
発展
(
はってん
)
してきた
寺院
(
じいん
)
で、
神仏習合
(
しんぶつしゅうごう
)
の
形態
(
けいたい
)
をよく
保
(
たも
)
っている。
さんけいみち
三霊場
(
さんれいじょう
)
に
対
(
たい
)
する
信仰
(
しんこう
)
が
盛
(
さか
)
んになるにつれて
形成
(
けいせい
)
され、
整備
(
せいび
)
された「
大峯奥駈道
(
おおみねおくがけみち
)
」、「
熊野参詣道
(
くまのさんけいみち
)
」、「
高野山町石道
(
こうやさんちょういしみち
)
」と
呼
(
よ
)
ばれる
三
(
みっ
)
つの
道
(
みち
)
である。これらの
道
(
みち
)
は、
人々
(
ひとびと
)
が
下界
(
げかい
)
から
神仏
(
しんぶつ
)
の
宿
(
やど
)
る
浄域
(
じょういき
)
に
近
(
ちか
)
づくための
修行
(
しゅぎょう
)
の
場
(
ば
)
であり、
険
(
けわ
)
しく
清浄
(
せいじょう
)
な
自然環境
(
しぜんかんきょう
)
のなかに
今日
(
こんにち
)
まで
良好
(
りょうこう
)
な
状態
(
じょうたい
)
で
遺
(
のこ
)
り、
沿道
(
えんどう
)
の
山岳
(
さんがく
)
・
森林
(
しんりん
)
と
一体
(
いったい
)
となった
文化的景観
(
ぶんかてきけいかん
)
を
形成
(
けいせい
)
している。
「
大峯奥駈道
(
おおみねおくがけみち
)
」は、「
吉野
(
よしの
)
・
大峯
(
おおみね
)
」と「
熊野三山
(
くまのさんざん
)
」の
二大霊場
(
にだいれいじょう
)
を
結
(
むす
)
ぶ
山岳道
(
さんがくどう
)
で、
修験道
(
しゅげんどう
)
の
最
(
もっと
)
も
重要
(
じゅうよう
)
な
修行
(
しゅぎょう
)
の
場
(
ば
)
である。
「
熊野参詣道
(
くまのさんけいみち
)
」は、「
熊野三山
(
くまのさんざん
)
」に
参詣
(
さんけい
)
する
道
(
みち
)
で、
京都方面
(
きょうとほうめん
)
からの
参詣
(
さんけい
)
のために
最
(
もっと
)
も
頻繁
(
ひんぱん
)
に
使
(
つか
)
われた「
中辺路
(
なかへち
)
」、「
高野山
(
こうやさん
)
」との
間
(
あいだ
)
を
結
(
むす
)
ぶ「
小辺路
(
こへち
)
」、
紀伊半島
(
きいはんとう
)
の
西南部
(
せいなんぶ
)
の
海沿
(
うみぞ
)
いを
行
(
い
)
く「
大辺路
(
おおへち
)
」、
伊勢神宮
(
いせじんぐう
)
との
間
(
あいだ
)
を
結
(
むす
)
ぶ「
伊勢路
(
いせじ
)
」からなる。「
高野山町石道
(
こうやさんちょういしみち
)
」は、
一町
(
いっちょう
)
ごとに
町石
(
ちょういし
)
と
呼
(
よ
)
ばれる
石製道標
(
せきせいどうひょう
)
が
立
(
た
)
つ
道
(
みち
)
で、
九度山町
(
くどやまちょう
)
の
慈尊院
(
じそんいん
)
から
高野山上
(
こうやさんじょう
)
にかけて
空海
(
くうかい
)
が
開設
(
かいせつ
)
した
参詣道
(
さんけいみち
)
である。
Wakayama Prefecture
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