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紀の国いきいきトーク

「紀の国いきいきトーク」は、私が県内各地に出向いて、県民の方々と気軽に話し合い、県政に対する理解を深めていただくとともに、各分野で活躍されている県民の方々の生の声を県政に反映させていくために開催するものです。ここでは、様々な分野でいきいきと活動されている皆さんとのざっくばらんな懇談の様子をご紹介します。

第18回 紀の国いきいきトーク対談内容

平成22年2月3日 りら創造芸術高等専修学校

<仁坂知事>
 皆さん、こんにちは。本日はどうぞよろしくお願いします。
 選挙の時に、県内各地をまわる中で、この辺に来させていただきましたが、その時、皆さんペンキを塗っていましたね。それが印象的で記憶に残っています。こちらの生徒さんたちの活躍も、見せていただいたことがあります。一昨年の一月だったと思うのですが、和歌山市内のホテルで日韓親善イベントがありまして、そこで皆さんが日本舞踊を披露されていましたね。確か題名は「老松」だったかな。皆さんいろいろ素晴しい活動をされているので常々注目していました。今日は、私が聞き役になって皆さんとおしゃべりしたいと思います。

“りら”が紀美野に来た
<仁坂知事>

 まず、学校の設立のきっかけについて校長先生から教えていただけますか。

<山上範子校長>
 私は、この学校を設立する前には、舞台芸術を子どもたちに教える仕事を二十五年ほどしていました。そして舞台を通して子どもたちが切磋琢磨して一つの作品を創り上げることで大きく成長していく姿を見てきました。舞台というのは一人で創ることができません。演じる人や、照明さん、音響さん、シナリオを書く人、広報する人、チラシを作る人などそれぞれ役割が出てきます。それはもう、一つのプロジェクトチームだと思うのです。そして、そのチームの目的は舞台の成功。舞台の発表という日までには、意見の違いや方向性の違いが出てきます。しかし、同じ共通の目的を持っているためいろんな話し合いをしたり、相手を理解したり、相手に自分の意見を伝えたりしていきます。そういったことから、相手を知ること、自分のことを伝えること、何かどこかでよい頃合いを見付けて目標に向かって進んでいくこと、そういうことを繰り返しながら、ものを創作していきます。その過程の中から、子どもたちはいろんなことを学んでいきます。そして、最終的に舞台当日を迎え、彼らが何を感じるかといいますと、やった分だけの感動が生まれます。一生懸命関わった分と感動は比例すると思うのです。だから、一生懸命やって舞台で何かを伝えて感動し、それを仲間と共にするから共感が生まれます。一緒に感動し、それによって人間関係をその過程で学んでいきます。何かを創るということは、創っては壊し、創っては壊しの繰り返しで、すんなりいくことではないので、道は一つではありません。これがダメだったら、次はこの道があるんじゃないかと考えることができる、そういう生きる力を子どもたちに持ってもらいたいです。そういう子どもたちを育てていきたいと思ったのが、この学校を作ろうと思ったきっかけです。

第18回 紀の国いきいきトーク

<仁坂知事>
 今、校長先生がおっしゃったのは、舞台だけではなくて、全ての社会の縮図だと思うのです。みんな目的を一緒にして、全員で協力していかなければなりません。
 例えば、県庁の行政でも同じことで、県知事が「ああしろ」「こうしろ」と言っても職員に意図が伝わらなければその通りにはなりません。みんなで議論して、私も含めみんなが選手になって、何かを作り上げていきます。その目的は県民の幸せを達成するためです。ただ、県庁の行政だとスケールも大きいし時間もかかります。全て協力しあって議論して悩みながら結論を出そうとすると、そのプロセスがあまり意識されない可能性があります。しかしこの舞台芸術というのは、舞台の完成まで時間が限られており、みんなの顔もわかりますし、まさに社会のある一部を舞台に出しますので、とてもよい経験になります。
 こういう学校を紀美野町の真国宮(まくにみや)に作られたのはどうしてですか?

<山上範子校長>
 私は大阪で五十年過ごして、仕事も生まれも育ちも大阪です。大阪ではずっと小さな部屋で創作活動をしてきました。しかし自然の力って大きいと思うんです。人をものすごく優しくしてくれます。舞台芸術をやっていくうちに、自然の中で創作活動をはじめました。自然の中では、目に見える景色・風・匂い等そういったものが人の心を落ち着かせてくれたり、感性を鋭くさせたりします。自然っていうものはすごい力を持っていると感じ出したのです。それで、学校を作る時は、朝から晩まで自然を感じられる所で子どもたちに教育をしていきたいと思ったんです。
 そして、ご縁があって紹介していただき、こちらに来させていただきましたが、本当に星が降るような夜空です。子どもたちはわかっているかどうかわかりませんが、何かに行き詰まった時に外を見ると葉っぱが揺れるのが見えたり、飛んでいる鳥の姿が見えたり、外に出ると風が吹き四季折々の花が見えたりするんです。そうすると心を縛っているものから瞬間的にリセットされ、頭がすっきりして心が一瞬にして解きほぐされます。そういった場所がここにはあり、和歌山はそういった所が多いと思いましてここに来させていただきました。

<仁坂知事>
 誰かからお誘いがあったんですか?

<山上範子校長>
 知人から、休校になっている学校があると教えていただいて知ったのです。来させていただいた際に、まだこんな自然がそのまま残っていて、そこには地域の人たちがたくさん住まれていて、ここは、子どもたちを学校だけじゃくて、地域の人たちと一緒に育てられる場所だと感じました。

<仁坂知事>
 その時の一期生が三人いますけど、北村さんはこの辺のご出身ですか?

<北村祥子さん>〔文化教養学科 三年生〕
 私は隣の紀の川市貴志川町出身です。貴志川町もだんだん都会化してきて、ここみたいな自然が減ってきています。校長先生がおっしゃったようにここには自然が多く残っていて、みんながミーティングなどで話が行き詰まった時に「外に出ようぜ」と言ってやったりするので、ふっとリラックスできる場所だと思います。

“りら”を進路に決めたきっかけ
<仁坂知事>

 今度は学校生活について生徒さんたちにお聞きしていこうと思います。なぜ“りら”で勉強しようとしたのですか?
 一期生の湯川さんはどうですか?

<湯川裕介さん>〔文化教養学科 三年生〕
 中学校で進学先を決める時、特に行きたい学校が見つからなくて迷っていました。僕自身、体を動かすのが好きだったので、そういう活動ができる学校がないかなと探していた時に、親がここの学校のパンフレットを持ってきてくれて、それが偶然の出会いでここに決めました。

<仁坂知事>
 それで晴れの一期生になったのですね。
 細井さんはどうですか?

<細井駿さん>〔文化教養学科 三年生〕
 僕は福井県から来ました。地元の子どもミュージカルの劇団で活動をしていたのですが、そこの劇団に大阪から毎月来てくださっていた講師の方が山上校長とお知り合いで、ここを紹介していただきました。ダンスとかミュージカルをさらにいろいろ勉強したいと思っていて、そういう環境がここにはあったので、ここに決めました。

<仁坂知事>
 では、入ったばかりだと思うんですけど、一年生の海津さんはどうですか?

<海津由布子さん>〔文化教養学科 一年生〕
 私が“りら”を知ったのは母から紹介されてです。中学生の時に、進路の情報を得るという目的のために初めて見学に来たのですが、その時はまだ一期生もいない時期でした。その後も先輩たちの活動の様子を見に来たりもしました。その中で印象に残っていることがあります。“りら”の行事の一つに中学三年生を対象にした体験学習というのがあって、同時に生徒発表の時間もあるのですが、その時に大人が自分たちで作詞作曲した曲を発表しているのを見ました。それまでは、学校っていうのは子どもの上に大人がいて指導している所と思っていたので、生徒と同じ目線で一緒に活動している大人を見て、よい意味でショックでした。そして、中にはこういう所もあるんだという思いでこの学校を志望しました。

<仁坂知事>
 入ってみてどうですか?

<海津由布子さん>
 すごく忙しかったです。この一年は風のように過ぎました。

<仁坂知事>
 校長先生がこのあたりは風が吹くとおっしゃっていましたが、学内にもビュービュー風が吹いて忙しかったんですね。でも、よいことですね。暇で一日何もなく過ごすよりも、その中でいろんなことを経験できて。

“りら”での生活を振り返って
<仁坂知事>

 大阪からこちらに来て入学して、自分がどのように変わったと思いますか?豊岡さんに聞いてみましょう。

<豊岡果琳さん>〔文化教養学科 二年生〕
 中学生の時は、いろんなことに挑戦するのが苦手だったんです。様々なことを親に勧められて「こんなのやってみたら」と言われても、やる前に否定してしまったり、ちょっとやってみても中途半端に投げ出してしまう性格でした。だけど、“りら”に入学して舞台や作品の制作など今まで経験したことがないようなことを経験ができるので、たくさんのことに触れて自分から積極的に動けるようになりました。

<仁坂知事>
 素晴しいですね。普通、人間っていうのはできない理由を一生懸命考えるものです。そうすると官僚主義になったりします。それよりも積極的に取り組むと、意外とできてしまったり、意外と面白かったりします。その分、苦労もしますけどね。そのような喜びも感じられるということは、なかなか幸せな学生生活ですね。
 森下さんはどうですか?

<森下竣平さん>〔文化教養学科 二年生〕
 “りら”に入って自分が変わったと思うことは、姿勢がよくなったことです。僕は下を向く癖があり姿勢がよくなかったのですが、それが直りました。舞台が多く、その度に姿勢を直せと言われるので、最近やっと直ってきました。

<仁坂知事>
 三年生は初めての卒業生となるわけですけど、この三年間を振り返ってみて、どんなことが一番印象的に思い出されますか?
 では、北村さん。

<北村祥子さん>
 全部が印象的ですが、やっぱり入学した当初が、今でもすごくインパクトが強いです。入学した時、一番初めに校長先生が、三年間っていうのはあっという間だと言われました。三年経った今、あと一か月もしないうちに卒業してしまうのですが、本当にあっという間で何があったか覚えてないくらい早かったです。でも、毎日忙しく充実していたので、寂しい気持ちもありますけど、本当によい学校生活を送ることができました。

<仁坂知事>
 北村さんの心境と私の心境は全く同じです。あっという間の三年間で、私も知事になってビュービュー風が吹いていた感じがします。別に冷たい風ではないのですが、必死になって仕事をしていたらあっという間に三年間が過ぎてしまいました。しかし自分自身を賭ける立派な仕事だと思うので、そのために一生懸命やって時間があっという間に過ぎるということは何も悪いことではないと思います。
 湯川さんは、後輩にどういうことを残して卒業したいですか?
 また、校長先生が三年間は早いっておっしゃったそうですが、自分の経験から何かこうしておいた方がよいというような後輩へのアドバイスはありますか?

<湯川裕介さん>
 とりあえずいろんなことを経験してもらいたいと思います。好き嫌いはあると思うのですが、嫌いなことにも挑戦してください。気合いを入れてやれば楽しいこともあると思うので、何事にもチャレンジしていってもらいたいです。

<仁坂知事>
 細井さんは福井から来て、一人で過ごしているわけですけど、三年間を振り返って最も印象に残っていることを一つあげるとしたら何ですか?

<細井駿さん>
 印象に残っているのは、大人も子どもと一緒に真剣に対等に話し合ってくれることです。僕たちは一期生で、入学した時は先輩がいませんでした。何をするのも一から作り上げていきました。様々な行き詰まりを感じながら、それでも前へ進まなければならない時など、大人も子どももなく話し合いをしながら何でも決めてここまで進んできました。また、勉強以外に、“りら”をどんな学校にしていこうかとかいう話についても大人たちは真剣に語り合ってくださいました。それは他にはない“りら”だけの特徴だと思います。
 その真剣さが印象に残っています。

<仁坂知事>
 他の世界でもみんな真剣だけれども、舞台芸術の世界はそれを最も典型的に、身近に、強烈に経験できるのではないですかね。そういった意味では皆さん本当によい人生を送られたと思います。

みんなで創り上げる舞台

みんなで創り上げる舞台
<仁坂知事>

 先ほど山上校長先生が、みんなで創り上げる舞台だとおっしゃっていたのですが、皆さん専門の領域ができあがっているんですか?

<山上範子校長>
 みんなそれぞれ演出・舞台監督などの役割が決まっています。

<仁坂知事>
 演出っていうのは、北村さんが担当しているのですか。演出をする時の苦労などを話してくれますか。

<北村祥子さん>
 私は去年一年間、演出担当をしました。演出担当はみんなを引っ張る役ですが、ものすごく細かいことでもみんなにいろいろ言わなければなりません。私はこの学校に入るまで、舞台経験がなかったのですが、いきなり「祥子ちゃん演出してね」と言われました。先輩もいなくて本当に何もわかりませんでした。引き受けた時に、先生から演出はみんなの嫌われ役になりなさいと言われました。人に言う分、自分もできていないといけないし、みんなを引っ張る分、弱いところを見せられないし、陰でひたすら泣いてました。そのお陰で根性が付いたと自分では思っています。

<仁坂知事>
 何か根性が付いた顔をしているよ。みんなを引っ張る魅力がにじみ出ているような感じがします。
 湯川さんは音楽担当ですか?

<湯川裕介さん>
 音楽はみんなで創っています。音楽放送局っていう授業があるんですけど、みんなで関わりあいながら、自分たちで曲創りをしています。メロディーを作る班と歌詞を作る班があります。
 授業では全部教えてもらうのではなく、自分で考えることが必要なので、まずは試行錯誤して自分で考えて、そこでわからなかったら先生に聞きます。わからなくてもまずは自分たちでやっていく、そういうスタイルでやっています。

<仁坂知事>
 それは大事なことです。
 海津さんは広報担当ですか?これもまた難しい仕事ですけど、どういうことをなさるのですか?最近新聞に“りら”の活動ぶり等の記事がよく掲載されていますが、それらも海津さんがいろいろメディアに働きかけているんですか?

<海津由布子さん>
 役割は学校主催で行うイベント等の周囲への告知がメインです。メディアや報道関係の方と関わる機会が多いのですが、お客さんが来てくれるかどうかはこの活動にかかっています。二年生と一年生の広報担当がいまして、私は一年生なので補佐役をしています。

<仁坂知事>
 広報って大変ですね。なかなか思った通りにいかないことが多いです。マスコミの人たちにも、いろいろとお考えがあります。例えば、マスコミの人たちには、和歌山でこういうことを報道したいというような、報道の意図があると思うのです。りら創造芸術高等専修学校についても、学校側に何かアピールしたいことがあるとか、あるいは、アピールする素材を見付けてもらえるかということが、記事として取り上げてもらえるかどうかの分かれ道になってきます。そういう意味で、記事にしてもらうのは結構難しいのです。
 和歌山県の政策についても同じです。県で大変よい政策をしているので、これについて県内外に向けて広報したいと思うとします。しかし、それがあまりにも県として当然のことであればどんなによい政策であっても、あんまり報道してくれません。それを今度は同じことを、例えばお笑い芸人のような方が宣伝してくれると、取り上げてくれたりするんです。また、和歌山は少し田舎だから、その田舎を生かした、田舎でののどかな協働活動等は全国のニュースになるんですけど、田舎で近代的なことをしてもあんまりニュースになりません。“りら”が最近、マスコミによく出ているということはよっぽど売りこみがうまいのですね。
 それから、演じる役割は、森下さんですか。俳優役をやるのですね。ここでは何が面白いですか?

<森下竣平さん>
 私は、自分の感情をなかなか外に出す性格ではないので、普段は怒っている時でもつい感情を抑えてしまいます。しかし、舞台では、自分の感情を使った演技になるので、普段自分が出せない感情、つまり自分の怒りや楽しさといった感情を他の人に見てもらったり、ぶつけられたりするのが楽しいし、それによって観客がいろんな反応をして盛り上がってくれるのも嬉しいです。観客が反応してくれるとまた自分も盛り上がっていきますし。

<仁坂知事>
 舞台からは観客席が見えますからね。お客さんには、感動してもらわないといけない、つまり、お客さんの心を動かさないといけないわけですが、そうするために心がけていることはありますか。

<森下竣平さん>
 そうですね。自分がどれだけその役になりきれるか、自分がもらった役をどれだけ自分に近づけるかというか、自分のものにするかということをすごく気にしています。

<仁坂知事>
 なるほど。豊岡さんはどうですか。豊岡さんも演じる方でしょう。お客さんに感動してもらうために、どんなことを心がけていますか。

<豊岡果琳さん>
 私はジャズダンスです。演劇は声で表現できます。泣くのも声を出して泣いたりとか。けれどもダンスでは声を出せないので体の表現が重要になります。体を使って泣いている姿を表現するとか、肩を震わせたらちょっと泣いているように見えるとか、怒るなら飛び跳ねてみるとか。そういうのを考えてやっていかないといけないので、自分がどうしたらお客さんにこの感情が伝わるのだろうとかといつも考えながら踊っています。うまく伝わった時には達成感があります。ほんとにもう「やったあ!」って思います。

<仁坂知事>
 あれ?と思う時もあるでしょ。

<豊岡果琳さん>
 結構、あれ?の方が多いんですけど。まだそんなプロではないので。

<仁坂知事>
 あれ?の連続ですよね。特に若い時は。多分一流のダンサーでもたまにはあれ?と思うようなところがあると思います。でもそれを直していくことによって改善があるので、そういう意味でも観客の反応がすぐわかるというのはほんとにいい勉強の仕方です。

御田(おんだ)の舞」復活!
<仁坂知事>

 御田の舞で細井さんと湯川さんが主役となり舞っていらっしゃいますが、どういうきっかけでこの御田の舞っていうのを復活させようということになったのでしょうか。これは先生に聞いた方がいいですか。

<山上範子校長>
 はい。真国丹生神社(まくににうじんじゃ)がここから五分ほど行った所にあるのですが、ここの御田の舞は、正式には「真国御田春鍬規式(まくにおんだはるくわきしき)」といわれ、古来から伝わってきた五穀豊穣を祈る伝統芸能です。田植えや稲刈りの様子を取り入れて神様に豊作を祈ります。残念ながら過疎が進んでしまったために伝承が途切れてしまっていたのですが、私たちがこの学校へ来させていただいた時に、地域の人たちからぜひ御田の舞を復活させて欲しいという話をいただきまして、三年生が卒業研究として取り組むことになりました。
 この舞は古代の「やまとことば」を使った、ものすごく長い台詞があります。もう覚えるだけでもものすごく大変なのに、そこにまた節が付いていたりするのです。それを過去に演じた方は、もう八十歳代の方が二人ぐらいいらっしゃる程度です。しかもそれをもう忘れてしまっているとおっしゃったのです。でも踊っている様子を撮影したビデオなどを地域の皆さんが持ってきてくださいました。もう一度これを復活することで地域の人たちも喜んでくださるし、ぜひにとおっしゃいましたので、何とか復活させました。そして昨年十一月に開催した世界民族祭の時に生徒たちが初めて発表させていただいたんです。

<仁坂知事>
 それは地域のためにも素晴しいことをしていただきました。

<山上範子校長>
 はい。彼らはすごく覚えるのが大変だったと思います。先ほども言いましたように、御田の舞には、長い台詞があるんです。舞と言うより台詞の方が長くて、三十分ぐらいずっと台詞を言うんです。それを覚えなくてはなりません。お米を田植えで植えるところから、最後にお米ができるところまでずっと「やまとことば」で言います。その途中に田植えの踊りをまた別の子が出てきて踊ったりするのですが、ずっとその言葉で繋いでいくのです。

<仁坂知事>
 それはすごいです。大変苦労されたでしょう。

<細井駿さん>
 はい。毎日台本の嵐で、僕と湯川君との二人でずっと台本を見ていました。でもやっぱり現代の言葉じゃないので、ものすごく覚えづらかったです。言葉の言い回しがすごく難しくて、最初は読んでいても意味がわからず、ちんぷんかんぷんでした。八十歳のおじいさんが来てくださって、踊り方やそのコツ等を教えてくれました。

<山上範子校長>
 皆さん喜んでくださいました。この舞は、もともと旧暦の一月七日にされていたそうです。それでこの二月の二十日が旧暦の一月七日になるので、本来の日にもう一度彼らが神社で演じさせてもらうことになっています。

<仁坂知事>
 そうですか。しかしそんな難しい舞を今は三年生のお二人が中心になって主役でされていますが、それは下級生にも伝わっていくんですか。少し心配になりますが。

<山上範子校長>
 伝えていくということを生徒たちが話し合って決めました。

<仁坂知事>
 地域とほんとに一体化していますね。

<山上範子校長>
 そうですね。今年は祭に生徒たちが御輿を担がせてもらいましたし、餅まきに参加さてもらうこともあります。授業で梅の収穫に行かせてもらうこともあります。反対に地域の人が野菜や果物を届けてくださったりもします。
 本当に地域に支えられていると実感しています。

<仁坂知事>
 素晴しいことです。ある意味では和歌山ならではというところもありますが。和歌山という所は、お愛想したりもしないし、文句を言ったりして議論はしますが、基本的にはよそ者は出ていけという感じがあまりない所だと思います。考えてみると熊野古道や高野山が昔からあって、巡礼の方が大勢来るわけです。嫌な所だなと思ったら人は来ません。他から来た人を受け入れるという伝統がずっとあるということは地域のためにもよいことです。それから学校側も自分たちだけでいいという考え方ではなくて、地域のために尽くしてあげようというふうに考えてくださっているということはほんとにありがたいことだと思います。

「世界民族祭」で地域が元気に
<仁坂知事>

 今度は鞍先生に聞いてみようかな。世界民族祭がこの学校を舞台に開催されましたが、どういうところからこういう話に繋がっていったのでしょうか。

<鞍雄介先生>
 ここの学校が開校してすぐの頃に、校長が、世界に誇れる祭をここでやりたいということを地域の方やその他いろんな方に話していました。世界に誇れる祭とはどういうものか、その頃はそばにいた僕たちには、具体的にイメージできていませんでした。しかし、この三年の間の様々な機会にいろんな方とお話をし、興味を持った方が情熱を持って集まって来てくださって、徐々に形になりました。この祭典には区長さんをはじめ本当に地域の方が中心になって集まってきてくださいました。学校で「地域に元気を」っていうのをテーマにやるんだったら、地域が手伝うのが筋だろうって言ってくださって、夜中の十二時まで学校の職員室とか会議室で地域の方とアイデアをつき合わせました。学校は事務局として動きました。それから会場の提供です。
 祭の当日の朝、雨が降ってしまって、僕らはもう呆然として、どうしようと困ってしまいましたが、地域の方が、自分たちが何とかするよと言ってくださって、八十歳のおじいちゃんやおばあちゃんが、雑巾を片手にそこの運動場に這いつくばって、雑巾でこうやって水を取ってくださいました。そこにはインド人の方が交じっていたり韓国の方が交じっていたりして地域がこの祭を支えてくれていました。この祭の参加者や海外留学生に宿泊場所として自宅を提供してくれたのも地域の人たちです。

<仁坂知事>
 そうするとこの祭は、学校単位でやったっていうのではなくて地域も協力して、地域の人たちも一緒に参加してやったんですね。
 祭に参加された、インドの方とか韓国の方にはどういうふうにして協力をお願いしたのですか。

<鞍雄介先生>
 最初はほんとにまだ形もない祭でしたから、出てやろうと手を上げてくださる方はいらっしゃいませんでした。それで大阪にある国立民族学博物館に出向きました。博物館へ行くと様々な国の人たちのサークルがありますから、博物館のイベントの時に生徒たちがチラシを作って、こんなことをやるので来てくださいと一つひとつまわりました。じゃあフラダンスをお願いしますとか、じゃあ次は他の国をお願いしますっていう風に。そのような形でお願いした結果、参加してくださった団体はいくつもあります。最終的には、韓国、トルコ、ペルー、インド、ドイツ等十か国二百五十人の人たちが参加してくださいました。

<仁坂知事>
 皆さん素晴しい活躍をしたんですね。北村さん、司会していてどうでした?

<北村祥子さん>
 いつもの生徒のイベントだと、私たちだけのイベントなんですけど、今回は違いました。地域の人と一緒でしたし、県の職員の方とかもものすごく協力してくださったので、自分たちだけのものではありあません。観客も二千人ほど来てくださいましたし。だから、仕事というか、ほんとにプロとしてやらなければいけなかったので、責任を重く感じた舞台でした。

「りらのぷりん」開発

「りらのぷりん」開発

「りらのぷりん」開発
<仁坂知事>

 なるほど。
 豊岡さんは物販担当だそうですが、この祭でどんなことをやったんですか。

<豊岡果琳さん>
 プリンを売りました。物販担当は今は主にプリンを売っています。「りらのぷりん」というのですが、今日も知事さんに食べていただこうと思って作っています。今、準備をしています。「りらのぷりん」は私たちが開発したもので、世界民族祭の時は六百個売りましたし、他にも学校のイベントの度に販売しています。
 最初はレシピをパソコンで調べて普通のプリンの作り方を真似していました。でも、今はレシピにこだわらずにどうしたらおいしくなるかということを考えながら、牛乳の量を変えたり卵の量を変えたり、いろいろ自分たちで工夫してやっています。材料の牛乳は海南の牧場から仕入れてきます。そこの牛乳は搾ったままの状態に近い生乳なので濃厚でおいしいんです。入れ物のデザインも私たちが考えました。菓子製造許可と飲食店舗営業許可を取得しているので、将来的には喫茶店を開くこともできます。

<仁坂知事>
 このプリンおいしいですね。実は私はプリンが大好きなんですよ。この辺に、“りら”を中心にして一大観光部門でも作りますか。

生徒たちの将来の夢
<仁坂知事>

 今度は皆さんの将来の夢を教えてもらいましょうか。ここで大いに勉強したことを生かして、やりたいことがあると思うのですが。

<湯川裕介さん>
 僕は、最初は、夢も何もなかったんですけど、やっぱりこの学校に入って、いろいろ経験して、最終的にやりたいなと思ったのはプロデューサーです。とても面白そうだなと思って。イベントを自分で企画したいと考えています。

<北村祥子さん>
 私は、世界民族祭に関わったことが、すごく大きなきっかけで、観光のことを詳しく勉強したいなと思っています。観光の勉強をするために進学するつもりです。先日受験したのですが、まだ結果が発表されていないのでちょっとどきどきしています。

<細井駿さん>
 僕はやっぱり入学してきてからの夢であるミュージカルスターを目ざすために、卒業してから、ニューヨークへ留学します。本場でダンスや歌をもっと勉強して上達し、ぜひミュージカルスターになりたいと考えています。

<森下竣平さん>
 僕は俳優になりたいと思っています。実はもうテレビの出演が決まっているんです。企業名はまだ言えませんがある商品のコマーシャルにメインで出ることになっています。

<仁坂知事>
 そうですか。メインで出るなんてすごいです。夢がすぐに実現してしまいますね。豊岡さんはどうですか。

<豊岡果琳さん>
 私は小さい頃からダンスをやっているのでダンサーになりたいです。今年中に、ディズニーランドのダンサーのオーディションを受けようと思っています。ミッキーマウスの下で踊っている人たちがいますが、ああいう仕事です。

<海津由布子さん>
 私はこの学校に絵を描きたいと思って入ってきているので、自分の得意なもので、それを生かす仕事に就けたらいいなと考えています。最初は漫画だったんですけど、だんだん、風景画のような、絵の中でも漫画以外の分野にも、興味を持つようになってきています。知事のお手元にある、カラーのチラシは、私たちが作りました。レイアウトやデザイン等も。これは、二月二十八日に開催される生徒総合発表会のチラシで、昨日できあがったばかりです。生徒総合発表会というのは、私たちがこの一年間、“りら”で勉強したことの総まとめという位置づけの発表会です。

2009年度生徒総合発表会チラシ 表

<鞍雄介先生>
 「スタート(start)」の文字の中に、「スター(star)」と「アート(art)」の文字が組み合わされて入っています。「スタート」は「はじまり」です。今から「スタート」という意味と、「スター(星)」と「アート(芸術)」という三つの意味が掛け合わさっています。

<仁坂知事>
 「スタート」「スター」「アート」の三つが掛け合わさっているわけですか。よく考えていますね。

指導者たちに聞く
<仁坂知事>

 山上先生は、校長先生のご子息だそうですが、自分がここに加わろうと思った理由は何でしょうか。

<山上祐輝先生>
 もともとは、心理学に興味があって、臨床心理士を目ざしていたんですけれども、臨床心理士だとカウンセリングという決められた時間の中でしか人と接することができません。しかしもっと大勢の人と関わって時間をかけ、いろんなことをフォローできるのは教師じゃないかというふうに思いました。教師であれば、学校の問題であるとか、家庭の問題等に様々な形で関わることができます。そこで教員資格も取得したのですが、普通の学校だと放課後のクラブ活動もありますが、生徒と接する機会を主に授業でしか持つことができません。それがここだと、生徒ともっと深い関わりを持つことができます。
 それから私は大学の時に、舞台やダンスなども勉強しましたが、それをもっとたくさん人に知ってもらいたいという思いもありました。それが合わさったことができるのがここなのです。この学校でみんなと関わりたい、さらに言うと、自分も参加してそういう学校にしたいと考えています。

<仁坂知事>
 これはまた、立派なお考えです。山上先生のおっしゃることはよくわかります。教師というのはそういうことですね。親子とまではいきませんが、関わりが部分的じゃなくて、子どものことを総合的に見ていかなければならないから、子どもたちの成長に全人格的に関与できますものね。だから、男性なら男冥利に尽きる、女性だったら女冥利に尽きる、そういう仕事です。どうもありがとうございました。
 それから、学校関係者として今日は特別講師がお二人いらっしゃいますけど、この特別講師の存在が学校の特徴になっていると聞いているのですが。

<山上範子校長>
 はい。“りら”には二十数名の特別講師がいます。今、後ろでビデオを撮ってくださっている方も映像を教えてくださっている特別講師です。プロの方が、“りら”の理念に参加してくださって、いろんなところから来てくださっているんです。私が、特別講師の方に来ていただきたいと思ったのは、皆さんプロで、今も現役で活躍されている方たちですが、そこに至るまでに、やっぱり大変な壁をいくつも乗り越えてそこに至っていると思うんです。技術を教えたり知識を教えたりするだけではなくて、苦労の乗り越え方であるとか、色々な角度から見る見方であるとか、そういったことを幅広く伝えていただきたいと考えたからです。そのために、それぞれの分野のプロの方に来ていただいて、人間として、伝えてもらいたいこと、人として関わってもらいたいことを皆さんにお伝えしています。知識・技術の向上、それを目ざすのもあるのですが、それプラス、その人が生きてきた、今までのたくさんの経験やそこから学んできたことを授業の中で伝えて欲しいと、そのようにお願いしたら、大勢の方が、一緒に学校を作ってくださって、生徒に関わってくださっています。特別講師の先生方はそのような人たちです。

<仁坂知事>
 ほう、今日は二人来られていますが、舟山先生は、染色がご専門ですか。どういうことを生徒に教えていらっしゃるのですか。

<舟山れいら講師>
 知事が最初に“りら”に来られた時にみんながペンキを塗っていたのが印象的だったとおっしゃいました。私はあの頃に、今の三年生が、まだ慣れないダンスの時間が終わった後、深いため息をついたりしているのを見て、私をここのみんなと繋いでいるのは、豊かなここの自然かもしれないと考えました。将来この子たちが、いろんな形で社会に出ていった時に「そういえば、あの時“りら”で、周りにあった草を染めたなあ」というように思い出してくれれば嬉しいなと思いました。一番最初に藍染めの藍の種を一緒に蒔いたんです。染色というのは、日常の暮らしの中で触れることが少なくなってきている授業です。でも、京都の染料屋さんからわざわざ染料を送ってもらわなくても、ここの周りに染料が山ほどあるわけです。実際、藍の色が発色するのを見て、生徒たちが歓声を上げたりします。その歓声を聞くと、ダンスや他の技術の時間とは違う感動を味わいながら気持ちをリセットしてくれればいいと思います。
 また、藍染めの藍の種を蒔いた時に鞍先生たちが、他の授業でちゃんと生徒たちに、藍が発色する理由を科学的な知識をもって、ちゃんとバックアップしてくれたりしました。そういう授業を重ねながら、生徒たちと一緒に過ごしてきました。
 私は紀美野町に工房を持って十六年になるのですが、もともとは埼玉県の浦和に住んでいたのでよそ者なんです。でも、和歌山っていうのは、先ほど知事が熊野古道や高野山への巡礼の話をされましたが、本当によそ者に優しいんです。私はどれだけ助けられたかわかりません。私は和歌山が大好きで、“りら”にいる生徒たちも大好きです。めちゃくちゃかわいい。その生徒たちと過ごした三年間のことが、また十年後、二十年後、みんなの中に残っていて、後に何かに出会った時に、思い出すきっかけになったらよいなと思っています。実は私自身、今の現場で仕事していますけども、時々めげたりする時に彼らの顔を思い出します。教えるだけではなくて逆にこちらも、生徒たちからもっと違うものをもらってるような気もします。

<仁坂知事>
 そうですか。生徒の皆さんは、先生がこういうふうなことを言ってくださっているということを忘れてはいけませんね。佐渡山先生は、演劇の専門家でいらっしゃいますね。生徒との間でどんなことをやりとりしながら教えてるのですか?

<佐渡山順久講師>
 僕の教え方っていうのは少し特殊なんです。うまく芝居をしようとは一切言いません。芝居をするということは最もわかりやすいコミュニケーションの手段だと思うんです。学校の授業で芝居を取り入れるということが、海外とか日本でもちょこちょこ増えてきましたが、その意図っていうのはやっぱり「コミュニケーションをしっかりとりましょうよ」ということだと思います。僕の会社では、プロの役者以外にも研修として大手企業の営業マンを何百人も集めて、お芝居やりましょうかとお誘いするんです。そこで、コミュニケーションというのはこのようにしてとっているんですと教えてあげる。上手にコミュニケーションをとるということは、ここの“りら”に来ている生徒たちにも、すごく大事なことだと思います。だから、お芝居がうまい下手っていうのは、まあ、それは二の次です。一番大事なことは、相手がどう感じていて、自分がそれに対してどう感じるかということです。頭で考えるよりも、ちょっと動物的なものなんだということを、コミュニケーションということに注目して、授業を進めていくのです。かといって、決してお芝居が疎かになるわけではありません。勿論、最終的にはみんなしっかり大変な量の台詞を覚えて、しっかりした作品を作るんですけどね。

指導者たちに聞く

<仁坂知事>
 先生の教えがうまいのか、ここの生徒たちはみんなコミュニケーションがうまいですね。  鞍先生は数学も担当しておられるということですが、数学なんていうと、演劇と関係ないように思えるのですが、生徒たちの中にはさぼってしまえと考えるような子どもはおりませんか。

<鞍雄介先生>
 ありませんと言いたいのですが、生徒たちの間で笑いが起こっていますね。  先ほど舟山先生もおっしゃっていたように、僕たちは生徒たちが舞台で感動するのを間近で見せてもらいます。生徒たちが本当に感動して「こうだったんや!」と気づく瞬間を本当に間近で見るんです。その経験を活かさない手はありません。それが、僕らのキャッチフレーズでして。
 数学は非常に演劇から遠い教科かも知れませんけども、アートのための数学というのをやってます。授業は九十分ありますので長いです。だから半分の時間をそういうアートのための数学に費やします。例えば、音色ってどうやってできてるのだろうかということを、数学でやってみたりします。また、実際に滝の高さを測定しに行ったりもしました。地域にあるもともと高さが知られていない滝を計測しに行って、計算で高さを求めました。今、後ろでビデオを撮影してくださっている堀田カメラマンも特別講師として生徒を教えてくださっているんですけども、カメラの授業で、すごく面白い画角(*1)の話を、専門的に話されたんです。生徒たちが感動して、中にはカメラマンになりたいという子も出てきました。彼は、もしかしたらもともと数学には興味がなかったのかもしれないけど、今の彼だったら、絶対、画角の話を数学を使って説明して、他の人に「こんなこと知らんかったらあかんで」ということが言えるわけです。
 だから、そういうふうなことを通して数学に興味を持たせます。教科書も勿論使いますが、彼らは非常に素直ですので、ただ教科書だけに固執するのではなく、教科書の流れの中で彼らの興味や関心を大事にしながら授業を進めると、やはり目の輝きが変わるんです。生徒たちのその輝きの部分というのは、すごく重要です。それをいかにして、学ばせたいことに繋げていくかというのが僕たちの課題かなと思っています。

(*1)画角
カメラで、フィルム面やイメージセンサーに撮影できる範囲を、レンズ上の角度で表したもの。

<仁坂知事>
 何でも、そうですよね。無理やり「やれ」と言われると、「嫌だなあ」と思う。また「受験で必要なんだぞ」と言われても、しぶしぶやりつつさぼりたくなる。だけど、本当に「これは面白い」と思ったら、趣味みたいになってやりますね。だから先生が上手に生徒たちを指導しているということなのでしょうか。えらいなあと思って聞いておりました。

<鞍雄介先生>
 まあ、全てできているわけではないので、今の笑いが起こるのでして。

<仁坂知事>
 山上先生は舞台企画を担当されているんですか。

<山上祐輝先生>
 はい。今年は、AEP(アートイベントプロデュース)という授業を作っていまして、これを全学年で取るようにしています。この授業は、時間を軸にして生徒たち自身が考える時間です。イベントを企画し、進行を考え、練習し、それを発表して、振り返ってみるということをします。そういう活動の中で、生徒たちがいろんなことにぶつかったり考えたりします。例えば、練習がなかなか進まなかったり、レベルをもっと上げてみせたいと悩んだり、あんなことをしたいこんなことしたいと考えます。いろんなことを、経験したり失敗したりしながら一つの舞台を創り上げる経験を授業の中で増やしていくのです。

校長の願うこと
<仁坂知事>

 なるほど、そうですか。いろいろお話を聞いてきたんですけど、ここは生徒も一生懸命頑張っておられて、数学まで感動になってしまうような学校で、それこそ私自身感動いたします。それでは最後に、りら創造芸術高等専修学校の校長先生の思いを語っていただきます。

<山上範子校長>
 今日も学校に、写真家の方、舞台で実際に演じておられる俳優の方等、特別講師の方が来てくださって、格好いい姿、大人が頑張っている姿を見せてくださいました。生徒たちが「あんなふうになりたいな」という、憧れの気持ちを持つということが大事だと思うんですが、それを間近に見せてもらって、そして、疑問に思ったことをすぐ答えてくださる人がこうして来てくださることを大変嬉しく思っています。そして、生徒たちは能も学んでいますが、この舞台芸術を通して、日本のことを学びながら、社会へも目を向けてくれるようになって欲しいです。同時に、しっかりと自分が日本人であるということを理解して欲しいです。そして伝統文化を長老から聞きながら、それを自分のものにして、自分の口で、しっかりと「日本ってこんな国なんだよ」ということを、伝えられる人間になって欲しいです。舞台を通して、本当の意味での国際交流が、この子たちの年代でできれば嬉しいですし、そのために、自分が今どういったことをやっていかなければならないのかということを、絶えず振り返れる生徒であって欲しいなと思います。
 この子たちはこの学校に来て、舞台を学んでいます。発表会が年間二十回以上もあるんですが、それで反省したり、また喜んでみたり、また、もう一回やり直してみたり、ということを、繰り返しながら何かを掴んでいます。全員が全員舞台で生きていくとは思いません。そういった子もいるし、また全然違う分野へいって、こういった文化の伝承や、日本の歴史のことに携わるようになる子もいるだろうし、それぞれだと思うんですけれども、どこへ行っても、ここで何度も繰り返してやったこと、そしてそれを乗り越えたことが役に立つと思います。ここで学んだ三年間、例えば、壁に当たって乗り越えたこと、行き詰まって泣いたこと、それらがビタミンやカルシウムのような、この子たちの栄養になると思います。そういったことをいっぱい経験して、そしてここから、次のステージへ出ていく時は、そこで自分の花を開かして欲しいなと思います。

<仁坂知事>
 なるほど。ありがとうございました。
 今日は、観客になったような、一緒に舞台に立たせてもらったような、そういう感じで、私は皆さんと一緒に感動をいただきました。本当にありがとうございました。和歌山にとって、本当に素晴しい学校ができて、みんなに勉強していただいていて、本当に嬉しいなと思っています。これからもぜひ頑張ってください。

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