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紀の国いきいきトーク

「紀の国いきいきトーク」は、私が県内各地に出向いて、県民の方々と気軽に話し合い、県政に対する理解を深めていただくとともに、各分野で活躍されている県民の方々の生の声を県政に反映させていくために開催するものです。ここでは、様々な分野でいきいきと活動されている皆さんとのざっくばらんな懇談の様子をご紹介します。

第10回 紀の国いきいきトーク対談内容

平成19年10月3日 みなべ町

<仁坂知事>
 どうも皆さん、平日にもかかわりませず、朝からお集まりいただきましてありがとうございます。
 知事就任以来、いきいきトークというのをやっています。これはグループで頑張っておられる人に集まってもらって、色んな活動をされている人とお話をして私も楽しみたいし、また、そういう立派な活動をしている人がいるんだぞということを広く知っていただくために、ホームページで宣伝することにしています。
 さて、私が梅の郷救助隊の皆さんを存じ上げたのは、この間中越沖地震が起こった時に、皆さんが即座に飛んでいっていただいたという話をお聞きしたことがきっかけで、その後、8月の終わりでしたか、田辺市の近露のところで総合防災訓練をやったんですが、その時に皆さんが出てこられて、チェーンソーを使って鮮やかに人を救い出す訓練を見せて頂きました。それから、おにぎりもたくさん頂きまして、「あ、この人達と絶対に話してみたいな」と思っていました。
 今日は、みなべ町を訪問することになって、こうして皆さんとお会いできて大変嬉しく思っています。
 それでは皆さんの方から自己紹介して頂ければと思います。

<尾崎さん>
 隊長をやっています尾崎です。生年月日は昭和24年で、先程お聞きしたら知事より一つ上になるようで、「仁坂君」て言うたら悪いかな(笑い)。

<知事>
 いやいや、結構ですよ(笑い)。

<尾崎さん>
 まあ、それは冗談ですけれども(笑い)・・・ことの起こりは、阪神淡路大震災ということです。根本的に紀州人の反骨魂というのが強かったのかなと思っております。
 それと(私がやっている)少林寺拳法の精神に、この活動が合致してるんやないかということと、それから必ず来ると言われている東南海・南海地震を最も恐れているので、そのために何ができるかというと、やっぱり経験を積んでおかんなんという思いから、皆さんに呼びかけたんです。
 私は隊員の皆さんを尊敬しているんですけれども、私は呼びかけた方なので当然なんですが、もし逆に自分が呼びかけられてたら、ほんまによう参加してたかなと思います。
 現段階で男子隊員が約70名、女子の隊員が60名ほどいるんですが、それだけの人がよくそういう気持ちを持っておられたということに尊敬するし、感謝しております。

<林さん>
 林と申します。まだ、入って間がないこともあって、被災現場などの活動には参加したことはありません。ただ、去年、かつらぎ町の方で開催された県の防災訓練に参加して、梅ご飯のおにぎりの炊き出しをさせてもらいました。今年も中辺路での訓練に参加させてもらいました。
 本当に、最近、気温がすごく暑くて、これは近々何かあるわと感じています。
 こういう隊に参加させてもらって初めて色んな(災害にまつわる)お話を聞かせてもらえるし、もっと意識を高めておかないとと思うようになりました。
 それと、私のところは梅農家なんですが、炊き出しにいって熱いおにぎりをにぎるのは大変なんですが、梅ご飯にして炊くと後で中に入れることはないので、ラップで包んでにぎったら災害の時に非常に便利だなと、主婦として勉強になりました。

<青木さん>
 青木です。62歳です。新潟の(震災の)時に行政から要請がありまして、その時に少しお手伝いさせていただきました。それから、梅の郷救助隊に入りまして、去年のかつらぎ町、今年の(中辺路の)近露の訓練に参加させてもらいました。また、今年の1月の17日に阪神大震災の現場に行きまして、本当に大変だったんだなと身にしみました。その時に10人あまりの女性で、紀州の茶がゆをつくりました。寒い時期なので非常に喜んでいただきました。
 私も歳なので、若い方にもどんどんこうしたボランティアに参加して、頑張って頂けたらなと思っています。

<坂本さん>
 青木さんにまだプラス2歳足しますが、おかげ様で元気に暮らしております。
 私は、みなべに嫁いで40年になるんですが、(主人が)何にほれこんでくれたかというと、力持ちが取り柄ということで、今でもこの点はそう衰えてないだろうということで、参加させて頂くことになりました。
 私は、東本庄という恵まれた土地で農業をずっとしているんですが、その地域で3年前に3防会という組織を立ち上げました。子ども達の防犯と火災と刑事的なものを勉強するために作ったんですが、おかげ様で20代から70代までの方が63名おります。特に若い方達を育てたいという気持ちが強くて、16名が救助隊の方にも参加させてもらっています。「人助けをすることは、自分助けや」ということを常に呼びかけています。
 こうして救助隊に参加することで知識が広がるのが、とても嬉しく思っています。

<谷城さん>
 谷城です。家は梅農家なんですが、少林寺拳法をやっていて、隊長から誘われて入りました。
 前の中越地震の時は行けなかったのですが、今年の中越沖地震の時は現場へ行って自分の目で見てみると、テレビのニュースとかで見るのと全然違うし、自分が現場に行くことが大切だなと改めて感じました。

<渡瀬さん>
 渡瀬です。私は公務員で、県立南紀高等学校の定時制で勤めています。念のために申し上げますと、私の勤務時間は12時40分からで、さぼっているわけではありません(笑い。)
 私が入隊したのは隊長からの誘いですが、私も少林寺拳法をやっていまして、その教えということもありました。
 私の担当は理科でして地学が専門です。それで、自分が学んできた知識などを実際の場で役立てられたらなと思いました。前の中越地震の時に参加させてもらいまして、書物で学ぶ以上に、実際の場ではこんなふうに災害が起こるんだなということが地学的な観点から確かめられることができました。自分自身のためにも勉強になりました。
 それと、公務員としていつも思うのは、もしこういう大きな災害が起こったらどういうふうに対処すべきかということです。学校で揺れたりしたら、どういうふうに生徒たちを誘導していくか、実際に行ってみて、本などでは分からないことを体験できて良かったなと思ってます。
 ただ、普段は、チョークより重い物を持ったことがないものですから(笑い)、実践的な場面で、どこまで役に立てるか不安な面もありますが、できるだけこういった活動に参加させてもらって、視野を広げていきたいです。

<藤川さん>
 26歳で、仕事は家の農業を手伝っています。救助隊に入る前は、災害が起こったら自衛隊などが中心になって災害から復興させているという感覚だったんですが、現地を見てくると、第一に必要なのは、地域の協力というか、つながりがものすごく助けになるんだなということが分かりました。
 それで、地元でも地域の繋がりを強めて、いざという時にはみんなが一丸となって活動できるようになればいいなと思って、この救助隊の活動を広めていきたいです。

<久保さん>
 隊員の中では若手で、今年23歳になります。梅の郷救助隊に入らせてもらったのは、尾崎隊長のところで少林寺拳法をやっていまして、その少林寺拳法の教えの中に「社会と福祉に貢献する」という教えがありまして、その考えに基づいて参加させてもらいました。
 新潟の中越地震の時に第1陣として参加させてもらって、行政も住民の方も大変混乱している中で参加させてもらえたことは、自分にとって良い勉強をさせてもらったなと思っています。

<江向さん>
 私は24歳です。一つ前の新潟の中越地震から初めて参加させてもらいました。その時に色々作業をしてこういう経験が必要だなと思ったんですが、まだまだ経験が少ないので、多くの経験を積んで活かしていけたらなと感じています。

<森下さん>
 ここから急に年取ったメンバーになるんですが(笑い)・・・
 僕も、以前少林寺拳法に携わってたことがあります。先程から少林寺の精神の話がでましたが、元々の精神は「半ばは自分の幸せ、半ばは他人の幸せ」という教えがあります。
 でも現実的には、僕も7分から8分は自分の幸せで2分、3分が他人ですが、これがなかなか非常に難しいことです。
 僕も神戸の大震災の翌年に、尾崎隊長と一緒に救助隊を作りました。当時、火事が原因で多くの人が亡くなったのを見まして、地団駄踏みました。僕も梅農家ですが、仕事ばっかりしててもダメだ、また行政だけに任しておいてもダメだ、一人、二人じゃなくて隊を作らないと活動には行けない。100%隊長と同じ考えで今もやっています。
 過去、ナホトカ号の重油流出の時は、座礁してから1カ月遅れで行ったものですから、あまり仕事がなかった。それから、震災があればできるだけ早く駆けつけるようにしています。
 中越地震、中越沖地震と行ってきたのですが、僕の役目としましては、オートバイ隊で、隊に2台あるうち、1台は僕がもっています。
 ただ、今まで現実的には、震災で使ったことはありません。警察車両や自衛隊車両に比べると装備が軽いですから。機会があれば現地でそういうこともできたらいいかなと思っています。

<知事>
 4輪が入れないところもありますからね。それでは井口さん。

<井口さん>
 井口と申します。まず(たまに他人から)笑われるのが、あが(自分)が食いかねているのによくこんなことしてるなという部分が実際はあるんです。「あが(自分)食いかねちゃあんのに、お父ちゃん、仕事ほって行くんかよ」と言いながら「行ってきよしよ」と言うてくれる家内に一番感謝しています。「お父ちゃん、地震揺ったん知らなんだんかよ、(隊から)電話かかっちゃあたで」と家内が応援してくれるのが一番ありがたいです。
 それと、食うに困っていても、人助けというのは必要かもしれん、和歌山の串本沖で起きたトルコ軍艦の遭難事件の話を聞いた時に納得するように、あれは素晴らしいことだったんかなという部分、あれは人間としてやっていかななという部分があってもええんかなと思います。
 あが(自分)が困っちゃあんのやさかいええわではなくて、向こうも困っちゃあんのやさかいという感覚、これはうちの場合、おふくろの教育もあったんですが、このおふくろの教育や家内の協力に一番感謝しています。
 あと、わしは建設業をしてるんやけど、その中で、大規模の災害時協力事業者という制度がありますよね。それと同じことを教育面についてもやったらいいと思います。
 (教員の)補助要員がありますよね、そういう人に登録しておいてもらって、災害の後の子どものケアをしてもらったらというもんです。
 一番感じたのは、中越地震の時に、先生方が学校に登校できていない子ども達のところへ通ってたんですわ。そういうことに協力できる先生の予備軍、まだ採用されていない人や、採用されてても実際は学校に行っていない人に協力してもらえるような制度、そういうものを考えてもええんちゃうかな、そんなに難しいことじゃないと思うんで、行政の方から呼びかけたらどうかなと思います。こういうことが必要やというのは現地に行かないと分からんことですね。
 ビニールハウスの中で、生徒を見舞いに来ている先生方、一緒に勉強を教えてくれる先生方を予備としてこしらえておくのも一つの方法やないかなとつくづく思います。

<知事>
 そういうのは、本当に現場に行かないと分からないですよね、それじゃ、事務局長の駒木さん、お願いします。

<駒木さん>
 あんまり(事務局長としては)間に合ってないんですが(笑い)。職業は農業で梅の栽培をやってます。あと副業で、隊長が先程から「水商売」って言ってましたけど、水道業をやってます。
 救助隊員の大半は少林寺の関係なんですが、僕はその点は全く関係がなくて、隊長と同じく30数年消防団の方をやらせてもらいました。

<知事>
 消防団というのは立派ですよね、各地で本当に頑張っていただいてますね。

<駒木さん>
 そういう関係で、隊長から「おまえもどうな?」と声をかけていただいたんだと思います。
 僕は、中越地震の第1次と第4次、それから中越沖の第2次に行かせてもらったんですが、その第4次で川口町という所にいったんです。その時は地震から20日あまり経ってから川口町の方へ行ったんですが、一番感じたのは3週間経っても水が来てなかったことです。給水車が来て水を分けてるんですが、その不便さにものすごく心うたれた、これは、何が何でも水が一番大事やと。
 私は、岩代地区の一番奥で、旧南部町のへき地みたいな所なんですが、もし南海地震が起こって水道管が何とかなったらと。以前は各戸に井戸があったんですが、上水がきてから枯れた井戸が多いんです。それで、もう一度井戸を復活しよう、何とかならんかなと地区の消防団員を集めて、大雨が降った次の日に水中ポンプを2台持って行って井戸の中へ入れて水を吸い上げたんです。そうすることによって、水の道が出来るもんですから。22戸のうち12軒から希望があったんでさせてもらいました。
 その後、1カ月程してこれだけじゃあかん、水質検査もせなということで、検査機関まで持って行ったんです。でも、結局は持って行った8軒のうち、飲料水として「適」なのは2軒しかなかったです。大腸菌とかが基準値をオーバーしているとのことでした。

<知事>
 いざという時には、少し(大腸菌が)あっても沸かしたらなんとかなりますよね。

<駒木さん>
 それと、先ほども誰か言われたけれど、テレビや新聞の報道と現場に行くのとではものすごく違うということと、水の大切さを痛切に感じたということです。

<知事>
 どうも皆さんありがとうございました。それでは、私の方から色々とお聞きしていこうかなと思いますが、初めにもう一度(隊が)できあがった時のお話を発案者の隊長に語っていただこうかなと思ってます。先ほど反骨魂があった、これが大きかったということですが、もう少し詳しくお話いただければ。

<尾崎さん>
 具体的に言いますと(神戸の震災の時に)消防団に入っていたので、神戸から近いし、これは出動があるだろうと思ってました。ところが、消防団というのは組織的に動くので、(兵庫の)県知事から(和歌山の)県知事への要請があって、そこから町長への要請がないと動けんということで、組織としてはそういうこともあるかなと納得した部分もあるんですが、刻々と状況が変わって色んな情報が入ってくる中で、はがゆい面があり、「何をしてるんなよ」といらいらしてきて・・・。
 ところが、よう考えてみると、自分はテレビを見てて文句ばっかり言うだけで、「おまえ、文句ばっかり言いやるけど、そういうおまえは何してるんなよ、これは極端な話、非常時なんやから、人命のため、正しいことのため、法を破ってでも飛び出していくくらいの人間が一人や二人おってもええんやないか」と。紀州人というのは歴史的にも昔からそういう人が多いし。
 とにかく、そういう人間が多くは要らんけれども何人かはあってもええという気持ちになったんです。
 丁度、この隊を発足した時は梅の景気も悪くなくて、生活にもゆとりがあって、仲間内で「我々、これだけ梅がいいんで、ゆとりがあっていけるな」という話をしてたんです。そうこうするうちに、梅枯れなどややこしい問題が起こってきたんです。
 すると、ある人から「自分の仕事がこんな状態になってきたのに救助隊のことなんかやってられるか。救助隊を梅枯れ対策の方に回したらどうか」と言われたことがあったんです。これには少しぐらっときたんですが、もう一度考えてみた時「金持ちだったら災害が来ても大丈夫か、貧乏人だったら災害来ないのか」と。貧乏人でも金持ちでも災害は等しく起きるし、そしたら「おまえ、ゆとりがあるから人助けしようかということでやり始めたんか」って自分に問うた時に「そうやないやろ、自分が死んではあかんけれども、食うに困ってても助けを必要とする人があった場合は、自分が出来る範囲で行動するのが男やないか」と思って・・・
 それで、やっぱりわしは仮に貧乏してでも、梅は仕事やから一生懸命やらんなんけれども、仕事だけやってたらええんと違うんで、少しは社会に役に立つことをしたいんでこれは続けると。結局その人とは袂を分かつことになったんですが、僕自身は正解であったと思ってます。

<知事>
 その方がおっしゃっている感覚というのもよく分かりますね。だけど、(尾崎さんを)目の前にして褒めたら反骨魂に反するんだけれども、「そういうわしは何をしてるんや」というのを分かる人は少ないかもしれませんね。
 文句言ったり批判したりするのは簡単なんですね。だけど、その批判をもとに自分がやろうやないかというのはものすごく難しいですね。今、世の中はどうも批判の方だけに走っているようなところはありますね。批判もするけれど「それならわしのできること何や」と言ってちゃんと出来る人というのはものすごく少ないような気がするんですが、そういうことをできる皆さんは偉いなと思います。
 先ほど、隊長が「人から言われたらひょっとしたら参加したやろか」、「みんな僕の呼びかけに応じてくれて偉いなと思ってるんです」と言われていたけれども、あれはあんまり理解できなかったんですが・・・。

<井口さん>
 僕の立場からすると、隊長が「全てやろら」と言うた時に「おまえら勝手にせえよ」とあが(自分)が思ってしまえへんかという言い方だったんです。

<知事>
 だけど、井口さんも尾崎さんも人から言われたとしても「良いものは良い、悪いものは悪い」というふうに思いませんか?

<尾崎さん>
 これを発足させようと思ったのは、阪神・淡路大震災のすぐ後だったんですが、実際に発足したのは年末だったんです。何で悩んだのかというと、これは隊員の命を預かる最も危険なものやと、救助というのは第一に飛び込んでいかなあかん、そうなった時にこの若い子らに二次災害とかあったら責任取れるのかということをものすごく悩んだんです。
 命を預かるという点で、自分が呼びかけたからそうやけれども、自分が呼びかけられる立場だったらこの人たちみたいに簡単に「はい」って言えたかなと。そんなにたいそうに思っていない人もあるかもしれないけど、呼びかけた私としては命を預かっていくということで、覚悟を決めるまではだいぶ時間がかかりました。

<知事>
 そうでしょうね。呼びかけて行動に移ったらつじつまというか、色んな副作用なんかも全部考えて、その解決方策も考えないといかんですね。その上で覚悟を決めないといかん。だけど、私からすると、呼びかけた人が一番辛いような気もしますけどね。呼びかけられた方というのはわりあい意気に感じると「よっしゃ」ということになるんじゃないかという感じはしますけどね。

<駒木さん>
 僕もそうです。隊長にたまに話をするんですが、隊長は幾つになっても隊長でいててくれよと。僕は僕だけの身を守ったらええんやけど、隊長はそうはいかんですよ。130人の隊員に何かあった時には、どこで誰がどういう責任を追及してくるかもわからん。

<知事>
 しかし、隊長が戦死したら事務局長が(笑い)・・・

<森下さん>
 最近の中越沖地震で、第1次は尾崎隊長が隊長、第2次は事務局長が隊長、ですんで(駒木さんは)現場では2番目に偉い(笑い)。3番目は誰か知りませんけど(笑い)。

<井口さん>
 ここにいてる若い子らは少林寺拳法をやっていて、その精神をもって隊の活動をやっているんやけど、僕らにはそういうものはないんです。ただ、この隊長が「やろら」って言うたから、この隊長やから参加したんかなという部分があります。
 先ほど出ていた消防組織の対応の遅さ、緊急避難で飛び込んだとしてもそれはその人の意思でやったことなら、誰にも責任はないと思う。ここの隊のすごいところは、全て自己責任。何をやろうが自己責任。「何々しようら」というのは命令ではないんです。自己責任というのはこの隊の合言葉みたいなもんです。

<知事>
 これは深い言葉ですね。色々お話聞いてて「そうやな」とは思います。思いますが、それじゃ自分で企画して自己責任で人を引っ張っていくというのは、簡単なものではないですね。

<井口さん>
 ボランティアというのはいわば志願兵ですね。この言葉が示すように「行こら」ではなくて、「出てこいよ」じゃなくて、「今度地震あったから、わえ(自分が)行くぞ」って電話がかかってくるんです。そういう出発の仕方をしてます。

<知事>
 立派なもんですね。

<駒木さん>
 一度現場に行ってみると「やっぱりまた来よう」という気にさせられます。

<知事>
 先ほどテレビと現場は全く違うというお話でしたが、どんな所が違いましたか?

<駒木さん>
 小千谷(おじや)の市役所へ中越地震の時に、2日目だったですかね、入ったんです。そしてその夜、家も心配になるので、家に電話したんです。そうすると親父が、テレビ見たら「何足らん、これ足らん。」と言うてるぞ。でも、そんなもん市役所にわんさか来て、小千谷についてからずっと荷物運びでね。

<知事>
 どんどん運び込んでいる。

<駒木さん>
 市役所の中にいっぱい物資が詰まって置き場もない。今度は野積みでブルーシート掛けているんやで。要するによう配布せんのよ。報道機関の人にちょくちょく話するんやけども、一部の人にだけ話を聞いて報道はやめて欲しいと。もっと幅広く情報を集めて報道せなんだら。
 僕は、今回、また柏崎の方へこの7日に行く予定ですけど。「来い」言われたんで。前回の時には小千谷からそういう話もなかったし、行かんかったんで分かりませんけど、多分、小千谷の市役所に残ったもんで(処分に)困っているやつが随分あると思いますよ。

<知事>
 そうでしょうね。

<駒木さん>
 ちょうどええだけのもんを頂いて、それを分けてっていうふうには無理なことだと思いますけど。

<知事>
 物を送ってくるなというところも結構ありますか?

<井口さん>
 はっきり言うて、送られると分ける人の手を取られる。

<知事>
 中越(地震)の反省やね。

<駒木さん>
 小千谷の市役所の職員さんが色々していたように、僕の目で見たんですけど。もうパニック状態なんです。第1次帰ってきて、これは町の役場の職員にも見せとかなあかんと思いました。えらそな言い方やけども。
 それで、行け行けと隊長に話をしていただいて。

<知事>
 よく分かりますよ。私も実はそんな所行ったことないですよ。行ったことないんでえらそうに言っちゃいけないんですけども、そういうことは容易に想像はできるんですね。
 それで、だいたい防災なんてマニュアルがあって、計画があって、色んなことががきれいに難しい言葉で書いてるわけですよ。いざという時に、そんなもの読んでられるかという感じがするわけですよ。
 もちろん、まずは、リーダーたるものちゃんと読んでないといけないわけだけど。その時に、パッと動けるような感じになってないといかんと思うんですよね。
 この間近露でやった防災訓練はものすごく綿密に計画された一種のショーですね。だけど、一斉に何か起こった時に、あんなに順番に来るかっていう感じがあるじゃないですか。あれも大事なんだけど、今起こったらどうするかっていうのをみんなでちょっと考えようって、一度県庁の幹部や防災グループを集めて聞いてみたんです。例えば、災害の発生時に、僕が山の中で遊んでいたらどうするとかね。「ヘリコプターで迎えに来ることになっています」。だけど、ヘリコプターで迎えに来ることになっている時に、病人いたらどうするとかね。

<井口さん>
 僕は後回しにするような人間がおらんとどもならんと思う。

<知事>
 そう。それでそういうような話を、その順番で行こうなとかね、いつもそんなようなことを頭の中でシミュレーションしていないと、いざとなった時に全く役に立ちませんね。
 私自身がそこに参加して、「どうする。どうする。」っていうことをやっている暇が余りないものですから。みんなでやってねってと言ってね。だいぶ頭が柔らかくなってきましたよ。だけど今の経験なんてちゃんとやってみないといけないですね。

<井口さん>
 この前もみなべ町で(感謝状の)授賞式の時に言わしてもらったんやけど、新潟県の職員がたまたま柏崎に派遣されていた。新潟とは距離があるので職員がどんどん派遣されていた中で、県の施設を使うにあたって、「もっと開放してくれ」とその職員に言うたことあるんよ。和歌山県でも知事の判断で利用できる施設はいくらかあるでしょ?

<知事>
 ありますね。

<井口さん>
 「そこを開放するように本部へ言え」って言うたことあったんよ。

<知事>
 それは柏崎においてですか?

<井口さん>
 そうです。新潟県の職員が柏崎におって、「おまえ県の施設を開放するように言うたれよ」と。「言うときます」っていう話で。後で返事を聞くと「言うてもあきませんでした」っていうことでした。「言うてもあきませんでした」って言いながら、「わい、今から新聞社へ投稿して、知らせたる」言うてた。

<知事>
 県の職員が言うてた?

<井口さん>
 県の職員です。

<知事>
 上の判断がよくないが、その職員は見どころがあると思いますね。本当に必要なことは、上の人の判断がどうであっても必要だもんね。

<井口さん>
 新聞社の方からつつかれてなのかどうか分かりませんが、僕、今回たまたま2回いったんよ。第1陣で隊長と一緒に行ってその後事務局長と一緒に行ったんやけど、事務局長と一緒に行った時には、「どこどこの施設のお風呂開放してます」、「どこどこの施設何々しています」って。その人やってくれたんよ。
 だから、上に立つ人、知事を捕まえて言うのは悪いんやけど、自分で判断できることは自分で判断せよ、こんなもん県の上から許可を得やなあかんどうのこうのって言うてやんと「使っとけよ」って言うてもらえる柔らかさが欲しいと。それともっとひどいなと思ったん、たまたま比角(ひすみ)地区っていう所へ行ったら、前に10tの貯水タンクがあるんよ。それが県警の品物やから使えんねって言われて。

<知事>
 自分で判断できることは自分で判断せよ。まったくそのとおりです。ところで、貯水タンクって、水飲めるんですか?

<井口さん>
 貯めることができるわけ。来た水を一旦開けてみんなで分配することができるタンクがあったんよ。その前に何カ所かそこの寮の物置があるわけよ。ゴミをそこへ一旦隔離することができる。ゴミを一箇所置いたらゴミは貯まるもんで、隠したいんが本音なんよ。そこを勝手に使うっていう判断をようせんのよ地区が。人のもんやっていう感覚があるんやけど。県警は知事の範囲でしょ?

<知事>
 ちょっと違うけどね。

<井口さん>
 あんなもん使えたら使ったらええんやっていう部分がね。

<知事>
 一々新聞社に情報を入れてたら話にならんもんね。今の話で、その新潟県の若い人だと思うんだけど、その来てたって人、偉いね。だけど、新潟県全体はまだそこまでいってないっていうことですね。

<井口さん>
 「言うてもあかなんでん」て僕らに言うてました。日帰りみたいなもんやな。1泊しただけやな。こっち帰ってきてすぐ行ったんで。その時にはもうできとったもん。この施設使えますっていうの。

<知事>
 みんながそういう人であればいいですね。やっぱり災害は起こるけど、(そうした行動で)少し被害が少なくなったり、色んなことが起こりますよね。それこそ自己責任ですよね。

<井口さん>
 緊急避難的な感覚が、言うたら悪いけど、偉いさん方には・・・

<知事>
 よく分かりましす。他に何か、行ってみてこんな点で違ったぞとかありましたか。さっき藤川さんも言うてましたね。

<藤川さん>
 自衛隊が来てたんですけど、やってるこというたら外から見てるとご飯を炊いているだけで。

<知事>
 梅ママ隊といっしょ?

<藤川さん>
 車両使ってるんで、主要なこの道を通れたらもっと円滑に進むっていうそういう作業をせんと、米炊いてるだけで。地域と関わるんは米炊くだけで。人寄せてきたり、そういうのをせんと。朝、言われたことしかしないので、そういうところは地域でやっていかなあかん。
 自衛隊来たら皆が安心すると思うんやけど、自衛隊の人が入ってきて皆に指導するっていうことはしない。

<尾崎さん>
 結局、組織の力がそこってことや。我々行った時にそのカーブの瓦礫を取り除いたら自衛隊の車が入りやすいのに、自衛隊はそれを取ろうとせん。だからわしらが取ったったんやけども。そしたら対面交通もできるのに。あの人らは飯を炊けという命令しか受けてない。もし、それ以外のことをしたら、それ以外のことをしている時に次の命令がきたら動けん。
 だからそういう無駄な自分の範囲内のことしかせんていうのは、組織としてはしようのない部分もある。我々見てたら腹が立つ部分もあるけども、それが部隊っていうもんやと思うし、それでなかったら組織戦っていうのはできんと思う。
 我々は、先ほど法を犯してでもと言うたのは、そういう意味において、我々はゲリラ戦を展開できる。だから、仮に県警が、我々はあの時はようせなんだけども、よっしゃ隠しといたれって言うても、我々だったらかまわん。もし、それが法に触れた場合は、わしが捕まったら終わることであって。どこででも感じたことなんやけど、それが組織の限界よ。

<知事>
 そういうことですか。なるほどね。

<駒木さん>
 ご飯炊くっていうたら、それだけしかしいへんからな。後は、ご飯からご飯の間は、言い方悪いけども特に何もしてない。何かその間に倒壊ブロックの片づけぐらいの力あんのにしたらええと思うんやけど、それはやっぱりできんのでしょうね。

<知事>
 組織の論理からすると、命令の仕方もどうかなという気がしますね。隊員一人一人は手持ちぶさたかもしれないが、隊長おっしゃったようにそれしかないのかもしれないけど。もうちょっとちゃんとした命令をしといたらどうだと。ゾーンディフェンスみたいなのがあるじゃないですか、やり方としてね。そういう気がします。
 さっきの県庁の職員みたいにちゃんとこれはこうやっていいですかってことだってあり得ると思うんですけどね。

<尾崎さん>
 おまえらの部隊はその地域をフォローせよっていうふうにしたらね。炊き出しをせよってだけで命令を出すから炊き出ししかせんのであって、それは仕方がない。それは隊として組織の命令だから。
 我々のように全てのことにフォローできるように対応せよって指揮官が命令を出したらね、もうちょっと老人が重いのを下げているのを手伝っていきましょかってやっても、命令違反にならんのであって。

<井口さん>
 隊長は1陣やろ。2陣ですごかったんはね、水道復旧がほとんどしてきて、水道使えるのに給水車で待っていた。

<知事>
 そういうのがいっぱい起こるっていうことですね。やっぱり、さっき、地域の団結みたいなのが大事だと思ったという話がありましたね。梅の郷救助隊がいつも来てくれるわけじゃないから、それこそ地域地域でその欠けているところを補っていくというのが最後の手段かもしれないですね。

<井口さん>
 地域性っていうんか、地域のドン、ボス的なものがあっても良いのかなっていう部分もある。例えば、トルコ軍の時に自分とこの島の中に食料がどんだけあったんやろか。それを誰の判断で出したんやろか。今となったら興味深い話かなと思うんやけど、その時に飯食わした人間は、自分の飯やないと思う、地域のご飯だったと思うんやけどね、それを食わした人間ってどんな人間だったんかなっていうのは興味がある。

<知事>
 どういう人間であって、どういう村落、どういう共同体、あるいはどういう社会であったかっていうことですね。その社会と今の社会と比べると今の方が落ちてないかというのもあるかもしれませんね。

<井口さん>
 ドンが一人あって、ここを取り除くのにいちいち許可いるけど、うら(私)の顔でやっとけって、怒られてもわいやっていう人間。一人おったら楽やね。

<知事>
 そうですね。

<尾崎さん>
 今、言うてんのは、こないだ行ったときの中越沖の柏崎のとこだったんだけども、そこは比角地区っていうて、そんなに被害が甚大な地区ではなかったんだけど、なぜそこに行ったかっていうと、前回の中越地震で初めの我々の部隊が、最初の一晩目にその比角地区のコミュニティセンターでお世話になった。そこで関谷さんていう人にお世話になったんです。
 テレビを見ていると、その比角小学校が避難所になっている。比角っていう名前も出たんで、まずはそこへ飛び込んでいこうということで行きました。その関谷さんは、その時はもうセンター長を辞めておられたんだけど、たまたま町内会長をやってて、それで、今回はここに全部私らが張り付きますと。関谷さんの責任で色んなこと言うてもらったら、私らできることは全てやらしてもらいますっていう格好で。先ほど井口が言うてたように、その関谷さんがそれをやや強引にでも、「ここをあれしてこれして、後の責任は私が責任取ります」って格好で。我々もそれについてやっていったんです。
 だからそういう地域でのリーダーがあるかないか。また、その時に腹をくくってわしが責任を取るって言える人があるかないかっていうことで、ものすごく復興の速度が変わってくるっんです。
 先ほど駒木君が言うてたようにこの10月7日にその地区でできなかった敬老会、それからボランティアに感謝する会と、それから我々頑張ろう、この地区を復興させていこうという会、この3つを併せて10月7日にイベントをするんです。我々にも「是非感謝状をさし上げたい、来てくれ」っていう招待頂いたんですけど。早くやるとそういうふうにして立ち上がりが早い。それは今まで他の地区でも経験してるんで。
 住民参加型の、全員参加の訓練っていうのは是非必要なことやけども、それ以上に必要なのは、やっぱりゲリラ戦ができる、その時にリーダーになれる、その時に腹をくくれる、そういう人が地区に何人おるか。それを育てられるかっていうことが重要だと思います。特に和歌山県みたいなこういう孤立した谷が多いところでは。
 もし、(災害で)町長が死んだら、わしがやったるくらいの思いやけど。わしはここの地区で心配してないのは、こんだけの人が、まだ130人おる。その中で、南海地震で押さえられて亡くなる人ももしかしたらおるかも分からんけども。これだけの人がおる限りこのみなべ地区は、一番先に復興しますよっていうふうには言えると思う。

<知事>
 これはまあ冗談みたいなもんなんですけど、県庁の建物っていうのは震災にちょっと弱いんですよ。それで、遂に南別館というのをお金をかけて造ったんですよ。そこに防災グループがいるわけです。杉本(危機管理監)さんとかね。それで、大地震が来て、知事や副知事がもし潰れたら屍を乗り越えて県民を救えって言ってるんですけどね。
 今おっしゃるように、何でもリスクを上にとか、あるいは組織とか、規則とかにかけると仕事は簡単なんですよね。だけどリスクを取るというのはすごく難しいですよね。これは規則にないからとか、お金がついてないからとか言ってそこで止まってしまうというのはすごく簡単なんですけど、それをリスク取って、さっきの話のようにしゃべったるぞとかね。必要だと思うから。また、正義感からとかね、人情とか、そういう観点から出てるわけでしょ。任務において一番今必要なことは何かっていうことをやろうと思ったらものすごくリスクがある、でもそのリスクを取れる人がたくさんいる組織、これは地区だけじゃなくて、例えば県庁とか市役所とか役場とかそういう所でもみんな必要だと思いますね。
 時々けつまづいて、失敗する時もありますよ。だけどそれは向こう傷だからね。大いにやったらいいと思うんですけど。今、そんなこと県庁の人達に言うとるんですね。
 ところで、女性による梅ママ隊ってありますよね。これはちょっと遅れてできたんですか?一番初めは男の人ばっかりだったんですか?梅ママ隊ができたときの経緯ってどんな感じだったんですか?

<青木さん>
 新潟の時に行政から、女性の方にちょっとお手伝いして頂けませんかっていうことがあったんです。

<知事>
 それはむしろ行政から?

<青木さん>
 はい、行政からです。私に「4~5人の奥さんを集めて下さい」ってことだったんですけど。でも隊長のおっしゃったように危ないところに行くから、やっぱり家族の方にも心配掛けるっていうことでね。それで、「私ちょっとできません」って最初はお断りさせていただいて。
 その時に、林さんと坂本さんに色んなものを頑張って集めていただきました。恥ずかし話なんですけど、梅の郷救助隊っていうのがわからなんだんです。こんな隊があるっていうの。そして声がかかりました。
 私達の地区、地区に防火クラブってあるんですよね。その防火クラブの方にこんなんあるんですけどもどうですか。私も入らせて下さいっていうことで。私達の地区にも防火クラブの会員さんも大勢入っていただいているんですけども、その時に初めて救助隊っていうのを知りました。救助隊の仕事で最初にやらさせていただいたのが、去年のかつらぎ町のご飯炊き。だから、駒木さんもおっしゃたとおりですけども、まずお水から汲んでご飯を炊くんですが、電気がないでしょ。

<知事>
 そりゃそうですね。

<青木さん>
 昔のかまどで炊く羽釜とか、おしゃもじとかそんなのは色々ありますけど、その羽釜と下の土台ね。これをまずどうしたらいいかっていうことを考えて。「私ところにもこれあるわ」、「私ところにはふたあるわ」、「私ところに下あるわ」っていうことで。
 今は把握していて、さてっていうたら、ぱっと集まるようになっています。皆に協力していていただきまして、5つぐらいは今も用意しております。「それを全部で持って行きましょう」、「薪は私が持って行きましょう」ということで。この年代になって恥ずかしいんですけれど、薪でご飯炊いたことなかったんですよ。

<知事>
 そりゃそうでしょうね。

<青木さん>
 母が炊いていたのは見覚えはありますけども。お嫁に来て40何年経ちますけど、スイッチですよね。電気釜ですよ。だからこれどうしょうっていった時に、地区の方が、「私いつもお味噌してて、羽釜持っているからこれで一回炊いてみましょう」っていうことで。そしてちょっと水加減とか、昔の方の言うことを色々勉強して、いっしょにみなべの南高梅使いましょうっていうことで。一升に梅をどれだけ入れましょうかってことで、何回も炊いて勉強しました。それで「一升に7つぐらいだったらいいわ」ってことで。それをまた(防災訓練をする)かつらぎ町に行く時に、公民館の2階でみんなにサランラップでおにぎりに包んでいただく、そういう練習もしました。それがきっかけだと思います。

<知事>
 そうですか。それでだんだん増えてきたんですか?

<青木さん>
 そうですね。

<知事>
 そうすると割と歴史が新しいんですね。

<青木さん>
 そうです。

<知事>
 さっき薪でうんぬんと。私も子供の頃の思い出としては「へっついさん」という釜戸があったから覚えていますけど。もちろん自分でやったこともないしね。ガスですらないですしね。だからそういうのが、いざとなった時に、水道がない、電気がこない、その時にどうやって生き延びるかというようなことって本当に大切ですよね。

<青木さん>
 本当にこの隊に入って勉強させてもらいました。9月1日の防災の日に我々の地区で何かしましょうっていう行事がありまして、我々の地区では、防火クラブ全員で、ご飯を炊きましょうってことで大勢参加したんです。何遍も経験させていただいたおかげで、きれいなご飯ができまして、皆さんに梅の入ったご飯を食べて喜んでいただきました。

<知事>
 梅っていうのはやっぱり良いですね。ここで梅っていうのはぴったりですね。

<青木さん>
 おにぎりする時は必ずお塩を入れるでしょう。にぎる時にちょっとお塩を手に。(梅を使うと)それをしなくても大丈夫でしょう。

<知事>
 そういうことですか。入ってますもんね。

<尾崎さん>
 それと炊き上がりの熱いご飯でもすぐにぎれる。塩を付けることない。それとサランラップの販売会社とね、われわれ提携してサランラップを提供してもらっているんですよ。もし、大規模な災害が起こっても、各地区にあるサランラップの営業所から直接我々はサランラップの提供を受けられるということを約束してもらってます。

<知事>
 (ラップに)ぱっと入れて、きゅっとにぎるんですね。

<尾崎さん>
 軍手でにぎれるんです。

<知事>
 軍手でにぎるんですか?

<林さん>
 (素手で)にぎってたらここ(手のひら)がただれて大変だった。新潟の時かな、そこでもしてたんで。やっぱりそういうふうになってしまう。

<青木さん>
 数のもんやからね。

<知事>
 やっぱりやってると知識が広がるとおっしゃってましたけど、これもほんと知識ですね。軍手でやるというのは、ようやく実感しました。

<駒木さん>
 小千谷の市役所に行った時に、自衛隊がご飯を炊くんですわ。1升2升じゃなしにいっぺんに何斗も。そうすると、おにぎりがおにぎりにならんのですよ。

<知事>
 熱いからですか?

<駒木さん>
 そうです。多分、地区のボランティアの人だと思うんですけど、女性の方が何人か来てラップに包んでました。僕らもいただいたんですが、(自分で)にぎり直さないと。
 新潟のお米やから良いお米やと思うんやけども、熱さでにぎれんのですよね。そんな話を帰ってきてから、女の方に「おにぎりにぎるだけでもかまわん。してあげたら向こうの人が助かると思うけどなあ」っていう話をしたわけなんですよ。

<知事>
 それが始まりですね。それから地学の先生がいらっしゃいましたけど、さっき、「地学の知識も活かせるように」と言われましたけど、これはどんなところにどうやって活かせますか。

<渡瀬さん>
 やっぱり、地質の方が専門なんですけど、和歌山大学の黒松先生なんかを中心になってやられてまして、我々も応援することがあるんです。地形的にとか地質的に危険な場所っていうのが我々の目から見ると・・・

<知事>
 分かるんですか?

<渡瀬さん>
 分かりますね。

<知事>
 また(ここが)崩れるかなとか?

<渡瀬さん>
 そうですね。そういうのが例えば、実際に中越地震の現場に行けば、こういう所が危険なんだなぁっていうことが、本で見る以上に実感として感じられます。

<知事>
 なるほどね。

<渡瀬さん>
 和歌山県も山国ですから、崩れやすい所ってのが、例えばこの南部川筋のここが危ないなぁってことが分かりますから。そういう点で役立てられるんじゃないかなぁって思います。また、この隊の中でそういう知識を広めていきたいと思います。

<知事>
 それからこの中の多くの方が少林寺拳法を経験されていて、先ほど少林寺の精神ていうのを久保さんが言っておられましたよね。これはやっぱりすごいもんなんですか?私は少林寺をやったことがないんですけど。

<尾崎さん>
 一応そういう教えがある中でやってます。

<知事>
 例えば久保さんみたいに、子供の頃からかたたき込まれるわけですか?

<久保さん>
 そういうふうに勉強しています。

<知事>
 武道っていうのは本当に立派なもんですね、特に日本の武道。スポーツ全部そうなんでしょうけど、それを言葉に出してきちんと教えるじゃないですか。礼をしてから始めるとかね、そういう精神で来られたからこういうことにも跳びこんで行き易いってことですかね。

<尾崎さん>
 先ほど森下が言うたように「半ばは我が身の幸せを、半ばは人の幸せを」。これが教えなんです。やっぱりこれからのこの世の中に一番必要なことやないかなと思ってます。
 実は、私は坂本さんらといっしょに合併協議会をやったんですけど、その時、合併協議会の精神としてそれをいつも言うたのと、それから住民会議の会長もやったんですけど、その時も気持ち的にはそういうふうにしていきたいと言わせてもらいました。環境問題にしたってそうなんです。その気持ちを持てば、若干はよくなる。坂本さんらと一緒にそういう精神で一貫してやったっていう自負はあります。これからはそういう気持ちを持っていかんと、今までのようにこれは行政の仕事、これは何の仕事って部分じゃなしに。
 財政がひっ迫しいく中で行政にこれをやれ、あれをやれっていうことは結局は自分の首を絞めていくことになるんで。

<知事>
 そういうことなんですよね。

<尾崎さん>
 住民が、自分たちに何ができるか。それやったらこれをしましょう。これはできますよ。これもできますよ。そうすると豊かな社会になると思います。その根本の考え方、今言うた精神がこれから大事になってくるんじゃないかなって。

<知事>
 なるほど。反骨精神と少林寺の教えが、たまたまうまいこと皆さんの活動に活かされているのかなという感じがいたしますよね。
 ただ、皆さんの中に梅の農家の方も多くいらっしゃるでしょう。私も農業はやったことがありませんけど、自然は好きだからよく山の中を歩いているんですけど、自然はみんなものすごく微妙ですよね。特に栽培している植物ってのは結構弱いから、ちょっと手入れを怠ると致命的になる可能性もありますよね。そういう時に心配じゃありませんか?ボランティアに行ってしまった後ですね、うちの梅はちゃんと育ってるかなって。その辺はどういうふうにしてケアされるんですか。それの助け合いっていうのか、お互いにやりっことか、行ってる間に、そんなのもあるんですか?

<尾崎さん>
 梅の場合は、施設とかそういう場合と違うので、ゆとりがかなりあるんですよ。施設の場合だったら、今これをやらんとあかんというのがあるんやけど。梅の場合には、収穫の時は別ですけど、普段の手入れの時にはそこまで切迫したことはあまりないんで。そういう点でゆとりはあるかな。

<知事>
 水の量がこれだけとかすごくびしっと決まっているわけじゃないんですね。

<尾崎さん>
 はい。

<知事>
 ちょっと余裕があるんですね。でも、収穫時に何か起こったら大変ですね。

<尾崎さん>
 先ほど井口が言ったように、「みんなどうすりゃ。行くか」じゃなしに「わしは行くぞ。行く人はあるか?」なんで。わしは今言われたように、収穫の時にもし何か起こったら、立場上一人でも行かんと。
 それだけは心配してるんですけど、今までは何とか過ごしてきたんで。そういうことになれば、その時は何とかします。

<知事>
 何とか他にもしてくれる人がいるんでしょうね。何も全てが梅の郷救助隊のようにしなくてもいいわけですよ。それぞれ生き方ってあると思います。でも、皆さんみたいに目標を持って生きてると、いいなぁと思いますね。嫌々やっている仕事ってまず面白くないでしょう。
 仕事に一生懸命っていうのもこれはまた面白い。その他に自発的に何かやっているというのも、またもうちょっと面白い。しかもそれが正義感とか人の生きる道とかそういうのにあっていると、もっともっと面白いということなのかなぁと思いますね。私なんか最後の点なんてあまりできてなくて、最後の一個前に言った、趣味はいっぱいあって、これは結構面白い。
 今、知事をして結構苦労もありますけど。和歌山を立て直したるぞという使命感みたいなやつがありますね。当然ながら嫌々やっているわけじゃないんで、それは結構楽しいですよ。
 それから、何かしゃべり足りないっていう人はいませんか?坂本さんは、先ほど力持ちとおっしゃってましたけど。

<坂本さん>
 そうです。取り柄は力だけなんです。私のところは、東本庄っていう農業ばっかりしてる地域なんです。ありがたいことに、そこの皆さんは仲良しっていうか、団結力もすごくあるいいところで。
 そこで、3防会っていう3つの防災を目的にした会ができた時に、小さな集落なんですけれども集会場を造ってくれることになって、区長さんが私達女性を会長にしてくれたんですよ。建築委員長なんていう名前で。炊事場に始まって部屋割とかその中身を全部自分たちでやってみなさいってことをしてくれて。せっかくそうまでしてくれたところを3防会が拠点にしています。

<知事>
 拠点にしている?

<坂本さん>
 常にその会のメンバーが集まるところにしてます。そういうのができて、いいところやなっていうことで。

<知事>
 だんだんと他の組織や、外の人からも協力を得られるようになりますね。

<坂本さん>
 そうなんです。子ども達に、生きる力をっていうことでみんなで家庭菜園をしてね。やっぱり食べるもんは自分たちで作っていく。そして、どんな時代が来ても生き抜いってもらおうという願いなんです。その願いがなかなか最近は遠いんですけど、願いだけは持っているんです。

<知事>
 それで、皆さん立派な活動をして救助に行かれている。ただ、ちょっと私が思いますのは、このところ3回ぐらい起こった地震というのは割合局地的ですよね。県庁全部とか、近隣の市町村、あるいは皆さんみたいなボランティアの方なんかは、実は自分がやられてないわけですね。
 ところが、東南海・南海地震が起こると、これは多分局地的じゃなくてかなり多くの所がいっぺんにやられるというふうに予想されるわけです。プレートがぐっといくわけですから。そうすると、もっと大変やろなぁと思うわけです。つまり、例えば県庁が無傷であったら、すぐに助けに行くとかいうこともできるかもしれない。ところが、こっちもあっちもみんないっぺんに破壊されたらえらい大変なんだっていうふうに思うんですよ。その時に一番大事なものは何だろうというのは、みなさん経験上どんなふうに思いますか?あるいはそれに備えて何をしとかないといかんのでしょう?

<井口さん>
 一番大事なのは、やっぱり命やろ。自分の命が大事。

<知事>
 人の命も大事やけど、人の命を救ったり、ちゃんと救助活動とかをやるためには、どんなことを今考えて、備えておかなきゃいかんかっていう質問なんですけどね。

<駒木さん>
 僕は先ほども言ったように水。人間生きていくのには水。食糧よりも水です。

<知事>
 それで水商売といわれるんですか(笑い)。

<駒木さん>
 そういう話になった時には、「お宅、家に水用の携行缶、タンクを用意してますか?ないんだったら用意しときよしよ」って言うんですが、それも経験からなんです。
 小千谷市役所の前に山となるような携行缶が積んでたんですよ。それへ信州から入った酒造会社のきれいなタンクローリーが水の汲み分けもしたんですけども、その作業が夕方までか夕暮れまでかかって、汲み分けた水、明くる朝になったら全然ないんですわ。配ってしまったんでしょうね。そしたら、今度はもらいに来る人に行き渡らなんだんでしょうね。無理ですわね。県民みんなに、一個一個の携行缶、水のタンクを用意するっていうのは。自分で用意したらいいんですよ。事前にしといたらいいんです。
 それと、もらいに来るのがね、500ミリリットルのペットボトル。そんなんで水もらいに来るんですよ。僕は50半ばですが、昔は、お袋が井戸水を使ってる時に、上水用のバケツっていうのがあったでしょう。でも、今、家庭にあるのは雑巾バケツか洗濯バケツ。上水用の水の汲むような容器は一つもないでしょう。

<知事>
 昔は、スイカを冷やすやつがありましたね。

<駒木さん>
 蛇口さえひねったら水がいつでも出る、そんな便利な世の中やから水の容れ物がないんですよ。それで、小さなペットボトルなんかを持って水をもらいに来る。それで、家で何ができるって。ただ、飲むだけのことはできるけれども、他のこと、例えば、家にお米あるんやけど、それを携帯のコンロで炊こうとしても、そんなペットボトルの水では炊けんでしょう。
 僕はとにかく水用の携行缶(を用意しておくこと)。中には、日曜大工センターに行ったらいつでもあるやないかって言う人もあるんですけど、電気の世の中で電気来なんだら、日曜大工センターの入り口が・・・

<知事>
 開きませんか?

<駒木さん>
 小千谷へ行った時、知事さん、日曜大工センターの中に、ガラス越しには携行缶は見えてるんですよ。見えてるんやけど、休業日かもしくは電気がないから多分休業したんだと思う。

<知事>
 まさか強引に入るというのも出来ませんよね。

<駒木さん>
 それは出来ないでしょう。見えてる携行缶でも、自分が欲しかっても手に入らん。ほんでに、僕が言うのは、20リットルの携行缶の2つや3つは絶対おいときなさいよと。そしたら、先ほどの話に戻りますけど、僕の家の井戸水は水質が適だったんで、井戸水でも分けてあげられますよって。

<知事>
 それから、リーダーですよね。先ほど言われたのは。地区におけるそのリスクを取れるリーダー。他にどうでしょうか?皆さん。

<森下さん>
 うちは隊長が日頃から元気ですけどね。それで、今回、知事さんに質問があったんですけど、それは何かというと自主防災組織のあり方。これは、和歌山県下でも色々と今まで発展してきています。今日は新聞の和歌山版を見ますと、防災条例を来年提案へと。

<知事>
 県議の人が考えてくれてるんですね。

<森下さん>
 内容は、そういう自主防災組織の前に、まず自分を守るための自助、共に助け合う自主防災組織、最後の3つめに公助という。公務員組織が僕らを助けるためにどうやっていったらいいか。これを来年春の制定に向けてやっていこかっていうような内容でしたけど。
 僕らも自主防災をしてるんですけども、なかなか僕らの隊みたいに動いてくれない。若い子が動いてくれない。特に日頃からどういう寄り合いにおいても出席率が悪いような地区。また若い人が出てこない地区は。そうすると、例えば、和歌山がいつか被災地になった場合に、非常にやりにくいと思います。まずは、リーダー。先ほどから言われたようにリーダー。リーダーは一人でいいんです。二人はいりません。ただ、リーダーを助ける者。リーダーがもし何かあった場合に、副隊長ではありませんけど、事務局の駒木さんのような方。こういう組織がやっぱりなかったら。そして日頃から仲間意識を育てる、リーダーが寄り合い開いたら、そこへ行ってあげよか。例えば、2つ寄り合いがあったら、自主防災の方を主に考えてくれるような仲間でなかったら・・・

<知事>
 なるほどね。

<森下さん>
 いざとなったらだめだと思う。だから、僕は、これから自主防災をやっていくにおいて、20代や30代が核になると思います。50代、60代の人らは知恵は持っているですけど、いざとなって被災地へ行ったら長期戦ですから。

<知事>
 ちょっと腰痛くなったりする?

<森下さん>
 やっぱり若い力が必要です。

<駒木さん>
 隊長が50代って知ってて言いやんのか(笑い)。

<森下さん>
 隊長は力も元気もありますよ。元気な隊長があって、元気な若者が。それをこれから目指していくことが大事かな。

<知事>
 県でも、高校生に意識を持ってもらって、ヤングリーダーっていうのを教育で養成しようと、すでにやり始めてると思うんですけどね。いい話だと思うんだけど、それに魂を込めていくのは先生の仕事であったり、また皆さんのような方々のご協力がないとなかなか出来んかもしれませんね。
 そういう意識はあるんですよ。いざとなった時に、ヨッシャと言って頑張る人、意外と高校生なんかもいけるじゃないかと。ただ知識が全くないと、ヨッシャだけではどこへ走ったらいいか分かりませんからね。
 それから、今ちょっと話がありましたけど、県の防災について何かこういう部分を何とかせなあかんのやないのっていうことはありませんか?みなさん。遠慮なく。

<渡瀬さん>
 人のことは皆さんおっしゃたので、設備の面、施設整備の面で言いますと、県の施設に限らないんですけど、以前に近畿北部で大雨が降った時に、市役所か役場が浸かってしまって、結局、リーダーがおってもリーダーが働く場所っていうか、指令を出す場所自体がだめになってしまって、混乱したっていうことがあったと思うんです。ですから、役場とか市役所とか、あるいは県の施設であるとか、警察署とか、そういうふうな公的な施設、設備っていうのは、無駄に豪華なのを建てる必要はないですけど、やっぱり、地質的に安全な所とか、地形的に安全な所、そういう所をちゃんと確保しとかないと。

<知事>
 そうなんですよ。おっしゃるとおりだと思いますね。特にね、和歌山県はなぜかよく分からないんですけど、地震がきたら本部が潰れちゃうような建物が結構ある。それと低い所、津波にやられる計算になっている所に建ってるものがあるんですよ。両方のダブルパンチですね。

<渡瀬さん>
 近くでも、例えば具体的に申し上げると、田辺市の市役所なんかはすごく危ない所にあると思うんです。

<知事>
 頑張る精鋭がいても、そこを使えなかったらどうしようもないですからね。そういうのをせっせと今直したりしてるんですけど。
 そろそろ時間が来たようです。本日はありがとうございました。

<尾崎さん>
 我々の隊ですが、高杉晋作は奇兵隊、われわれは平成の奇兵隊と称してこういう考え方で、こういう行動を起こしていくことによって、少しでもまずはみなべ町がよくなり、和歌山県が良くなり、大きく言えば日本がこういうふうになってくれたらっていうふうに大きく思ってます。そういう部分で知事の応援をお願いします。

<知事>
 そういう気持ちでおります。それから、皆さんの活動は全部自己責任であり、自主的であり、ボランティアだということで、こういうのが大事だと思います。ただ、これと同じものをみんな作れって、私が言うのはちょっと言い過ぎかもしれません。だけど、こういう活動をみんなに分かってもらって、「ええやないか」というのが各地で出てきたら、さっき言ったみたいに全部に被害が及ぶような災害の時でも、それぞれの地域でそれぞれの人がなんとか応援部隊に協力して頑張れるかもしれない。
 そういう意味では皆さんとお話ししたことが、ささやかですが県のホームページにそのうち載ります。そういうのを、みんなに少しでも見ていただくことができたら、隊長さんおっしゃった点で少しは貢献できるかなと思っているんです。どうも本日はありがとうございました。

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