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紀の国いきいきトーク
「紀の国いきいきトーク」は、私が県内各地に出向いて、県民の方々と気軽に話し合い、県政に対する理解を深めていただくとともに、各分野で活躍されている県民の方々の生の声を県政に反映させていくために開催するものです。ここでは、様々な分野でいきいきと活動されている皆さんとのざっくばらんな懇談の様子をご紹介します。
第8回 紀の国いきいきトーク対談内容
平成19年8月7日 串本町
<仁坂知事>
皆さん、本日はお忙しいところどうもありがとうございます。
お話に入る前に、皆さんに共通に申し上げているんですが、知事にならしていただいて、いろいろな方のお話を聞こうと思っているんですが、いくつかのメディアがあります。
今日は、公式訪問で参りましたので、町長さんや町議会の方、あるいは商工会の方、観光協会の方と話をする、その外にもいろんなやり方があると思いますが、各地でグループで頑張っておられる方々とお話をする、これがこの「いきいきトーク」なんですね。
それから、個人で、一種の名人の域に達したような感じで頑張っておられる人とも一対一で対談をさせてもらっています。
こういうことをやって、それを広くご紹介することによって、県民の皆さんが、一種の刺激を受けるといいなと思ってます。「あの人たちあんなことやっているな。それなら私たちもやってみたらいいな」とか、「あの人が名人なら俺も名人だ」というふうになるといいなと思っていまして、県庁のホームページで公表させていただいています。
今日のテーマは、「大辺路の刈り開き」ということですので、その辺の苦労話を中心に、何でも自由にお話していただければと思います。
それでは、皆さん、自己紹介の方をお願いします。
<辻(大)さん>
向かいの大島出身で、事務局をさせていただいてます。刈り開き隊は2004年のお正月明けから始まったのですが、その頃から関わらせて頂いています。詳しくは、また後ほど。
<井上さん>
古座地区の役員をしています。また、田原地区で国土交通省の「日本風景街道・熊野」事業のからみで新しい展開が見えてきましたので、その件について、後ほどご紹介します。
<上野(一)さん>
色々な会に参加するのが好きで、那智の青岸渡寺の熊野修験とか大峰山にいく山伏修行とかを8年程前からやっています。そういう関係でこの大辺路の刈り開き隊ですが、誰も通らなくなって草ぼうぼうになった道を切り開こうという時に誘われて、それからずっと入っています。また、私は古座の者で、河内祭りを盛り上げようという「熊野水軍古座河内祭の夕べ」実行委員長もやっています。今日はよろしくお願いします。
<河野さん>
私は、元からの串本の住民ではありません。以前は白浜町で勤めの関係で串本へ来て43年程になるんですが、元々歴史的なことが好きで、特に郷土のことに興味があります。現在は、串本の田並地区に住んでいるんですが、この自分の地区の古道を探してみたいということがあって、是非とも参加せなあかんなということで、刈り開き隊の一員として活動しています。現在は、非常勤ですけれども保育所の方で勤めています。
<明石さん>
町内の有田から来ました。私が大変仲良くさせていただいている方に深見さんという方がいます。現在84歳で、歴史に詳しく、また有田で一番本を読まれる方ではないかと思います。郵便局の局長さんで終わられた人ですが、この方のお誘いで、隊の仲間入りを3年前にさせていただきました。
隊の方は、最初あまり興味はなかったんですが、昔の方が造った、歩いた道をあらけているうち、徐々に興味をもって活動させてもらってます。
<稲田さん>
私は定年退職後白浜町の方に居住してきました。丁度3年前くらいですが、ひょんなことで、新聞の記事を見まして、「刈り開き隊で作業がある」というものでした。
熊野古道にも若干関心もありましたし、和歌山に骨を埋める気持ちで来たものですから、少しでも和歌山のことを知ろうじゃないかということで、隊の方に飛び込みました。今は、白浜町の連絡係をさせていただいています。
<知事>
元は、どちらにいらしたんですか。
<稲田さん>
奈良県におりました。
<新谷さん>
私はすさみ町から来ました。本格的な夏山登山のメンバーに入っておりまして、山の道の重要さというものを、現場ではいろいろ体験してあるわけです。丁度、世界遺産の登録の調査で来られておった教育委員会の方から、私に教えて欲しいということでした。「これまで三度、四度と来たけれど、埋もれてしまった古道が特定できない。このままでは残念なことだ」ということでした。それに、当時、県から発行された大辺路のパンフレットに、すさみ町の埋もれている古道の名所「馬転坂(うまころびざか)」の名前が記載されていて、老夫婦がそのパンフを見て坂を訪れて道に迷っているのに出会い、こんな紹介のされ方をしたら大変だと。道をまず探そうと思い立ち、平成15年の12月に、一人でこの坂の埋もれていた1.5kmの縦踏を成し遂げたわけです。
それでも一部どうしても確かな場所がわからなかったので、それがきっかけで、串本地区の大辺路刈り開き隊と一緒にやってくれないかということでやりだしたわけです。その結果、活動のエリアも広くなり、メンバーも多くなっていったわけです。
私は農業もやれば、漁業もやるなど色々経験してますので、何でもこなしてやろうという意欲的なところもあるので。また、よくお上にもかみつくのですが(笑い)、失われた有名な「馬転坂」の箇所も、国交省との復活交渉に立ち上がって、平成20年度に失われた部分の復元がなされるというところまで、こぎつけたところです。これも、大辺路刈り開き隊の皆さんのご協力の賜なんです。
<神保さん>
旧古座町の河口に近いところで、代々旅館業をしています。高校を出てから、よそで会社勤めをしていまして、数年前に早期退職で帰ってきました。そのため、郷土に関してはかなりブランクがありまして、一種Iターンみたいな感じなんですが、帰ってきていろんなことをしているうちに、刈り開き隊の方から誘われました。
趣味が写真や山歩きなんですが、そういうのを活かしながらやっていきたいと思ってます。
<辻(桂)さん>
私は、田辺から来たんですが、刈り開き隊の発足メンバーの一人です。発足当時は地元で新聞記者をやってまして、会社は去年辞めたんですが、在職時代から熊野の自然や文化に興味と愛着をもって仕事をしてきました。
隊発足の経緯ですが、当時(2004年2月)、私は串本支局にいました。世界遺産登録の直前です。大辺路の大部分が遺産から外されていることに「なんで?」と気になっていて、この地域の魅力をいろいろと知る中、調査もあまり進んでなかったとかいう話も聞いていました。
私も長らく熊野の山や熊野古道、奧駈道を歩いているんですが、その頃、橋本市からやって来ていた辻田さんと知り合い「一人で、もう5年ほど前から大辺路のほんとの道を見つけ出してつなげようと、調べているんや」という話を聞きました。丁度同じ頃、わかやま絵本の会の代表や、今日来られているイラスト担当の生駒さんも串本に来て、私に「大辺路のイラストマップを作ってるんだけど、国道ばっかりで危ないし、道もはっきりしないし」と話すんです。
さらに、彼女たちが迷いながら歩いて取材してたら、今日のトークには来ていないんですが、偶然、和深の岩本さんと出会い、岩本さんから「草ぼうぼうになってるけど、石畳のちゃんとした道がある。それを刈ったら歩ける」と言われて、それで「みんなで刈ろう。本物の大辺路を紹介しよう」という話に。辻田さんを紹介し、辻(大)さんも絵本の会の会員で、いろんな偶然が重なって始まり、イラストマップの締切りまでにできるだけ刈り開こう、といった勢いで、どんどん進んだ感じです。
刈り開き隊の名前も、「刈り開きたい(隊)んや」から派生した感じがあります。
そういう中で、大辺路沿いには辻田さんだけでなく「世界遺産と同じ価値のある道が、このままでは人知れず消えてしまう」と、危機感を感じながら、黙々と大辺路を守ろう、光を当てようとしていた人が各町にいたんですね。また、話を聞いて「オレの地区はオレがやろう」と、協力者も出てきて。その人を繋げて一緒にやろうやないかと。点が一つ一つ繋がっていくような感じで、人と人を繋げていきました。私は新聞記者ということもあったので、客観的に報道すべきものしか記事にはしませんが、プライベートでそういうお手伝いは少しできたんじゃないかと思ってます。
今は、『大辺路調査報告書補訂版田辺~新宮』(大辺路再生実行委員会発行)を年内に発行すべく編集作業に追われています。
<平田さん>
私は、このメンバーの中では唯一の大正生まれです。戦争前、広島で2時間の差で原子爆弾に合わずに助かった経験があり、その意味で非常に運のいい男だなと感じています。当時、大阪の勤務先から1週間の予定で、広島に出張しておったんですが、任務を命じられていた予定の船が入港しないので、いったん大阪に戻ったところ、「広島がやられた」という話を聞きました。
それから、30歳の時から41年間山林関係の会社で勤務しておりました。その関係もあって、山や山道に対する興味も深かったわけです。
そんな折り、たまたま刈り開き隊というのが、なかなか立派なことをしているという話を耳にしまして、歳も歳だけれども、何か手伝いをさせてもらおうかということで入らせてもらいました。
最近まで、隊の会計を担当していましたが、年齢のこともあって交代してもらいました。段々と体も弱ってきましたが、出来る範囲で頑張っていきたいと考えています。
<仲江さん>
「ひめひじき」というハンドルネームで刈り開き隊のホームページの管理人をしています。なんで「ひめひじき」かというと、橋杭岩の近くに「姫」という集落があり、そこで採れるひじきは、地域のおばさん達が鉄の釜でゆでて、天日干しにして取り組んでいるということで、「ひめひじき」の名前は、この地域を代表する地域のブランドとして確立しているんです。丁度、その加工場が私の家の前にあります。そういうこともあって、「ひめひじき」の名前を名乗っています。
刈り開き隊には、隊のテーマソングがあります。この歌の歌詞が刈り開き隊の活動を凝縮した内容になっているんですが、いろんなイベントで歌ったり、隊の会があった時に歌ったりしています。そのために、メンバーでバンドを作りました。いろんな名前を考えていたんですが、知らない間に、「へじへじバンド」と呼ばれるようになりました。バンドの中ではギターを担当しています。今日はよろしくお願いします。
<生駒さん>
田辺から来ました。刈り開き隊には、主人と私と子ども(赤ちゃん)3人で入っています。
イラストマップを担当しています。もともと、「わかやま絵本の会」でイラストマップを作るために、取材でこちらに来ていて、声をかけられたのがきっかけです。
<知事>
(手元に配布されていたイラストを見て)これを全部お描きになったんですか。大変な才能のある人ですね。「へじへじバンド」が出てきたり、音楽家から登山家までみんなそろっていますね。(笑い)
<上野(宏)さん>
旧の日置川町から来ました。刈り開き隊への関わりということでは、先程から話に出ています橋本の辻田さんとひょんなことから知り合いになって、10年くらい前になりますか、大辺路の道を新宮まで歩いて調査したんです。勿論、一回ではなくて何日間かに分けて行ったんです。その中で、歴史というのは、変わる面と変わらん面があるんやなと感じながら彼を含め数人で歩いたんです。
その後、数年前ですか、世界遺産に登録されるという話があって、初めは大辺路が入ってなかったものですから、県の教育委員会に要望活動なんかもさせてもらいました。
私は、個人的には、大辺路というのはもともとは生活道で、それを参詣に来た人が使ったんじゃないか、中辺路とは多少意味が違うんじゃないかと思っています。
そんなことで、大辺路に関わるようになって、世界遺産に登録されています「富田坂」や「仏坂」などの刈りあらけに行ったりしています。
<浜地さん>
役場の観光課に勤務しています。大辺路の再生のためにと和歌山経済同友会と県や関係自治体からの資金援助をいただき、現在、和歌山県、白浜町、すさみ町、串本町、那智勝浦町および民間3団体で「大辺路再生実行委員会」というものを作っておりまして、そちらの事務局を担当させて頂いています。
仕事の方では、修学旅行の誘致における民泊事業の方も担当させて頂いてます。
大辺路刈り開き隊の方は、公務ではなくて、プライベートでメンバーとして参加させてもらってます。入った理由としましては、民間の方々が手弁当で刈り開き作業を行っている姿を見まして、ある意味公職に就いている私が、公務の中で何か応援できることがあるんじゃないかと思いましたが、その前に、ボランティアとして同じような立場で参加して、皆さんの声を聞いていくことが大事じゃないかなと思いました。
ですから、自分自身が地域の中でとけこんで、その中で得る情報であったり、また皆さんの熱い思いというのを行政の中で活かせていけたらなと、それが本来行政のあるべき姿じゃないかなと自分自身感じましたので、隊の方に参加させて頂きました。
ただ、皆さんの思いというのは同じで、隊員の合言葉であるんですが、「道は繋がってこそ道」だと。こういった合言葉のもとに、道の繋がりが町境を越えて人の繋がりになり、それがお互いの心の繋がりとなって今現在に至っているじゃないかなと思っています。
大辺路のいろんな魅力であったり、歴史的な価値であるとか、刈り開き隊の苦労話であるとか、これからの展望とかについては、また皆さんから後ほどお話があると思います。
今日は、よろしくお願いします。
<知事>
ありがとうございました。今、皆さんからだいぶお話がありましたが、もう一度どなたか総括的に刈り開き隊というのは、こういうことで集まったんだよなという話をしていただけませんか。
<辻(大)さん>
はい。先程から名前が出ています橋本市の辻田という男がおりまして・・・
<知事>
この方は今日はみえないんですか?
<辻(大)さん>
東京勤務ですし、最近ちょっと体調をこわしまして今日は来られないんですが、世界遺産登録される4~5年前から一人で、毎週、橋本市から串本にやって来て、道を調べているっていうんですよ。それを聞いて、「串本にも素晴らしい道が残っている」ということを初めて知ったんです。一人でやっているということだったので、それだったら一緒にやりたいなというのがきっかけです。
刈り開き隊なんですが、各地域において、大辺路の復活をめざして地道に取り組んでいた人たちがいたわけでして、当初は、4~5人で始まったんですが、年齢は赤ちゃんから80代まで(笑い)、年齢層もすごく幅広いです。また、職種につきましても、農業されている方もいらっしゃいますし、元教員、建築業に携わっている方、町職員、県職員とバラバラであります。段々とメンバーが増えてきまして、今は40名くらいです。
<知事>
私は地理的にどういう順番になっているかよく分からないんですが、元もと、新谷さんなんかは、地元でこうなってるのかということを勉強されていたんですか。
<新谷さん>
泥縄式ですが(笑い)。世界遺産に申請するについて、教育委員会が探していて、それについていったんですが分からない。僕は小学校の頃に、教員に引率されて遠足で通ったことだけが頼りだったんです。
<知事>
その頃はあったんですか?
<新谷さん>
昭和45年頃まではあったんです。それというのは、それまで前の国道がちゃちなものだったんですが、当時の電話が磁石式のもので、電話線の幹線ルートになってたんです。歩道に沿って引っ張られてあったんです。ですから、その保守のために道がどうしても必要だったもので、電電公社の職員が歩けるだけの道がかろうじて残されてあったんです。
それでも45年からこちらは(新しい)国道が開通したら、移設されてしまって見放されたわけです。
その後、南紀熊野体験博まで全面的に放棄されていたわけです。
<知事>
すると体験博でちょっと生き返ったわけですか。
<新谷さん>
そうですね、体験博でスポット的に昔の古道を歩こうということで、要所、要所、ポイント的に整備されたんです。長井坂もその部分の一部だったんです。いいとこ取りみたいな感じで、長井坂も全面的に復旧したわけではなくて、新たなアクセス道路をつけたりして短絡的な整備をされたために、ちょっと惜しいところもあるんです。
というのは、長井坂は和深川の集落から本来の古道の登り口があるのですが、国道の道の駅から長井坂の途中へ出るアクセス道がつくられているんです。だから、長井坂の全部を歩くことなしに途中から入って、それで「全部歩いた」ような顔をする人も出てくるんです。
<知事>
なるほど。それでこの際全部開通させてやるぞと。
<新谷さん>
そういうこともあるんですが、(すさみ駅近くにある峠)馬転坂の方がね、ここは古くから大辺路の名所でしたが、(世界遺産の)対象外になったところで1.5kmくらいあるわけなんですが、ここについては、全く足の踏み入れるところもなくシダで覆われておったんです。私らが小学生の頃、教師に引率されて通ったところだったんですが、昭和45年頃からの放置で、シダがこの天井に届くくらいの高さにまで生い茂ってましたんで、道がどこにあるのか全く見当もつかいないような状態になっていました。
<知事>
地面は多少の石畳じゃなかったんですか?
<新谷さん>
石畳のところもあるんですが、全てじゃないんです。大雨の時に雨水が流れるところは石畳なんですが、頂上に近いところは、勾配がきつくても排水溝があるだけで土のままなんです。それで、幅員をもたすために石垣だけが積まれてあるだけなんです。その石垣をシダをかき分け探していくんですが、なかなか難しいんです。一部探しづらいところもあったんですが、なんとか通れるように調べて作業していたんです。
そのことが報道されて、私の活動を刈り開き隊も一緒にやろうと。そういうきっかけでした。
この峠は「馬転」の名前の由来になった場所が、今でも欠損してあるんです。峠のてっぺんにあたる場所で、そこは国道を守るために山腹の補強工事をやって削り取られたんです。今の国道をつけるために削られたのであれば古いですから、こちらも言う筋合いはないんです。しかし、丁度その工事が2000年にしているんです。7年前ですからね。
<知事>
世界遺産で騒いでいる時に?
<新谷さん>
そうなんです。直前なんです。
<知事>
でも、一方では申請して騒いでいる?
<新谷さん>
ええ、事務方は申請で騒いでいるんです。でも、私ら地元民は、世界遺産の登録の進行状況なんて、そういうことを知らないでしょう。
<知事>
県庁なんかも一方では申請しておきながら、一方では削っていたんですか?
<新谷さん>
地元の人間でも、そこに古道があったということはわかりますが、僕らでも正確にどこを通っていたのか、よう探してなかったんです。ましてや県の方でも。
<知事>
知らないでやっていたんですね。
<新谷さん>
でも工事をする方は知っていたようです。まあ、なんていうことないだろうという感じでやってたんじゃないでしょうか。今になって、えらい大変なものを潰してしまったということですね。
このままでは良くないということで、発起人という形で皆さんの協力も得まして、国交省とかけあって、時間はかかったんですが20年度にはなんとか・・・。
<知事>
削ったところをどうやって復活させるんですか?
<新谷さん>
場所が峠のてっぺんなので、山を高巻きするか、補強工事をした上に歩道橋のようなものをつけるか。とにかく私たちは壊される前のルートに、傾斜がきついところなんですが、歩道橋のような恰好でもいいからつけてほしいと、それを一番望むんだと言っているんです。
<知事>
歩道橋というのは、つまり橋ですね?
<新谷さん>
ベランダ式にやり出すわけです。
<知事>
そういうことですか。
<新谷さん>
やっぱり昔のままがいいんです。崖っぷちの道から下をのぞくと、足下に波が打ち寄せているようなすばらしい景観だったところなんです。だから、今、そこは一つののり面になっているんで、峠からは下の国道が半分と波が打ち込んでいるところが見えているわけなんですが、歩くのは危険ですし、途切れてしまっている。だから、そこを通らなければ、昔の馬転にふさわしい体験ができないんです。
<知事>
なるほどそういうことですか。高巻きよりも橋の方がいいわけですか?
<新谷さん>
高巻きにして緩く新しい道をつけると、ぐるっと簡単に行けるわけですが、傾斜の問題があって昔の古道につなげられないんです。昔の道を通らないと海の展望を見ることができずに通過してしまいますし。
<知事>
なるほど。それで辻田さんと新谷さんがやっておられたところは場所が違うんですか?
<新谷さん>
辻田さんがやってたのは、ほとんどは串本町内です。また、日置川では上野(宏)さんらが調べていたですね。
<知事>
みんなまとめてやったら繋がるやないかと。この繋がるやないかと言い出したのはどなたですか?
<新谷さん>
道は波線であったらあかん、実線で結ばないと道にならん。国境も何もない、海の上でもフェリーが走ってたら国道になっている。実線で繋いで一本の道にしようというのをモットーにしてるんです。
<知事>
それを誰かが言い出したんですね。
<新谷さん>
私も、辻田さんも、みんなの願いだったんです。
<知事>
みんなで手を繋ごうやないかと。
<新谷さん>
誘いがあった時に、それぞれの作業を応援し合おうやないかと。応援をすることによって、町の境界を無くしてしまおうと。
<知事>
先程、「道はつながってこそ道だ、そこから人の繋がりになる」というお話がありましたが、まさにそういうことですね。
<新谷さん>
そうです。私らは那智勝浦町の湯川の方まで作業に行っていますんで、向こうの方ともよく顔見知りになっています。
<知事>
一つの刈り開きを通じて、町の境界を越えてネットワークができたんですね。
<新谷さん>
そういう報道をしてもらったんで、三重県の方ともね、(熊野古道を紹介する)同じタイトルのテレビ番組の中で別々に出ているだけなんですが、今度その人と会った時には長いつきあいのような感じがすると思うんです。
<知事>
なるほどね。仲間にジャーナリストがいらっしゃたというのも大きいじゃないですか。
<新谷さん>
もっぱら宣伝してもらいました。
<知事>
やっぱり宣伝は上手ですか。
<辻(桂)さん>
地元で活動されている方は、地元の地域だけを一生懸命やっているけれども、他との連携が意外とできていない。橋本市から来ていた辻田さんとかだと、自分がつないで歩こうと思って調査していて、そこから道がとぎれていたら、周辺住民などの聞き取り調査などして道を探すという作業になり、すさみの新谷さんや日置川の上野(宏)さんに出会って情報を共有して道をつないでいくことができたんです。
私は、串本、古座、古座川を(記者として)担当していたので、例えば、地元の人たちに、「大辺路をつなげようとしているこんな人いるよ」と辻田さんのことを紹介すると、「遠くからわざわざ来てやってくれているのに、わしらもやらな」と、協力者が道沿いに生まれていきました。
<知事>
例えば、誰かさんが始めた。それに「じゃ俺も加わってみようかな」とかね。さっき神保さんでしたかね、「これは加わってみやなあかんな」というふうに思われたり。他にもいらっしゃいましたかね。そう思われることは実は当たり前のようだけどもそんなに当たり前じゃなくて大変立派なことで当地の風土の誇りみたいなものじゃないか、と私は思いますね。
<神保さん>
意外に自分の町の歴史や文化を知らないんですね。私なんか特に途中から出たからそうなんですけども。地元にいる人もごく身近なことだけの世界になっていて、「古道がどこにあるのか」とか、案外知らないということが多い。こういうのに参加して初めて、「こんな文化もあったのか」と驚きがある。
<知事>
そういうことですね。私も実はちょっと神保さんと似ているんです。Uターンみたいな感じでね。それでちょっと口ぐせがありましてね。「子どもの頃は・・・」とかね、「昔は・・・」とか、和歌山市ですから「電車道」というのが口癖なんですよね。どうも、まったく通用しないんです、これ全部ね。「こりゃいかん」と新しいことも勉強しようと思っているんですけど。
それとともに子どもの頃も知らなかった古い、古い話とか。それから和歌山市、あるいは和歌山県のいわれとかね、今、せっせと勉強しておりますね。申し訳ないんですけどそういう立派な刈り開き作業なんかにはあんまり参加しないで、専ら夜中に寝転がって本読んでいるとかが多いんですけどね。
ただ参加をすることによって体験していくということは大変立派だと思いますね。もう一人いらっしゃいましたよね。「これ、参加せないかんなあ」と。上野(一)さん?「やっている人がいるから、俺もやらにゃあ」とね。
<上野(一)さん>
私も、熊野修験に入り、大峰山系を180km歩く行をしていて、さっきの辻田さんと知り合った。辻田さんから「串本で誰も歩かずに草ぼうぼうの古道が残っているから一緒に刈り開き作業しませんか」と言われ、それから一緒にやっています。
<井上さん>
私もそうです。上野(一)君と文化財関係の話していて、刈り開き隊の話がでて、草刈り機とかチェーンソーとか工具使うのは十分なれていますから「役に立つだろうな」と。やってみますと、「はたして何百年か前にこんなとこ誰が通ったかな」と。「それを今刈り開いておるんじゃないか」というふうな実感が出てくるんです。歴史ロマンのようなものをね。実際草刈り機かなんかでスパ、スパと切ると道になるでしょう。楽しいですよね。知事さん専用の草刈り機を用意しますんで一緒にやりましょう。
<知事>
草刈り機は使ったことないんですが。後片づけが大変。でも実はちょっと好きなんですよ。
草を刈るのは快感で。
<井上さん>
自分らがやったことが見えるのは、すがすがしいもんです。特にジャングルのような道を綺麗に片づけると、「やっぱし人が通ったかな」と実感があります。
<知事>
ありますね。それから、「刈り開く」というのはなかなか良いような気が、僕は実感としてしますね。今、井上さんが言われたので、実は個人的に賛成なんですけど。ひょっとしたらこれ、破壊衝動かも知れないんですけど、スパッとやってしまうというのは、なんか楽しいような気がします。
<井上さん>
そこに語り部のようなものが出てくると、文化財的な検証が必要になってくるが、私の場合、文化財であろうと何であろうと、とにかくジャングルを元に戻そうと。ずたずたに切れてしまった、じゃ、どこをどうつなぐんだ、と。そういったものが一つの作業の目的のようなものになってしまう。
<知事>
個人的には大変よくわかります。ブルネイでジャングル歩きをするわけです。蝶々を採りたいんですね。熱帯のジャングルって実はほとんどのところ歩けないんです。
でも、(ブルネイにも)たまに歩けそうな道があるんです。これは軍隊の行軍の道であったり、イノシシが通った道であったりするんですけどね。それをほっとくと、すぐにジャングルですから、バサバサとかぶってきて通れなくなる。それをはさみと鉈とを持って行ってバサッとかぶったらチョンチョンチョンと切っとくんです。そうすると空間できるでしょう。で、歩けるわけです。歩けるとそこに時々蝶々が現れるんです。道がないとちょっと横へ入るとあっという間に行方不明になる、まったく分かりませんね。いや、分かる人は分かるのかも知れませんけど。
<井上さん>
山歩きはね、自分が来たところへ戻ることを考えるって昔から言うんですが。私自身、イノシシ狩に今でも山を走り回っていますがね。急いだ時なんか間違うことが結構あるんですよ。危ないと思ったら枝を曲げて目印とします。
<知事>
日本の人々は、山が好きですよね、山と一緒に、あるいは野と一緒にね、生活している。今ではだんだんと廃れてきたけど、山の集落のところを探すと、上に上がっていく道がありますよね。それはずっとつながっていたり、単にぐるっとまいて、また集落に帰ってくるという道だったりするんですが、なんか道がある。だけどブルネイには無いんですよ。山へ入らないんですね。いかに日本人が、やっぱし自然と親しみながら生きてきたか、ということが良くわかりますね。その最たるものが、多分熊野古道だったんだろうと思いますよね。
それがさっき子どもの頃に先生に引率されてとおっしゃいましたけど、熊野古道の中辺路を少し歩き始めて色々聞いてみたら、昭和初期に、ここに乗り合い自動車が走っていたという所があるんですよ、とかね、そういうところもあるし。ついこの間までここは頻繁に人が通っていたんだなあという所もある。それがもう歩く道はあるんだけど何にも無くなっているといった状態になっていますよね。熊野を歩くと、廃れたのは、本当にこの戦後かもしれないなあというふうに思いますね。
それで皆さん中心に、もう一回復活させようということで、うまくいってそれをだんだん又直していただいている、皆さんのご活躍には協力させていただかないかんと思います。
<井上さん>
今でも道として使っているところは残っているんですよね。ところが戦後、今知事おっしゃられたように、エネルギ-革命で薪とか炭を使わなくなると山へ入っていく用事が無いわけで、ジャングルになってしまうんやね。何百年も前に日本オオカミとか熊とかがどっさりおった時分に、ほとんど野宿に近い形で何十人、何百人がたどったとは、大変なことやったな、遊びやなかろう、癒しを求めたのか、神を求めたのかなどと想像するのは楽しいですね。ぜひ一緒に草刈って遊びませんか。
<知事>
楽しいですね。それからもう一つ、皆さんのような草刈り屋さんの他に、それから語り部屋さんというのがあるんですね。多分どこかで融合しておられる。皆さんもそうだと思うんですけど。まさに井上さんおっしゃったように、草を刈りながらもの思うとかね。思うためにはちょっと勉強しないと思えない訳ですから、そういう勉強するっていうのはこれまたおもしろいなあと思いますよね。
稲田さんは、奈良県とおっしゃいましたけど、奈良県のどんなところに。
<稲田さん>
奈良盆地に住んでいました。大阪に勤めてまして、定年退職でどこで住もかと考えて、白浜を見つけました。以前から山を歩くのが好きでアウトドアも好きだったので、たまたま、2004年の5月頃、地元新聞にボランティア募集、刈り開き隊の方から一般公募のボランティアの募集があったんです。それを見て、熊野古道に関心があったし、だれにも何にもとっかかり無いままに、その日とぼとぼと白浜から来て、どこへ行ったら良いか分からないままうろうろして飛び込んできた、と。誰からも誘われずに飛び込んできたので勝手がわからないままで、だけど最初はどこで何をして良いのかもさっぱりわからないまま色々と後ろをついて歩いている内に、ああ、おもしろいなあと、段々と何か引きずりこまれていくような感じでどっぷりつかってしまったというような。それとは別にこの辺の山を色々と個人的にも歩き回っているんですけども、新しい道を刈り開くという知識が今のところありませんので、語り部講習を受けに行ったりと、色んなところで勉強している最中です。
<知事>
何かこう、白浜から出てきて、しかもあんまり和歌山のことを知らないおじさんが、ふらふらっと来てですね、「おまえだれじゃ、どっかへ行け」とか言わない皆さんも偉いですね。
<稲田さん>
どこへ行って良いかわからないままにうろうろしていたら、新谷さんに声をかけていただいて。
<知事>
「おいで、おいで」と。
<稲田さん>
「何しに来たんな、こっちへおいで」と仲間に入れていただいたというのがきっかけなんですね。
<知事>
そういうところをね、やっぱり和歌山の誇りにして、今のような感じを和歌山の良いところだと言って、みんなで伸ばそやないかと言わないかんですよね。
<稲田さん>
全然、こちらには地縁も血縁も何もないもんですからね。住んでいくにはちょっとした根でも生やすために、何かのきっかけがいるのではないか、と。全く根無しの状態だったので、それを求めたのかも知れないな、と思ってはいるんですが。
<知事>
実は、県庁のここ数年の政策の中で非常に良く当たっている政策がありましてね、それは体験観光のプログラム、ほんまもんプログラムです。それはいくつか各地でこういうのを提供しますよ、というのを募集してきて、パンフレットを作ってですね、パーッとばらまくんですよ。
そうすると旅行会社のパンフレットみたいになっているんですけど、申し込まれた人をグループでその時によって連れてくるんです。これの延べ人数が年間26万人になってるそうです。これは大変なことですね。その中で「来て良かったんでこの際住んでやれ」と思って来ましたとかね、そういう人もいますね。全部それをねらう必要も無いんですが、そういう人達を地元の人もまた温かく迎えてあげるということでね、何度も来てくれたら和歌山ファンの方が増えるんじゃないかというふうに思うんですよ。非常に良いことだと思っています。
<井上さん>
「やってみて、体験してみて楽しかった」というのはやっぱし後を引きますよね。
<知事>
そうです。
<井上さん>
もういっぺんやってみたいとか、次は上手にやるぞとかね。私、良く言うんですが「旅のお土産というのはこんな袋へ入ったものじゃない」と。「楽しかった思い出、ちょっともらって帰るわ、また来ますよ」と。これが土産だろうと思うんですけどね。ホスピタリティのようなものも、そういうものかもしれませんね。
<知事>
今のそのお話で、思った、といったらおかしいんですが、非常に良いのは、子どもの頃の体験が後々響いてくるっていうのも良いと思うんですよね。実は奈良県の一番奥でこの間3県の知事会議があって、そこにちょっとハイテクの企業が立地しているんです。小さい企業なんですが大変儲かっているんですよ。なぜその企業が来たかっていうと、体験旅行で来て、そこが大変気に入って、工場はここに決めて、先に家を決めて。それで従業員も来てもらわないかんから色々打診したら、まあ来てやる、と皆さんおっしゃるんで、そこへ立地することになったという話がありました。
もっと良いのはね、さっき修学旅行というお話がありましたけどね。子どもの頃に来て、その時に、「ああ、良かったなあ」と思うようなのがあったら、大人になったら奥さんを連れてこようかとか、その前に恋人を連れて来ようとか、そういうのがあると思うんですよね。特に民泊を串本町で始める、と言っておられる。ああいうのもとっても良いことだと思いますね。ご苦労はたくさんおありでしょうが。
<浜地さん>
そうですね。
<知事>
ちょっと、話は飛びましたが。
<浜地さん>
ただ、この地域の方というのはこういった方達ばっかりなので、もてなし不足でという心配よりも、逆に過剰なもてなしで、というそちらの方が心配です。
過剰だと困りますか?
<浜地さん>
そうですね。今、子供達って結構、携帯でメールとかでやりとりするんで。僕の家では伊勢エビが出たよ、こっちの家ではアジの南蛮漬けだったとか。
<知事>
いいんじゃないですか、そりゃあ(笑い)。
<井上さん>
いっぺん過剰にやると後続かへんな。
<知事>
そりゃそうですね。
<浜地さん>
随分気の良い人が多いので、そういった方が逆に心配で。
<井上さん>
大辺路のこの地域は世界遺産に登録されていない。登録されようとされまいと、それなりの価値があって当たり前だと思えばそれで良いんですが。登録されていないということは、逆に規制にとらわれず何でもやれるということで、うんと可能性が広がるということです。
私は自分で採って食うのが好きでしてね。何でも食うんですが。大辺路ってグルメ街道でもあるんじゃないかな、と思うんですよね。色々の旬のものがある。そういうものを食べたというのは、旅の思い出として結構残りますよね。するとまたリピーターとして来てくれる。今度は自分で採りなさい、というと遊びの世界としてより楽しくなるんですよね。
それから、われわれが刈り開こうとしていた田原の堂道の国道沿いの土手道を、国交省がシーニックバイウェイ事業の関連で800mほど整備していただけることになりました。ありがたい話です。これができたら知事もまたいっぺん見に来ていただいて、一緒に歩いていただきたい。
~図面をみながら~
<知事>
いやあ、この荒船のこのあたりは良いですねえ。私も少しだけ行ったのですが、すばらしかったなあ。
<井上さん>
ここを拠点にして歩く、約3時間くらいかと思うんですが。名所が増えるという、そんな気がしております。
<新谷さん>
あの、少しだけ刈り開きの作業の話で補足させてもらいたいのですが、ただ道をやみくもに刈り開いているわけではないんです。古道の道幅は本来最低でも2m前後ありますが、あとあとの維持管理作業、季節ごとの草刈りなどを続けていくというのは大変なことなんです。管理のためにも人が歩けるだけの道幅だけを開き、刈りすぎることのないように、作業は慎重ですよ。
<辻(桂)さん>
また、隊員には各町の文化財委員を務めている人が多くて、県の世界遺産マスター資格保持者も2人います。世界遺産と同じ価値ある道の復活作業ですから、現状以上に壊さないように世界遺産のルールを参考にしています。さらに、大辺路の周辺には熊野の本来の照葉樹林の森、そしてラムサール条約にも登録された海の森ともいうべき北限のサンゴ群集など、守るべき貴重な自然があり、自然の価値も重要視しています。相談役として、和歌山県自然環境研究会の先生方にも教えてもらいながら、作業に生かしています。
将来的には、文化財と自然に配慮した維持管理の作業ルール、保全マニュアルみないたものをつくらなきゃと。道とその周辺の宝を守ってこそ道の活用があると、日頃からみんなで話しています。
<知事>
さっき聞き忘れたんですが、河野さんは、生き字引だと。やっぱり、切り開くのと、それから歴史的な由来とか調べるというのは両方あいまって楽しくなると思うんですけどね。そういうのを皆さんは河野さんに期待しているかという気もするんですが。
どんな努力をしておられますか。
<河野さん>
私、中辺路にいたんですが、近露におって。こっちにかわってきた時に、年寄りの方なんか、土地の名前の由来を「これは血か露か」とか、よう言うてますね。
<知事>
良く言うてますね。
<河野さん>
ここは昔は、いわば都の大通りで、皇族やとか法皇とか貴族とか通ったんやと自慢げに話されます。ところが、大辺路にはそういうものがない。私は自分が勤めているところをもっと良くしたいという気持ちがあったもんやから、何かこの地方でそういうものができないかなあ、と考えていました。なるほど、山奧から出てきた時にはパーッと視界が開け、景観がすばらしい。田並はケンケン釣り発祥の地ですが、釣りのことも何も知らなかった。自分の住んでいるこの地域を何とかして盛り上げていきたいというか、役に立ちたいという気持ちもあったもんやから、自分で大辺路のことを調べだしたら、みんな親切に教えてくれるんです。でも、それを刈り開くというのは自分一人でできないし、家内も反対しますわな。そういうときに、先ほど言った岩本君が一緒にやろうと。
最初に平成16年の2月に和深を、それから田並の方を5月、6月頃に刈り開いたんです。そしたら80年ぶりに石畳が出てきた。そこで考えました。この道を古道として歩くだけでは何にもならん。やっぱしそこには人々の生きてきた魂というかそういうものがあるはずや、一体それは何かということになってきたら、石像仏ということになります。お地蔵さんとか、荒神さんとか、お大師さんとか。
特に、この紀南地方は汽車が通ったのは昭和15年です。それまではいわば陸の孤島のような感じで、近代医療もなければ、せんじ薬飲むとか、漢方薬を飲むとか、そのように人々はその幸せを求めるのにどうして生きてきたかを勉強したいっていう気持ちから、地元の人の話を聞き、お地蔵さんや石像仏とか調べているわけです。
例えば一つ、この紀伊半島の串本あたりの特徴と言いますと、平見という海岸段丘があります。前には枯木灘があって太平洋が眺められる。そしてその波打ち際には色んな形の岩が、島がある、あるいは、砂浜がある。私の来た昭和37年の頃は、こんな大きな松の木があったとか。
<知事>
そうそう、松の木が無くなったのが。
<河野さん>
今のような殺風景なことになってしまった。
<知事>
ちょっとね。
<河野さん>
それで、この地域を性格づけるものとして平見とお大師さんの信仰があるわけです。
あの時分の生活と言えば、家の中心になるのは長男ですね。学校を出たら何になるかをまず考える。耕地が少ない、平地の少ない地方でしょう。だから平見っていう台形になった丘ですね。そこを刈り開いて、畑にしてイモや野菜を植えたりして、それで生活をして、そこへお大師様を建てて、それを村の中心にした。
男の人は長男は別として、少ない田畑を耕して生活するというのは並大抵ではない。だから、海へ行くわけです。貝や海草をとったり、魚釣ったりとか。子ども達は学校を出たら船乗りになる。僕は船長になりたい、これが夢だったんです。だから船員さんがずっとこの海岸沿いに多いんですね。海外への出稼ぎも多く、海外の文化が昔からたくさん入ってきていました。男の人は外へ出て働きにいきます。海が荒れたり、舟の底一枚で地獄や、と言われるくらい危険な航海をする。そうなると家庭を守る主婦達は子どもを養わなくてはいけない、また畑にもいかなあかん、とこうなりますよね。一方で、やっぱり夫の航海の安全を祈る、そういう主婦達の心のよりどころっていうものが、お大師さんなのですね。今では町の中にもお地蔵さんというのはありますけども、昔は村はずれのお地蔵さんといわれたくらい離れたような所にあったんですが、今はあっちこっちにあります。串本の場合には特に多いような気がします。それぞれいわれがありますね。
こういう形の中で生活してきたこの地域の人々、あるいは人づくりっていうんですか、子どもをいかに育てていくか、というような問題を色々考えてきた時に、やっぱり、自分の地域の歴史や文化というものを大事にしていかないかん、このことを、子ども達に、次の人に伝えていかないと。今の現状では、子どもが学校を出たらあまり地域のことを学ばず都会に出ていくでしょう。年をとっても子ども心、幼き頃の野山を駆け回ったこと、とか色んな魚釣りをしたこととか、そんなのは印象に残りますよね。
<知事>
そうですね。
<河野さん>
そういうのが郷土を愛する気持ちにつながっていく、それがやがて地域に広がっていってね、最後は国への思いにつながるんやないか、と私は思うんですけどね。
<知事>
そういう意味で是非、そのイメージをこれからつぎ込んでいってもらいたいですね。中辺路に負けんようにね。もう一つね、中辺路に全然なくてこっちにあるというのはやっぱし海の景色の美しさですね。明石さんは、磯釣りがお好きと言っておられましたが、そういう意味で海の魅力みたいなものをお話いただけませんか。
<明石さん>
串本町の有田で、もう50年住んでおるんですけども、元々私も富山県です。有り難いことに皆さんに教えてもらって有田の財産の管理委員会の議長を8期ですか、32年間財産管理に携わっておりますが、一番の魅力は磯ですね。田並から有田へ抜けての古道があるんですが、その道だけじゃなしに和深の方にもりっぱに古道があります。でも、その串本町内の古道を歩いても海が見えんのですわ。なんちゅうか、密林で海が見えんです。
<知事>
そういうことですか。
<明石さん>
中辺路はりっぱな由緒ある古道ですけども、これは海は見えませんわな。だけども大辺路は海がまず魅力と思うわね。同じ歩いて、高い所から磯を眺めるという。そこでたまたま有田の1カ所を休憩所いうんですか、該当するところをつくりまして、展望所という名をつけて海を眺めていただく。やっぱし、海はどこででも見れるんですけども、古道を歩きながらそういう箇所に出くわせるというのはたいそう喜ばれるようです。
<知事>
なるほど。
<明石さん>
だから、私らは磯の端でずっとおりますから見慣れとるんですけれど、やっぱし古道を歩いて見るというのが、また、格別のようですね。
<知事>
そうそう、古道から海を見るなんていうのはね、なかなかロマンがありますよね。多分、今度はPR戦ていうのかな。ホームページ担当の仲江さんにお聞きしたいんですが、刈り開き隊の広報というか大辺路の広報って言っても良いのかも知れませんけど、何を魅力として訴えるとヒットするかなっていう感じがありますか?
<仲江さん>
一応、ここのホームページの売りは、トップのイラストです。
<知事>
生駒さん作成の?
<仲江さん>
熊野古道に関するホームページってたくさんあるんですけど、こんなイラストが載っているホームページって他にないと思うんです。このホームページでしか見ることのできない地域のスケッチっていうか、イラストが他のホームページにはない一つの魅力だと思います。
それから活動記録であるとか、このホームページを見れば刈り開き隊がどういう経緯で誕生して、どういう活動をしているかっていうのもすぐ分かりますし、何よりもこれを見ることによって大辺路に興味を持ってもらおうと、写真もたくさん使うようにしていますし、僕自身旧古座町の人間で、合併をするという前から、地域が埋没してしまってはならないということで、地域の魅力を何とか発信したいということで、以前からとにかく毎日デジタルカメラを持ち歩いて、綺麗だなと思ったものとか、今まで何気なく見過ごしていたもので、ふと見たら、これは珍しいと思ったらすぐ写真に撮ってホームページに載せるようにしているんです。
そういう点でここへ住んでいても気付かない魅力を再発見するというか、そういう機会に僕自身なっていますし。また、ホームページの中に掲示板もあって掲示板ではできるだけ新鮮なネタを載せるように心がけています。
<知事>
売りが生駒さんのイラストとなってるんですが、イラストレーター生駒さんにとって大辺路の魅力って?
<生駒さん>
私も、元々奈良出身なんですけども、奈良は海が無い県なんで、やっぱり海の見える景色ってどこへ行っても結構、すごい、すごいっていう感じで感動してたんです。
このマップを書いている時に取材で行った平見っていう海岸段丘なんですけども、そこから見える景色、お家が何軒か建ってて、石垣とか畑の間から海がキラキラ光っているような景色、そういった地元の人でもしかしたら、あんまりすごい景色だとは思われないのかもしれないんですけども、よそ者の私には、特にそうした景色が懐かしいような見たこともない景色だったんです。どこか懐かしいような安心するような景色で、そういったのが魅力かなと思いました。
<知事>
私も18歳まで和歌山の中でどっぷり過ごして、そこから随分いなかったわけです。最近、また、観光の振興も私の仕事だということで色々考えたりするんですが、混沌とか、融合とかね、そういうのが和歌山の魅力かなあ、というふうに思う時もあるんですよ。これをね、「偉大なる混沌」とかやると、インドみたいになっちゃって、ベナレス(バラナシ)とかそんな感じになってしまうんですが。「アットホームな混沌」とか、「親しみやすい融合とか」、そういう雰囲気が和歌山の魅力であると思います。しからば、それをむしろ強調して訴えることによって、それと違う所に住んでいた人なんかも、「ああ、これはいいなあ」と言ってまた来てくれるということになるんじゃないかなと思います。
で、一つは、流行りすぎると逆にその特色がなくなってですね、都会っぽくなっちゃうんですね。例えばキンキラキンの広告なんかできるとかね。そうならないように、実は一方では景観条例みたいのを作って、ある一定のところで、今の雰囲気を守りましょう、それで、皆さんのような暖かい心を持った人達が営んでいるところを、お客さんみんなに見てもらって、それでまた何度も来てもらったら嬉しいな、ついでに観光でたくさんの人が食って行けりゃあもっと良いなあと、そんな風に思っているんです。
生駒さんのあのイラストでおもしろいのは、カラスですね。
<生駒さん>
ありがとうございます。
<知事>
いつも同じカラスが出てきますね、あっ、これはおもしろいと思ったのはちゃんと3本足があるんですね、2本じゃなくて。これがまた何ともいえず良いですね。
<仲江さん>
名前もついてます。
<知事>
何ガラスですか?
<生駒さん>
くーちゃんと呼んでます。
<知事>
何か意味がありますか?
<生駒さん>
特に意味は無いんです。すいません。
<知事>
くーちゃんをどっかで使って、観光のPRをしますか。
それで、何人かの方にもう一回、「今後もがんばるぞ」というお話をいただきたいと思いますけども。
<平田さん>
大正生まれで、できるだけ皆さんの足を引っ張らない程度に、せっかく刈り開きで道をここまで開いてきたのを、将来に向けての保存のために頑張っていきたい。そのために何とか後継者を一人でも多く、若い人を増やしていきたいな、というふうに考えておるところです。
<河野さん>
後継者は切実な課題で。刈り開き作業は、今ようやく、道をつなぐ作業がほぼ終わった状態まできました。しかし、歩道も無い国道を歩かねばならない部分や急峻な部分があったり、安全に歩ける完全な状態とは言えんのです。それに、各地ではすでに語り部組織が体制化されていますが、大辺路では今、養成講座が始まったばかりです。世界遺産という後ろ盾も薄く、自分たちで世界遺産のエリアと同様のサポートを、はたしてどこまで築けるのか。さらに広大な海岸線が対象というハンデもあり、維持管理ですら大変なんです。特に道沿いに住む隊員は、自主的に日常作業していますが、これから何年も、目の黒いうちは続けたいと思ってはおるんですが。大辺路がみんなの宝だと思う気持ちがないと続かないし、その上で作業ができる後継者の確保は、ほんとに大きな課題ですね。
<神保さん>
協力し合わないと将来まで維持できないんで、刈り開き隊の特徴に、「肩書き抜きの一個人として参加」という入隊規則があるんです。最初は代表も置かないことにしていたほど、「わがとこ主義」のないよう、それぞれの地域や個人の立場をお互いに立て合おうという気持ちを大事にしてきたように思います。県や町の職員もいるので、ざっくばらんに作業を通じて話し、それぞれの役割を理解し合うことが出来ました。そうした中で、民間でできること、出来ないこと、行政にどうしてもしてもらいことが、わかってきました。
景観保全、文化財登録、自然環境の保全や改善など、行政の積極的介入とバックアップが不可欠な部分があります。大辺路という複数の自治体にまたがる広域なものを扱っていくとき、民から町、また県などへ、声を持ち上げるのは並大抵のことではできません。県としても大辺路への理解をより一層深めていただいて、また各自治体の行政へ、さらには国への橋渡しを少しでも図っていただけたら嬉しいです。
<上野(宏)さん>
串本町ではすでに、隊員の中で、僕を含め3名が町文化財委員で、町内の大辺路を文化財登録しようと協議を進めています。また、大辺路語り部講習も県のバックアップをいただいて、すでに始まっているので参加しています。いい勉強になりますよ。僕や河野さんは、自分たちの開いた道を調べて、初めて講師を務めることになっています。やったことが形になって生かせるのは嬉しいことです。
<上野(宏)さん>
それと、私が思うのは、大辺路の魅力というのは、一つは海が見えるということです。伊勢路とここしか無い、ということで、やはり海を中心にしたことで、売り出していきたいというようなことを考えます。
その一つとして、昔はたくさんあったハマユウが、今、見えんのですよ。佐藤春夫の歌にあるでしょう。「浦の浜木綿幾重なすあたり何処と」っていう。津々浦々にハマユウが自生しているっていうような環境をこれから先できんかなあと思うんです。だから行政にもお願いをして、こんな球根ですか。ここの浜にちょっと植えといてください。何年か後、また訪れた時に見てください、というような取り組みもできんかなあと思っています。
<知事>
確かにありませんね。今気がついた。松はそうですけどね。松とハマユウが消えちゃいましたね。
<新谷さん>
里野のね、磯道にハマユウがあります。今行ったらびっくりするくらいあります。結局、国道から遠いところなんです。国道がついて良かったか、悪かったか。国道に近いところに生えているやつは根こそぎ掘っていかれたんです。それも一つの原因ですね。浜辺の荒廃だけでなくて。
<知事>
ちょうど生えていそうなところに国道が通っているような気がしますよね。
<新谷さん>
パラペットの前にも生えていたこともあるんです。だけど車で乗り付けられて分からないようにごっそり持っていって。
<知事>
そんなに持って行ってどうするんですかね。自分の庭に植えるんですかね。気候が合わなきゃあんまり育たないのにねえ。
<新谷さん>
高山植物と一緒でね、何でも珍しいから持ってってやろうという気持ちでしょうね。だから、里野のね、群落のあるところは、300~400mの磯道を歩かんとだめなんです。国道からは見えにくい。そこにはそりゃあ、見事なほどに真っ白に花が咲いています。
<知事>
また、そのうちに見に行かしてください。本日はどうも、ありがとうございました。
<仲江さん>
予定にはなかったと思うんですけど、今日の会の最後に、刈り開き隊の歌を歌ってみたいと思います。一番だけ歌います。
<知事>
はい。
~ここで、皆さんで“刈り開き隊の歌「一緒に歩こう」”を歌ってくださって、トークを終了しました。~
♪大辺路街道~熊野道(くまのみち)~潮風やさしく頬なでる~照葉樹林の落ち葉の道を~古人(いにしえびと)の足跡訪ねて~大辺路へじへじ~古(いにしえ)の道~大辺路へじへじ~一緒に歩こう♪♪
<知事>
皆さん、今日はありがとうございました。







