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紀の国いきいきトーク
「紀の国いきいきトーク」は、私が県内各地に出向いて、県民の方々と気軽に話し合い、県政に対する理解を深めていただくとともに、各分野で活躍されている県民の方々の生の声を県政に反映させていくために開催するものです。ここでは、様々な分野でいきいきと活動されている皆さんとのざっくばらんな懇談の様子をご紹介します。
第5回 紀の国いきいきトーク対談内容
平成19年4月7日 田辺市
<仁坂知事挨拶>
皆さん、おはようございます。今日は、皆さんからノーネクタイということも言われておりましたし、また、この後植樹もあるものですから、こういう(ラフな)格好でまいりました。大変失礼いたします。今日は、皆さんと自由にお話ししたいと思いますのでよろしくお願いします。
~以下トークに移行、自己紹介から始まりました。~
<古久保(直)さん>
「ええとこねっと龍神村」の理事長をしてます。今日はメンバー数名と、これに関係のある方々に集まってもらってます。今日はよろしくお願いします。
<竹内さん>
19年前に、家族を連れてこちらに移住してきました。今は、梅を使ったドレッシングなどを作っています。
<松本(和)さん>
平成11年に風土'S研を立ち上げました。一時は80数名の会員がいましたが、そのメンバーが様々な形で地域興しに頑張ってくれています。風土'S研自身は、イベントのお手伝いなんかをさせてもらってます。また、喫茶店を20年やってます。
<城所さん>
チェーンソーアートをやってます。また知事と同じで昔は蝶々採りが趣味でした。高校の頃、生物部で、社会人になっても5年位、蝶を追っかけてました。そんな話もできればと思います。
<大江さん>
林業をやってます。植栽から伐採まで家族でやってます。林業もまだまだ勉強中ですが、よろしくお願いします。
<龍神さん>
龍神で旅館を経営しています。今、龍神の方は観光の方が少し冷え込んでいますので、その点もよろしくお願いします。
<寒川さん>
旅館を経営しています。NPOにも入れて頂いていますし、商工会の女性部でも頑張っています。旅館での食材は、海のものを使わずに、また無農薬野菜の漬け物なども出しています。
<古久保(貞)さん>
龍神女性会の会長をしてます。地域を花でいっぱいにして、美しくして安らぎを与えられれればと頑張っています。県の里親制度も去年から利用させてもらってます。
<松本(泉)さん>
地元の杉を使った家具づくりなどをしています。循環できるものづくりをめざしてます。また、龍神近辺の作家が作ったクラフト品の展示、販売なんかもやっています。
<鈴木さん>
元県職員です。現在は、NPO「みどりと木の文化のまちづくりネットワーク」の理事長をしています。
山村資源の活用が、紀南地域の生きる道だと思い、NPOを作ったのですが、ここでは、山元と町をつなぐ役割を何とかしていきたい、加工事業をどんどん進めて地域の活性化を図る一助になりたいと思ってます。
<吉田さん>
7年前に東京から、家族で移住してきました。その頃から風土'S研などに関わらせてもらってます。仕事は、柚の加工品の製造、販売をしています。
<松本(晋)さん>
12年前にUターンで戻ってきました。林業家と書いてありますが、最近は、高野槙を生産したり、チェーンソーアートなんかもやっています。
<古久保(健)さん>
元教師です。現在、語り部として地域興しに頑張っています。併せて、県の文化財保護指導員もさせてもらってます。地域では、高齢化が進んで夢が少なくなってきている中で、民話や地域の歴史など郷土を愛せるような素材の掘り起こしもやってます。昭和20年の5月に、こちらでB29が墜落しました。それを地域では、大切に守っています。人間の優しさがある村なので、そういう部分を具体的に表していきたいなと思ってます。
<後藤さん>
市の職員です。職を離れた形でも、地域の皆さんと繋がりを持って頑張っています。
<吉本さん>
龍神生まれの龍神育ちで農業もしています。梅の団地化に努めています。
<知事>
ありがとうございます。知事の仕事も色々あるんですが、自分自身も勉強したいというのと、皆さんのように地域で頑張っておられる姿を広く紹介したいと思ってます。こうしたPRを皆さんの励みにもしたいなと考えてます。これが、「いきいきトーク」の目的で、もう一つは、個人で、あるものに打ち込まれて、長くやっているような方と対談をする「名人対談」というのもやっています。先日も、有田川町の山奥で無医村をずっと守ってこられたお医者さんがいるんですが、その方から始めました。そういうのをホームページに載せて、紹介していきたいと思ってます。
今日は、企業の森の大規模な植樹祭があるんで、こちらに来させてもらったんですが、龍神村で、みんなで仲良しで頑張っておられる方々とお話しをしようということになりました。
今までのトークは一つの団体の方々とのものだったのですが、今日は、龍神村の総力戦のような皆さんで、どういう話をしようかと思ってます。共通項は、龍神を元気にするために頑張っているということだと思うんですが、どういう観点から皆さんを集められたのでしょうか。
<後藤さん>
今回の話をお聞きして、これはおもしろいと思いまして、横の連携の中で、色々な分野で地域で頑張っている人を呼んでみようということになりました。
<知事>
横の連携というのは、普通難しいと思うんですが、どうして龍神には「ぱっ」と意識されるような横の連携があるんですか。
<後藤さん>
村で、何かイベントがあるとさっと集まるのがこういうメンバーなんです。案外難しいようでできるんです。(笑)
<松本(和)さん>
自分もそこに入って何かやってみたいと意識しあうんだと思います。
<知事>
その意識は、どこから出てくるんですかね。
<鈴木さん>
私が思っているのは、戦後こちらでは社会教育を一生懸命やっているんです。旧龍神村には4つの村があったのですが、それを融合するのが社会教育であったわけです。とにかく「遠慮せずにものを言おら。」と。
それがなくなった頃に龍神林業開発会議というのができました。林業、木材産業に関わる者が一つになりまして、現在10数グループあると思うんですが、林業祭りを30何回もやっているんです。そういう積み重ねで人間関係が出来てきたというのが一つあります。
もう一つは、風土'S研という会員名簿のない柔軟なグループができて、そこから巣立っています。こんなことで、大体、人間関係ができているんです。
<知事>
先ほどから、風土'S研というのがよく出てくるんですが、どんな活動をされているんですか。
<松本(和)さん>
平成11年に、(龍神には)食べるものもあるし、文化もあるし、地域づくりのために頑張る会を作ろうかということで始めました。すぐに40名以上のメンバーが集まりまして、平成15年には、80名を超えました。色んなことをしていくうちに、みんなが集まってくれるという状況です。
<知事>
(風土'S研を作られた中心メンバーに)元シェフの方もいらっしゃいますが、この辺の昔語りをお聞かせ願いますか。
<竹内さん>
19年前、こちらに来た時は、後で聞いた話なんですが、(周りの人からは)サラ金に追われて来たように思われていたようです。初め、借りようとした家がシロアリでだめで、急きょ学校の廃校に住まわせてもらっていました。やっと自分の工場ができて、周りの方が「本当にやるんだな。」と思ってくれたようです。昔、このセンターの中に、「文化協会」というのがあって、その顧問を引き受けたのですが、その顧問をリストラになって帰ろうとしたら、係の人から「このまま辞めるのではなくて、何かやりなよ。」と言われて、「風土'S研をやります。」と言ってしまいました。風と土と、食べ物のフードをかけた名前ですが、そんな会を作ってみますと即席で言ったのがきっかけです。
一番最初にやったのは、この地域のお雑煮やお祭りの時のお寿司の調査です。その時には、上は94歳から小学校6年生まで84名の会員がいました。メンバーに入れる要件は、美人、奇人、変人、外人(外から来た人の意)としました。何をするかというと、大人が真剣に遊びながらやっていくと、外へ出て行く子ども達から、大人が真剣に遊んでいる姿を見てもらえるんじゃないかと考えました。
休耕田に、蕎麦を蒔くと会員の人が大勢来るんです。刈り取りの時はほとんど来ないんです。刈り取ったものを食べる段階になるとまた、大勢来るんです。そういう風な会を作りました。
<知事>
以前、シェフをされていて、今、ドレッシングの仕事をされているとのことですが、どうして龍神村だったのですか。
<竹内さん>
横浜でシェフをしていて、梅のドレッシングを開発した時は、「紀州の梅が一番いい。」と思い和歌山でやりたいと。梅の産地の和歌山県に来たいということからこちらに来たんですが、みなべなどではうまくいかなかったので、あきらめて龍神温泉にはいって帰ろうかなと思ってました。その時に学校の廃校でアートセンターがあって、村外から来た人が芸術活動をしていたんですが、その方々から「龍神でも梅がとれるから。」と言われたのがきっかけです。
<知事>
外人とさっき言われたけれど、そういう方に対して連帯感を投げかけていこうという風土があるのかなと感じますね。
Iターンで来られた方もいらっしゃいますけど、どういう動機ですか。
<吉田さん>
東京でサラリーマンをやっていたんですけど、子どもは田舎で育てたいなと思ってました。
本当は、湯布院で葡萄のプラントの計画をしていたんですが、色々探している中で、龍神に家内の親戚がいまして、1~2日の予定が1週間いまして、そのままこちらに居続けています。
<知事>
なんとなく、田舎で暮らしたいという人はたくさんいると思うけど、いざ生計を立てるとなると難しいと思うんですが、如何にして柚の加工などそういうことができるんですか。
<吉田さん>
初めて来た時に、龍神の柚がすばらしいのに、行き場所がなくなっているという話を聞きました。これでは、もったいないと思い、柚の加工をできないかと考えて、「私にもできますか。」と相談したところ、「できるよ。」と言われ、2週間くらい考えて決めました。行政はじめ、色々な人に助けてもらって、やっと一人歩きできるのかなという感じです。
<知事>
(柚の)木はあっても、集めてきて、加工して、安全上の問題もあるだろうし、販売のことも考えないといけない。色々難しいことがあったと思うんですが、成功の秘訣といったものはなんですか。
<吉田さん>
そんなに気負ったことはないんで、自分でもよく分からないんです。時期的なもの、助けてくれた人など奇跡的な部分もあったと思います。
<知事>
みんなで、力をあわせてといったところがよく分かりましたが、その中で、「ええとこネットというのはどんな趣旨で。」
<古久保(直)さん>
龍神村に合併の話があった時に、「自分たちで地域をなんとか」という前進になる会があったんです。「龍神村はこんな状況だ」などという話をしているうちに、合併を迎え、理事長に祭り上げられました。中身の活動としては、本来なら燃やしてしまうようなものを、たい肥化したりするバイオリサイクルの推進を中心に、一次産業や二次産業の活性化、福祉関係の活動、情報発信、色々なイベントの際にヘルパーとして入っていく、そんな地域ネットワークの役割をしています。
<知事>
龍神のいいところを、みんなでわいわいやっていこうというのを更に、組織化したという感じですね。
林業のこともお聞きしたいんですが、現在の思いのたけをお話し下さい。
<鈴木さん>
結論から言うと、人づくりと働く場所づくりだと思います。昔は、山へ入ると1年くらい働けたんですが、戦後、道も整備され、機械化されて現在3カ月も続く仕事がありません。仕事の量が減ったというより、生産性が上がったんです。外材に押されて、木材価格が下がっており、昭和55年を100とすると、今は20ない位です。和歌山は、木材を商品にしていく技術や伝統に乏しいんです。また、戦後帰ってきた人の仕事をつくるためと、新聞をつくる木材が日本になかったので広葉樹を切ったのですが、その後に、植えすぎたという側面もあります。
一番はじめに植えた木が、40~50年生位なので、今後20年くらい本格的に伐れる状態です。その中で、人を活かそうとすれば、どうやって加工していくかを考える必要があります。
昭和45年に林業開発会議をつくって、いい木を育てるためには、枝打ちが重要だということで、京都や四国から技術者を招いたりしました。こうして、苦労して木を育てたけれど、これだけ木材価格が下がった中で、どうやって売っていくかが今の課題です。
和歌山県で足りないのは、加工部門のデザイナーです。加工部門の充実が大切だと思います。
<知事>
今、加工部門と言われましたが、加工の方面でも頑張ってられる方もおられますね。
<松本(泉)さん>
私は、以前電機メーカーに勤めていたのですが、17~18年前にUターンで戻ってきて木工をやり始めました。最初は、手づくり家具をこつこつやってました。先ほどの廃校跡にも住まわせてもらって、住居代が安かったので、家族で暮らせました。そうして、木工をしている間に、龍神の木をなんとか使いたいと。ただ、考え方としては、「いい木」よりも「どこにでもある木」を使うことをモットーにしています。
今後、輸入材も減ってくるだろうし、地元の木を使って、また植林してというように地元の山の保全も考えていきたいです。
<知事>
お作りになったのを売るのはどうしているんですか。
<松本(和)さん>
僕の店は、これも市の建物なんですが、人がよく寄ってくれる「道の駅」の中にあります。店で見てそのまま買ってくれる人や、パンフレットを見て注文してくれる方もいます。製造直売です。外で売るよりも龍神へ来てもらって、龍神の山を見てもらって買って頂きたいなと思ってます。
<知事>
私の(以前の)任地はブルネイで、石油でお金持ちなので材木の輸出は禁止なんですが、ものすごく大きな木だけを切って、ブルドーザーで引いてきて、後はそのままにしておくという感じなんですが、それでも森はあるんですよ。ところが、マレーシアやインドネシアへ行くと、つるつるですよ。熱帯って再生産しにくくて、焼けちゃうらしくて、しばらくは笹みたいなものしか生えないんですよ。
「これは、あまり輸入できないな」と思って帰ってきたら、和歌山は緑に覆われてるんですね。でも、よく聞いてみるとこれはやせていてどうも売りにくいそうですね。一方、和歌山は、床材と柱材に誇りを持ってるんで、なかなか継ぎ合わせたりといったことをしない。九州なんかいくとそこをうまくやっている部分もあるようですね。
東京で家を建てた時に思ったのは、天下の杉材を薄くてもいいから上に貼り付けて、「天下の杉材だぞ」っていったら「きっと売れるぞ」と思ったんですね。でも和歌山の木材関係者はちゃんとしたものを思ってるようで、そうすると間伐材なんかはなかなか有用な商品にはなれないな、もっと売れるようにするにはどうしたらいいかこれから考えていかないと。
もう一つは、低コスト林業で、山にあったようなやり方を考えて、これから巻き戻していく。林業については、そんな風に思ってます。
色々な加工(のできる所)が、龍神村でなくても、和歌山にたくさんあれば、今、道もいいですから。そういう働く場所ももっと作っていきたいなと思ってます。そういう意味で林業の後継者として働かれている方もいらっしゃいますが、どうですか。動機なんかも聞かせて下さい。
<大江さん>
山に入っていくことが、生活の一つになっているので、山に行くのが当たり前になってます。
高校は田辺、大学は奈良で、帰るつもりはなかったのですが、就職活動で企業回りをしているうちに、林業は若い人も少ないし、逆にチャンスかなと思って帰ってきました。自分の家も林業をやってましたし。
自己実現と社会貢献の気持ちでやってます。山づくりというのは、世の中に対して負の部分が少ない仕事だと思うんです。その部分でも誇りをもってやってます。
<知事>
山づくりは何人かのチームで行かれるんですか。毎日の山仕事ってどんなもんですか。
<大江さん>
父と私と二人で行きます。自然の中の仕事なので、季節に旬があります。春は植林だったり、夏、秋と季節で仕事のメニューが決まってくるんです。
<知事>
先ほど、色々されていて、私は何の仕事かわからんと言っていましたが・・
<松本(晋)さん>
僕も山所有者の子どもで、長男で林業をするつもりで帰ってきて10年くらいやっていましたが、僕とこは経営事情があって、人を雇わないといけない林業で、徐々に人件費がくいこんできました。いろいろ悩んでいたが、林業で同じことをしていたら生計が成り立たん。片方では柚シャーベットで生計を立てている人がいる。どういうことや。そんな中ちょうど城所さんにお会いしてチェーンソーアートもするようになって、高野山の高野槇をたまたま植えていて、取れる年齢になったので出荷しています。高野槇は切り花で仏様に供える際のものです。また、秋の3ヶ月くらいは上富田町にある和歌山県労働力確保センターに教えに行ったりしています。今は、少し林業と線を引いています。
<知事>
昔風のやつが林業の全てではない。高野槇をちょっと切って、これ林業ですよね、チェーンソーアートも新手の林業加工業ですね。いろいろなことを考えて楽しくやればいいのでは。
関連業の裾野が広いというのはもたれあいながら食べていける。それは日本の製造業の強みです。トヨタ自動車は一人だけではなく下受けや関連企業とが効率よくくっついているから続いている。中小企業の集まりも東大阪に小樽とか、これから大変だけど、それが日本の強みです。龍神村林業周辺業の強みを発揮していただいたらいいのでは。
もう一つは観光ですね。さっき下火とのことでしたが、下火ですか?
<龍神さん>
和歌山県は観光に力を入れていただいた経緯があるが、高野、熊野が世界遺産に登録されたりしているが、それは県全体としての成果ですが、龍神が世界遺産登録から外れていることもあり、ここ10年位右肩下がりの状況です。県の観光局が龍神村を盛り上げていこうと取り組んでいただいています。3年という期限を切られているが、今の状況を考えると、ぜひ期間を延ばして支援していただけたらと思います。
というのは、龍神村に来ていただいて、お泊まりになる総数ですが、白浜であれば100人で30数名(30数%)来ていただいています。本宮 では本宮大社の世界遺産登録でかなり来ていますが、26%の宿泊率がある。龍神地区は10%を切っている。(パスするんですね)
通っちゃうんです。危機的な状況です。一般的な観光地では考えられない。あふれかえって泊まるところがないならいいが・・世界遺産の影響もあるが、やはり通っていっちゃう。高野山に参拝して龍神にお泊まりいただいていたお客様が白浜や本宮へ行っちゃう。そういう傾向が強い。十数年前でしたら、南部梅林をご覧になった人が多く来ていたが、今は高速道路ができた関係か梅林見たら帰ってしまう。お客様の数が減っています。
それは、龍神地区にはっきりした売り・魅力が欠けているのではないかと認識しています。観光に携わる人間がどうやってこの龍神温泉地区を活性化できるかという手探りがまだ続いています。全国で成功している観光地は地域ぐるみでやっているところです。お客様がおいでになった時に龍神に住みたい。少なくとももう一度来たいと思っていただけるにはどうしたらいいか。手探りの状態で、3年間のお手伝をいただいていますが、まだまだよちよち歩きです。
観光のイベントなど観光というくくりでことを進めるにはどこに声をかけていったらいいのかわからない。旅館組合、観光協会、商工会なのかわからない。それを打破するために、レギュラー陣が会議を通じて、普段顔を合わせていますが、みんな思いが違うのですが、意見を集約しながら協力体制を整えていかないと地域で観光を盛り上げていくのは難しい。
せっかく県で力添えをいだだいて、立ち上がってやっとよちよち歩きしだしたので、3年だけでなくもう少し予算をいただいて是非続けていただきたいと思います。
<知事>
(それについては)どんな予算で何をしているか、実は、今は知らないです。観光でいくぞというのは一つの目標ですが、龍神みたいに重点化していて結構お金を付けているというところだけじゃなくて、とにかくそれぞれの地元の人は何をしたいのかをがんがん聞いてこいと話しています。気持ちとしては何も3年で終わることはない。永久だと思っています。見捨てるつもりはありません。
護摩壇山に初めて来たときに、崖を崩したような道を通ってきたときに、ぼこぼになって来て、へとへとに疲れた時に、泊まりたいなあと思っていた。しかし、道ができるとすうっと通ってしまう。みなさんの中にはお住みになった人もいますが、暮らしやすい雰囲気というのは、秘境の雰囲気と違いますよね。昔、龍神は秘境だった。城所さんのような文化人がやってくるようになってきた。秘境のイメージかちょっと落ちた。
例えば、湯の峰が流行りだして、熊野古道と湯の峰という秘境イメージで売っている。龍神は上手くつかみきれていないのかなあと思います。
素材というのは、立ち止まって何かをするというものがないとすうっと行っちゃう。北山村でいうと筏下り。まさにここは山だから山歩きとか、来てくれる都会人にうけるようなものをここで立ち止まるようなものを、皆さんのご協力を得て作っていくというのが大事なのかな。ハイカラな人が助けてるぞというのは実は隠しておいて、アウトプットだけいただいて売り込んでいくということなのかなと思いましたね。
<龍神さん>
健康ブームでウォーキングがありますので、熊野古道は山歩きから歴史が好きな方などいろいろな人がくる。対抗するのは難しいが、果無山脈を家族で歩きに行きました。小学生の子どもも連れて初めて行ったんですが、景色がすばらしいと認識しました。「ああ、これいいなあ」と思ったことをどう伝えていくかを考えていかないとというのが課題です。
<知事>
今、歴史という話がありましたが、(こちらにいる語り部さん)のお助けをもらわないといけませんね。
今、語り部を目指している人がものすごく自発的に増えている。熊野古道や高野がそうであるように、和歌山は、自然と文化が融合しているものでしっとりと味わうのが売りだと思います。そういう意味で龍神を復活させる。まさに皆さんの融合だと思います。どんなことをしておられますか。
<古久保(健)さん>
僕は教育の場でいろいろ経験がありました。また、やめる十年くらい前から地域の歴史に興味があり、鎌倉・室町付近からの先人の文献を読ましてもらいました。かなり反骨精神の強い先人がいたんだとわかりました。
それがどんな形で地域で残っているのかとまず探しました。仏像とか地蔵、伝説、民話等でいくつか出ています。それを売り出したいと思い、旧龍神村の時代にホームページに載せてもらったら、ご夫婦とか友達とかで数名ずつ来てくれた。それでぐるっと村内を案内に回った。それから、だんだんと個人的なつながりができて、もう一度「行きたいな」ということになり、実は今年の8月8日から8.9.10日と高野・龍神と「安倍清明を訪ねて」というツアーを組んで埼玉県から来てくれます。
<知事>
安倍清明てこの辺に来ているんですか。
<古久保(健)さん>
その伝説の碑があるわけです。「説経節(せっきょうぶし)の会」が戯曲化して東京で発表されるんです。そのネタ探しにその3日間来てくれます。
今、3名の語り部がいますが、自由に身動きとれるのは私です。声がかかると拒否はしない原則です。龍神の気風として、やさしさなり、人の弱い部分を受けて立って、世話をしたいという信条があり、メンバーにはその基本がある。僕は若干生き方が違い、反骨精神の方が強い。現職の時代から反旗を翻す側に立っていたので、「あいつ教師ではない。」と言われました。振り返ると、日高川を守るためダムを造るという県の方針に反対しましたし、また、護摩壇山のスカイラインの土砂を川へ捨てるなという運動もしました。このあたりの小さい谷に土砂を捨てた。それを今植林をして、きれいな道が出来ています。
<知事>
どおんと来て、そこから谷にどおんと捨てる工法だったのでは?
<古久保(健)さん>
あれは全部はやってません。原生林もある程度残してくれた。今原生林は貴重です。自分がそれに動いてきた。横のつながりがあるが、僕はその境にいるような存在です。もう70になりますが、年齢に関係なく力強く生きたいというのがライフワークです。
思ってきたのは、自分の目線でみて正しいと思っても、子どもや障害児の視線もきちんと持っていたら、この過疎などの問題も防げたのではと思います。
昭和42年頃から村内で200名、チェーンソーの関係で振動病、はくろう病で、いま70代80代で非常に苦労されています。それを掘り起こして教材化したり、そのうちの夫婦や家族生活の状況を見て、学力が低いのはこういうことが要因だなと擁護した経緯があります。
また、龍神村が全国に先駆けて僻地教育の研究会を作りました。その時の先生方の願いは何かというと、数のすくない生徒であっても、体育、保健教育をどうしたらいいかを発表していました。そういう流れを見ると、龍神村の売りは、本当に温かい人が多いということです。ただ、交わりが少ないということで、外からの人には拒否反応を起こす意識があります。
しかし、いったん中に入ると親兄弟・親戚付き合いをするくらいです。
観光では、龍神温泉を中心に健康を維持して数日間滞在して、ゆったりのんびりしたものができないかなと何回か提言しています。行政の方々には、より弱い人の立場になって考えて欲しいなあと思います。例えば、学校を建てる時にはどんな子どもも通えるようにすべきだし、受け入れのできる体制整備が大事。そういうのを今、変えていくべき時期かと思います。その基本は何かというと、それは誰にでもやさしく接する人情だと思います。
ひとつお願いがあります。昭和20年5月5日11時過ぎにB29が殿原地区に落ちました。小学校2年生だったが、リュックサック背負って逃げました。米兵の死体が散らばっていて、死体に石をぶつけろと言われ、投げさせられました。
史実を調べるにつれて、日本人として誇りを持てないこともあり、経過を小冊子にまとめました。来月5日に、62回目の慰霊祭をやりますが、ここからは、若い人に伝えたいという思いで取り組んでいます。地域だけでもいいのですが、今までお参りしてくれたのは神戸の領事館からと、(旧)龍神村長がときどきお参りしてくれています。
そこで、アメリカの留学生にお願いして、B29の遺族会があるそうで来ていただければ、国際交流的になって平和への祈りが通じるのかなと思いますので、機会があれば知事さんにも、ちょっとのぞいて欲しいと思います。知事が参ってくれたら地域の人が誇りに思い、「よし、やろうか」という気になります。外務省にお願いしてきた経緯もありますが、自分達の浄財を出し合って、おっさん(お坊さん)にお願いしたり、教会の方に来てもらったり、宗派を超えて地域でお祀りしています。死体は、21年に引き上げています。この冊子は、作品としてはまずまずと思いますが、読んでいただいたらと思います。図書館にも寄贈しています。
<知事>
感動的な話をお聞きしましたが、全体の話から少しそれたので、戻したいと思います。分かりました。語り部の話をしていましたので、観光についてですが、先ほど、(こちらの)特色の話で、(料理は)山と川のものしか使わないと言われましたね。それは、ものすごくいい。龍神に行ったら山と川のものを食べたいと思いますよね。私みたいなのが消費者なら、そう思います。
<寒川さん>
道路がよくなったから、新鮮な魚も入るのですが、あえて使わないんです。日高川の清流で育った鮎は違うと(お客様が)言ってくれます。
<知事>
イメージ作りを皆さんに協力してもらって、「龍神の魅力はこれだ」と受けるようなやつをアピールして。バラバラになってもいけないので、「なんか歴史でも知りたいな」ということをネットワークでつないでということかもしれませんね。
<寒川さん>
お客様には龍神村民のやさしさのある話を、やはりB29の話を代表にさせてもらっています。龍神村民は、お米がない時に、捕虜の方に農家の方がおにぎりを提供しました。当時、敵であっても、敵味方は変わらへんと丁重に扱ったのです。時間があれば、そんな村民性をお客さんにもすると、ほっとすると言ってもらえます。
<知事>
そんな面々と来ているなかに、チェーンソーアートのチャンピオンが来てくれたのですが、何で龍神がよかったかをもう一度お願いします。
<城所さん>
結果論からすると人ということになりますが、私が来たのは県と龍神村の住宅の施策があったからです。過疎のところは住むところを用意しないと残念ながら来られない。若い人が来ようとすると、たくさんお金を持って住むという発想がない。この施策があったからこそ、ある程度いいおうちを提供してくれました。
廃校で住まわれた方もおられますが、僕たちはいい所に住まわせてもらってますし、力も与えてもらっていますし、逆に僕たちが与えられるものもあると思います。是非、田舎にも住める環境のハード整備は必要です。
私の入っている住宅は、県と村の共同での住宅です。緑の雇用の事業ですが、私たちが住んでいる所にお客さんが来てくれるので紀州材の家を見てもらうプロジェクトにもなっています。我々は家賃免除してもらっている代わりに、いろいろな方を招いて見てもらって紀州材のPRになるというものです。面白い企画です。
<知事>
話は変わりますが、田辺市は立派やなと思います。合併した町が、例えば龍神の方が田辺市の議長で、中辺路の方が市長さん。それで新しい行政をしようとしている。こちらから全体の議長さんとなられて思うところがあればお願いします。
<吉本さん>
昭和30年に昭和の合併があって、4つの村が合併しました。また、17年5月に合併しましたが、今日の集まりの方は、村に愛着がある方が多いのです。合併では、いろいろ議論がありました。そんな中で、私も合併という道を選ばせてもらいました。今回68人の議員が30人になって、半数以上の方からご指名があったので議長にならせてもらいました。合併で、近畿で一番広い市となった訳ですが、田辺市の9割が林野です。林業抜きでは将来を語れないと思ってます。
観光では、大きな自然と歴史を生かした新地方の都市の田辺を作るということで構想をつくっています。龍神村は、特に情報化社会が遅れているので、ケーブルテレビを19年度4月にオープンするのですが、知事さんも携帯電話の通じない所をなくすということを言うてましたし、道路網の整備もそうですし、できるだけ情報の格差をなくすという中で、旧田辺との格差もなくして、龍神の良さを86,000人の方に伝えて、龍神に来ていただくということで口コミで発信してもらうということが大事かなと思います。色々な課題があると思いますが、全体的な発展を進めたいと思います。
<知事>
大変失礼しました。最後になりますが、「花いっぱい運動」をやっているそうですが、いかがですか。
<古久保(貞)さん>
ささやかなものですが、20年くらい続けています。やはり村外の方が来てくれたら、心が安らぐのかなという女性としての考えなのです。田辺市からも協力してもらっていますし、県でやっている道の里親制度をどんどんやって欲しいです。すべてボランティアですので、金の出所がないし、上手いこと利用しないとできないのです。絶えることなく少しでもやっていただきたいと思います。
<知事>
分かりました。皆さん、本当にありがとうございました。実は、今日、どういう話をしたらいいのかなと思っていました。元に戻っていうと龍神の良さは、閉鎖的といわれましたが、日本全国ずっと閉鎖的が意外と多いと思いますが、皆さんが色々な方とやってらして、横の連絡も良くて、伝統のあったか味が生きていると思います。本当いいところを伸ばしていただいて、龍神が元気になるようしていただきたいし、県庁も応援する必要もあると思うので、またご相談させてください。ありがとうございました。
<後藤さん>
知事さんにはお忍びでいいので、ぜひ龍神に来てください。







