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紀の国いきいきトーク

「紀の国いきいきトーク」は、私が県内各地に出向いて、県民の方々と気軽に話し合い、県政に対する理解を深めていただくとともに、各分野で活躍されている県民の方々の生の声を県政に反映させていくために開催するものです。ここでは、様々な分野でいきいきと活動されている皆さんとのざっくばらんな懇談の様子をご紹介します。

第4回 紀の国いきいきトーク対談内容

平成19年3月29日 新宮市

<仁坂知事挨拶>
 皆さんこんにちわ。今日はざっくばらんにいきましょう。県のホームページに「ようこそ知事室へ」というところがあります。ここに色々なメッセージを入れてます。記者会見や議会、色々な挨拶を載せています。その他にも私が思ったことを「知事からのメッセージ」として書いています。

 このいきいきトークは、いきいき活動しているグループの人と話をして、その生き様を紹介していくものです。もう一つ、個人として頑張っている人と対談する「名人対談」も載せています。今回は、新宮市におじゃまして、当地で熱心に活動している新宮市観光ガイドの会の皆さんとお話しさせていただくことになりました。今日はよろしくお願いします。

<参加メンバー>
 初めてお会いするまで「仁坂知事は、堅い人」というイメージがあったのですが、先週、初めてお会いして、笑顔が素敵で、話も軟らかくて、分からないことをはっきりとおっしゃる知ったかぶりをしない素直な人だと分かりました。今日は、絵解きにご関心があるということで、女性中心に集まりました。

 ~ここで、熊野比丘尼に扮したメンバーが登場し、絵解きを披露してくださいました。~

<参加メンバー>
 すばらしい絵ができました。新宮の曼荼羅。普通の絵とはちょっと違うわけです。すばらしい理想世界がここに示されている、ということなんです。深い深い山から日本一の流量をほこる熊野川が流れ出て、太平洋に。そして神様が降り立つ山、神倉山があって、新宮がある。そこに大勢の人々がお参りをする。心癒される。そして蘇っていく。そんなすばらしい理想世界を示しているわけなんです。皆さんと共にこの絵をゆっくりとお参りをしていきたいなと思います。まずこれが神倉山、なんとここにインドからやってきた王様一行、飛車に乗って飛んできておる。このインドの王様一行が熊野三山の神々になったんです、そんなおもしろい話が伝わっています。

 そしてこちらをご覧ください。神武天皇がやってきました。仁坂知事さん戦後生まれですからあまりこの話は習っていないと思いますが。

<知事>
 多少は。知ったかぶりで。

<参加メンバー>
 多少は。ありがとうございます。神武天皇が熊野へ迂回をしてまいりました。その時この沖で暴風に遭いました。それで神武天皇の二人のお兄さんが海に飛び込んで嵐を鎮めた。その二人が行ったのは海の彼方の理想の世界、蓬莱の世界(常世の国)へ行った。まさに不老不死のすばらしい世界でございます。そしてこの神武天皇はやたがらすの導きで日本の国を開くことができた。熊野は南にあって太陽信仰の聖地、太陽輝く熊野から日本の国を開いた。そういうお話でございます。

 そんなすばらしい熊野へ大勢の人たちが平安時代からやってまいりました。上皇貴族、そして一般庶民、大勢が京都から淀川を下って大阪、そして近畿を通って田辺から中辺路山中を通って本宮に向かった。これが本宮、亀の形をしている。なにやら蓬莱山の亀がさかのぼっていったのかも知れません。大斎原(おおゆのはら)、水の霊を祀る、そんな場所です。ここにお参りをして、そして船で下ってまいります。大勢の人が船に乗ってやって来る。これ今、乗っているのは薩摩守平忠度(さつまのかみたいらのただのり)ただ乗りしているわけでございます。そしてこちらの方がお立ち寄りをした御本(みもと)明神、そして、ここには昼嶋という、なんとおもしろいことに熊野権現が昼飯を食べた、そんな島があります。

 そして下って来ると、ここには、川中島があって赤い船に乗った神様がここをぐるぐる回っている。そうです。御船祭りというすばらしいおもしろい祭り、熊野の神様がここを回って魂を発動させている、そんな状況なのです。そして速玉大社の横の河原に大勢の人が横付けをしてお参りをする。なんと、後白河法皇一行なのです。後ろに付いていっているのは仁坂知事でございます。そして熊野権現速玉様にお参りをする。熊野十二所権現、十二の神々が祀られている。これが那智の神様、そして、これが速玉さん、新宮の神様、立派な神様です。なんと本地仏は薬師さん、どんな病気でも治してくださるんです。知事さん病気になっても大丈夫です。そして、本宮の神様、その他、神々が祀られていて熊野十二所権現、日本一古い、そして大きな神様がお祀りされている。そして、今ここでお参りしているのは後白河法皇、33回お参りされている。知事さん負けないでください。

 そしてここにあるのが、熊野の神様の木、なぎの木。そして神倉山の方へまいります。この白装束の夫婦連れに注目をしてください。神倉山のほうへ参る。そして神倉山に登っていく。今お灯祭りの最中でございます。正月六日に行われる新年の新しい火をもらってくるお祭り、それが今まさに勇壮に展開されておる。そして下ってきますと、町中にはこんなふしぎな島があります。浮島の森。町中でぽっかぽか浮いた島がある。なんとここに、おいのという女性が弁当の箸を忘れた、島の中に入っていきました。その時、この大蛇に飲み込まれたという話でございます。午前中、知事さんもここへ来ました。大蛇はいませんでしたか。大丈夫でございましたか。

<知事>
 亀がいた。

<参加メンバー>
 そして、これが丹鶴山、新宮城です。午前中、知事さん登りました。見晴らしが良かった。沖見城とも言われました。なんとここ、昔は東泉寺というお寺があった。速玉大社の真東にあたるから本地仏を祀っているお寺です。そしてなんとここには源為義の娘、丹鶴姫がいたんです。かなり美人だったんですね。こういうときだけ知事さん、注目されている。

<知事>
 為義さん。

<参加メンバー>
 ここが阿須賀神社、阿須賀王子とも言います。熊野詣での人達は必ずここにもお参りをする。ここにある山が蓬莱山、神様が降りる山、神々の山です、なんとここには徐福がやって来た。今、徐福がやって来て不老長寿の薬を配っているところです。皆さんもいかがですか。すばらしいですよね。いつまでも長生きしたいもんです。そして王子ヶ浜を歩いて浜王子でお参りする。そして高野坂を越えて佐野王子。なんとこの佐野王子では美人が一人、なにやらたたずんでおります。尼将軍です。北条政子は2回も熊野詣でをしました。だから女性に熊野信仰が広がったんです。

 そして佐野王子を過ぎて那智山。那智の滝が描かれています。そして一番厳しい大雲取、小雲取を越えて本宮へ戻る。こんな風にして、新宮はすばらしい海、山、川が揃った聖域です。すばらしい場所です。ここへお参りしたら必ず蘇るんです。だからこの絵はマンダラではないんです。そしてもう一つ仕掛けがあります。熊野詣で、新宮へお参りしたらこんなお札を頂く。熊野詣での人は必ずこのお札を頂いて帰る。熊野牛王宝印。このお札を持っていると三悪道に落ちても救われる。救いの証明書です。知事さん500円です。あとで。

<知事>
 買っていきます。

<参加メンバー>
 そしてもう一つはこれなぎの木。若々しいでしょう。熊野の神様のお印が示される葉っぱでもあります。なぎの木。そんなすばらしい証明書が頂ける熊野新宮。そんなすばらしい神々と皆さん、知事さん特に、是非とも縁を結んでいただきたいんです。そのためには応分の浄財を寄進することです。「賽銭はケチるなー!」、ということでお金を皆さんからいただいて熊野三山のお宮、お寺を建てる資金に充てた、そういう仕事をしたのが熊野比丘尼、美人の女性でございます。ありがとうございました。

<知事>
 浄財を集めるという意味もあったんですか。

<参加メンバー>
 本来はそうです。

 ~以下トークに移行、自己紹介から始まりました。~

<参加メンバー>
 私は、(観光ガイドの外)、川舟の語り部もしています。曼荼羅は今まで那智が中心だったのですが、この度「新宮編」もできました。100年後の子孫が、誇りに思ってもらえるようにしたいと頑張っています。

 比丘尼というのは、今でいう旅行エージェントです。ひしゃくを出してそれで賽銭を集めながら(全国を回って)年に1回戻ってきました。お正月に次の行き先を割り振りされて、出張していきました。

<参加メンバー>
 (曼荼羅の絵を指しながら)私は、高野坂に住んでいます。

<参加メンバー>
 7年前に東京から戻ってきて、こちらのすばらしさを感じたので、語り部をしています。

<参加メンバー>
 英語のボランティアをしています。

<参加メンバー>
 知事は、テレビで見ていましたが、意外と大きい方だと思います。私は新宮で生まれたのですが、何も知らなかったと気づき(ガイドの会に)入りました。ガイドとして皆さんに教えられながら頑張っています。

<参加メンバー>
 3年半前に東京から戻りました。すっかり変わった新宮を知りたいと思って歴史の勉強を始めました。それからガイドになりました。

<参加メンバー>
 先に医療センターでお目にかかりました。生まれは太地町ですが、ぐるっと回って今は(曼荼羅の絵を指しながら)北条政子さんの近くに住んでいます。

<参加メンバー>
 私の名前のルーツは、多分埼玉県ですが、夫の転勤で13年前からこちらに住むようになりました。紀伊半島の歴史、特に自然に感動しました。これは、自分だけのものにするのはもったいないと思ってガイドになりました。

<参加メンバー>
 この中では、最高齢で79歳になります。昭和49年、京都市の先生がいらっしゃって、熊野三山の勉強をしました。その後、熊野博の時にボランティアに応募し、今日に至っています。

 現在は、新宮市の山本先生に色々教えて頂いて、楽しみながらガイドをさせていただいています。

<参加メンバー>
 15年前、千葉県からまいりましたIターン組です。円座石のある岩のふもとに住んでいます。ここは、観光のパンフレットに必ず載っています。(普通の人なら8時間かかる大雲取り越えを)2時間29分でしました。

<知事>
 マレーシアのキナバル山(東南アジア最高峰標高4,101m)駆け上がりレースというのがあって、1,500mのところから、一気に登るレースがあるんですけど、是非おいでになったらどうですか。

<参加メンバー>
 ガイドの会の事務局をさせてもらってます。今回の曼荼羅はせっかくできあがったものなので、しっかりPRしていきたいです。また、私は新宮市出身といっても何も知らなかったので、子ども達に自分達の出身はこんな所と教えていきたいと思ってます。同時に地域として、きっちりした戦略やコンセプトをもってやりたいと思ってます。

<参加メンバー>
 この事業を担当して4年になりますが、皆さんの熱意にいつも心を打たれています。ガイドの講習会や川舟事業、曼荼羅づくりなど熱意がすごいです。新宮魂の込められた絵を日本中に届けていきたいと思ってます。

<参加メンバー>
 熊野信仰や比丘尼のことを元々やって(研究して)いた関係で、事業に加わりました。(絵解きの)起こりは、戦国時代、熊野にお参りする人が少なくなって、(逆に)こっちから打って出ようとして、絵を持って全国に発信していったわけです。そういう姿勢は学んでいきたいと思ってます。

<知事>
 一番初めに聞こうと思っていたことを、既に説明していただいたので確認になるんですが、
 「何でこの地域で観光の曼荼羅が盛んなんですか。」ということでは、熊野詣でが戦国時代に廃れた、それで打って出たということですね。平安時代にはなかったのですね。

<参加メンバー>
 そうです。上皇、貴族などが来る時は、荘園を持っていますし、大スポンサーとして寄進があります。そういうものが消えてしまったので、一般庶民に絵を見せて、ちょっとづつお金をもらったということです。

<知事>
 さすが新宮ですね。ところで、高野の曼荼羅の解説を読むと、「曼荼羅は、世界、心を意味する。」とあるんですが、よく分からないんです。曼荼羅本来の意味と絵解きの曼荼羅はどんな関係があるんですか。

<参加メンバー>
 高野山の密教曼荼羅は、仏さんをたくさん集めて理想の世界、悟りの世界を表現したものです。日本で展開するうちに、神仏集合思想の中で、お宮さんの境内を描いた宮曼荼羅が出てきました。さらに、一般の人も描いた参詣曼荼羅が出てきました。あくまで、理想の世界を描いているものですから、曼荼羅といいます。

<知事>
 キリスト教の世界では、元々偶像禁止で、本来ならマリアさんを描いちゃいけないのに、悟りの境地といっても難しいから、旧約聖書の話などを絵で見せる、それで美術(絵の世界)が発展していく。それに似ていますね。

 ところで、比丘尼さんは、いつ頃まで伝統的な形として続いていたのですか。

<参加メンバー>
 江戸時代の初期まで続いていました。ただ、尼さんで、美人もいるし、歌も歌ったりして世俗化していきました。また、比丘尼さんを統括したお寺も潰れてしまう状況もあって、統率がきかなくなってしまったんです。

<知事>
 本来の意味からどんどん離れていって、明治を迎えたんですね。それを今、皆さんがまじめな気持ちから復活させた訳ですが、それはどういうことからですか。

<参加メンバー>
 元々、熊野に興味をもたれた学者の方などが、熊野参詣曼荼羅を研究されていて、タイミング的に世界遺産登録を迎え、皆さんも絵解きを勉強し始めました。

<知事>
 すると比丘尼の恰好をされて、絵解きを始めたのは世界遺産登録の頃からなんですか。悠久の歴史が復活したわけですね。

<参加メンバー>
 ことの起こりは一緒だと思います。衰退してきたので何とかしなければという思いからです。今も少し落ちこんできていて、世界遺産になったけどどう知らせるか。それで研究者の方が、研究してくれていたいいもののいいとこ取りをさせていただいたような感じです。
 本当に熊野が好きだから、こんな素敵な所なんだということをテレビじゃない新しいメディアという形で全国に知らせられたらいいなと思ってます。

<参加メンバー>
 世界遺産になって、お客さんが来て、潤うと感じる人も多いと思いますが、これをきっかけに、地域のことを更に勉強することによって、ここの素晴らしさを知ることで付加価値が出てくると思います。

<知事>
 本当にそうですね。世の中が豊かになってくると、趣味、嗜好で旅行する人が、増えてくると思います。初めは、旅行業者が連れて来てくれるけど、私はこれだけやりたいという人が増えてきます。熊野について言えば、心の蘇りを得たい、静かに歩きたいというコンセプトだと思います。そういう人に歴史や風物を語る人が増えてきたのは、時機にも適うし、みんな分かってるんだなという感じがしています。
 ただ、熊野を4~5時間歩いて、そこで日が暮れたらどうするか分からない状態で歩いている人がいます。そういう人を上手くつなぐ、語り部の活動をつないだり、紹介したりすることをやり損なっている気がします。
そこで、県のパンフレットをころっと変えました。ここから歩くとここまで何時間かかって、ここに宿泊所と便所がありますというようにして、人が来やすいようにしています。

 Uターンされた方も多いですが、どんなことを考えられて、どういう理由で活動に参加されたのですか。

<参加メンバー>
 私は、まず新宮の歴史を勉強したくて始めました。その時に友人から誘われたんです。仕事もそんなに多くなく、忘れた頃に仕事が入る位なので、その時はひやひやしながらやってます。

<参加メンバー>
 私は、もともとあがり症なんです。市から募集があった時に人前で話すいい機会だと思いました。東京に20年いたんですが、その時の友人にも熊野が好きという人がいて、ガイドとしても勉強したいと思いました。(ガイドをしていると)例えば、トンビが羽ばたいているのを見ても東京の人はすごく感激してくれるんです。こういう気持ちを大切にしていきたいです。

<知事>
 そうすると、歴史ものより自然ものの案内がお得意ですか。

<参加メンバー>
 勿論、ガイドになったので歴史の話もするんですが、説明のない歩いている時に、自然の話なども紹介しています。

<知事>
 (山歩きの)チャンピオンになられたということですが、視点を変えまして、(こちらの)自然では何がよかったですか。

<参加メンバー>
 15年前にこちらに来て、慣れないといけないなと思ったのは雨。これに慣れないと思いました。(ガイドの時には)水の音や鳥の声なんかも伝えていきたいなと思います。

<知事>
 そういう解説をされた時、お客さんの反応はどうですか。

<参加メンバー>
 都会から来た方に、目をつぶってもらって、水の音や風で木の葉が揺れる音なんかを体感してもらうと、非常に喜んでいただけます。

<知事>
 自然と文化の融合というところが、和歌山で一番すごいと思うんですが、ご自身の印象はどうですか。

<参加メンバー>
 私は、最初は自然から入りまして、文化は後からなんです。名古屋で生まれ、育ったのですが、新宮で一番すごいと思ったのは、高田川で泳げることです。この平成の時代にあって、夏の市民プールになる。泳いでいると目の前に魚がいたんですが、その感動がすごかったんです。
 速玉大社の近くの道を歩くだけの人でも、川の水や上流の山々を見ると「これが熊野だ。」という思いになるようです。私が感動したんだから他の人も感動するだろうと思ってます。

<知事>
 多分、感動しそうな人が来るんでしょうね。そういう方にこの辺の良さを見せてあげると、もっと嬉しいんでしょう。さっきのキナバル山のことですが、コタキナバルの沖合に島があって、そこにリゾートホテルがいっぱいあるんです。そこに「キナバル山2日間の旅」というのが用意されていて、ガイドさんもついているんです。その人と一緒でないと山に登れない。こういう風に「全てセットになっている」のと、「自分で考えろ」は違いますね。私もガイドさんと行くのが好きですが、中でも色々勉強している人と会うとうれしいですね。

 ところで、ガイドとして、この辺の魅力はどんなところですか。

<参加メンバー>
 新宮から外に出たことはないんですが、他の人について頑張っています。(以前)福岡の方から「この辺に住んでいるのですか。こんな所に住めるのはうらやましい」と言われたことがあります。熊野の奥深さがすばらしいようで、喜んでいる姿を見て、誘われて(ガイドに)入ったのですが、続けていきたいと思っています。

<知事>
 英語のボランティアをされている方もいるようですが、語り部さんの一番の弱点は外国語だと思うんです。世界遺産になって(個人で)来る人が多いみたいですが、その点はどうですか。
外国語が出来る方は外にもいらっしゃるのですか。

<参加メンバー>
 世界遺産登録の時に、外国語ガイドを県内で最初に立ち上げようとしたんですが、フォローアップができなくて、自然消滅してしまいました。みんな英会話教室の感覚で来てくれ、結局「ちょっと違うぞ」ということになりました。とりあえず、日本語ガイドに入って、その勉強をしてからということにすると、結局3人しか残りませんでした。

 また、これまで点々でしかガイドできなかったのを、関空から那智まで英語のリレーでガイドできるように、本宮で3ヶ月間勉強会をしました。また、この秋デンマークで「熊野展」が予定されています。私も訪問するんですが、その時絵解きを英語でできないかなと思ってます。
 外国の方にどこまで伝えられるか分からないけど、何かおもしろいものがあるから、熊野に行ってみようと思ってくれたらいいなと感じてます。

<知事>
 国際版の比丘尼ですね。

<参加メンバー>
 今は、英語しか対応できないんですが、中国語もできるガイドもいるので、「心はどなたも受け入れる」という方向でいきたいと思います。

<知事>
 皆さん頑張っておられるから、もっとお客さんが来てくれるようになればいいですね。何か課題やご苦労などはないですか。

<参加メンバー>
 よそからの人が感動してくれて、その感動を(私たちに)伝えてくれる、これがものすごくいいんです。元々、ここで生まれ育った人は、昔から聞いたことなんかも語れるんですが、(私はそうではないので)中途半端な立場にあるんです。
 この辺は、近くに大学がないので、子どもは大学進学になると外に出て行きます。その子が「熊野はいいんだよ」と外で言うと、その子達が比丘尼になると思うんです。その意味でも、送り出す子どもにここの良さを知らさないといけないと思ってます。

<知事>
 (土地の)良さは、そこにどっぷりつかっていると分からないことが多いですね。私なんか比丘尼的青年で、18歳の時に和歌山を出たんです。比丘尼的に和歌山の良さを宣伝していたんです。初めは、友人も「ふむふむ。」と聞いてくれていたんですが、しばらくすると「あの和歌山か。」と言われたこともあります。たとえ少し所得が低くても和歌山は輝いていないと。比丘尼さんが活躍している「ああ、あれか」というような、和歌山の宣伝が効果的なんですね。

<参加メンバー>
 来ていただいた方が、喜んで帰っていただくことが、一番の宣伝になるんで頑張ります。

<知事>
 そうですね。もう一つは、呼んできて「あっ」と言わせることも大切です。例えば修学旅行や国際交流なんかですね。体験型の修学旅行なんかは結構やっているんですが、和歌山に十分来てくれているかというとそうでもない。それで県職員もすごく努力してます。観光バスでさっと来るんではなくて、1日どこかを歩く。そして研修施設なんかに泊まって、しいたけ栽培の人の話を聞くとか、チェーンソーアートの人の話を聞くとか、そんな体験をもっとやったらいいと思います。そんな体験をした子ども達が、またいつか戻ってくるんです。

 私も昔、丹鶴城のホテルに泊まって、「こんないい所があるのか。」とずっと思っていました。そんな思い出を持ってもらえれば、またいつか新宮に来てくれるんだと思います。

<参加メンバー>
 市の10年計画の要望にも出したんですが、新宮をハブ(拠点)にして長期に滞在してもらう。今日は本宮、明日は那智というように、新宮を拠点にするというのが、新宮の役割なんだと思ってます。ここは、駆け足で通り過ぎても良さは分からないので、空いた学校の部屋などを(長期に)利用してもらう、気に入った人にはここに永住してもらう、そうするとおじいちゃん、おばあちゃんに会いに若い世代がやって来る、平成の新しい形の「熊野詣で」ができると思うんです。

 明治大学も協力してくれてますが、大学の先生も「安く、じっくり泊まれるところが少ない。」と言われます。また、新宮、本宮間のバスが片道1,500円もするんで、家族で来られると大きなお金になるんです。それで、ミニ周遊券みたいな要望も出させていただきました。私の中では、新宮を「ハブ」にするということがテーマです。ないものねだりするのではなくて、今ある資源を活かしていきたいです。

<知事>
 小学校の統合の話なんかも聞きましたが、小学校の跡地なんかもいいかもしれないですね。
 今、新宮=ハブで、よその人に来てもらうというのは、新宮の人の気持ちとしてはどうですか。

<参加メンバー>
 新宮を「ハブ」にというのは、新宮の人たちの気持ちです。団塊の世代の人なんかが、ちょっと小金を持って、ゆっくり滞在していただけたらいいなと思います。
 また、大阪から4時間という遠いところを逆に自慢にしたいです。

<知事>
 そういう部分をアピールするような「総合商品」を考え出さないといけないね。その意味で「景観条例」も必要だと思います。ピンク色の喫茶店があっては、せっかく熊野に来ても二度と来なくなるから。もう一つ、休日はよく山の中を歩き回っていました。ブルネイと日本には圧倒的な違いがあります。それは、ブルネイでは、人々が山から逃れて生きていたけど、日本は山と共に生きている。今日は、「浮島」に行って感動したんですが、ブルネイの森は浮島のイメージです。湿地があって、川が「どよよーん」としてて、その横をごくわずかに歩く道がある、森の中に入っていけないんです。

 やっぱり、日本は山や森といっしょに生きてきた。その生きてきた気持ちを都会の人たちも忘れないでいるだろうし、「パッ」と思い出して、「いいな」と思う人もたくさんいるはずだから。そういう人の気持ちにマッチで点火するような努力を僕たちがしていったら、皆さんの活動がもっと期待されるんじゃないかと思ってます。県も頑張りますんで、市も皆さんも頑張っていただいて、和歌山を良くしていきたいと思います。

 もう一つ感動したのが、ここにいる県の担当者が、皆さんの熱意で「仕事が楽しくて仕方がない。」と言っていたことです。どうせ仕事をやるのならいやいやではなくて、「よーし」と思ってやったらいい。彼が、もっと良かったのは、「皆さんがすごい熱意があって、それに共鳴して仕事ができる。その結果、幸せな時間ができたんだろうな。」と思います。これからも大いに可愛がってあげてください。

<参加メンバー>
 新宮市には、東海や首都圏のお客さんが多いんです。県の方としても、首都圏でのPRとかある時は、参詣曼荼羅とかを引っ張り出していただけたらと思います。

<知事>
 明らかにターゲットは、首都圏です。これは、新宮だけではなくて、白浜や熊野、高野とかも。今まで、少し手薄だったので。「一杯飲みに行こうか」は、関西方面からかもしれないけど、「ゆっくり、じっくり行こうか」は関東の人で、こちらの良さを知っている人は少ない感じがします。それにパンダもいるしね。その点も頑張っていきます。今日はどうもありがとうございました。

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