知事からのメッセージ 平成27年3月 インドとベトナムに行ってきました

 3月8日から12日までインド、ベトナムに行ってまいりました。3月13日朝関空に着きまして、13日の午後から県内の仕事に復帰しています。
 

 インドはマハラシュトラ州との友情を確かめるための訪問です。一昨年10月にインドのマハラシュトラ州を訪問して、同州の首相との間で相互協力の合意文書を結びました。いわゆる姉妹県州関係と言ってもよいと思います。相手はインドのちょうど真ん中の西の大州で、人口は1億1千万人、デカン高原の大農業地帯と鉄鋼、石油、化学、自動車などの産業を擁し、インドで一番の経済力を有しています。首都ムンバイ(元の名はボンベイ)にはタタやリライアンス、ビルラというインド大財閥の本拠地があり、インド中央銀行の本店や証券取引所などインド金融の中心、おまけにアジャンタやエローラというものすごい世界遺産があり、おまけのおまけにあのボリウッドという売り上げでハリウッドをしのぐ映画産業の中心もあります。
 この話が前大阪神戸インド総領事のスワループさん(『スラムドッグミリオネア』という映画にもなったベストセラーの作者でもあります。)からあった時、インドが望むなら良いですよと返事をしたものの、先方が乗ってくるはずはないなあと思っていたら、あれよあれよと言う間に実現してしまったのです。その間スワループさんや田辺在住のチャコさんご夫妻、現地の国会議員 D.P.トリパティーさんや二階元経済産業大臣や元のカウンターパートのカマル・ナート前公共事業大臣、それに現地の日本大使館や在ムンバイ総領事館のお世話になって、そのような方々がそれぞれに応援してくれたので成就したと言ってもいいと思います。また、県の担当の山下君などが現地に何度も足を運んで相手側と折衝してくれたし、インドのスーパーエリートIASのマリック儀典長などマハラシュトラ州政府の方々が一生懸命頑張ってくれたお陰でした。
 インドでは地方政府同士の約束事もいちいち中央政府の了承が必要で、かつ、それにはインドにまだまだ根強い官僚主義の非効率が絡んで、この手の合意(MOUと言います)は中々出来ないと言われている中で、和歌山県がするするするとインド第一の州と約束をしてしまったので、皆が唖然としたのでした。
 約束事は2つで、双方は食品加工分野での協力、世界遺産を中心とした観光交流での交流を約束していますが、その他全般的な両政府間の協力・投資関係も強化しようということになっています。特に第一の食品加工分野での協力はインドの期待がとても強いものです。というのはマハラシュトラ州は、内陸部は一面の畑地で、地平線の続く限り延々と穀物と野菜が栽培されており、さらに高地ではマンゴーなどの果物の栽培も盛んな所なのですが、加工技術がないのと、いわゆるコールドチェーンがないので、収穫された作物の半分は暑さで消費者の口に入る前に腐ってしまうのだそうです。
 和歌山の食品加工業のスケールは日本の中では大きいとは言えないけれど、このマハラシュトラ州と組めばかなり商機はあるのではないかと思うわけです。また、インドは日本人のこれからの旅行先として十分に魅力的だし、マハラシュトラ州はその中でも特にものすごい資源を持っており、また、インド人の多くはまだ所得が低く、海外旅行に行けるような収入のある人の割合は小さいけれど、母数の人口が巨大ですから、仮にマハラシュトラ州の人口の0.1%が和歌山に行ってやろうかと思ったとしたら、我々は10万人の新たなお客さんを迎えることが出来るのです。さらに、MOUには直接書いてはいないのですが、我々は、インド独立の父の一人でインド憲法の起草者であるアンベドカー博士の銅像を高野山に建てる事に同意しました。アンベドカーさんは我々の想像以上にインド人に尊敬されており、これは大変喜ばれています。5月14日、ちょうど高野山で開創1200年の大法会が行われている時、高野山大学で除幕式が行われます。また、双方の世界遺産センターで、この2月、3月と相次いで、お互いに相手の世界遺産の宣伝をするコーナーが設けられました。インドのアジャンタは世界遺産の中でも第一級で、世界中から多くの人々が来ますから、そこで我が高野、熊野が人々の目に留まるという意義は大きいと思います。また、何せマハラシュトラ州は、経済力、人口ともに巨大ですから、経済交流も和歌山の産業界だけでは選手が足りない場合も考えられますから、和歌山県はマハラシュトラ州の対日交流ゲートウェイとして働いて上げる、その代わり、和歌山の企業の対印進出も手伝ってくれよという話になっています。その手始めに、和歌山県東京事務所がマハラシュトラ州の対日デスクの機能を果たして上げているし、今度東京でマハラシュトラ州がプロモーションをするのですが、有楽町駅前を借りてあげたりしています。一方、昨年ニューヨークで、マハラシュトラ州がタイムズスクエアを借りてものすごいキャンペーンをやったのですが、その際和歌山の宣伝もしてくれたのです。また、今マハラシュトラ州の観光局のオーランガバード支部に県庁の若い職員を派遣して研修をしてもらっています。将来の国際人材養成の一つですね。
 このようにうまく行っているマハラシュトラ州との交流ですが一つだけ心配が出てきました。それはインドにおける政権交替です。昨年の5月のインド中央における政権交替に引き続き10月にマハラシュトラ州でも政権交替があったのです。新しくできたインド中央政府の人民党のモデイ首相と安倍総理はこれまで以上の友好関係を結ばれたのですが、だからといって地方同士が自動的にそうなるとは限りません。
 

 忘れもしないのはスペインのガリシア州との関係です。西口元知事の時代に双方で姉妹道関係を結んで、とても仲良くしていたのですが、その10周年を記念して就任早々の私が訪西した時、ガリシア州は政権交替しており、新しい与党の労働党政権は、和歌山県との関係をすっかり忘れていたのです。それ以前の和歌山県の対ガリシア州関係は現地にお住まいの日本人を介するもので、私が訪西した時の先方の対応は「お前は誰だ」というものでした。私は同時にサンティアゴ・デ・コンポステーラで開催されていた中央政府同士の日西合同委員会のゲストスピーカーとしても呼ばれていたので、その滞在期間の2,3日で、大立ち回りを演じて、労働党のトゥリーニョ首相との間で以前の関係を修復することに成功しましたが、これはちょっと綱渡りでした。(ガリシア州は、その後もう一度政権交替があり、国民党が返り咲き今度はうまく引き継いで現在のフェイフォー首相とはいい関係を保っており、昨年5月には、和歌山を訪問してくれました。)
 

 ですから、せっかくつかんだ良縁を腐らしてはいかんというのが今回の訪印の目的でしたが、心配は杞憂でした。関係者の尽力のお陰で、現在の人民党の州政府からは下にも置かぬ厚遇を受け、新しいファドナヴィス首相やラオ知事とも大いにエールを交換してきました。(インドで知事というのは、功なり名を遂げた人士の中から中央政府の大統領が任命するもので、現在のマハラシュトラ州知事は中央政府の元商工大臣です。)
 ファドナヴィス首相は5月14日、高野山大学でのアンベドカー博士の銅像除幕式にも見えることになっています。この際首相は東京と大阪でも州のプロモーションをするので、県としてもJETROとともに大いに協力しようと思っています。
 また、これからですが、あのマハラシュトラ州の大農業地と加工分野等で何か協力ができないか、県の企業の人に一度視察に行ってもらおうかとも思っています。
 また、この機会を利用してエアインディアの協力も得て、インドでもトップクラスの旅行会社のかなりの大物職員に対して、和歌山の観光案内をしてきました。近くこれらの人々をいわゆるファムツアーで呼んでこようと思っています。この分野も大いに期待できそうです。
 

 一方、ベトナムは県知事としての初の公式訪問です。ベトナムは、人口が9,000万人、まだ人々の所得は全体としては低いけれど、それゆえ逆にインド、インドネシアとともに、これから最も発展するであろう国として、日本の産業界の関心が最も高い国の一つです。
 ベトナムには5つの中央直轄市と58の地方省がありまして、以前の通例だとどこかの市か省と姉妹関係にという事なのでしょう。しかし、そんなに分断されたら、民間では双方ともにプレーヤーは限られているので、うまく協力関係が結べず、トップ同士の「乾杯」で終わってしまうと考えていまして、ベトナムなどは中央政府のどこかの省庁と組んで具体的な協力をしようという方針でずっと準備をしてきました。その結果、この度ベトナム社会主義共和国農業農村開発大臣と私の間で協力協定(MOC)を結ぶことに至ったのです。目的は3つで、農水産業分野での技術協力、人材協力そして、貿易の振興協力というものです。
 ベトナム人の平均所得はそう高くはありませんが、ここも経済成長とともに高所得の人々が段々と増えてきており、和歌山の商品が売れる可能性も、ベトナムの農業資源や豊富な人材を活用して和歌山の企業が何らかの進出をする可能性も、ベトナムの優秀な人材に和歌山に勉強や研修に来てもらう可能性も随分あると思います。ベトナム農業農村開発省も、インドと同じくやはり農作物はたっぷり採れるものの、コールドチェーンの不在や加工技術の欠如によって、多くの物が市場でうまく売れないという問題を抱えており、和歌山県に対する期待は大きいのです。特にマグロは日本から漁獲技術を導入して結構獲れるようになったらしいのですが、ほとんど全部傷んでしまって日本の刺身、寿司のような需要には役に立たないのだそうです。
 今回は和歌山からも民間の企業も同行してくれまして、現地でそれぞれ大変評価されました。これらを背景に産品や観光のPRを大変な聴衆を集めてやって参りました。ベトナム政府の歓迎ぶりもすごくて、サン国家主席やハイ副首相がわざわざ1時間近くも時間を取って会談をしてくれたし、ファット農業農村開発大臣やズアイン副大臣はずっと付ききりで大事にしてくれました。また、商工省のトア副大臣とも中々よい会談が出来、近く和歌山へも見えそうな情勢です。マスコミ露出もすごくて、帰国時空港のラウンジで、係員に昨日テレビで観た人ですよねと言われました。このような関係ができたのは、長い間ベトナムのために尽くされ、すっかり尊敬されている築野元則国際協力機構(JICA)前ベトナム事務所長(現JICA関西所長)によるところが大きく(名前で想像できる通り、築野さんは和歌山が誇る築野食品の築野社長の弟さんです)また、日本ベトナム友好議員連盟会長である二階自民党総務会長がハスの交流その他でこれまでベトナムに尊敬されている事も、大いに重しになってくれました。深く感謝したいと思います。現地の深田大使はじめ、多くの皆さんにも本当にお世話になりました。
 

 このような交流は、一過性のものであってはなりません。これまでの地方交流は首脳が相互訪問して乾杯をするという形が多かったのですが、それでは詰まりません。ずっと長く続くことはもちろん、特に民間の方々がそれによって裨益することが大事です。それも一方的に協力するのではなく、民間らしくwin-winの関係で双方が得をしないといけません。ベトナムについても、インドと同じく、近く食品加工ミッションを派遣して商機をつかんでもらいたいと思っています。また先方の観光業者へのアプローチも今回をきっかけにしてもっと進めます。嬉しいことに和歌山外国語専門学校の薮添学園長がハノイ工科大学の学生二人を奨学金付で和歌山へ招聘するとも言ってくれました。
 

 今や、和歌山にいても世界の中の和歌山を意識せざるを得ません。チャンスもその中にこそあると思います。県は今や一人で世界中に折衝やセールスに出かけられる職員をどんどん増やしています。その能力はこの8年間で飛躍的に上がりました。和歌山県の方々をそうやって開拓したルートでどんどん世界にご案内しますので皆さんも積極的にそれぞれに世界とのビジネスをお考え下さい。

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